第5話 炎と妖怪の洛陽③
洛陽への孫堅軍の突入から、しばし遅れて――連合軍主力、袁紹軍が到着した。
馬の蹄が石畳を叩く音。
だがその音は、すぐにかき消される。
燃え盛る炎の轟音と、無数の叫びに。
紹香は、馬上でその光景を見渡した。
そして――言葉を失う。
紹香「これが……この国の、首都……?」
目の前に広がるのは――地獄だった。
ゴオオオオオ……
炎が建物を飲み込み、屋根を崩し、空へと噴き上がる。
空気は熱く、息を吸うたびに喉が焼ける。
煙が視界を覆い、目にしみる。
その中を――人々が逃げ惑っていた。
「助けてくれッ!」
「こっちだ、早くッ!」
叫びが飛び交う。
背後から迫る炎に、必死で這いずる者。
すでに倒れ、動かない者。
その体を、炎が静かに包み込んでいく。
紹香の視線が、ひとりの男に止まる。
衣に火が燃え移り――男は、地面を転げ回っていた。
「熱いッ……!助け……ッ!」
叫びながら、必死に火を消そうとする。
だが、炎は消えない。
むしろ勢いを増していく。
やがて――声が、途切れた。
紹香の喉が、ひゅっと鳴る。
さらにその先。
子どもが一人、瓦礫に埋もれた手を引っ張っていた。
顔は涙と煤でぐしゃぐしゃ。
震えながら、声を張り上げる。
「お母さぁんッ!!」
だが――その呼びかけに、応える声はない。
紹香(戦いと関係ない所で……こんなに、人が……)
これまでにも、死は見てきた。
兵が倒れる姿。
将が討たれる瞬間。
だが――それは、いつも遠くからだった。
戦の一部として。
どこか、現実から切り離されたものとして。
受け止めていた。
けれど――今は違う。
目の前で。
すぐ手の届く場所で。
人が、次々と――炎と瓦礫に飲まれ、命を散らしていく。
その一つ一つが、現実だった。
紹香は、強く歯を食いしばる。
そして――勢いよく振り向いた。
紹香「顔良!!文醜!!張郃!!」
叫ぶ。
声が、煙の中を突き抜ける。
三人の将が、即座に応じる。
紹香「町の人たちを、避難させなさいッ!!」
「御意ッ!!」
三人が同時に応じる。
それぞれが兵を率い――炎の中へ散る。
その時――ふと、はるか前方。
炎の向こうに、大きな人影が見えた。
揺れる熱気の中でも、はっきりと分かる。
堂々とした体格。
真紅の鎧。
肩に巻かれた毛皮。
その姿から漂う威風。
田豊「あれは……孫堅殿ですな」
隣で、田豊が静かに呟いた。
炎に照らされながら孫堅は、井戸の傍に立っていた。
田豊「孫堅殿ッ!!」
その声に――孫堅は、ほんの一瞬だけ目を見開く。
そして反射的に、手にしていた玉璽を、素早く懐へと押し込んだ。
田豊は気づかぬまま、駆け寄る。
田豊「この騒ぎは、いったい……!」
息を切らしながら問いかける。
孫堅「……我々が到着した時には、すでに町は火の海だった」
孫堅は燃え盛る都を一瞥し、続ける。
孫堅「我らの足止めのため……董卓が火を放ったのだろう」
その言葉に田豊の表情が、怒りで歪む。
田豊「おのれぇ……董卓ッ!」
歯を食いしばる。
田豊「なんと卑劣なッ!!」
怒りが、胸の奥からこみ上げる。
だが――その時だった。
ザッ
紹香と田豊の脇を、何かが風のように横切った。
次の瞬間。
袁紹兵「ぎゃああアアッ!!」
耳を裂くような悲鳴。
すぐ横にいた兵の姿が――影に、引きずり込まれる。
紹香「――ッ?」
思わず振り向く。
だが、そこにはもう何もない。
影は、一つではない。
ザザッ……ザザザッ……
2つ。
3つ。
いや――それ以上。
煙と炎の隙間から、次々と現れる。
それらは、容赦なく――兵や民へと襲いかかった。
袁紹兵「な、なんだこいつらはッ!?」
民「ギャアアッ!! 助け――ッ!!」
悲鳴が重なる。
血の匂いが、一気に濃くなる。
やがて――一体の“それ”が、立ち止まった。
口に、何かを咥えたまま。
それは――人だった。
紹香の視線が、そこに釘付けになる。
異形。
どす黒い紫色の毛。
全身を覆う、濡れたような光沢。
四本足の、狼のような姿。
だが――その体高は、明らかに異常だった。
2メートルを優に超える巨体。
そして、首元まで裂けた口。
その奥で――肉が、噛み砕かれていた。
バキッ……
ゴキッ……
骨が砕ける音。
グチャ……グチャ……
咀嚼する音。
それが、生々しく響く。
孫堅「妖怪ッ!? なぜこんな所にッ!!」
驚愕の声。
妖怪たちは、止まらない。
風のように駆け。
影のように飛び。
人を捕らえ――食らう。
田豊「円陣を組むのじゃッ!!」
鋭い指示。
田豊「妖怪どもに背を見せるなッ!!」
兵たちは、震えながらも動く。
慌てて互いに背を合わせる。
盾を構え、槍を外へ向ける。
だが――その手は震えていた。
紹香「なに……」
声が、震える。
紹香「いったい、何が……」
理解が追いつかない。
以前遭遇した妖怪とは――別物。
小柄で、不気味な存在ではあった。
だが、これは違う。
圧倒的な体格と速度。
そして――異常な狂暴性。
目の前で、人が食われていく。
その現実が、脳に焼きつく。
その時。
一体の妖怪が、ゆっくりと動いた。
低い唸り声。
ぎらつく目。
その視線が――紹香へと向けられる。




