表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/18

満月の日(プロローグ)

この部屋に閉じ込められて、どれほどの時が過ぎただろう。

窓には重たい鉄格子がはめ込まれ、危うい物は何ひとつ残されていない。

広すぎる部屋の中央に、孤独を誇示するようにベッドが一台だけ置かれているが、もう長らくそのベッドに横たわってはいない。


まぶたを閉じれば、あの日の光景が蘇り、胸を締めつけて目を覚ましてしまうからだ。

あの幸せだった日々は幻だったのだろうか。

今や、生きる術も意味も、すべて失われてしまった。

私は、彼の顔を思い浮かべる。


――いっそのこと早く殺してほしい。


殺さずに、閉じ込めたまま放置されている。これもある種の復讐なのだろうか。

意味もなく生きることほど苦しい事はない。それは、時に“死”そのものよりも残酷だ。

もはや、死んでしまった方が楽になれる。

死んだら、そこで終わり、何も感じることはなくなるのだから。

もうこれ以上、苦しむ必要もない。


「ソフィア様」


扉の鍵が軋み、侍女のイザベラが食事を運んできた。

白い湯気の立つスープと少しの野菜、そして薬。病人の食卓のようだ。


「お願いです。召し上がってください。このままでは……」


必死の声と自分に向けられたその涙を、遠い世界の出来事のように見ていた。


――なぜ、彼女が泣いているのか、私にはわからない。


ふと、窓の鉄格子越しに僅かに月光が差し込み、顔を照らした。

そういえば、もう暫く夜空を見ていない。

輝く星も、月も、この部屋からは綺麗に見ることができないのだ。


「月が見たいわ…」


かすれた声に、自分が長く言葉を発していなかったことを知る。

驚くイザベラの手を取り、私はその瞳をじっと見つめた。


「外に出て、月を見たいの」


沈黙が落ち、やがて彼女は小さく息を呑んだ。


「それは……」


彼女の表情から笑顔が消え、悩む色が浮かぶ。

けれど、一瞬ためらった彼女は、やがて決意したように頷いた。


「わかりました。でも、必ず私の後ろを離れずについて来てくださいね」


短く頷く私を見て、イザベラは「少し待っていてください」と言い、部屋を出て行った。

誰の気配もないことを確認して戻ってきた彼女は、私の手を取り、廊下へと連れ出す。

この部屋には外から鍵がかけられている。

だから、こうして外の人の力を借りなければ、私は部屋の外に出ることも不可能だった。


幸運にも、静まり返った廊下には、もう誰の気配もない。

おぼつかない足取りでイザベラの後ろをついていく。

長く閉じ込められていたせいで、足に力が入らない。


「足元にお気をつけください」


階段を降りる途中で、私はイザベラの手を離して、立ち止まった。

気づいたイザベラが振り返る。


「どうしました?」


足は震え、力が入らない。

――でも、これが最初で最後の機会だ。


「ごめんなさい。そっちには行けない」

「…え?」


イザベラの声を背に、私は階段を降りずに、そのまま廊下を駆け出した。

この階には大きなバルコニーのある部屋がある。そこへ向かって走る。

この城のことは私が一番よく知っている。


目的の部屋に入り、内側から鍵をかけ、机を扉の前に押しやった。

扉の外ではイザベラが必死に私の名を呼んでいる。

もう、追いつかれることはないだろう。


私は大きなバルコニーへ、足を引きずるように進んだ。

外に出ると、ひんやりとした風が頬を撫でる。

夜気がどこかくすぐったい。見上げれば、大きな満月が輝いていた。


そういえば、あの日もそうだった。

すべてが変わってしまった日。あの時も、満月で大きな月が夜の闇の中で輝いていた。

月は隠したい思いも罪もすべてを照らしてしまうような気がして、少し怖い。

月からは、逃げも隠れもできない。でも、それでも……。


「綺麗ね」


そう呟きながら、バルコニーの柵の上に立つ。ここは三階。

下には大きな庭が広がっている。不思議と怖くはなかった。

むしろ、これで全てを終わりにできると思うと、充足感さえ湧いてくる。

もう、この世に未練など何もなかった。


「ソフィア!!!」


扉を破る大きな音とともに、彼の声が響いた。

最期に彼の声が聞けて嬉しいと思ってしまう私は、本当に単純なのかもしれない。

だからこそ、彼が私を愛していると錯覚してしまったのだ。


「……今まで、ごめんなさい」


最後に振り絞るように発した言葉は、彼に届いただろうか。

余裕のない表情で駆け寄る彼を横目に、私は身体を宙に投げた。

伸ばされたその手が、ゆっくりと遠ざかっていく。


自分勝手を赦してください。

でも、もう、この世で生きることに、耐えられないのです。


――私は死ぬことでしか、この罪から逃れることはできないのだから。


お読みいただきありがとうございます。

よろしければ、ブックマーク・評価で応援していただけると完結までの励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ