19.映画館デート
そしていよいよ映画館デートの日がやって来た。
椿は鏡の前に立つとくるりと一回し、自分の姿を確かめる。
この日のために買った、白地に赤と青の幾何学模様のワンピースが軽やかに揺れる。
耳には大粒の金のイヤリング。帽子は赤いクロシェ帽。
足元には白いハイヒールを合わせる予定だ。
(ふふ、どこからどう見ても完璧なモダンガールね)
玄関の鏡に映る自分を見て、椿は満足げにうなずいた。
約束の時間になると、さっそく玄関の外からエンジンの音が聞こえてきた。
「椿さん、恵さん。迎えに来ました」
扉の向こうから、低い声が響いてくる。
椿ははっとして顔を上げた。
玄関を開けると、そこには仕立ての良いスーツに身を包んだ暁臣が立っていた。
眩しい陽の光を背に、すらりと背の高い彼の姿は、まるで映画俳優のようだ。
「ああ、いらっしゃ……」
そう言いかけた椿は、言葉を途中で飲み込んだ。
その隣に、見慣れた顔――和装にカンカン帽といういでたちの風祭鉄太が、にかにかと人の良い笑顔で立っていたからだ。
「な……なんで鉄太さんがここにいらっしゃるの?」
震える指先で彼を指さす椿に、奥から出てきた恵が涼しい顔で答える。
「ああ、私が呼んだのよ。二人のお邪魔をしちゃ悪いかと思って。ね、鉄太さん」
「ああ。椿ちゃんは暁臣さんと一緒に、俺は恵ちゃんと一緒に劇場でも別れて座れば、二人の邪魔にならないだろう?」
鉄太は頬を赤く染め、にやにやと恵の方ばかり見ている。
(嘘だ。どうせお姉様目当てに違いないわ)
「あら、そんなに気を使わなくても大丈夫よ。四人一緒に座ればいいわ」
椿は内心で舌打ちしながらも、作り笑いを浮かべた。
「そうだな。四人いたほうが楽しいと思う。さ、行こう」
暁臣の穏やかな声に促され、一行は車に乗り込んだ。
暁臣の運転する自動車は、黒く磨かれたボディを光らせながら、銀座へと走った。
ショーウィンドウには、輸入品の香水瓶やハンドバッグがずらりと並び、通りには洋装の紳士淑女が行き交っていた。
いかにも流行最先端の街といった様子に、心がうきうきと躍る。
やがて到着したのは、ヨーロッパ風のアーチと大理石の柱が見事な映画館だった。
館内に入ると、暗闇の中でピアノの生演奏が静かに流れている。
上映されたのは西洋のサイレント映画だった。
内容はちょっぴりコミカルな恋愛劇。
台詞は無いけれど、冒頭で弁士が解説をしてくれたおかげで、椿にも物語はすぐに理解できた。
銀幕の中で、男が花を差し出す。女が頬を染める。
場内には時折、くすくすと笑い声がこぼれ、椿もいつの間にか、夢中で画面に引き込まれていた。
「楽しかったわね、お姉さ……」
言いかけて、ふと隣を見た。
だが、そこにいるはずの恵の姿がない。
「あれ? お姉様は?」
不思議そうに振り返ると、暁臣が小声で答える。
「恵さんなら、さっき鉄太くんと一緒に飲み物を買いに行ったよ」
「そう……」
けれど、映画が終わっても二人は戻ってこなかった。
観客たちが次々に席を立ち、館内の明かりがゆっくりと戻っていく。
赤い絨毯の上に残されたのは、椿と暁臣の二人きりとなってしまった。
その瞬間、椿はようやく悟った。
(やられた……これは、きっとお姉様と二人きりになりたい鉄太さんの策略ね)
どうせ「婚約者同士を二人きりにしてあげよう」などと口実をつけて、恵を外に連れ出したに違いない。
自分がまんまと嵌められたことに気づき、椿は唇を噛む。
ふと隣に目をやると、暁臣が穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「どうやら、置いていかれてしまったようだ」
低く落ち着いた声。
その柔らかい響きに、椿の心臓がとくんと小さく鳴る。
「え、ええ。まったく、鉄太さんったら」
怒りの言葉を吐き出したつもりが、声は少し震えてしまう。
暁臣はそんな彼女を見て、喉の奥で小さく笑った。
「でも、おかげでこうして二人きりになれた」
その言葉に、椿の頬が一気に熱くなる。
まるでスクリーンの中のヒロインのように、うまく言葉が出てこなかった。
「……そ、そうですね。あの、えっと……おもしろい映画でしたわね」
椿は懸命に言葉を紡ぎ出すと、下を向いた。頬がかあっと熱くなる。
二人きりになったことがなぜだか急に恥ずかしく思えたのだ。
暁臣は小さくうなずく。
「特に最後のシーン、あの不器用な主人公が花を差し出すところが良かった」
暁臣は少し視線を落とし、思い出すように言った。
「どこか――椿さんに似ている気がした」
「わ、私に?」
「ああ。不器用だけれど、まっすぐで、真心のあるところが」
暁臣の言葉に、椿は動揺しながらも、必死で笑みを作った。
「まあ、暁臣さんったら、茶化さないでくださいな」
椿は視線を逸らし、席を立った。
(な……何よ。ただの政略結婚で、私のことなんて何も思っていないくせに)
「さて、お姉様たちを探しに行きませんと」
暁臣も立ち上がり、椿の肩に軽く手を添えた。
「ああ、そうだな」
白い手袋越しに伝わる体温が、思いのほか近く感じられる。
椿の心臓の鼓動ははちきれんばかりに早くなった。
(もう……何なのよ。調子狂っちゃうわ)
椿はぎゅっとハンドバックを握りしめ、暁臣にエスコートされるがままに劇場から出た。




