第五十九話 単身赴任
岐阜での論功行賞を終え、芋粥秀政は那古野へと戻った。
年の瀬が近い。
冷たい空気の中にも、年の瀬らしい緩みがあった。
城下は年越しの支度に入り、行き交う人々の足取りもどこか軽かった。
だが――秀政の胸中は重い。
*
那古野城の門をくぐった瞬間だった。
「ちちさま!」
高い声とともに、小さな影が二つ、勢いよく駆け寄ってくる。
お明とお蘭だった。
秀政は思わず膝を折り、二人を同時に抱き寄せる。
「ただいま」
その短い一言で、伊勢で張り続けていた気が一度に抜けた。
少し離れたところで、万丸が一礼する。
「義父上。
奥で昇進祝いの支度が整っております」
「……そうか。
もう耳に入っていたか」
小さく息を吐き、秀政は苦笑した。
「はぁ……まぁ、今日くらいは祝うか」
「??」
子どもたちに手を引かれ、秀政は宴の間へと向かう。
*
そこには、すでに顔ぶれが揃っていた。
政成をはじめとする千種一族。
浅野清隆と忍衆。
村瀬兼良。
井口・竹内・佐治ら丹羽組。
さらに、元四代官の郡代たちまで顔を揃えている。
秀政が上座に座ると、自然と場が静まった。
「まず論功行賞の結果を伝える」
そう前置きし、秀政は一言で告げた。
「――無事、侍大将になった」
皆がその一言を待っていた。
「「「おめでとうございます!」」」
割れんばかりの声が一斉に上がる。
秀政は手を上げて制した。
「それと……新しい役目ももらった」
今度は政成が代表して問いかける。
「次はどのようなお役目でしょう?」
「那古野城代は据え置き。
それに加えて――伊勢惣奉行を兼務せよ、とのことだ」
「伊勢惣奉行……?」
「伊勢の内政総責任者だ。
軍権は滝川殿。
行政権は俺が握る」
一瞬の沈黙の後、感嘆の声が上がった。
「それは……格別の信頼ですな。
腕が鳴りますぞ」
「あぁ……」
秀政は頷きつつ、内心で苦笑する。
(この者らは、一向一揆の“地獄”を知らん)
もし知っていれば、こんな晴れやかな顔はできまい。
そこへお悠が静かに口を開いた。
「弥八様……
本当にどこまでも昇っていかれますね。
昇り龍のようなお方にございます」
「ありがとう」
秀政は柔らかく笑う。
「少なくとも国持ち大名にはなる。
その時は――お前を御台にする」
「……楽しみにしております」
秀政は、杯に手を付ける前に言った。
「宴の前に人事を決めておきたい」
政成がすっと姿勢を正す。
「はい」
「新しい土地だ。
向こうに注力せねばならん。
――俺が伊勢へ行く」
場の空気が、わずかに引き締まった。
「本当は、お悠も連れていきたい。
一緒に居てもらいたい」
だが、視線を落とす。
「だが……四か月後にはお産だ。
那古野の千種家で万全を期してくれ。
政務からもしばらく離れろ」
「……はい」
お悠は静かに頷いた。
その表情にわずかな寂しさが滲む。
(寂しいのは、俺も同じだ。
これが……単身赴任、というやつか)
「義父殿」
「は!」
「お前を那古野城代代理とする。
内政の一切を任せる。
那古野とお悠を頼む」
「必ずお守りします」
「清隆」
「は!」
「本当はお前も連れて行きたい。
だが――那古野四千の兵を任せられるのはお前しかいない」
「はっ!」
「那古野の軍権を任せる」
「井口、竹内、佐治。
お前たちは清隆の副将として那古野に残れ。
万丸たちを頼む」
「承知!」
「忍衆も清隆の指揮下に入れ。
耀……お悠たちを頼む」
「はい」
「清隆。
新たに忍を五名、伊勢へ回せ。
俺が使う。
伊勢で必要そうな特技を持つものを頼む」
「兄に伝えます」
「今回の伊勢行きは、内政が主だ」
秀政は続ける。
「南條利昌、荒木重直を伴う」
「桑名郡郡代は南條に任せる。
東海道の要衝だ。
桑名湊は、伊勢湾航路の中心。
米・塩・材木・鉄・南蛮品など物流の集積地でもある。
重責だぞ?」
「お任せください!」
「荒木。
員弁郡を任せる。
北勢の“背骨”にあたる。
山間勢力が多く、反乱の温床になりやすい。
お前の治安実績を信頼している」
「必ず安定させてみせます」
「村瀬」
「お前は用心棒だ。
那古野の道場と剣豪隊はしばし師範代に任せろ。
俺に付いてこい」
(これから俺は地獄へ行く。
鬼備前の力が必要だ)
「承知!」
「はぁ。
……伊勢に政成もお悠もいないのが不安だ」
ぽつりと漏らす。
その言葉に政成が胸を張った。
「千種家跡継ぎの松親をお連れください」
「松親を?……確か十九になったか?」
(そういえば松親とは、あまり接してこなかった。
千種の血を引いていれば優秀そうだが)
「はい」
珍しく厳しい目で政成が松親を見る。
「伊勢の仕置き程度こなせねば、芋粥家の次代家老は務まりませぬ」
一瞬、松親の目が見開かれる。
だがすぐに落ち着いた。
「ぜひ、お連れください。
腕を振るいたく存じます」
「分かった。
お前は俺の副将として、桑名、員弁以外の郡の郡代を兼務せよ。
お前の信頼おける者を連れて行け。
そいつらを郡奉行にして、実務は任せれば良い」
「はは!」
「よし!
これで人事は決まりだ!」
秀政は声を張った。
「今日は昇進祝いだ!
飲め!食え!」
「「はい!」」
場は一気に華やぐ。
だが――晴れやかな表情とは裏腹に秀政の内心は荒れ模様だった。
(不安だ……不安だ不安だ。
長島一向一揆。
うまくやれるか?
お悠も、政成も、清隆もいない……)
秀政は杯を一気にあおった。
(単身赴任……
……いやじゃぁあ)
酒の苦味が、胸の奥に染み渡った。




