第五十七話 南伊勢攻略
阿坂城にて、弓名人・大宮景連を討ち取った芋粥秀政は、その足で村瀬兼良を伴い北へ向かった。
次の目的地は――大河内。
すでに信長は、木造城の防衛に成功したのち、矛先を北畠家の要衝・大河内へと向けている。
南伊勢攻略は、最終局面へ入りつつあった。
*
大河内本陣。
信長は、いつもと変わらぬ様子で陣中にいた。
地図を前に、指を走らせている。
そこへ秀政が進み出て、膝をついた。
「芋粥秀政、阿坂城方面より戻り、御前に報告申し上げます」
信長は顔を上げず、短く言う。
「申せ」
秀政は、恐る恐る切り出した。
「まず――木下秀吉は一命を取り留めました」
(そこまでは見ていないが……。
あの後、薬師たちは態度を変えた。
あいつらが、俺の言う通り治療したならば、秀吉は生き延びる。
史実がそうだ)
その瞬間、信長の指が止まった。
だが、すぐに何事もなかったかのように動き出す。
「……猿め」
鼻で笑うような声。
「意外としぶといな」
口調は悪態そのものだったが、秀政には分かった。
(……内心、少しは安堵しているな)
秀吉は、もはや“使える将”という枠を超えつつある。
ここで死なれては、信長にとっても計算が狂う。
秀政は続けた。
「秀吉は瀕死ではありますが、その後も指揮を執り続けました。
そして策をもって、弓名人・大宮景連を誘い出し、討ち取りました」
信長の指が、完全に止まる。
「……ほう」
「現在は、竹中半兵衛を使って、大宮入道長春を調略中。
ほどなく――阿坂城も、開城する見込みです」
信長はしばらく何も言わなかった。
陣幕の外では、風が鳴っている。
信長はゆっくりと顔を上げ、秀政を見据えた。
「……そうか」
信長はしばらく秀政を見た後、問いかけた。
「その報告で――良いのだな?」
秀政は、一瞬返答に迷った。
(……あぁ。
最初から、全部見ていたか。
おそらくは、ある程度、知った上で報告を聞いたな)
信長が、阿坂城の動きを監視していないはずがない。
母衣衆、忍び、間者。
どこからどこまで把握しているか、見当が付かない。
(きちんと考えて、言葉を返さねばならんな……)
秀政は、はっきりと答えた。
「はい」
そして、言葉を選んで続けた。
「表の功名帖には、そのように記載されます」
「……表、だと?」
「“木下秀吉が”策をもって大宮景連を討ち、阿坂城を屈服させた――その功です」
敢えて“表”は木下秀吉の功と断言した。
信長は口角を上げた。
「そうか。
……では」
視線が鋭くなる。
「裏の話をせよ」
(――やはりか)
秀政は、心の中で小さく息を吐いた。
(完全に隠そうとしなくて、本当に良かった)
「はい」
秀政は、背筋を伸ばしたまま続ける。
「裏というほどの話ではありませぬが……
今回の功は、あくまで秀吉のもの。
それがしが手を出したのは――策の一部を補ったに過ぎませぬ」
「良い、話せ」
「はっ!
我が家臣の火野正種、佐治政勝、村瀬兼良を用い、大宮景連を討つ“場”を整えました。
その詳細は……」
信長は黙って聞いている。
一切、口を挟まない。
すべてを聞き終えた後、言った。
「……そうか」
そして、まるで何でもないことのように告げる。
「相変わらず、手際が良いな」
「はっ!」
秀政は、即座に頭を下げた。
「俺からも一つ言っておこう。
阿坂城は既に落ちておる。
お前達がここに来るまでの間に、早馬での報せがあった」
(マジか?!
竹中半兵衛、凄すぎんか?!)
「さすが秀吉……調略はお手の物ですな」
秀政の軽口で返す。
しかし、信長はそれを無視して、話を切る。
「芋……。
お前が“裏”というならば、それは評価せん」
信長は一度言葉を切った。
「表の秀吉の功とする。
異存はないな?」
秀政は迷わず答えた。
「はい。ありませぬ」
(……ふん。
最初からそうするつもりだろうに)
秀政は、心の中で苦笑した。
(そうせねば、秀吉を侍大将に格上げできぬ。
しかも、あの口約束のせいで、俺の功を認めることもできん。
俺が単独で先に侍大将になると信長は秀吉を失うことになるからな)
信長は最初からその“配分”まで見据えている。
だからこそ――信長は恐ろしい。
信長は地図に視線を戻し、大河内へ目を向けた。
南伊勢の大勢は、すでに決していた。
大河内の落城も時間の問題である。
*
「芋、ついでだ。
南伊勢の仕置きについて、お前の案を聞かせよ」
信長は唐突に秀政に問いかけた。
(南伊勢か……今回の歴史上の結果は知っている。
それを伝えればいいのか?)
「はっ!
それがしの案は……
北畠との和睦でございます」
「和睦だと?」
「はい、言葉は和睦ですが、事実上の北畠の降伏です。
北畠具教の嫡男・北畠具房が、殿の御子・茶筅丸様を養子に迎える……
というのはいかがですか?
北畠家は由緒正しき家柄。
潰すのではなく、伊勢支配に活かすのです。
こういった威信のある家は潰すのには、時間も労も無駄にかかります。
攻めて終わりとはいかないのが厄介なのです。
存続させたまま、織田家の“家中大名”として、茶筅丸様が北畠家の家督を継ぐのです」
「乗っ取りか」
「はい、そうとも言います」
「実は明智十兵衛にも案を出させた。
お前の方が良いな」
「恐れ多いことです」
「芋の策を採用する。
だが――」
「はい」
「交渉は明智十兵衛にさせる。
お前の功績にはせぬ。
良いか?」
「はい。構いませぬ。
明智殿であれば、文書にせよ、交渉にせよ、安心できまする」
(次は明智殿に功を積ませて、取り立てたいわけか。
俺が秀吉が侍大将になるのを待っていて、功に飢えておらぬことをお見通しというわけだな?)
「芋、代わりに別の仕事をやる。
重要だが、地味で功には繋がらん」
「は!そういうものこそ、それがしの出番ですな」
「ふん!
便利な奴よ。
仕事とは検地だ。
伊勢はこの侵攻により荒れ果てておる」
「お任せください。得意です。」
この後、ひと月半もかからずして、北畠家は和睦に応じた。
元々滝川の調略が所々に効いており、そこに明智の交渉の手際の良さが加わった。
結果、驚くほど順調に話が進んだ。
伊勢侵攻は、織田家の勝利に終わった。




