『きまぐれメニューもあります(数量限定)。』by店主
”時知らずの黒竜”が鳴く頃、つまり秋子の世界で言うところの午前一時過ぎ。
やっと客足が穏やかになり、秋子も一息つくためにメンソールに火をつけた。
「いやー。しかし、相変らずアキコの肝の据わり具合は並じゃないな」デリーが酒臭い感嘆を吐いた。
「異世界の女子は皆そうなのか?」ダニエルは焼酎に切り替えもう六杯目だ。
「アキコは特別じゃろうて。くっくっく」デオクラテスが意地悪そうに笑う。
そう。この時間になってもまだこの三人はカウンターで飲んでいた。
「あんた達まだ飲むの? ここはラーメン屋であって飲み屋じゃないんだから!」秋子が控えめに怒鳴る。
「まあまあよかろうて……」デオクラテスは枯れ木のような手をフラフラと扇ぐ。
「普通、ラーメンってのは”シメ”なの。あんた達みたいにラーメン食ったあとにガバガバ呑むのは普通じゃないの!」
「なんだ? そんな決まりがあるのか?」ダニエルが不思議そうに聞いた。
「決まりというか……、なんというか……」秋子は困ってしまった。
「あ、あの……、アキコさん……。終わりました……」おずおずと傷の男が声をかけてきた。
見ると、桶に溜まっていた洗い物はすっかり綺麗になっている。秋子はその中のドンブリの一つを手に取り、骨董品でも品定めするかのような目つきで吟味しはじめた。
「よし! 凄くていねいじゃない! あなた、冒険者なんて辞めて飯屋でもやったら?」
秋子がそんな冗談を言うと、傷の男は照れたような、少し恥ずかしそうな表情になった。
「では、俺はこれで」男が立ち去ろうとする。
「待ちなよ!」
秋子のその声にビクっと肩を震わせる。
「ま、まだなにか?」
「ちょっとそこに座んなよ」秋子はカウンターの端っこの席を指差す。
「いや、しかし……」男は戸惑う。
「ああ……」秋子は気がついた。「もう皿洗いは終わったんだから、カイエンさんが来ても問題ないわよ。それに、あの人案外いいかげんなとこあるから、もうさっきのことなんて忘れてるかもよ!」
男はしぶしぶ席についた。ギルド・マスターはいないにしろ、錚々たる面子が座るカウンター席に……。
「はいよ!」秋子は傷の男の前に小さなドンブリを置いた。
「あの、これは?」
「うん。バイト代」
「バ、イト?」
「ドンブリの弁償代以上に、いい仕事してくれたから。まあ、そのお釣りだと思って」
男はそのドンブリを覗き込む。
それは、小さなラーメンだった。
「おや? アキコ、それは?」
デオクラテスが興味津々に聞いた。
「ふふん。実は、新作なの」
「新作!!」常連達がハモる。
「そう。ミニ・豚骨ラーメン!」
傷の男は割り箸を割ると、拙い箸使いでそれを啜りはじめた。男は途端に目を見開く。
「おい! アキコ! 俺もそれを!」ダニエルが叫ぶ。
「ワシもじゃ!」デオクラテスも叫んだ。
「俺もだ俺も!」デリーもそれを所望する。
しかし、秋子は不思議そうに傷の男を見ている。
三人の常連も、傷の男の方を見た。
男は、涙をダラダラ流しながらそれを咀嚼していた。
「あの……」秋子が戸惑いながら声をかけた。
「……すまない」すると男は袖で涙を拭い、鼻をすすった。「ああ、これは……、オフクロの味がする」
「オフクロの味?」
「……これは、豚の骨を煮出して作ってるのだろう?」
「そう……。そのとおりよ」
「俺の故郷にも、よく似たスープがある……」
男は自分の身の上を語り出した。
男の出身である貧しい村の話だった。
そこでは、皆、豚や牛を飼うことを生業としていた。支配者である領主は強欲で、村人は貧しい生活を強いられていることを。
男はそんな生活がたまらなく嫌で、ある時すべてを捨ててその村を抜け出した。家族や、友までも捨ててだ。
そして、冒険者となり十年。母も、そして家族も友人達も、存命かどうかは知らないという。
「俺は……卑怯者なんだ……」
男は涙や鼻水でぐじゃぐじゃになった顔でカウンターに伏せた。
秋子はふーっと一息吐くと、メンソールをアルミの灰皿にねじ込んだ。そして、
「とにかく! 今は熱いうちに食っちゃいなよ! そんで今日は宿に帰って寝ちまいな! 明日、朝一で発つんだよ!」
「あ……、あの、それは、どういう……」
「あんたの故郷に帰るんだよ! そんな悪どい領主なんて、たたっ斬ってやんなよ! 村を救いなよ! 何のためにそこまで修行したのさ! あんたのその顔見りゃわかるよ。その傷だらけの顔さ。その傷の分、あんたは強くなったんじゃねーのか?! なんのために力を欲した? 自由の為だろ? あんた、逃げ続けたら後悔するよ! その自由は自分の為だけか? 自分の為だけの力なんて、たかが知れてるんだよ! 誰かのために剣を抜いてみろよ。男なら!」
「そ、そんな……」
「女みてーな声出してんじゃねー! さっきの威勢の良さはどこ行っちまった?! 女の戯言くらい、言い返してみろよ!!」
男の、その眼力に炎が灯り始めた。
乱暴にドンブリを摑むと、麺もスープも一気に大口に流し込みはじめる。
汁一滴残さず飲み干し、豪快にニンニク臭いゲップをかます。
そして、両手でパン! と自分の両頬を張った。
「言わしときゃあこの女! バカにしやがって!」男は立ち上がり怒鳴った。
ダニエルがずいっと立ち上がる。しかし、その右腕を大賢者が摑んだ。デオクラテスは強い視線でダニエルに何かを訴えかける。
「そうだ! そのとおりだ! この傷は伊達じゃねー。いくつもの死線を潜り抜けてきたんだ! ちんけな領主ごとき、俺が血祭りにあげてやるわ!」
「よく言った! そんじゃ、これは私からの奢りだよ!」
ドン! と、久保田の千寿の一升瓶を傷の男の前に置いた。
「誓いの杯だ。かならず故郷にもどって、家族を、そして村人を救うこと。……そして、かならず生きて、ここに戻って。大盛りの豚骨ラーメンを食べること! いい?」
「ふん」と言って、男は乱暴に瓶を摑むと、手元の小ドンブリにそれを注ぎ始めた。
「みんなも付き合って! 男の誓いの杯だからね!」秋子は三人の常連に言った。
デリー、ダニエル、デオクラテスにも秋子は小ドンブリを差し出す。
「いやはや、妙なことに巻き込まれたかな?」デオクラテスが呆れたように言った。
「それでは皆さん! カンパーイ!」秋子は誓いの音頭をとった。