第百六十六話 十年先の軍
出陣の沙汰が下ってから、鈴鹿城内は一気に慌ただしさを増した。
兵の編成、兵糧の積み出し、馬の手配。
出る者と残る者の振り分けも急がれる。
桑名城代を日根野に任せた鷺山は鈴鹿に残り、
長政の出陣準備を主導していた。
福島市松と加藤虎之助は初陣である。
しかも鬼兵を預かる将としての出陣。
気負いは隠しきれず、
鍛錬場ではいつも以上に声が張り上げられていた。
*
その夜。
秀政は鈴鹿館の奥の間に政成と浅野を呼び寄せた。
月がよく出ている。
縁側に面した座に三人が並び、静かに盃を交わす。
しばらく無言が続いた後、
秀政がぽつりと漏らした。
「……戦を、息子に押し付けてしもうた」
酒を置いたままの言葉であった。
浅野は少し間を置いてから口を開く。
「押し付けた、ではございませぬ。
任せた、でございます。
若殿も、もはや一軍を預かる器にございます」
慰めではない。
評価である。
政成も静かに続ける。
「はい。
これは適材適所にございます。
戦場での指揮は、若殿でも務まりましょう。
ですが鈴鹿の街造りとなると――
殿でなければ回りませぬ」
秀政は苦く笑う。
「頭ではわかるのだがな」
それでも納得しきれてはいない。
浅野が盃を置き、少し身を乗り出した。
「若殿が勝って戻られた時に、
鈴鹿が一回り大きくなっておればよいのです。
戦の勝ちだけでは国は強くなりませぬ。
殿にしかできぬ勤めを立派に果たしたことになりましょう」
そこまで言ってから、
話題を切り替える。
「ところで殿。
何やら内政の妙案があると仰っておられましたが?」
秀政の表情が変わる。
先ほどまでの曇りが消えた。
「あぁ、ある。
ちょうど良い。浅野もおるしな。
十年先の軍のことよ」
盃を置く。
「馬だ」
唐突である。
「浅野。
世の中には、常の馬とは別物の馬がいることは知っておるな」
「はい。
将軍家や大大名が持つ、家宝級の馬にございますな。
武士たる者、あのような馬を使いこなせれば大見栄を張れます」
「ははは、その通りだ。
あれはな……南蛮馬だ。
南蛮船から手に入る」
浅野の目がわずかに見開く。
「南蛮は、人だけでなく馬も違うのですな」
「違う。
そして――作れる」
「作る……?」
政成も首を傾げる。
「政成。
伊勢で馬生産の牧場を作りたい」
話が一気に現実に落ちた。
政成はすぐに考え始める。
「牧場自体は問題ございませぬ。
伊勢は古来より馬の産地。
朝廷にも献上していた由緒ある産地です。
鈴鹿郡、河曲郡、多気郡、度会郡――
湿地と草地が混在し、水もある。
放牧には理想の地形にございます」
少し間を置いて続ける。
「さらに鈴鹿を開発するにあたり、
治水整備したこともあって草地が増えております。
餌には困りませぬ」
秀政は即座に頷いた。
「ならば決まりだ。
鈴鹿川沿いに三か所、河曲に三か所、多気と度会にも三か所」
迷いがない。
浅野が現実面を補う。
「常備兵の家族を飼育に回せますな。
芋粥は兵農分離が済んでいるゆえ、労働力には困りませぬ」
「よし、すぐに動かせ」
「はい、承知しました。
黒鬼兵や白鬼向けに馬はいくらでも必要でしょう」
そこで政成が本題へ戻す。
「……ですが殿。
巨馬を“作る”話とは、どう繋がるのですか?」
秀政は少し笑った。
「血統を支配する」
短い。
だが中身は重い。
「実は南蛮馬にも種類があるのだ。
アラブの馬、アラビアン――
速さと持久力があり、気性も良い。
過酷な環境にも強く、骨が太くて丈夫だ。
改良馬の基礎になる馬だ。
イスパニアの馬、アンダルシアン――
体格が大きく、瞬発力がある。
気高くも従順、王侯貴族の馬だな。
そして北アフリカのバルブ――
気性は荒いが、機動と跳躍に優れる。
これはポルトガル王国経由になるやもしれん。
少々高くつくようなら諦める」
政成と浅野が驚いた表情のまま呟く。
「と、殿は相変わらず博識にございますな」
情報量を処理するだけで精一杯だ。
「この三種はサンパイオ商会でも入手できることは、
木村新兵衛を通じて確認済みだ。
この三種を血統として掛け合わせる。
伊勢にいる日本馬とだ」
ようやく意図が見える。
「まさか……繁殖させるのですか?」
「そのまさかだ」
即答であった。
「既に手は打った。
サンパイオ商会に依頼して、
三歳のアラビアン牡馬を十頭、運ばせている」
政成が止まる。
「……いくらで?」
「一頭八十貫だ」
空気が止まった。
「八百貫か」
政成が呟く。
常識外れである。
浅野が思わず声を荒げた。
「武将が羨む良馬でも十貫しませぬ!」
「血統を買うのに、たったの八十貫で済んだのだ。
いずれ安い買い物をしたと気づく。
言っておくが、半数は途中で死ぬ覚悟で頼んだ。
数が揃うまでは頼み続けるつもりだ。
場合によっては千六百貫ほどにまで膨らむやもしれん」
政成が大口を開けて驚いた。
それを無視して秀政は淡々と続ける。
「これより三年、毎年五十頭の伊勢牝馬と掛け合わせる。
血統はすべて記録しろ。
どの馬がどの血統の仔か、父母、祖父母の代まで遡って、
徹底して管理しろ。
血が濃くなりすぎれば病を生む。
人と同じだ」
政成の目が鋭くなる。
「……帳面を分けて管理いたします」
「そして三年後、アラブ馬の血を引く一次生産牝馬が、
繁殖の場に登るだろう。
その牝馬でさらに回す。
しばらくは種は純血で足りる。
中途半端な牡馬は騎乗用に回せ」
浅野が頷く。
「黒鬼・白鬼の馬として十分でしょう」
「ただし、気を付けろよ。
アラブの血が入った牡馬は第一世代と言えども、
体は大きい。訓練が要るぞ」
「は!」
「そしてここで一手加える必要がある。
濃くなりつつある同血を薄めるために、
定期的に新しい純血牡馬を買う。
あくまで純血の他血を加えることで、
アラブの血を濃く、血統としては薄くする。」
「……なるほど、より純粋なアラブ馬に近づけつつ、
血統を健全に保つのですな」
「そうだ。
それになアラブ馬にも系統があるのだ。
速さ、持久力、体格、気性。
毎回違う系統のアラブ牡馬を伊勢馬との相性を見ながら
掛け合わせることで最適な血統を固定することもできる。
ゆえに純血の種牡馬は多いほど良い」
浅野が呟く。
「……もはや伊勢馬の原型はなくなりますな」
「ふふふ。
そして六年後だ。
そこでようやく体が整う」
秀政は指を二本立てた。
「そこへアンダルシアンとバルブを十頭ずつ入れる。
第二世代の牝馬とそれらと組み合わせることで、
アラブ馬の基礎を持ち、アンダルシアンの体格と瞬発力、
あるいはバルブの機動力と跳躍力も上乗せできるだろう。
それ以降は改良伊勢牝馬と適宜、純血牡馬を組み合わせながら育て続ける。
十年もすれば純血でなくとも、改良伊勢牡馬も種牡馬に使えよう」
沈黙が落ちる。
「……家宝が量産されますな」
政成の言葉に、秀政は笑った。
「それだけではないぞ」
浅野の方を向く。
「芋粥は最強の騎馬隊を持てるやもしれん。
またカラコールもこの馬なら可能になるだろう。
そして政成の言う通り、余った馬は去勢でもして、
他家に高値で売りつけてやればよい」
*
しばらく沈黙が流れる。
浅野が汗を拭く。
「いつもながら殿の熱量には圧倒されますな」
政成がふっと笑った。
「なるほど。確かにこれほど面白い考えがあれば、
戦になど行っている暇はありませぬな」
秀政も笑う。
「そうだろう?
戦という不毛な時間よりも、馬の血統を支配する方が、
どれほど将来の銭になるか」
即答である。
「いやいや、これは面白い商材です。
すぐに牧場を作り、伊勢牝馬を集めます。
そして馬の管理に長けた者、血統管理ができる几帳面なものを集めまする」
「頼むぞ」
三人の酒が進んだ。
つまみを持ってきたお悠がその様子を見て、
微笑みながら呟いた。
「あら、何か良いことでもございましたか?」




