第九十話 多度川の戦い――激闘
山風が一瞬止んだ。
次の瞬間、頼廉の六百が、地を割るような咆哮とともに動き出す。
陣形は鋒矢。
矢じりのように尖った先頭が、まるで“鉄の楔”となって秀政本陣へ向かって突き刺さる。
六百の兵が一団となってうねり、槍の穂先が陽光を反射して白く揺れた。
「来るぞ――!」
秀政本陣の三百は、迫りくる“質量”に思わず息を呑む。
ただの突撃ではない。
鋒矢陣は、兵が兵を押し、さらに後列が前列を押し、全員が“前の一点”へ殺到する陣形。
先頭の五十は、後ろの五百五十に押し出される形で速度を増し、足音は地鳴りとなって大地を震わせた。
槍の穂先が一直線に秀政の本陣へ向かう。
秀政の三百は、数の差ではなく、突破力そのものに押し潰されそうになる。
兵たちは思わず喉を鳴らした。
「……敵将は本物だ。
ただの鋒矢じゃねぇ」
矢印の先端が迫る。
その一点に、六百の質量と殺意が集中していた。
*
頼廉の鋒矢が迫る。
六百の兵が一つの巨大な矢となり、地を割るような轟音とともに、秀政本隊へ突き刺さろうとしていた。
秀政は馬上で叫ぶ。
「本隊三百、魚鱗の構えだ!
押し返せ!
耐えろ!
さすれば両翼が包み込んで、敵が地獄に落ちようぞ!」
その声に応じ、三百の兵が密集し、幾重にも重なる“鱗”の壁を作り上げる。
まるで一枚の鱗が剥がれても、その下から新たな鱗が現れるように、前列が倒れても、すぐ後ろに次の列が立ち塞がる。
だが――鋒矢の勢いは異常だった。
衝突の瞬間、魚鱗の最前列がまとめて吹き飛んだ。
「ぐあああああっ!」
「押し返せぇぇぇ!!」
秀政隊は討ち取られ、押し潰され、槍ごと地面に叩きつけられていく。
圧倒的だった。
六百の質量が三百を削り取るように進む。
だが――
魚鱗は崩れない。
すぐ後ろから次の壁が現れ、鋒矢の先端を受け止める。
頼廉の鋒矢は三百を穿った。
それでも、魚鱗の“層”が鋒矢の勢いを少しずつ削り取っていく。
やがて、鋒矢の先端が乱れ始めた。
押し出されていた先頭が倒れ、後列が前へ出るが、その動きに乱れが生じる。
乱戦が始まった。
しかし――
それでも頼廉の突破は止まらない。
鋒矢の先頭二百が、秀政を守る最後の五十へ向けて突撃を開始する。
「大将首、もらったぁぁぁ!」
秀政本陣は完全に穿たれた。
本隊の二百弱は分断され、本陣へ戻ろうとするが、逆に四百の敵に囲まれ、乱戦の渦の中で押されていく。
魚鱗は耐えた。
だが、代償はあまりに大きい。
そして、何ら危機は脱出していない。
馬上で鉄砲隊のいる林をみる。
敵伏兵により、ここと同じように阿鼻叫喚の状況だ。
おそらく鉄砲隊は助かるまい。
そして奪われるだろう。
(許せ……)
すぐに意識を目の前に向ける。
敵が迫る。
「村瀬!」
「は!」
「俺が敵を引き寄せる。
剣豪隊、頼むぞ。
お前達だけが頼みの綱よ」
「任されよ!」
「小母衣!」
騎馬兵が近づく。
「右翼に伝えよ!
敵を包囲殲滅する際には工夫をしてもらう。
大野は山田の隊を率いて鬼のように暴れまわれ!
そして中根の隊は攻めつつも、冷静に敵を見て、退路を作ってやれ!」
「ん?何故ですか?」
村瀬が問いかける。
「包囲するが、殲滅する必要はない。
逃げ道がなければ敵は死兵と化す。
水が流れるが如く、圧は外に逃がさねばならん。
狙いは大将首だけで良い」
「ふふ、なるほど。安心しました。
この期に及んでも冷静ですな」
「うるさい、無駄口叩く暇があれば俺を守れ!」
「は!」
秀政の密命を受けて小母衣騎馬の伝令が走る。
「さぁ、後はどれだけ耐えられるかだ。
剣豪隊、抜刀!」
秀政の号令で一際、眼光鋭い武者たちが刀を抜く。
そして、秀政もなまくらを引き抜いた。
敵が目前に迫る。
そして、秀政は大きく息を吸い、轟かんばかりに叫んだ。
「雑兵ども!
遠からん者も、よぉ聞け!
この俺が芋粥鬼備前秀政である。
挑む勇気のある者からかかってまいれ!
一太刀、馳走してやるぞ!」
雪崩れ込む敵の目の色が変わる。
「あれじゃ、あれが芋粥鬼備前じゃ!
討ち取って末代までの誉れとせい!」
一斉にわき目もふらずに秀政に突撃する。
だが、その横から、そして背後から、村瀬や村瀬の剣豪隊が容赦なく敵を一刀のもとに斬り裂く。
無駄がない。
体力を温存しながら最少の斬撃で致命傷を与える。
彼らの斬撃は、まるで風が通り抜けた後に首が落ちるような鮮やかさだった。
「一人十人は斬れよ。
敵は殿によそ見をしておる。
藁人形を切るよりたやすいぞ」
村瀬が部下の剣士たちに檄を飛ばす。
剣士たちも余裕の表情で頷く。
秀政は敵の殺意を一身に受ける。
村瀬たちの活躍もあり、敵は届かなかった。
*
本隊の劣勢は明らかだった。
倍の敵と戦っている。
昨夜の疲れもある。
徐々に本陣に近づく敵兵の数が増えてきている。
それでいて、なかなか秀政を討ち取れない。
「何をしておる!大将は目前ぞ!
謀玄を討ち取れ!」
焦りが見え始めた頼廉が馬上から叫ぶ。
「おうおう、敵将も焦っておるな」
村瀬がにやついて、叫び返す。
「ぬしが相手をしているは、謀玄ではなく、“鬼備前”ぞ!
この弱兵、何百来ようと、傷一つ付けられぬ!」
それを受けて頼廉が怒りを隠さない。
「ぬかせ!仏の前では鬼など恐るるに足らぬわ!」
そんな中、鬨の声がやや離れた場所から上がる。
「間に合ったか!」
ホッとしたからか脱力した状態で秀政が叫んだ。
両翼が挟み込むように国人衆を攻め立てた。
頼廉は馬上から冷静に辺りを見渡す。
「ち、ここまでか。退くぞ」
そのまま馬をゆっくり進ませて、
秀政が見える位置で止まる。
「貴公が謀玄・芋粥備前か!」
ゆっくりと顔を上げて頼廉を見返す。
「そうだ!貴殿が多度尚家殿か!」
それには答えず、薄笑いをした状況で頼廉が返した。
「謀玄・あっぱれなり!
此度は痛み分けとしようぞ。
この決着は次に回そう。
鉄砲はありがたく頂戴するぞ!」
そこまで叫ぶと中根が作った退路に向けて、駆け出した。
「者ども!包み込め!逃がすな!
大将を討ち取れ!」
秀政が叫ぶと、一気に芋粥軍が反撃に転じた。
*
頼廉や本願寺の戦僧たちは馬で駆け抜けた。
「逃がしましたな……」
血にまみれた村瀬が呟いた。
「あぁ、仕方ない。
あれ以上無理をしたら俺の首が飛んでいる」
「まぁ、そうかもしれませんな」
包囲戦が始まってからは、芋粥が押し切った。
結果……。
多度川の戦いの初日。
芋粥勢死者、二百七十余
多度勢死者、四百二十余
結果としては芋粥が盛り返したが、
鉄砲十丁と射手を失った芋粥軍の実質的な敗北と言えた。




