第百四十二話 四つ巴
郡山城、上段の間。
政親が戻った時には、
すでに城内の空気は落ち着きを取り戻していた。
昨夜までの恐怖は消えぬが、
それでも「戦が終わった」という事実が人心を繋ぎ止めている。
その中央に、秀政が座している。
政親は無駄を削いだ動きで進み、静かに一礼した。
「松永殿は完全に術中にはまりました。
支城は全て奪い取ろうと動くでしょう。
加えて――
義兄上に本願寺をぶつける腹です」
その報告を受け、秀政はわずかに顎を引いた。
「そうか。
そして自らは、寺社相手に地獄の扉を開けるか」
言葉は軽い。だが、その中身は重い。
政親は迷いなく頷いた。
「はい。
ただし、こちらが嵌めたと悟られてはなりませぬ。
自然にそう動いたと思わせる必要がございます」
「つまり――
こちらも騙された顔をせねばならぬな」
「えぇ」
政親は一歩踏み込む。
「義兄上。
私も念のため、もうしばらく大和に留まりましょうか?」
この問いは確認ではない。
最悪を潰すための提案だ。
だが秀政は首を振る。
「いや、お前は次のために動け。
不本意だが、佐久間が持たぬ。
あいつが討ち破られる前に、
四国を動かせ」
政親の目がわずかに細くなる。
ここで即断する。
それが芋粥の戦い方であると理解しているからだ。
「……承知しました。
ですが大丈夫ですか?」
短く答えたあと、秀政が続ける。
「政親。
俺も元は謀玄から始まる知恵で戦う側の将だ。
そこまで心配するな。
いずれ謀聖や謀神と呼ばれるようになるかもしれんぞ」
政親の表情が、ほんのわずかに緩む。
「そうでしたな。
それならば安心して四国へ飛びます」
深く頭を下げる。
「ご武運を」
そのまま踵を返し、上段の間を辞した。
政親は供を伴い、その日のうちに郡山を発つ。
行き先は四国。戦場ではなく、火種を仕込む地である。
*
「長政と玄蕃を呼べ」
命が下る。
しばらくして、長政と鷺山が入る。
秀政は余計な前置きをせず、先ほどのやり取りをそのまま伝えた。
政親が松永に仕掛けた構図、そして今後の流れ。
すべてを、削らず。
話を聞き終えた鷺山が、低く呟く。
「……さすが松次郎。
やることがえげつない」
感心と呆れが混ざった声だった。
だが秀政は、その言葉を受け流さない。
「油断するな」
視線が鋭くなる。
「相手は松永殿だ。
今は頭に血が上っているから、
こちらの思惑通り動いておるだけだ。
だが、何を仕掛けてくるかは分からん」
そこで言葉を区切らず、続ける。
「それに――
我らが素直に本願寺へ向かえば、逆に怪しまれる」
長政が不安げに口を開いた。
「つまり……どう動くのですか?」
秀政は即答する。
「寺へ向かう」
そのまま続ける。
「だが、松永殿に邪魔をされる。
進めぬ。間に合わぬ。
――やむを得ず、本願寺と当たる」
長政の理解が追いつく。
「後手に回る、ということですか」
「そうだ」
秀政は頷く。
「こういう計略もあると知っておけ。
勝つために先を取るのではない。
相手に“先を取らせている”と錯覚させて躍らせる」
鷺山が小さく笑った。
「化かし合い、か」
「その通りだ」
その時だった。
小母衣衆が慌てて駆け込んでくる。
「申し上げます!」
「申せ」
「芝城、田原城、井戸城、片岡城、
高田城、布施城に向かった安乗殿の軍勢――
悉く松永様に先んじられ、
全ての支城を奪われました!」
報告を終えると、すぐに下がる。
その背を見送りながら、鷺山が舌打ちした。
「えぇい、不甲斐ない。
安乗は義父上の勧めで新たに入れた足軽大将であったな。
なんと要領が悪い!」
だが秀政は笑った。
「玄蕃」
静かに呼ぶ。
「先ほど、後手に回ると言うたばかりだろうが」
鷺山の表情が止まる。
秀政は続ける。
「浅野は人を見る。
あいつが選んだ男に間違いはない」
少しだけ口元が歪む。
「安乗は、望み通りにやりきった。
わざと負け続ける――それは簡単ではない。
なかなかの統率だぞ」
「……は?」
鷺山が目を丸くする。
「では、城を譲ったのは――」
「想定通りだ」
秀政は断言する。
「大和はどうせ信雄様と信孝様の物となる。
取ったところで、いずれ取り上げられる」
さらに続ける。
「あれらの城は寺社の荘園にも近い。
刺激するだろうな。
それに守るために兵を割く必要がある。
得るものは何もない」
長政の顔に理解が浮かぶ。
「……そういうことですか」
「そうだ」
秀政は頷く。
「我らに必要なのは、
駐屯できる拠点と、補給線を繋ぐ城だけだ。
つまり、ここ、郡山城と福住城だけで十分なのだ」
そして視線を外へ向ける。
「だが松永殿は違う。
元々大和に対する並々ならぬ執念をお持ちだ。
そしてあれだけの支城を得れば、どうなると思う」
長政が考え、答える。
「……大和の主になります」
「結果的にそれを目指す」
秀政は即座に肯定した。
「城を押さえれば、政治の中心は移る。
だがな、必要な物がある――正当性だ」
そこで言葉を切らず、続ける。
「殿から大和支配の許しを得ねばならぬ。
決して許しはおりぬと我らは知っておるがな」
秀政は言い切る。
「政親の“あの言葉”が効く」
長政の目が見開かれる。
「……だから寺に」
「そうだ」
鷺山が低く唸る。
「武功第一……か」
「元々松永殿は寺に対して、容赦されぬ御仁よ。
場合によっては――
火でもつけるやもな」
秀政は淡々と述べる。
「寺に……」
長政が眉を寄せた。
そこで鷺山が疑問を口にした。
「しかし……大和が手に入るか否かは別にして、
苛烈な仕打ちによって、松永殿の武功は積み上がりますな。
我らの大和攻めが霞んではしまいませぬか?」
その疑問に、秀政は首を振る。
「心配するな。松永殿は武功は積めぬ」
断定する。
「長島を思い出せ。
寺は攻め落とすものではない」
さらに踏み込む。
「削っても、削っても、尽きぬ。
勝っても終わらぬ。
武功どころか、大怪我するだけよ」
沈黙。
その上で結論を置く。
「だからこそ――
戦うなら南都ではなく本願寺だ。
寺は寺でも既に喧嘩しておる。
新しく喧嘩相手を増やす必要はあるまい」
長政はゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
秀政は二人を見た。
「長政、玄蕃」
その声には重みがある。
「計略は知識ではない。
経験だ。
よく見て、よく感じ、そして覚えよ。
お前達も早く知将と恐れられるようになれ」
「「は!」」
二人が頭を下げる。
秀政は静かに言った。
「松永殿の出方を見る」
それは待つという意味ではない。
次の戦が、すでに始まっているという宣言だった。
*
大和は、芋粥、松永、本願寺、南都寺社。
四者が互いを牽制し、動けば即座に均衡が崩れる、緊張の土地となった。
筒井家臣の処遇もまた、二つに割れる。
一つは、芋粥に仕え、伊勢へ移る道。
もう一つは、主家を失ったまま野に下り、それぞれの道を選ぶ道である。
後者に属した者の中には、名の知れた武将も少なくなかった。
島清興、森好之、福住順弘、箸尾高春、井戸良弘、松倉重信。
彼らは昨夜の出来事を“仏罰”として受け入れなかった。
あれは人の業である。
そう判断した者たちは、芋粥の下に入ることを拒む。
新たな主を求め、他国へ去る者。
あるいは大和に留まり、旧領主層として寺社勢力と結び直す者。
だが――。
松永に与する者は、ほとんど現れなかった。
強さは見せつけた。
だが、あまりにも急であり、あまりにも作為が透ける。
そのため松永は、恐れられこそすれ、従われはしなかったのである。
秀政としては、筒井の名ある武将を取り込めなかった点は不本意であった。
だがそれを補って余りある成果もある。
大和の人口の一部を、鈴鹿へ移住させることに成功した。
人はすなわち国力。
城一つよりも、はるかに価値がある。
また筒井城跡から壊れていない鉄砲をいくつか回収し、郡山城の鉄砲と合わせると十七丁の鉄砲も回収出来た。
この遠征は、十分に実りあるものとなっていた。
後は――。
犠牲を抑え、本願寺を撃退する。
筒井を滅ぼし、本願寺を退けた功をもって伊勢へ帰還する。
それが秀政の描く筋である。
では――松永の描く筋は?
*
多聞山城。
久秀は嫡男久通、重臣長頼、
そして多聞衆の忍び頭・辰丸を呼び寄せた。
軍議は静かに始まる。
「芋粥は寺を攻める気でおる」
その前提を置いた上で、久秀は言葉を重ねる。
「だが、寺を攻めるには本願寺が邪魔だ。
ならば――
芋粥を本願寺にぶつける」
視線がわずかに鋭くなる。
「その隙に、儂が寺を叩く」
久通が淡々と問いを返す。
「策はございますか?」
久秀はすぐには答えない。
顎をさすりながら、思考を巡らせる。
その沈黙は長くない。だが、軽くもない。
やがて、口元が歪む。
「芋粥は鬼兵なるものを作ったというな。
あの装束は恐怖を与える。
戦場では有効だ」
そこで言葉を切らず、続ける。
「だが――名が知れすぎるのも考えものよ」
久通がその言葉の真意を探る。
久秀は命じた。
「角の前立て、鬼の頬面、青の鎧を用意せよ。
正確である必要はない。
“鬼兵に見えればよい”」
久通の口元がわずかに上がる。
「なるほど。
多聞衆に着せ、興福寺の荘園を荒らす」
「そうだ」
久秀は頷く。
「芋粥が寺に手をかけたと見せる。
辰丸、出来るな?
神出鬼没に荒らしまわれ」
「御意」
その上で、さらに踏み込む。
「儂は寺社の文体も印判も知っておる。
内部の仕組みもな」
視線が細くなる。
「興福寺の名で偽の密書を作れ。
本願寺へ届ける」
辰丸が低く問う。
「内容は?」
「救援要請だ」
即答だった。
「芋粥に襲われておる。
助けよ――とな」
長頼が口を開く。
「本願寺が偽書と疑う可能性は?」
久秀は笑う。
「相手は知恵者の下間頼廉だ。
間違いなく疑うであろうな」
だが、そのまま言葉を続ける。
「だが問題はそこではない。
本物であった場合を捨てられるか、だ」
その一言で、場の理解が揃う。
「疑っても、捨てられぬ。
もし本物であった場合に見捨てることになる」
久通が静かに言う。
「結果、本願寺は芋粥へ向かう」
「そういうことだ」
久秀は頷く。
「芋粥と本願寺をぶつける。
その間に、我らは動く」
ここで初めて、戦の本命が示される。
「支城を押さえた勢いのまま、寺領へ入る」
「狙いは?」
「年貢蔵だ」
言葉は短いが、意味は重い。
「保護の名目で押さえる。
まずは経済を断つ」
寺は兵ではなく、財で支えられる。
その根を切る。
さらに続ける。
「町衆にも手を入れよ。
寺への物流を止める」
久通が補う。
「春日社の神木、興福寺の仏像も“保護”しましょう」
「うむ」
久秀は即座に応じる。
「そこまでやれば、寺は動かざるを得ぬ」
そして結論を置く。
「我らは保護した。
それにも関わらず、寺が逆らう」
目が細くなる。
「ならば――焼かれても文句はあるまい」
理屈は整った。
戦の大義も、整った。
久通が深く頷く。
「父上。
これで大和が手に入りますな」
久秀は短く答える。
「あぁ」
そして、最後に釘を刺す。
「抜かるなよ」
その一言で、軍議は終わった。




