第二十四話 懐柔
「……お見事でしたな」
代官所を出た後、
松兵衛が静かに口を開いた。
「膿を出すには、あれほどの荒療治が必要でございましょう」
「あぁ」
秀政は短く頷いた。
「中途半端に情をかければ、
腐りは残る。
あれでよい」
「では――」
松兵衛が一つ、間を置く。
「松之助の件は、いかがなさいますか」
松之助。
松兵衛の嫡男であり、お悠の弟。
まだ十八だが、頭の回りは早く、商才もある。
「半年は義父殿が大旦那として鍛えてくれ」
「はい」
「その後は、千種屋を任せたい。
義父殿には――」
秀政は視線を上げる。
「大旦那からは一歩引いて、郡奉行に注力してもらう」
「承知いたしました。小遣いだけは用意しておきます」
「さて」
秀政は歩みを止めた。
「“あれ”の準備は?」
「はい。若衆に運ばせております」
「うむ」
その時だった。
千種屋の若衆が、息を切らして駆け込んでくる。
「大旦那様!
柴田様が――ご帰宅なされました!」
秀政は、わずかに口角を上げた。
「よし。
ちょうど良い」
松兵衛が一礼する。
「ご武運を」
「武はいらん。
今日は、頭を下げに行くだけだ」
大見えを切った秀政だったが、
現時点では柴田と争うことは避けたかった。
ならば、一つ。
先手を打って懐柔するのみ。
*
柴田邸。
しばらく待たされた後、
ようやく奥へ通される。
さらに一刻ほどして――
鬼のような形相の男が現れた。
(うわぁ……柴田勝家。
思った以上に、圧があるな)
だが、秀政は顔に出さない。
「芋!」
柴田が上座にどかりと座る。
「郡代になったとて、
のぼせ上がるでないぞ!
わしは忙しい。
お前にかける時間などない!」
秀政は、迷いなく平伏した。
「お時間をいただき、かたじけのうございます」
「愛知郡郡代として、
まずは柴田様にご挨拶をと存じ、
参上いたしました」
「ふん!
挨拶だけで来るような男か!
早よ申せ、何の用じゃ!」
(警戒されているな)
「……お見抜きとは恐れ入ります」
秀政は、わずかに頭を上げた。
「実は、
どうしてもお願いしたいことが一つ」
柴田の目が、鋭く細まる。
「その前に――」
秀政は合図を出す。
若衆が、酒と美しい杯を差し出した。
「熱田の神事用に仕込まれた、
清澄な清酒にございます」
「濁酒とは、
一線を画しますぞ」
「……ほぉ?」
柴田の目が、わずかに緩む。
「それと」
秀政は、続けた。
「今日お伺いしたのは、
柴田様の武勇伝をお聞きしたく」
「……は?」
「柴田殿ご自身は、
ご存知ないでしょうが、
尾張の鬼柴田。
その名は、備前にまで轟いております」
(そんなことが、あるわけないがな)
「馬鹿な!
備前まで!?」
「いやいや、柴田様も西国無双の侍大将の噂はご存知でしょう?」
「確か陶殿といったか?
名と武功は噂に聞く」
「左様、真の猛将は国をまたいで伝わるものです」
柴田は、顎を撫でた。
「足軽組頭であれば、柴田様に近づくことさえも憚られます。
ですが、郡代ともなれば、このように手土産一つで、
噂に聞いた鬼柴田の武勇を聞けるかもしれず」
ここにきて、ようやくにやりと笑う。
「……芋。
お前、思ったより面白い奴じゃな」
「いえ。
あの名だたる鬼柴田を前にして、
気が高ぶっているだけで」
そのまま杯を差し出す。
「どうぞ一献。
最近の美濃の荒ぶる話でも、
お聞かせいただければ」
「よかろう!」
柴田は杯を取った。
「聞かせてやろう!
我が武の冴えをな!」
*
酒が進む。
柴田は上機嫌になり、
武勇を語り続けていた。
「――いや、実に痛快なお話ですな」
秀政は、頃合いを見て口を挟む。
「……おっと。
大事なものを忘れるところでした」
若衆が、一振りの刀を差し出す。
「これを、
どうかお納めください」
柴田の目が、刀に釘付けになる。
「……待て。
これは――」
刀身を抜き、息を呑む。
「三代孫六兼元……!
しかもかなりの上作!」
「左様です。
美濃刀は実戦向きで柴田様にこそ相応しいかと」
(百五十貫。
これで柴田を懐柔できるとしたら――
安いもんだ)
「よいのか!?
これを貰っても!?」
「今後とも、
この芋をお引き立てくだされば」
柴田は、豪快に笑った。
「よし!
困ったことがあれば、
何でも言え!」
「ありがたき幸せ」
一拍。
「――あ、そうそう。
一言、申し伝え忘れました」
「なんじゃ?」
「愛知郡の代官は、
一新いたします」
「……なに?おい、待て!」
「いや、間に合って、よぉございました」
「?」
「あの代官ども、
不正を働いておりましてな」
「しかも、
“柴田様と関わりがある”などと、
戯言を申しておりました」
柴田の顔色が変わる。
「な……」
「戯言とはいえ、
殿の耳に入れば――」
「……」
「ですから。
英傑たる柴田様に
火の粉がかかる前に、
こちらで処理いたしました」
柴田は、言葉を失った。
「いやはや、礼には及びませぬ。
織田の宝を守るのは、
当然のことです」
「……あ、あぁ」
「また孫六兼元を手に、
暴れ回るお姿、
ぜひお聞かせくだされ」
秀政は深く一礼し、
若衆を連れて退出した。
*
屋敷へ戻ると、
松兵衛が待っていた。
「いかがでしたか」
「孫六兼元を受け取った」
秀政は淡々と言う。
「受け取った以上、
もう文句は言えん」
「ようございました」
「次は丹羽だ」
「丹羽長秀は、
実務の鬼にございますな」
「あぁ。
あれは懐柔ではなく、
誼を結ぶ相手だ」
「方法を変えるのですな?」
「あぁ、そうだ。
それに急ぐ必要はない」
秀政は、静かに締めた。
「まずは――
目の前の問題を片付けた」
(焦る時期は終わった)
(ここからは、
一歩ずつ、積み上げる)
郡代としての仕事は、
確実に形を成し始めていた。
(しかし……柴田勝家、
かっこよかったなぁ。
あれが武力トップクラスの本物の猛者か)




