第二百六十一話 元親の賭け
明智・佐久間勢が天王寺砦へ雪崩れ込んだ頃、芋粥軍の本陣でも動きがあった。
秀政は砦の方角を見据え、わずかに口元を緩めた。
「よし……上手くいったようだな。
元親への意趣返しとしては、これで十分だろう」
秀政は内心で苦笑した。
(我ながら馬鹿なことをしている。
だが、ここまで本気で準備して馬鹿をやれば……
もはや馬鹿ではなく“策”に見えるものだな)
そこへ長政が駆け寄る。
「義父上、次はどうされますか?」
秀政は迷いなく答えた。
「長宗我部に当たる。
長政、俺や諸将は先行して、長宗我部に対峙している鷺山の五千へ合流する。
ここの五千は任せて良いか?
長宗我部の横合いへ回れ。挟撃して倍の兵力で圧し潰す」
長政は深く頷いた。
「はい、お任せください。
ただ……兵どもが勝利に沸き、少々浮足立っておりまする。
整えるのに時間がかかるやもしれません」
秀政は笑った。
「問題ない。
むしろ少し時間差があった方が、挟撃の効果は増す。
焦らず整えよ」
「は! では必ずや横合いから突いてみせまする。
義父上も、ご武運を」
「うむ。政親、綾芽、ついてまいれ。
鷺山の元へ向かうぞ」
政親が力強く返した。
「は!」
*
一方その頃、長宗我部の陣。
親泰は、茶臼山の雷神が消えた空を見上げたまま、しばらく口を開けていたが、やがてぽつりと漏らした。
「兄者……こりゃ、まっことやられたな……」
元親は軍扇を握りしめたまま、苦笑とも感嘆ともつかぬ表情を浮かべた。
「あぁ……まさか雷神を見せつけるとは思わんかった。
何ぞ裏はあるろうが……それでも見事じゃ。
面白いもんを見せてもろうた。
まあ、真似はできんがな」
親泰は肩を震わせた。
「何を暢気なことを言いゆうがよ。
これじゃ長宗我部の御教書がひっくり返されたも同然じゃ」
元親は静かに頷いた。
「そうじゃな。
まあ、わしらも嘘はついちょらん。
あんなもん、想像すらつかんき……」
そして、軍勢の方を振り返る。
「だが……もはや兵は戦えんぞ」
親泰も苦い顔をした。
「あぁ……わしらがいくら“あれには小細工がある”と申しても、兵は信じん。
兄者がやったことを、倍にして返された気分じゃ」
元親は苦笑した。
「倍どころじゃない。完敗じゃ。
どう逃げるか……考えねばならん」
そこへ、息を切らした伝令が駆け込んできた。
声は震えていたが、必死に言葉を絞り出す。
「だ、だいへんです!
芋粥軍が動きゆう!
伊勢守もそこにおるようです!」
元親は軍扇を閉じ、静かに立ち上がった。
「決戦をしかけてくるか……当たれば必ず負けるな。
いや、退いても背後から襲われて全滅じゃろうの。
少々、はったりをかまして逃げるしかないか」
親泰が不安げに問う。
「兄者……できるがか?」
元親はわずかに笑った。
戦っても逃げても、この状況下では助からない。
ならば一か八かの“はったり”に賭けるしかなかった。
「できんかもしれん。
じゃが……やるしかないろう」
*
芋粥軍と長宗我部軍が向かい合い、双方の兵が槍を構えて動きを止める中、秀政が軍配を高く掲げた。
その瞬間――
長宗我部の陣から、一騎の将が前へ進み出た。
周囲を固めるのは、鍛え抜かれた屈強な一領具足たち。
その姿は、まるで岩をも砕く猛者の集団であった。
「待て……あれは元親か」
秀政は軍配を収めると、白鬼兵に囲まれながら、同じく陣前へ進み出た。
長宗我部元親は馬上で軍扇を軽く揺らし、秀政を見て口角を上げた。
「貴様が芋粥伊勢守か。
女子に囲まれちゅうとは……まっこと色男じゃのう」
秀政は肩をすくめた。
「長宗我部土佐守よ。羨ましいか?
それより何の用だ。
命乞いなら許さぬぞ。芋粥兵は今、血に飢えている」
元親は豪快に笑った。
「はっはっは。勇ましいのう。
土佐者は命乞いなどせんわ。
一言、おまんに申したくて出てきたがじゃ」
元親は茶臼山の方角を一度だけ見やり言った。
「雷神……見事であった。
わしらの御教書は誤りじゃったと、認めちゃる。
じゃがな――
長宗我部は、あんな幻術ごとき……恐れはせんぞ」
そう言うと、元親は顎で合図した。
傍らの一領具足が荷車から巨大な破城槌を引きずり出し、雄叫びとともに両腕で持ち上げた。
筋肉が盛り上がり、破城槌が胸の高さまで上がった。
芋粥軍からも感嘆の声が漏れた。
元親は胸を張った。
「雷神は所詮、幻術じゃ。
それと違い、わしら一領具足の強さは、普段から鍛え上げた真の力よ。
近う寄ってきてみい。
そのそっ首、ねじり切っちゃるき」
秀政は内心で呟いた。
(相変わらずの馬鹿力だな……)
そこへ政親が馬を進め、秀政の横に並んだ。
「義兄上、臆することはありませぬ。
一領具足全員があの怪力ではありますまい。
あれは元親の近衛でしょう。
選りすぐりの怪力の持ち主に違いありませぬ。
気にせず打ち倒しましょう」
秀政は笑った。
「まぁ、そうだろうな。
全員があんな怪物なら、四国だけには収まらん。
だが――今回はこの茶番に付き合ってやろうと思う。
ちょうど今、面白いことを思いついた」
政親は呆れたように眉を寄せた。
「義兄上、何を悠長な……」
秀政は軍配を掲げ、声を張った。
「土佐守よ、よく聞け!
雷神を幻術だと?
せいぜいそう思っておれ。
次はお前の城を消し飛ばしてやるぞ!」
長宗我部軍に小さな動揺が走った。
元親は軍扇を叩きつけるように返した。
「黙れ、伊勢守!
あれが幻術でなけりゃ、今頃おまんが天下を握っちゅうわ!
戯言も大概にせえ!」
秀政は鼻で笑った。
「ふん、まぁいい。
我らは雷神だけではない。
雷神なくしても四国を落とす力がある。
一領具足など恐れるに足らん。
それを見せてやろう!」
秀政は振り返り、雫を呼んだ。
「雫、居るか? 例のあれを見せてやれ」
「は、はい!」
小柄な雫が鉄砲を抱えて前へ進み出た。
その後ろには装填済みの鉄砲を持った三人、さらに小道具を抱えた白鬼兵が続く。
秀政は元親を見据えた。
「よう見ておけ、土佐守。
お前たちでは本州の兵には勝てんぞ」
白鬼兵が皿を四枚、少しの間を空けながら次々と空へ放った。
高速で回転しながら飛んでいく。
雫は迷いなく狙いを定め――
火縄銃を放った。
パーン! パリンッ!
皿が砕け散る。
雫は即座に次の銃を受け取り、撃つ。
パーン! パリンッ!
さらに続けて――
パーン! パリンッ!
パーン! パリンッ!
四枚の皿が、一瞬のうちに空中で弾け飛んだ。
長宗我部軍が息を呑む。
元親でさえ固まり、背に冷や汗が流れた。
「な……なんじゃあれは……」
秀政は軍配を軽く振った。
「どうだ? 恐れ入ったか?」
その間に雫は装填を終えた鉄砲を受け取り、元親へ銃口を向けた。
親泰と近習の騎馬武者たちが慌てて駆け出し、元親の前に壁を作る。
元親は頬の汗を拭おうともせず、小声で命じた。
「ここで怯えたら土佐の負けじゃ。
包まれて全滅する。
おまんら、下がれ。
土佐者の肝の太さを見せつけるがじゃ」
親泰は震える声で言った。
「兄者……あの娘の腕前は本物じゃ。
撃ち抜かれるぞ」
元親は首を振った。
「良いき、下がれ。
ここは身を張らねばならんところじゃ。
わしが臆病風に吹かれたら、土佐は終わる」
親泰はなおも食い下がる。
「しかし……」
元親は静かに言った。
「親泰……わしがここで討たれたら、弥三郎と五郎次郎を……おまんに任せるぞ。
下がれ」
親泰は唇を噛みしめた。
「兄者……」
騎兵たちはゆっくりと退き、再び元親が前面に立った。
雫は銃口を元親へ向けた。




