#21 仁大丹治は主人公
三日三晩寝続けた。
抉られたみぞおちの傷は粗方治った。
ツヴァイヘンダーは手元に無かった。
これが俺の現状を表す文章――三行革命ってところだ。
「ハッハッ、笑えねぇな」
バカなことを自分で言って自分で笑う――それしかできないのが、独り身の辛いところだ。
毛布を蹴り飛ばして起き上がる。上半身裸の俺の周囲は、酒の缶やらインスタントな飯のゴミだらけ。昔はもっと綺麗だったんだがな。
最近じゃあ酔っても酔っても酔い切れない。
前はふわついた心地良さと高揚感が癖になっていたが、今では酔ったそばから嫌なことを思い出す。
それは生前の事――思い出すと、死んでいるけどもう一度死にたくなるくらいの黒歴史だ。
『DEFOLIATION』――二流の大学を中退した俺が、苦心して就職先を探し回った先に入社した会社だ。
それなりに給料も良いし、就職するには時期外れだったのに、新卒でもない俺が入社できたのは奇跡だったのかもしれない。
まあ、すぐに後悔したんだがな。
だいたい、秋の新卒社会人がやっとの思いで仕事に慣れてきたであろう時期に、半端者を雇うってことはそういうことだろ。欠員が出る程度に会社に問題があるってことだ。
俺は開発部門――『DEFOLIATION』の中でも花形って言われてるらしい。アプリ開発や販売を商いの中心にしているが、俺は実はその手の技術知識はほとんどない。なので、最初は雑務からスタートと思いきや、パソコンをある程度使えるとのことで、プログラムの経験もない俺があてがわれた。
結果としては、燦々たるの一言に尽きる。
言い切っちまえば、んなの無理だっつーのって話だ。泳げない奴をプールに突き落としたら泳げるようになった……ってのとは前提が違う。
努力で何とかるか、基礎の知識という前提があってそこから努力を重ねて何とかなるか、根本から俺の待遇はおかしかったのだ。
だというのに、部長だった北原白夜という男は、俺の事を人のでき損ないだの、なり損ないだの、好き勝手言ってくれた。事あるごとに同期をやり玉に挙げてさんざんディスってくれた。
そして、惨めな俺を優しく慰めて、後始末をしてもらっていた。
時が経つにつれ、それら生前の苦い思い出は、毒のようにじわりじわりと心にダメージを与え始めてくる。
特にキツいのは三つ目だ。みんながみんな優しすぎて、俺の惨めっぷりが際立つ。
俺の居た開発部門は定期的にメンツが変わる。それがこの会社では正常なのかもしれないが、普通の会社だったら異常だろうな。
俺の教育係だったのは、小昏國光っていう無精髭にぼさぼさ短髪の小汚ぇオッサンと、長身で無口・無表情・無愛想の三無野郎の甕星っていうネームプレートの振り仮名を見ないと読めねぇ苗字の先輩だ。
小昏さんはハッキリ言ってオヤジだ。ただナイスミドルと形容する方が正確だろう、無精髭が無性に似合ってる。
「しゃーねーな、貸しだぜ?」みたいな嫌々スタンスなのに一番丁寧に教えてくれるし、他人事にすら親身になって付き合ってくれる。どこまでも理想の上司を体現したような人だ。
だからこそ、俺みたいな愚図に手間をかけてもらってると思うと、言い表し難く耐えがたい苦痛が走る。
甕星先輩は、俺とは別次元の人間って感じだ。
仕事が出来て、クールで真面目で、孤高で――この人も北原とはよく衝突していたっけな。
人道に反することや、一般の規範として許されないことをするような人に対して、凛然とした態度で、盾突くことも辞さないような頑固者でもあった。
基本は俺がやらかしたミスを北原がネチネチと嫌味を吐いて、小昏さんがそれを宥め賺して、甕星先輩を加えてミスの修正をする。試用期間が終わってもミスが直らない俺に、甕星先輩も時たま顔を顰めるが、それすらも小昏さんは「まあいいんじゃねーの?」と気楽なスタンスは崩さない。
いつ不満が爆発しないか、実のところ戦々恐々とした毎日を過ごしていたが、他の社員とも良好な関係を結べつつあった……と思う。無知で馬鹿な荷物持ちやら、騒ぎ立てるのが好きなガキだの、陰口は腐るほど聴いた。それでも、表向きはやっぱり仲良く接してくるから、俺も何も言えなかった。役に立ってないのは真実だしな。
そんな折に、甕星先輩が亡くなった。
とある路線の電車に轢かれた、腕だけが残った、自分から落ちていった? いやいや後ろから押されたらしいぞ――などと、真偽不明の噂が会社を歩き回った。
この訃報に誰よりも悲しんだのは、小昏さんだった。
葬式は、俺と小昏さんと部署の数名と親族の両手で収まる数の少人数で行われた。
孤高か孤独だったか分からない甕星先輩をよく飲みに連れてったそうで、恐らく一番信頼関係が深かったんじゃないだろうか。
後に俺を供に飲みに行った際に、甕星先輩が何をしていたのかを聞かせてもらった。
最初に語ったように、この会社では不自然な人員の補充や欠員がある。それを甕星先輩は会社側での不当なリストラやパワハラと断定し、たった一人で盾突いた……こう言うと、俺もその行為をバカにしているように聞こえるが、客観的に見ても盾突く程度の力しかなかった、だからこうなったのだろう(俺も入社時にクロだなとは思っていたので、殺された陰謀論派だったりする)。
甕星先輩の努力も空しく、無情な現状は変化なし――またそんな折に、今度は小昏さんが亡くなった。
暗殺だ、会社の差し金だ、今度は俺たちも――当人の哀悼よりも、噂だけを追っかける連中に心底腹が立った。この時俺は、きっと誰よりも悲しんだに違いない。
だって、甕星先輩が死んだ後に、会社の内部調査を引き継いだ事を俺は知っているからだ。
死因は銃殺で、葬式も親類がいないため、遺体が焼かれた後には合葬墓に埋葬された。
……ここまで来て、俺は何をしていたんだと言われそうだが、そりゃあ何もしてないさ。
だって、「そんなこと」で命を賭けることができようか?
そう――人の命がかかってる問題を目の当たりにしても、俺はどこか他人事として見てしまっていた。
俺はあの二人みたいになれない。
小昏さんのように、とことん親身になれるほど人に愛着を持つこともできないし、仮に真似しても俺みたいな奴は心のどこかで信用されない。
甕星先輩のように、どれだけ孤立しても己の信条を曲げず、己を律することはできない。
あの二人みたいに、自分の命を賭してまで、自分の意志を貫くことはできない。
俺はせいぜい、おべっか使って上のご機嫌を取って、同年代にひょうきんにふるまって表面上の笑いを取って、皆にムードメーカーって立ち位置にしてもらって……失敗を前提とした人間性でしか在れない。
一時期変えようと努力はした。嫌味に耐えて、恥をかきながらも努力した。それでも、俺の能力じゃあ限界だった。頭も記憶力も何もかもが一般以下だった。
またまたそんな折に、今度は会社が潰れた。
というのも、やはり火のない所に煙は立たぬってやつか、悪評が付き始めたのが一つの原因だ。加えて社長の澤芝が謎の死を遂げたこと、後押しするように稼ぎ頭でもあった小昏さんも他殺と分かる手法で死んだ。事故死あるいは自殺であったはずの甕星先輩も、陰謀論者に他殺ではないかと指摘され波紋が広がったのだ。
嬉しいのか、悲しいのか。
と、言われると、実は少し悲しかった。
何故なら「仁大丹治はダメ人間」と烙印を押された気がしたからだ。
結局俺は一人じゃ何もできない、成長しない人間だってことを、挽回も返上もできずに終わってしまったのだ。何もかもが。
こんな世界に居る意味が無くなった。
……冷静に思い返せば、早まった考えだ。
だけど、ガキのまま成長した精神じゃ、そうなっちまうのもあり得る――どうか、それだけは理解してほしい。
人には決して理解されないだろう。
人はこう言うだろう――「生きていれば良い事がきっとある」と。
あるいはこう言うだろう――「その程度で思い悩むのか?」と。
俺はそれに対してこう言いたい――「良い事がある未来さえも見えないからこそ、その程度でも思い悩むからこそ、自殺するのだ」と。
理解しろとは言わない。反論なんざいらない。ただ、自殺するにはそれなりに、その人自身に大きな心の傷があるのだと、それだけはわかってほしい。
心残りは、あった。
こう見えても独り身ではなかった。
高校の時の同級生と実は同居していた。「清田未来」――良い名前だなって思ってる。
大学中退の将来の財産に不安を抱かせる称号を持った俺を、好きですといって告白してくれた子だ。
正直、彼氏目線からしてもとびきりの美人とは言えない。でも、献身的で家庭的で、それでもって小動物的な愛らしさを持つ彼女に、ぞっこんだった。
俺が飛び降りて死んだって聞いたのだろう未来は、通勤に三十分はかかる道のりを半分くらいの時間で来た。まあ、所謂地縛霊ってやつでね。俺はその瞬間もばっちり見ていたんだな。
横たわる俺の死体に抱き着いて、わんわん泣いて――バカってホントに死なねぇと分かんねえんだなって、ようやく理解した。
ただ、涙は出なかった。
隣で泣きじゃくってる未来を見ても、悲しいと頭では理解できていても、不思議と涙は出ない。
死んでようやく成長できた自分がいたことに、俺は呆れかえっていたのかもしれない。
俺の死体は程なくして運ばれた。それからどうなったかは分からない。
焼かれて、灰になって、墓に入れられたのだろうか。
以来俺は、元『DEFOLIATION』社だった廃ビル付近をうろつく地縛霊になった。
行きかう人々を傍観する毎日に、俺は飽き飽きしだした。
ちょっかいをかけるなり、スカートをめくるなりできれば、ちったあ楽しめたかもしれない。まあ、見たくてもビル近辺から離れられないし、地面に這いつくばって覗くにしても、先に建物跡地まで来てもらわなければならないしな。
死んでから一年経った。
何もできない一年の歳月は、非常に非常に長く感じた。
長く感じても止められない年月のサイクルは廻っていく。
この頃、俺は何も感じられなくなっていた。
鬱病という表現が正しいかどうか、ともかく俺は気分も、思考も、まともなものでは無かった。
身から出た錆のような死を、他人のせいにしだした。
俺を馬鹿にした奴に、陰口を叩いた奴に、俺と居るからって理由で未来を貶した奴に、呪いの言葉を吐いた。空っぽだった感情に、怨嗟が詰め込まれだした。
再三そんな折だった。
今まで誰一人として、死後の俺が見えるような奴は居なかった。
血走るぐらいに人々を睨み、呪詛を唱えていた俺の前に、何かが現れた。
それの姿は今でも思い出せない。いや、姿じゃなくて厳密に言えば顔がどんなだったかとか、細かな部分が思い出せない。
唯一覚えていたのは、そいつには奇妙な『紅い眼』を額で輝かせていたことだ。
そいつは出会ったなりにへらと口を歪めた……と思う。口があるところが、うすらぼんやり曲がったような気がしてる。
そいつは「君はなれるかもしれないね」と言った。
俺は「何にだ」と返した。
一笑と共に「主人公にさ」と答えた。
久しく俺も笑って「なったらどうなる」と吐き捨てた。
俺に近付いてそいつは「君はどんな奴が嫌いだ?」と問うた。
質問の答えになってないが「成功者を気取ってるクズだ」と食い入った。
そんなやり取りが続くと、そいつは高らかに嗤った。
「ならばなってみるといいさ――心の赴くままに成功者のフリをしたクズを狩る死神に」
その言葉に俺は初めて心を動かされた。
「どういう……ことだ?」
「君は後悔しているだろう? 愛する人を残して、突発的な衝動に身を任せて命を絶ったことに」
会話が成立していることに何の疑念も抱かなくなった。
「……よく知ってるな」
「だから、君が望むならチャンスを与えることができる」
会話が成立しているとは言い難いが、何かしらをくれるのだろうか。
「どんなチャンスだ?」
「蘇りのチャンスさ」
心が大きく動いた。
生前の黒い記憶は頭に無かった。
ただ彼女と、未来と共に歩んできた時間だけが頭をよぎる。
「くれ!」
がぶり寄った俺に、慈愛に満ちた目を見せた……気がした。
「フフフ、嬉しいよ。自分の目的のためなら躊躇い無くなんでもするような君は好意に値する」
そう言って俺の顔の前に手をかざすと、すーっと意識が遠のいていく。
「さあ、君は第二の人生で主人公になれるのかな?」
「ぬっ……がっ……」
「君はいずれ、君の願望に相応しい姿で目を覚ます。その時、君は『人の時を狩る死神』と為る」
「しゅじ……し、に……?」
「君に課せられた『誓約』は『成功者の時』――『権能』は〈遅延〉だ。フフ、楽しみだ。君の今後が」
最後の意識に残った映像は、煌々と輝く『第三の瞳』だった――。
「……あれから一年、か」
最近は布団で寝転がってるだけだったから、余計に考え事の時間が増えた。
『時狩』の初犯は……もう犯行を重ねすぎて忘れてしまった。改めて思い出すと、既に百を超える『時狩』を行っているからな。
一応、時を奪った相手は人目につかない場所に埋葬している。見つかったところでって話だが、やっぱり根は小心者なんだろうな。自虐的に笑みがこぼれる。
『誓約』も『権能』も、一年かけてようやく使い方と意味を知った。
最初に出会った『時を狩る死神』は、それを知らずに自分の境遇に嘆いていた。そいつに力の意味を教えてやったら、びっくりするくらい懐かれたっけ。
人の存在を根絶させるほどの勢いで時を狩っていた奴を、俺の『権能』で封じてやったこともあった。代わりに蘇るための『時間』を八割も持ってかれたが。
今、俺は主人公らしい行動を取れているか?
自分に問いかけても、答えは返ってこない。あるのは意地汚い蘇りの欲望だけだ。
「……アイツは」
直近に出会った『時を狩る死神』は変わった奴だった。自分の存在としての呼び方も勝手に作っていたな。それに今まで見たことのない様な雰囲気と『匂い』だった。チンケな仮面で顔を隠していたが、俺の頭はこいつを知っていると言っていた。
空かした態度から勝手に北原白夜の成り代わりとでも判断したが、今思えば随分失礼なことをしたもんだ。だが、言葉を察するからに俺の事を知っているようでもあった。
何よりも、その死神が招いた家にいた子供が気になっていた。
まず、そもそも俺を視認してあれだけ冷静な態度をとれるのか? どこで死神と知り合ったのか?
そして、あの子供と昔小昏さんと飲みに行った時にこぼしていた身内話がどうにも被って聞こえていた。
「……まさか、な」
傷は治った。どうせ明日にはあの家に訪れる。
単なる変霊と少女の霊が偶然一緒に居たってことにしておこう。
「まずは流石に掃除だな」
滅入りそうな悪い考えを取っ払い、心機一転家の掃除を始めることにした。
ご拝読ありがとうございました。
主人公になりたくて、どうにもなれなかった男の話です。




