ep.5 「気は優しくて力持ち」
パシンッ
「昨日はゴメン! 琥紺ちゃん!!」
次の日の朝の事です。
学校に着いて早々、先に到着していた琥紺ちゃんに、いつもより強く眉間に皺を寄せる友人に、私は必死に手を合わせて、先に帰ってしまった事を謝りました。
「……」
私も琥紺ちゃんも、お兄ちゃんと同じ窓際族の一員で、一切返事を返さない親友は、頬杖ついてそっぽ向いて、そんな窓の外を睨んでいます。
四月ももう終わりに近付いてきていて、二階から眺める景色もいい加減見飽きてきた頃だと思うのですが、なのに琥紺ちゃんは、大事な親友よりそんな代わり映えのしない校庭に御執心のようでした。
「あ、あのね…琥紺ちゃん? じ、実は昨日ね、お兄ちゃんがどうしても私と一緒に帰りたいって言うから、今の身体じゃ1人で不安だとか、そんな情けないLIMEを絵文字付きで寄越すもんだから仕方なくね、私はダッシュで下駄箱に向かったの」
「……チッ」
「……あ、あの琥紺ちゃん? 舌打ちはよくないと思うなあ? 舌打ちはコミュニケーション手段の1つじゃないと思うんだけどなあ…もっとこう『うん』とか『そう』とか『別にいいのよ』とか『真冬にもそんな事情があったのね、仕方ないわあ』とか、色んなバリエーションが世の中には存在すると思うんだけどなあー……」
一生懸命説明したのに、琥紺ちゃんは鋭い目付きで私を睨んで、たった1文字しか返してくれませんでした。
「───うっさいなあ、あの夏広先輩が真冬にそんな弱々しいLIME送るわけないじゃん! わざわざそんな妹を心配させるようなメッセージをさあ、あと途中から自分が欲しい答えばっかり述べないでくれる?」
「あうう……」
「〝あうう〟じゃない、泣きそうな目したってダメ。アンタの嘘はバレバレなんだからね!」
ようやく返ってきた人間味のある応えはとても強く冷たいもので、周りを気にせずプンスカ怒る琥紺ちゃんに、クラスの男子は相も変わらずもビビり散らかしております。
腕を組んで、短いスカートの下で更に足を組んで、ふんぞり返る琥紺ちゃんは、何て言うか傲慢な貴族の娘みたいな感じで、かの悪役令嬢と対を成す生粋のワガママお嬢様みたいで、なんだか彼女の着ている制服がドレスに見えてきました。
「あのさぁ真冬、私が怒ってるの分かってるよね?」
「───も、もちろんで御座います。お嬢様!」
「馬鹿にしてる?」
「滅相も御座いません、お嬢様!」
「してるよね?」
少しだけ、物語の世界へと旅立っていた私の表情を琥紺ちゃんは見逃しませんでした。
「はあ…もういい。真冬なんか今度宿題忘れても見せてあげないから!」
「そ、そんなぁ~……」
「泣き言言っても駄目、暫く自分でなんとかしなさい」
「ううぅー……きょ、今日の数学の宿題は?」
「まだ授業まで時間あるでしょ? 諦めないでやってみたら? 真冬、地頭は良い方なんだから」
───等と、高飛車なお嬢様は無情にも従者を突き放します。
……やはり駄目ですね、素質は十分だと思うのですが、琥紺ちゃんには悪役令嬢の器として何かが欠けてるように見えます。
「……やっぱり悪役令嬢たるもの厳しさの中にも、愛情と優しさ、そして運動能力が備わってなくては…」
「なに言ってるか分かんないけど、真冬はもう金輪際二度と、私に宿題を頼る気はないという事だけは分かった」
「あ、あう…ご、ごめ……」
「知ーらない、勝手にしたら?」
フンッと鼻を鳴らして、琥紺ちゃんは再び何もない校庭を見詰める体勢に戻りました。
彼女が見るガラスには「あうあう」言って、立ったまま顔を青ざめる滑稽な姿の私がうっすらと映ります。
「まったくもうー……ぶふっ!?」
(あ、笑った…笑った顔だけは本当に愛らしいんだけどなぁ……)
情けない姿ですが、そんな私を見て吹き出した琥紺ちゃんの顔がガラス越しに映り、それを振り向いて皆に見せたら、クラスでの人気は爆上がり間違い無しなんだけどなぁ…と私は思ったのです。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「うへえ…何とか乗り越えたよ琥紺ちゃん…」
「やれば出来るじゃない? これからもその調子で頑張ってね」
お昼時、合間の休憩も碌に取らず、ずーっとYとかXとか、英語の混じった数式と格闘していた私は、何とか午後の授業までには間に合った宿題の達成感でいっぱいになり、横に未開封のお弁当箱を置きながら屍のように机に突っ伏しておりました。
「……これからも?」
「これからも、ずっと」
───そんな非情な事を言う親友はさておいて、何だかんだで一緒にお弁当を食べてくれる親友はさておいて、先にタコさんウィンナーを頬張る親友はさておいて、私は今日1日、退屈そうに授業を受けるお兄ちゃんの姿以外、覗けずじまいだった事を思い出します。
(今しかない。気になって気になって仕方なかった休み時間のお兄ちゃんの風景を覗くチャンスは今しかない! うおおー……開け『俯瞰の目』!!)
キイィィー……ン
だから私は、この一世一代のチャンスを逃すまいと目をつぶりました。
遠く遠く、1つ上の階の三年二組の教室へと意識を飛ばしました。
「もぐもぐ、真冬お弁当食べないの? こんなに美味しいのに、ねえ真冬ー……」
言葉ばかりで心配して、次なる獲物『クリームチーズ明太入り卵焼き』を嬉しそうに口へ運ぶ薄情な友人を置き去りに、私は私の作り出した悪役令嬢物語の中へと没入していったのです……
★ ☆ ★ ☆ ★
「───悪いな誠司、いきなり誘っちまって」
「い、いや、別にいいんだけど…何で俺なんだ?」
「んなの、お前も俺と一緒で、いつも1人で弁当喰ってたからに決まってるだろ?」
「そ、そうか……」
「そうだよ、それ以外なんにもねえよ」
「…………そうか…」
「なんで少しガッカリすんだよ!?」
(ふ、ふおおぉぉー……も、物語が動いているー! あ、あのお兄ちゃんがクラスメイトと一緒にお昼御飯を食べてるーー!!)
意識を飛ばした先で兄は、なんと昨日の喧嘩相手であった宮原誠司さんと向かい合ってお弁当を食べていました。
わざわざ椅子を真ん中の一番後ろの席まで移動して、笑顔でニコニコとお母さんの作ってくれたお弁当に箸を付けていたのです。
日常を変える突然の登場人物の追加に、私は興奮を抑えられずにいます。
「……昨日、あれから妹さんは平気だったのかよ?」
無造作にパンを頬張る目付きの鋭い金髪ピアスヤンキーが、私の悪役令嬢へと質問します。
「ああ、あれはまあ、なんつーか幼い頃からのアイツの癖みたいなもんで、たまにああして訳もなく興奮しては、世界を鮮血に染めるんだよ……」
「それって大丈夫なのか? 出血多量で命の危険に曝されたりしないのか?」
「……ふっ、俺も父さんも母さんも、何度もその心配はしたさ…だけど病院に連れてく度アイツは健康だって、『どこにも異常は見当たりません』って先生が言うんだ…『娘さんは生まれ持っての健康体です』ってな…」
「そ、そうなのか……」
昨日の敵は今日の友とでも言うのでしょうか、仲良く食事を取りながら、宮原さんとお兄ちゃんは、私のいないところで私の話題を勝手に出して盛り上がっておりました。
(ふんぬおぉー、別にいいんだけど! 宮原さんは別として、お兄ちゃんは絶対馬鹿にしてるよね!)
いえね、相手がどんな趣味を持っているか何にも分からない状態で、会話を盛り上げるのに最も手っ取り早いのは、共通の知人の話題を出すのが一番だって事ぐらい分かってるから別にいいんですけどね!
───等と、そんな風に私がプンスカ怒るなか、それでも物語は容赦なく進んでいきます。
「……あのよ、もう1個だけ質問してもいいか?」
「構わないけど、何だ?」
ナイスタイミングで話題を変えた宮原さんには、拍手喝采のスタンディングオベーションを送りたい気分になりました。
(ナイス宮原さん! 見た目は怖いけどやっぱり好い人じゃないですか!)
「お前のその姿さ…ずっとそのままなのか?」
「え?」
「あ、いや…別に一緒にいて気色悪いとかそんなんじゃねえんだけど、昨日は思わず変なこと口走っちまったけど、やっぱりその…早く決着つけてえっていうか、男同士で拳の打つけ合いをしてえっていうかさ…ホラ、何だかんだで俺達もう最終学年だろ? だから卒業までには白黒つけてえなって思うからさ…」
(あ……)
私は思わずそんな宮原さんの言葉に息を詰まらせました。
だって、昨日お兄ちゃんと約束してしまったから、昨日お兄ちゃんと卒業までは我慢してっていう約束をしてしまったから、身勝手で自分勝手な約束を取り付けてしまったから……
誰かの気持ちも考えず行動してしまったから……
「……それさ、卒業した後じゃ駄目か?」
「……した後?」
「ああ、卒業したらこの呪いみたいなもんが解けるらしいから、だから卒業式が終わってその後に、クラスの打ち上げや記念撮影なんか参加せずに、また昨日と同じ河川敷で、今度こそたった2人で勝負を決めるってのじゃ駄目かな?」
「……戻れるんならそれで構わねえけど、だけど俺が勝ったらどうすんだよ? ずっと決着は付かずじまいじゃねえか…」
「だったらよ、一生勝負してようぜ。二十代になっても三十代になっても四十代になってもどっかで合ってさ…なんなら死ぬまで、爺さんになっても決着が付くまでずっと勝負してようぜ?」
……不良の世界はよく分かりません。
私が読んだ漫画や小説には、いつもとっても強い王子様しか出てこなかったし、どんな窮地に陥っても最後は必ず圧倒的な力で敵を薙ぎ倒すイケメン騎士や剣士様しか出てきませんでしたから、このような拳で語り合う人達の存在を私は知りません。
仮にこれを小説で書けと言われれば私には無理です。だってこれは、私の予想を遥かに越えた悪役令嬢の物語ですから…
「……死ぬまでか…」
「そ、死ぬまで。嫌か?」
「嫌じゃねえけど、そんなに長くお前と拳を打つけ合わさなきゃいけねえと思うと、ちょっとな……」
「悪いな、そうでもしないと泣く奴がいるんだよ…人の背中で鼻かんで、家に着くまでずっと『ごべんね、ごべんね』を繰り返すアホな奴がさ…」
(……お兄ちゃん)
───と、お兄ちゃんは昨日の私との会話を思い出しつつ、どこか遠くを見詰めます。
帰ってから案の定お母さんに詰め寄られ、あらぬ疑惑をかけられた昨日の出来事を、詳細は明かさずにやんわりと、宮原さんに伝えたのです。
人の事をアホだなんだの言うわりに、結局は私の荒唐無稽で馬鹿な頼み事を引き受けてるお兄ちゃんは、とんだお人好しです。
なんだかんだ言いながら決して手を振り払わず、最後まで付き合ってくれるお兄ちゃんは、私以上のアホなんじゃないかと思います。
(まったく、まったく、まったくもうー…そんなんじゃあ後でコソッと嫌がらせ出来ないじゃないですか…)
ホント、どうしてこんなにもお人好しなんでしょう…
「それってもしかして……」
「まあ、だからさ、理由あってこんな姿になっちまってるけど、ちゃんと絶対男に戻るから、少しだけ…俺の我が儘に付き合ってくれないかな?」
……クラスメイト達には真相を伝えず「理由あって」の一点張りで通したとお兄ちゃんが言っていました…きっと、後先考えず行動した馬鹿な私を護る為だったんだと思います。
少しだけ甘っちょろい気がしますが、そんな妹想いな悪役令嬢は、馬鹿な私の願いを聞き入れて、そう宮原さんに提案してくれたのです。
「ったく、仕方ねえなあー……」
「へへっ、サンキュ」
悪役令嬢は笑います。
私の作り出した悪役令嬢は少しはにかんで笑います。
見る者を魅了するような笑顔で笑うのです。
「───う!」
「う?」
「い、いや、何でもねー……」
そんな兄の笑顔を見て、対面する宮原さんが少しだけ耳を赤くして、恥ずかしそうに顔を背けた気がしたのですがー……
☆ ★ ☆ ★ ☆
ツン、ツンツン、ツンツンツン
「おーい真冬起きろー、いつまでいじけてんのー? 早く起きないとアンタのお弁当変わりに食べちゃうよー……?」
……ですがそれは、私の頭を箸でつつく無慈悲な親友の手によって、その先の出来事を覗く事は出来なかったのです。




