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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第七章 伊勢惣奉行編(躍進編)

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第九十六話 鬼と虎の対峙

武田――野田城包囲の陣。


豊川の風が冷たく、陣幕を揺らしていた。


本陣用の簡素な仮屋。


灯は落とされ、薬の匂いがわずかに漂う。


板敷きの上に畳を敷き、毛皮の寝具の中で

武田信玄は横になっている。


高熱を帯び、腹を抉る痛みに耐えている。

体力の衰えは、もはや隠しようもなかった。


床に伏す信玄の枕元に、


武田勝頼、山県昌景、馬場信房が控えていた。


信玄の呼吸は浅い。


だが、その目だけは、未だ猛禽のように鋭い。


馬場が一歩進み、膝をつく。


「御屋形様。

 織田の那古野より軍勢が出陣いたしました」


信玄は目を閉じたまま問う。


「……子細を申せ」


声は弱い。


だが、部屋の空気を支配する重みは失われていない。


「は。


 敵将はあの謀玄・芋粥鬼備前。

 那古野より四千五百がこちらへ向かっております。


 公称七千。

 騎馬は五百余。

 他は足軽にございます」


勝頼が小さく鼻を鳴らした。


「四千五百で武田に当たるか。胆の据わった男よ」


馬場は続ける。


「さらに道中、兵を徴しておる模様。

 現在七千に膨らんだとの報。


 しかし増えた二千は装備粗末。

 農兵と見て間違いございませぬ」


信玄はゆっくりと瞼を開けた。


「……七千と見せ、実は四千五百か」


短く咳き込む。


勝頼が一瞬身を乗り出すが、信玄は手で制した。


「精鋭四千五百。

 それを率いるは……謀玄。


 ただの四千五百とは違うやもしれぬぞ」


静かな沈黙。


山県が前へ出た。

その鎧は赤。


戦場で血を浴びるための色。


「御屋形様」


低く、しかし揺るがぬ声。


「この山県に迎撃の許可を」


信玄の目が、ゆっくりと山県に向く。


「申せ」


「我が麾下五千をもって出陣いたします。


 千騎の騎馬を含む、赤備え三千。


 一切の油断なく、

 甲斐の虎の猛威を見せつけまする。


 織田の歩兵ごとき、

 徳川の如く蹴散らして参りましょう」


勝頼が頷く。


馬場は静かに山県を見た。


信玄はしばし黙した。


そして呟く。


「山県」


「は」


「お前なら安心だ。だが――

 慢心だけはするな」


部屋の空気が凍る。


「四千五百でこの武田に当たってくる男は、

 ただの愚か者ではない」


勝頼が少し驚く。


「父上は、その男を買っておられるのですか」


信玄は薄く笑った。


「敵は常に過大に見よ。

 それが兵法よ」


山県の目がわずかに細まる。


「謀玄――

 承知いたしております。


 それゆえに、一欠けらも油断は致しませぬ。


 最初から赤備えの全力をもって――

 息の根を止めてまいります」


信玄は満足げに呟く。


「それでよい……。

 武田は常勝であらねばならぬ」


山県が深く頭を垂れる。


「必ずや――

 徹底的に打ちのめします」


信玄は目を閉じた。


「武田を舐めさせるな」


短い一言。


それで十分だった。


山県は立ち上がる。


赤備えの将として。


武田の矛として。


その背を、馬場は静かに見送る。


(侮るなよ、山県)


外ではすでに、赤備えの軍鼓が鳴り始めていた。


――武田が動く。



遠江で芋粥・七千と山県・五千が対峙した。


初日、芋粥は山県と一定の距離を保ち、

西へ東へと動き、煮え切らぬ態度だった。


山県も様子見として、積極的に近づこうとしない。


「織田め。

 出てきたは良いが、

 この赤備えを前にしてどうしようもないと見える。


 さぁ、自らの死地を選ぶが良い。

 この山県が引導を渡してくれよう」


一方芋粥では。


「義父殿、準備は如何に?」


「揃いましてございまする。

 今夜からが勝負にございますな」


「よし、芋粥全軍は未の刻に到着するように、

 野田城北・豊川沿いの浅い段丘に移動を開始する」



芋粥軍は予定通り、未の刻に目的地に到着した。


「陣を張れ。

 ここで決戦を行う。

 この時刻だ、山県も明日が開戦と考えるはずだ。


 敵の間者にも見せつけてやれ。


 ここが芋粥の決戦場だとな!


 陣と馬防柵を立てろ!」


那古野芋粥四千が一斉に、

陣を構築し、馬防柵を立て始めた。


遠目から監視していた武田の間者たちも、

その状況を山県本隊へ伝えに駆け戻る。



山県の元へ、その知らせが多数届けられた。


「そうか、織田はそこを死地に選んだか。

 この時刻ならば、さすがに戦は明日だな。


 ふん!馬防柵か。

 徹夜で立て続けるか。


 よかろう。

 柵などこの赤備えに何の役にも立たぬことを、

 明日思い知らせてやろう」


山県が不敵に笑う。


「夜襲に備え、今日はこの距離を保ったまま、

 我らもここで陣を張る。


 決戦は明日ぞ。体をゆっくり休めよ!


 物見は定期的に報告せよ」



辺りは暗くなり、遠目には陣の様子は分からない。

芋粥軍は着々と馬防柵を立て、その音が夜のとばりに響いた。


「義父殿、今からだな」


「はい、今より芋粥の本領発揮にございます」


「義父殿が連れてきた二千余はただの百姓ではない。

 千種屋が誇る精鋭の大工と工夫こうふよ」


微笑みながら政成が応じる。


「はい、それに殿のプレハブ工法で、既に

 釘穴まで準備した組むだけの城にござる」


秀政は不敵な笑みを見せた。


「墨俣一夜城の再来よ。

 武田よ、豊川一夜城で度肝を抜くがいい。

 それに今回は墨俣の一段上を行く策も用意しておる」



夜のうちに正規兵の四千とは別に政成の二千が動いた。


事前に刻んでおいた“組むだけの材”を、

本丸の櫓、二の丸の櫓、木柵、表門・裏門、本丸の城(仮屋)として、

一気に組み上げる。


四千の足軽は空堀を仕上げ、大工どもが櫓の屋根と壁を取り付けた。



夜明けの薄光が豊川の川霧を照らし始めた頃、

武田軍の物見は思わず息を呑んだ。


つい昨夜まで、

そこには馬防柵と土塁の影しかなかったはずだ。

だが今、川沿いの台地には、

まるで数ヶ月かけて築いたかのような城郭が姿を現していた。


本丸。


最奥には、高さ二間半〜三間(約4.5〜5.4m)の土塁がぐるりと巡り、

その上には太い丸太を組んだ木柵が整然と並ぶ。


四隅には、櫓が四基そびえていた。


ただし、よく見ると、

柱が細い、壁板が薄い、屋根の作りが簡素、足場が狭い。


人が乗り込むには心許ない。


遠目には堂々たる防戦櫓に見えるが、

近づけば「見せ櫓」であることが分かる構造だ。


しかし武田軍の物見は、

夜明けの薄闇の中ではそこまで見抜けない。


本丸内部には、兵が詰められる仮屋が並び、

火鉢の煙が静かに上がっていた。



二の丸。


本丸を囲むように、二の丸の土塁と木柵が広がる。

その上には、大小合わせて十基近い櫓が立ち並んでいた。


こちらも、柱が細い、壁板が薄い、屋根が簡素など、

強度に差がある櫓が混在している。


本丸と違い、本物の防衛櫓も含まれる。

遠目には「大規模な城郭」にしか見えない。


三の丸(外郭)。


最外郭には、

昨夜から作り続けていた馬防柵が長く連なり、

その内側には簡易土塁と空堀が要所に配置されている。


空堀は深さ一間半(約2.7m)、幅二間(約3.6m)。

四千の足軽が夜通し掘ったにしては十分すぎる規模だ。


正面には、

太い梁で組んだ堂々たる表門が構え、

その前には空堀にかかる橋が一本。


橋は頑丈そうに見え、

武田軍の物見は「攻めるには骨が折れる」と唸った。


搦め手には、

退却用の裏門がひっそりと設けられ、

その先には林が広がる。


林にはいくらでも伏兵を忍ばせることができる。

この城は裏から攻めるには勇気が必要な作りだった。


放たれた物見たちが口々に叫ぶ。


「……馬防柵しかなかったはずだぞ」


「いや、櫓が十基以上ある。どう見ても一夜では無理だ」


「まさか、昨夜の音は……」


「……一夜城、だと……?」


それはすぐに山県まで伝わる。


武田は警戒を強め、豊川一夜城へと進軍した。



「休め、皆、少しでも寝ろ!

 武田は今日、戦を仕掛けてくるやもしれん。


 武田が訪れるまでの、この一刻寝るだけでも違うぞ!」


秀政は兵を休ませる。


そして二千の大工たちは今のうちに解散させた。



そして武田の軍勢が豊川一夜城の前に集結した。


「ま、まさか……夢かこれは。

 物見の知らせは信じられなかったが。


 これが謀玄・芋粥鬼備前……。


 幻術使いか……」



山県は、戦う前に度肝を抜かれていた。


一方秀政は、目の前に広がる赤備えの軍勢を目にして――

武者震い……否、臆病震いしていた。


だが、それを表に出さずに敵を見据えて呟く。


「さぁ、どう出る? 山県昌景!」


(俺の憧れる武田の名将よ!

 この勝てるわけがない相手に――

 俺はやれるのか)

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― 新着の感想 ―
平野での決戦に強い騎馬隊が自慢の武田相手に野戦築城は効果的ですね. この戦の結果次第では信玄の遺言期間が爆伸びしそうな予感.
おお、墨俣再び、一夜城2.0といったとこですか 開戦までの時期と戦場を決めるイニシアチブがある時はこの野戦築城能力はかなり武器になりますねえ 鉄砲隊剣豪隊に続いて工兵隊、やっぱり徒歩の兵種が強い 騎馬…
ランキングで見かけてそのまま一気読みしてしまいました。 ただ1つだけ、野田城の付近を流れている川は天竜川じゃなくて豊川(とよがわ)です。
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