第二十五話 地固め
翌日。
「丹羽様への対応だが――」
秀政は帳面から顔を上げずに言った。
「手伝ってやれ」
松兵衛は少しだけ眉を動かす。
「……手伝う、とは?」
「丹羽の主命は内政が多い。
ならばどんなことでもいい。
小さなことでも構わん。
片端から手伝え。
資金、情報、人の手配……全部だ」
秀政は即答した。
「俺の名のもとで全面的にやれ。
最初は“便利な郡代”くらいにしか
思わんだろう」
松兵衛は静かに頷く。
「だが、それが続けば――
いつかは借りを返したくなる」
「人情でございますな」
「そうだ」
秀政は淡々と続ける。
「恩を着せる必要はない。
貸しを積むだけでいい。
やがて丹羽は俺を“仲間”と認識する」
「なるほど……」
「共同で任に当たるほど仲間意識を生むものはない。
緩やかな接触で十分だ」
松兵衛は深く一礼した。
「承知しました。
丹羽殿への懐柔はこちらで進めます」
「任せる」
秀政は息を吐いた。
「正直なところ、今は体がいくつも欲しい。
やることが多すぎる」
「……確かに」
「それゆえ、もう一つだ」
秀政は松兵衛を見た。
「新代官の選別。
これは義父殿に――丸投げする」
「よろしいので?」
松兵衛はわずかに笑う。
「私は商人。
千種屋の利益を優先するやもしれませぬ」
「ちょうどいい」
秀政は迷いなく言った。
「千種屋をこの東海道一の商家にせよ。
そして――」
松兵衛と目を合わせてにやりと笑った。
「そうなった暁には小遣いとして、
一千貫ほど寄越せ」
毎年一千貫ともなると宿老の俸禄だ。
「……」
松兵衛は一瞬黙り込み、すぐに苦笑した。
「今の五百貫の小遣いだけでも大仕事だというのに、
あっさり倍にされますな」
「全く困った顔をしていない」
秀政は笑いながら指摘する。
「愛知郡の四代官を握ればいくら抜けるか……
もう算盤を弾いたな?」
「はてさて……」
松兵衛もにやけながら肩をすくめた。
「優秀な代官を揃えてみせましょう」
「頼んだぞ」
「は!」
「――義父殿」
秀政は、ふと思い出したように言った。
「もう一つ頼みがある」
「今日は随分と人使いが荒うございますな」
松兵衛は笑う。
「何なりと」
「村瀬新九郎という男を探してほしい」
「村瀬……?」
「剣の者だ」
秀政はゆっくり説明する。
「最近、剣聖・上泉信綱が諸国を巡り、
新陰流の印可を各所で与えている」
「永禄六年、伊勢で北畠具教に印可を与えた折――
共に弟子入りしていたのが、村瀬新九郎だ」
「ほぉ……」
「その後、志摩で道場を開き、新陰流を広めようとしているはずだ」
「だが――」
秀政は視線を落とす。
「永禄十年には歴史から消える。
……銭が尽き、志も尽きたのだろう」
松兵衛が首を傾げる。
「……なぜ来年のことを見たように?」
「ん? あぁ、予測だ」
即答だった。
「登用したい」
「用途は?」
「俺の――用心棒だ」
松兵衛は納得したように頷いた。
「剣豪であれば確かに心強い」
「それだけではない」
秀政はわずかに口元を歪めた。
「愛知郡で道場を開かせる。
我らが銭を出してな」
「剣豪を作り出すわけですな?
その中には他にも見どころのあるものが集まるやもしれません」
「その通りだ。
それにな、兵を養う必要がある。
そこで学ばせれば――
新陰流の足軽隊だ」
松兵衛が率直に疑問を口にした。
「……槍や矢の方が実戦向きでは?」
「義父殿は夢がないな」
秀政は即座に切り返した。
(剣豪隊って響きが燃えるんだよ……)
「まぁいい」
「探せるか?」
「はい、人をすぐに手配します。
志摩にいるとわかっているなら必ず見つけ出せます」
「そうか。説得して連れてきてほしい」
「承知しました」
松兵衛は即答した。
「必ず」
*
「ところで」
頃合いを見て、松兵衛が問い返す。
「弥八郎様は、この後どうなさるのです?」
「伊賀だ」
「……伊賀?」
「勢力を持った以上、諜報は欠かせん。
伊賀で契約してくる」
「……忍び、ですか」
「そうだ」
秀政は淡々と続けた。
「若衆を手配しろ。
それと金を――百貫ほど」
「ははは」
松兵衛は笑った。
「千種屋は儲ける前に潰れそうでございますな」
「痛くもかゆくもないくせに……」
秀政はにやけながら立ち上がった。
「まぁ、頼むぞ」
「お任せを」
郡代の仕事はすでに戦になっていた。




