『閉店は、明け方頃です。』by店主
ズルズルという音を立てながら、麺をすする音がする。それから老婆は枯れ木のような華奢な腕で、ドンブリを豪快に持ち上げ、スープを一口すすった。
「あああ。うまい! 長生きはするもんだねぇ。こんなに美味いものがこの世にあるとは」
「でしょ! 母さんにも、食べてもらいたかったんだよ!」
「なんだか、懐かしい味だねー」
「そう! そうなんだよ! 母さんがよく作ってくれたスープの味に似てるんだよ!」
「本当に、うれしいねー」
「うれしい? 美味しい、って言うのが正しいんじゃない?」
「いや、うれしいんだよ。お前が一人前になって、稼いだお金でこんなに美味しい料理をご馳走してくれることがだよ……」
「母さん……」ブッフォルディオは目を見開いた。
「大丈夫かい? 辛いことはないかい? こんなに傷だらけになっちゃって」そう言って、老婆はブッフォルディオの頬に両手をあてた。
「うん、……母さんは、……辛くはなかった? 大変じゃなかった? 俺が、あの村から、逃げ出した後……」
「別に、たいしたこたぁないよ。お前が大きな世界に飛び出して、いつか、強くなったお前が村を救ってくれるって、そう信じていたからね……」
「母さん、俺……」
「でもね。ちょっと……、ちょっとだけだけど……、寂しかった、……かな」
「……母さん……、ごめん」
ブッフォルディオは幼子のように、老婆の膝に顔をうずめ、ただひたすらに泣いた。
老婆は息子の頭をただ優しく撫でていた。
「ほら! 元気をだしな! 一緒に食べようじゃないか! 冷めちゃう前に」老婆は優しく言った。
「うん……」
はっ! と、目を覚ますと。屋台のカウンターに突っ伏して眠っていたようだった。
アキコは、桶にはった水でドンブリやグラスを洗っていた。
ブッフォルディオは慌てて目の辺りに残る涙の気配を袖で拭った。
「起きた?」秋子は振り返らずにそう聞いた。
「ああ、どれくらい寝ていた? 俺は」
「……もう朝だよ。と言っても、ダンジョンの中じゃ、朝日は拝めないけどね」
「そうか。……すまない」
「いや、いいよ。なんだか疲れてるみたいだったし」
ブッフォルディオはふと、隣の席を見た。
そこには、何も入っていない。誰かが食べ終わったようなドンブリが一つ残されていた。
「誰か、客がいたのか?」
「んん? なにが?」秋子は洗い物の手を止めず聞き返す。
「このドンブリ?」
「知らないよ。あんたが最後の客だし」
「じゃあ、これは……」
「あんたが食ったんじゃない?」
「俺が?」
「結構飲んでたし、無理はないんじゃないの」
「いや、しかし」
秋子は洗い物を終えると立ち上がり、前掛けで手を拭う。
「それじゃあ、なに? あんたの、死んだお母さんが食べたって、そう言って欲しいの?」
狐につままれたような、という表現があるが、まさにそのような表情で、ブッフォルディオは、煙草を燻らせはじめた女店主の背中を見ていた。