プラットホームストロー
プラットホームストロー
ちゅるちゅるり。
私はストローで引き寄せる。何を引き寄せるのかと問われても、カップの中の液体であるとしか言えない。近くのスターバックスで買った、何か美味しくて甘い液体だ。今の私にはそれ以上のものは必要ない。
ちゅるるちゅるり。
もう、カップの中は空である。それでも私はストローで引き寄せなければならなかった。そうでなければ、私が引き寄せられてしまう。
だが、いつまでもストローを吸っているわけにもいかなかった。
ストローから口を離し、ぼうっと空を見上げる。
青かった。空はいつまでも、いつまでたっても青いままのような気がした。
ネクタイを緩め、シャツをはためかせ、体に空気を送る。汗に湿った体は送られる風に救いを求めるかのように過剰に反応する。
粘っこい空気が体中に降りかかる。
ああ、時は満ちた。
遠くからこだまする音が聞こえる。
さて。終わりの時だ、と思った矢先。
「そう簡単に死ねるとは、大層なご身分だ」
しわがれた声がそう言うので、私は一歩踏み出せず、黄色い点字ブロックを踏みつけるだけで終わってしまった。
「ご老人」
私はその老人を知っているわけでもないのに親し気に呼んでいた。
腰を曲げ、なんだかよく分からない小型のキャリーバッグのような、よくご老人が使うあれをもって、私を見つめている。その笑みは卑しい。皺だらけの顔から見える歯はぼろぼろで見るに堪えない。
「あれだろう。お前さんはあれだ。あれなんだ」
「分かりません」
会話があっているかあっていないのか私には理解できなかったが、もとより私とご老人は交わるべき存在ではない。
「お前は空想癖が強いから、私を幽霊かはたまた未来の自分だとでも思っているのだろう?」
「これが小説なら、そうあるべきであり、そうあれば気持ちよく終われます」
「それが甘いと言うんだよ」
私は老人に叱られているのだろうか。己よりも何世代も年老いた人間に理解されているのだろうか。
「わたしは死にたくても死ねんさ。いつでも死ねる、なんて思い続けて、気がつけば、死ぬことすら苦しい体になった。わたしの気持ちがお前に分かるか」
その時、プラットホームにサイレンが鳴り響く。電車が出発するのだろう。
そして、私はその電車に乗ることなく、老人を見つめていた。
「どうしてあなたはそこまでして生きる」
「どうしてお前はそこまでして死ぬ」
「生きる理由がないからです」
「そのくせ死ぬ理由もない」
「なぜわかるのです」
「わかったような口を聞いているだけさ」
再び老人は卑しく笑った。その笑みは、お前にわたしの考えが分かるか、と誘っている風に思えた。
「あなたはどうして電車に乗らないのですか」
「行く当てもないからだ」
「では、死ぬのですか?」
「死ぬほど無意味なことはない」
「生きることは無意味ではないのですか?」
「生きているから死ぬことができる。それはこの世で唯一の愉悦」
なるほど、と私は感心した。
この老人が何を考えているのか私にはよく分かった。
「あなたは何も考えていませんね。ただ、私を遅刻させたかっただけだ」
老人は返事代わりに卑しく笑った。
そして、陽炎のようにその場から消え去ってしまった。
私はかかってきた電話に応対する。遅刻をしていることに対する上司からのお叱りの電話だ。
電話を終えて私は空になった容器のストローを吸う。
ずるっ。ずるずる。
ストローを何も考えず、神経質に吸い続けながら、私は次に来るであろう電車を待った。
プラットホームの魔力によって編まれた老人の卑しい笑顔にまた会えないものかと、熱せられた線路を見下ろしながら。
ラジオドラマの賞に応募しようと思って、この小説を書いたが、コーヒーのせいで眠れない中、ずっと老人のテーマで考えていると、五つくらい短編ができそうであった。それはきっと私が今まで老人を題材に小説を書いてこなかったからであろう。
老人の魅力?というものを表現できれば、と思う今日この頃である。




