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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第六章 伊勢惣奉行編(長島悪化編)

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第八十六話 伊勢国人の乱

岐阜城からの帰路。


那古野の屋敷へ入るや否や、

小さな足音が廊下を駆けた。


「ちちさま!」


秀政の足が止まる。


「……いま、何と申した?」


乳母の後ろからではない。

自らの足で、真っ直ぐこちらへ走ってくる。


「おかえり、ちちさま!」


松丸であった。


秀政、凍る。


そして次の瞬間、崩れる。


「覚えておる……!

 父を覚えておるぞおお!」


抱き上げる。


松丸は嫌がらない。


むしろ首にしがみつく。


秀政の目が潤む。


「……よし、決めた。

 俺はあと二十日はここにおる」


「二十日!?」


松親が即座に反応する。


「何を勝手な」


「黙れ。

 松丸が父を覚えた記念日じゃ」


座敷ではお悠が微笑んでいる。


「岐阜では、いかがでしたか?」


その問いに、秀政ははっとする。


信長の言葉。


――長島に当たれ。

――油断した者から討たれる。


そして。


「……伊勢に戻れと、言われた」


松丸を抱いたまま、天井を見上げる。


「うぅ……

 ようやく顔を覚えたというに……」


お悠は静かに言う。


「弥八様は戦の人でございましょう」


「父の人でもある」


「ええ、ですが天下は待ってはくれませぬ」


ぐうの音も出ない。


松丸が秀政の頬を叩く。


「ちちさま?」


「……戻る」


観念した。


「松親、支度をせい。

 伊勢へ戻るぞ」


「最初からそうなると分かっておりました」



伊勢。


桑名城に入ると、井口長実が出迎えた。


「おかえりなさいませ、殿」


秀政、ぴたりと止まる。


「……同じ“おかえり”でも、

 ここまで言葉の威力に差があるとはな」


「は?」


井口、さっぱり分からぬ顔。


「いや、良い。

 状況を申せ」


井口の表情が引き締まる。


「ちょうど殿をお呼びしようとしておりました」


座敷にて地図が広げられる。


「長島は依然緊迫。

 滝川様はあちらに付ききりでございます」


「予想通りだな」


「その隙を突くように、

 伊勢国内で国人の乱が起こりました」


「……詳細は?」


「二つの乱です」


秀政の眉がわずかに動く。


井口が地図に印を付ける。


「一つは南。

 旧北畠派の国人残党」


「北畠か……」


「武田の三河侵攻に呼応した形にございます。

 北畠従属により居場所を失った者どもが、

 再起を狙い蜂起」


「規模は?」


「千人ほど。

 いくつかの有力国人がまとまっております」


「それなりだな」


井口は続ける。


「もう一つは北勢。

 滝川殿のやり方に不満を持つ国人ども」


「ふむ」


「多度尚家が大将。

 家柄が高く、地元で顔が利きますゆえ、

 千人規模が集まりました」


秀政は鼻で笑う。


「だが、地方国人が大将として、

 千を束ねるのは至難」


「はい。

 寄り合い所帯ゆえ統制は弱い」


「南は?」


「北畠残党の連合。

 明確な大将は分かりませぬが、

 多少はまとまっております」


井口が一礼する。


「提案がございます」


「申せ」


「殿は北伊勢では“鬼備前”。

 名が轟いております」


「……それで?」


「南はそれがしが鎮めて参ります」


秀政が瞬きをする。


「南は……と言うことは?」


井口は平然と続ける。


「殿は北勢を」


「つまり北は“俺自身”が出陣するのか?」


「はい」


秀政、内心。


(俺は正月呆けが残っておるぞ?

 しかもしばらく人に任せすぎて戦をしてない)


井口は淡々と現実を告げる。


「今、伊勢に将はおりませぬ。

 鷺山殿は治安維持で疲れ切っております」


(遊んでいた俺は体力が有り余っている、というわけか……)


井口が最後に言う。


「多度尚家。

 家柄はございますが、

 武名は聞きませぬ」


秀政の口元がわずかに上がる。


(聞いたことがない。

 凡将だろう)


立ち上がる。


「仕方あるまい。

 また功を上げさせてもらうか」


松親が静かに秀政を見る。


「義兄上、油断は禁物にございます。

 鬼備前は“はり……”、

 いえ、敵も必死のはずです」


「分かっておる。

 ところでさっき、何を言いかけた?

 張りぼて?」


「まさか、そんなことは思っておりませぬ。

 ただ、必死な相手に油断してはならぬと」


「そうか」


だが心のどこかで、

秀政は思っていた。


(千人規模の寄り合い所帯。

 正月明けの運動にはちょうどよい)


伊勢の空気は、

既に戦の匂いを帯びていた。



桑名城。


軍議は静かに進んでいた。


地図の上に二つの印。


北勢、多度。

南、北畠残党。


井口長実が淡々と口を開く。


「殿、兵は七百ずつでよろしいでしょうか。

 残りの百は松親殿に預け、桑名の守りとします」


秀政は頷いた。


「うむ、それでよい。

 敵は千と言ったな。


 将も兵も、質は我らが上だ。

 それくらいの差は問題あるまい」


井口はさらに付け加える。


「加えて、剣豪兵十名、鉄砲足軽十名を、

 各隊に配します」


「おお、鉄砲もあるか」


秀政の口元が緩む。


「しかも主力は尾張で浅野が鍛えた精鋭。

 万に一つも負ける要素がないな」


井口は静かに一礼する。


「はい」


松親だけが、わずかに目を細めていた。


(万に一つ、という言葉が出たな……)



北勢、多度。


願証寺。


夜半、静まり返った本堂に一人の僧が座していた。


鋭い眼差し。

無駄のない体躯。

ただの僧ではない。


下間頼廉。


本願寺において将来を嘱望される幹部であり、

実戦を知る司令官である。


坊官が膝を進める。


「頼廉様。

 北勢にてこの長島の意を受け、

 国人多度尚家殿が蜂起いたしました」


「数は」


「千」


頼廉は静かに頷く。


「それなりだな」


「ですが、悪い知らせも」


頼廉の目が細くなる。


「申せ」


「織田の名将、

 芋粥鬼備前秀政が伊勢へ戻っております。

 七百程にて迎撃すると」


頼廉が小さく繰り返す。


「鬼備前……」


坊官は続ける。


「猛将でありながら、

 旗印“謀玄”が示す通り智将とも聞きます。


 伊勢での戦ぶり、

 その噂も誇張とは言えませぬ」


一通りの戦歴を聞き終えた頼廉は、

しばし沈黙した。


やがて、低く言う。


「まずいな」


坊官が顔を上げる。


「国人如きでは相手にならぬ」


立ち上がる。


「わしが出る」


「頼廉様が?」


「まだ本山へ戻るには日がある。

 一日で決める」


頼廉は淡々と策を述べる。


「わしは表に出ぬ。

 兵はわしが率いる。

 顔は多度尚家のまま」


「悟られぬように、と」


「当然だ」


頼廉の目に、戦意が宿る。


「謀玄か鬼備前か知らぬが、

 この頼廉とて戦上手を自負しておる。


 そう簡単にはやらせぬ。


 鬼備前?

 名など関係ない。首を取れば消える。」


坊官は深く頭を下げる。


「頼廉様が率いられるのであれば、

 織田を打倒できましょう」


頼廉は静かに合掌した。


「これは単なる国人の乱ではない。

 一向宗の戦ぞ」


(今、予想に反して南伊勢が安定しつつある。

 このままではまずい。


 伊勢の火の粉を絶やさぬために、

 わし自ら火種を焚べよう)


その夜、

多度の陣には、

密かに新たな将が加わった。


表向きは多度尚家率いる千。


だが、質が変わった。


戦を知る者の統率が、

そこに加わった。



桑名城。


秀政は鎧を整えながら言う。


「松親、桑名は任せたぞ。

 村瀬も連れて行く。

 場合によっては戦にならずに終わるかもな」


松親が静かに答える。


「義兄上、油断は禁物にございます」


「分かっておる」


だが心のどこかで、

秀政はまだ軽く見ていた。


千人規模の寄り合い所帯。


名も聞かぬ国人。


(また一つ、名を上げるだけの戦よ)


だが。


その敵は、

既にただの国人ではなかった。


本願寺の軍事と外交を担った最高幹部、


下間頼廉。


後に織田信長の「石山本願寺攻め」で

本願寺軍全体を指揮し、織田を七年も苦しめた名将である。


鬼備前にして謀玄。

石山の智囊。


二つの名が、

北勢の地で交わろうとしていた。


――この戦は、

想像よりも重い。

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― 新着の感想 ―
下間頼廉、ゲームでの数値の高さに嘘って思うけど、この人の戦歴調べると個人の武勇もさることながら少人数での組織的抵抗、ゲリラ戦から京都での治安維持まで幅広く成果をあげてるんだよね、正に本願寺派の僧兵筆頭
前振りで主人公の化けの皮が剥がれる流れと、死にかけて家臣団がボロ負けし信長の評価が下がり駄目になりそうな処を秀吉にたすけられてから、武田戦で活躍し復活するパターン
Unternehmen霊幻謀玄、なんちって。 さて、得られる戦果や如何に。
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