第十七話 三つの力
「芋。
墨俣に城を立てる策、聞かせぇ」
夕刻の城下。
人通りの少ない道で、秀吉が切り出した。
「わしは次の評定で、名乗りを上げる」
秀政は、足を止めた。
「……分かった」
短く答える。
「だがな。
これは命を賭ける役目だぞ」
「分かっとる」
秀吉は、即座に返した。
「金も命も、使う時に使ってこそ価値が出る。
持っとるだけやと、腐るだけじゃ」
(そうだ……)
秀政は、胸の内で呟いた。
(こいつは、
リスクを取れる者だけが勝利の女神に選ばれると
本能で知っている)
(だからこそ――
女神すら味方につけて、太閤になる男だ)
「……いいだろう」
秀政は、静かに言った。
「俺も賭ける。
詳しい話は、俺の屋敷でしよう」
「ん?」
秀吉の眉が、ぴくりと動く。
「嫌じゃ。
芋の屋敷には、もう行かんと決めとる」
「何を言う」
「わしのところに、お前が来い」
「……説明するのに、俺の屋敷がいい」
秀政は淡々と返す。
「我儘言うな。
教えてやらんぞ?」
「……ううう」
秀吉は唸った。
「気が乗らんが……仕方ないか」
*
秀政の屋敷の前で、秀吉は立ち尽くした。
一年前に移ったばかりの屋敷。
まるで侍大将が住むような立派さだ。
だが――
「……だから来たくなかったんじゃ」
低く、呻く。
「何じゃこの屋敷は!
主に憚って、お前もあばら家に住め!」
「妬くな、みっともない」
秀政は鼻で笑う。
「俺は備前の侍大将の出だと言っただろう。
義父が用意してくれたまでだ」
「侍大将騙りが!」
秀吉が指を突きつける。
「そういうとこじゃぞ!
お前が嫌われとるんは!」
「なに!?
俺、嫌われてるのか!?」
「そうじゃなきゃ、
いつまで経っても組頭のままか!」
「……」
秀政は一拍置いて、扉を開けた。
「まぁいい。入れ」
*
「これは藤吉郎様。
ようおいでくださいました」
お悠が、穏やかに頭を下げる。
「茶と菓子をお持ちします。
どうぞ中へ」
「かたじけない、お悠殿」
そう答える秀吉の顔は、
なぜか引きつっていた。
それを見て、秀政は噴き出した。
「まぁ、そんな顔をするな。
この菓子は甘くて旨いぞ」
「おね殿への土産にもなる。
喜ばれる」
「……そ、そうか」
秀吉は咳払いをした。
「そこまで言うなら、貰ってやってもよい」
*
私室。
秀政と秀吉、
そしてお悠が向かい合って座る。
千種屋――お悠の実家。
かつて百貫ほどの資本しかなかった小さな米問屋。
だがこの三年半、
信長の金の「取次」を任され、
利鞘を重ねた結果――
今では一万貫を超える資本を持つ、
尾張有数の大商家となっていた。
それを、信長は黙認している。
元より義父の千種屋松兵衛は、
信長に商才を見抜かれた男だった。
だからこそ――
お悠が秀政に宛がわれた。
今では米に限らず、
軍需を含めた総合的な商いを担い、
織田家御用商人の一角を占めている。
*
秀吉は、出された菓子を勢いよく頬張っていた。
「……」
秀政は、それを無視して口を開く。
「墨俣築城に必要なものは、三つある」
「はんひゃい?」(何じゃい?)
口いっぱいで、何を言っているのか分からない。
「一つ、商家の力。
二つ、水運の力。
三つ、槍働きの力だ」
秀吉は慌てて飲み込んだ。
「どういう意味じゃ?」
「順を追って話す。
城を築くには?」
「木を伐り、石を運び、組み上げる。
強固にな!」
「その通りだ」
秀政は頷く。
「だがな」
お悠に目配せする。
「薪を数本、持ってきてくれ」
お悠が薪を運び、秀吉の前に置いた。
秀政がその横に短刀を置く。
「秀吉。
ここで城の雛形を作れ」
「は?」
「ただし、俺は邪魔をする。
作っている間に、薪を奪っていく」
「全て取られる前に、作れるか?」
「無理じゃ!」
即答だった。
「削っとる間に、
お前が全部盗るに決まっとる!」
「それが柴田や佐久間だ」
秀政は静かに言った。
「その場で用意し、
その場で奪われる」
秀吉が真顔で秀政を見つめる。
「――だから、方法を変える」
再びお悠に目配せした。
「積み木を持ってきてくれ」
お悠が積み木を運ぶと、
娘の明も母に付いて入って来た。
床に撒かれる積み木。
「お明。
前に見せてくれたな。
城を作ってくれるか?」
三歳の明が、元気よく頷く。
「あい!」
小さな手で、
四角や三角の積み木を積み上げていく。
秀政は、横から一つずつ取り上げていくが――
全てを取り上げる前に、
簡素な“城”の形が出来上がった。
「これだ」
秀政は言った。
「これがお前のやることだ」
秀吉は、目を見開いていた。
「芋……相変わらずじゃが、
お前は面白いことを思いつく」
ゆっくりと息を吐き切った。
「何もその場で用意する必要はないと……。
出来ている物を運び入れて組み立てるだけ……」
「そうだ。
南蛮言葉で――
プレハブ工法と言う」
「ぽれはふ!」
お悠が楽しそうに復唱する。
「そうだ。
商家の力――
あらかじめ必要な材を用意し、
仕立て、組むだけの状態にする」
「それが、一つ目じゃ」
「そして――」
秀政は地図を広げる。
「川を使う。
水運の力だ」
「出来上がった材を、
木曽川で一気に運ぶ」
「最後が――」
秀吉が、静かに言った。
「それを組む間、
美濃勢から大工を守る
わしらの槍働き、じゃな?」
「その通りだ」
「商家の力は、千種屋。
水運は――」
秀政は、秀吉を見る。
「蜂須賀小六。
川並衆の頭領だ」
「……山賊の親分と言われとる男じゃ」
「それはただの噂だ。
実際は川を支配する有力国衆だ。
話の分かる男だ。
だが、癖がある。
俺では無理だが、
秀吉、お前なら引き込める」
秀吉は、しばらく黙り――
「……やってみる」
と、言った。
「だが、これは事前の根回しは出来ん。
責任者にでもならねば、胡散臭くて
話も聞いてもらえんだろう」
「それでいい」
秀政は頷く。
「請けてからが、本当の勝負だ」
「引き込めねば、負け。
命を賭けるとは、そういうことだ」
秀吉は、にやりと笑った。
「よし。
わしは請ける。
お前も、乗るか?」
「……あぁ」
秀政は答えた。
「俺も、お前に賭ける」
秀吉は立ち上がり、笑った。
「よし、決まりじゃ。
芋、あっぱれな策じゃ、この功……
秀吉が一通り部屋を見回してから答えた。
「第一功は――お明じゃ!
賢くて可愛いのぉ!
成功したら、褒美はお前のもんじゃ!」
秀政は鼻で笑った。
「俺には褒美は無しか」
「当たり前じゃ!
贅沢しおって!」
二人は、笑った。
だが――
その笑いの奥で、
覚悟は、すでに固まっていた。
大きな挑戦が、
静かに始まろうとしていた。




