第十四話 夜襲という答え
坂祝砦。
昼頃、援兵五十は砦へと入った。
柵が立てられた土塁の内には、既に百の兵が守りを固めている。
その中央に立つ男が、一目でそれと分かった。
足軽大将――
安藤弥三郎。
「……よう来たな」
安藤は、秀吉と秀政を一瞥しただけで言った。
「まずは休め。
お前達は明日から、わしの指示に従って東を守れ。
それでよいな」
「はっ」
形式的な返答だけが返る。
安藤は二人を見ていなかった。
見ていたのは、後ろに控える五十の兵だった。
秀吉も秀政も場数の少ないひよっこと見ていた。
すぐに敵は退いた。
援兵が入ったことを察したのだろう。
日没と共に、周囲は静まり返った。
「はっはっは!」
安藤が、土塁の上で笑った。
「ようやく今夜は、ゆっくり休めそうじゃ!」
それは、兵に向けた言葉だった。
二人に向けられたものではない。
秀政は、口を開きかけ――やめた。
(こいつは俺達を……信用しておらん)
いや、それ以前だ。
安藤は、俺達を「数」としか見ていない。
(愚かな)
胸の内で、そう吐き捨てる。
(今夜こそ、一番危険だ。
援兵が来て、士気が上がった“直後”の油断。
そして、援兵が移動で疲れた今夜こそが、夜襲の狙い目だ)
だが、それを口にすれば――反発される。
安藤は、そういう男だった。
二人は、半ば追い出されるように持ち場を離れた。
砦の端。
「秀吉」
秀政が、低く言う。
「今夜、必ず夜襲がある」
「……ん?」
秀吉は、わずかに目を細めた。
「なんじゃ、芋。
お前もそう思っとったんか」
「安藤には伝えるか?」
秀吉は、少し考え――肩をすくめた。
「まぁ……一応、伝えておくか」
「秀吉、お前が行け」
「ん? あぁ……気は進まんがな」
*
安藤の詰所。
「夜襲?」
安藤は、鼻で笑った。
「馬鹿を言うな。
援兵が入り、今が一番士気が高い。
敵も馬鹿じゃない。そんな時には来ん。
それに、わしらは連日の戦で限界じゃ」
酒杯を置く。
「今夜は休ませる。
それが将の役目というものよ」
秀吉は、食い下がった。
「ですが――」
「浅はかな若造は、黙って休んどれ」
それで終わりだった。
*
砦の外れ。
秀吉は、諦めた顔で戻ってきた。
「あかん。
ありゃ、小者よ」
秀政は、内心で頷く。
(……だろうな)
オタクの自分ですら名を知らなかった将だ。
現場慣れはしていても、器は見えている。
「秀吉」
「なんじゃ?」
「連れてきた伍の者には悪いが、
今夜は寝ずの番だ」
「あぁ。
気を抜くな、芋」
*
深夜。
闇が、砦を包み込んだ、その時――
「うおおおおお!!」
鬨の声が、夜を裂いた。
「来た!」
秀吉の叫びと同時に――
矢が放たれた。
秀吉と秀政の隊が、合図もなく一斉に射かける。
迫りくる敵が射抜かれてばたばたと倒れる。
奇襲の勢いが、明らかに削がれた。
五十の兵が、死に物狂いで応戦する。
敵の夜襲は――失敗した。
だが、戦は終わっていない。
「夜襲か!?」
遅れて、安藤の本隊が動き出す。
「わしは夜襲を警戒しておったぞ!
無駄口叩かず戦え!」
秀吉と秀政は、冷たい目でそれを見た。
「皆の衆!
夜鼠どもを追い返せ!」
安藤が叫んだ、その瞬間――
ズドンッ!
轟音。
次の瞬間、秀政の顔に、血が浴びせられた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
安藤弥三郎は――
頭を撃ち抜かれて、倒れていた。
……その血だ。
「て、鉄砲!?」
秀吉が叫ぶ。
二人は、咄嗟に板盾の陰へ飛び込んだ。
「まずいぞ……」
その通りだった。
織田方の動きが、電池が切れたかのように、一斉に止まる。
「……足軽はな」
秀吉が、歯噛みする。
「実は命じられねば、何も動けん。
矢を射る、槍を振る。
ただそれすらも命がなければ動けんのじゃ」
秀吉の言う通りだった。
足軽は戦場に立つと思考を捨てる。
上の者の言う事を黙って聞く。
それが生き残る最良策だと骨身に染み込ませている。
だからこそ、上が折れると脆い。
その証拠に、兵達は混乱しながら、
次の指示を待つ。
それは足軽組頭でも同じだ。
残った両長は安藤の指揮を失い――立ち尽くしていた。
ズドンッ!
再び銃声。
両長の一人が、頭を大きく振り、血をまき散らしながら糸が切れた人形のように倒れる。
また頭を撃ち抜かれた。
恐怖が、瞬時に伝播する。
伍長。
兵。
全てが――凍りついた。
もはや本人の頭では何も考えられないだろう。
「……これが」
秀政が、吐き捨てる。
「将を失う、ということか」
「そうじゃ」
秀吉が、苦い顔で頷く。
その時――
秀政が、立ち上がった。
「織田の勇士よ!
うろたえるな!」
夜闇に、声が響く。
「安藤卒長は討ち死になされた!
だが心配には及ばん!
ここには、木下藤吉郎がおる!」
秀吉が、目を剥いた。
「藤吉郎は勝山砦にて、二百を率い、
五百を討ち取った名将じゃ!」
「は!? 勝山!?」
秀吉が小声で呟く。
「藤吉郎が代理卒長として指揮を引き継ぐ!
矢を撃て! 怯むな!
まだ負けてもおらんぞ!」
兵が――動いた。
再び矢を放ち、迫りくる敵兵に槍を突き立てた。
その瞬間。
秀吉が、秀政の胴丸の帯を持って引き倒した。
ズドンッ!
銃弾が、秀政の頭のあった場所を抜ける。
「おわ?!秀吉……助かったぞ」
「気ぃつけぇ。
敵の鉄砲足軽、腕が立つ」
秀吉は、板盾越しに叫んだ。
そして秀政をみてにやりと笑った。
(お前の策に乗ってやる)
そんな顔だ。
「わしが木下藤吉郎じゃ!
この夜襲、勝山に比べたら児戯よ!
暗うて、よぉわからんが敵は百にも満たん!」
(三百はおるぞ……まあいい)
「あまりに他愛なさ過ぎて、わしゃあ
糞垂れながら采配しとるで。
それでも余裕だぎゃあ!
これくらいで何を慌てとる、お前ら!
放て! 突け!」
「「おおおお!!」」
鬨の声が、砦を揺らした。
それを見届けると秀政は、急に立ち上がり、
林を指さした。
「あそこだ!
鉄砲足軽が潜んどる!」
狙われた時に見つけた。
そして叫ぶと同時にしゃがむ。
ズドンッ!
再び、銃声。
それが空を切る。
どうやら敵には鉄砲は一丁しかない。
これなら撃たれたすぐは安心だ。
再び立ち上がって叫ぶ。
「今だ!
あの鉄砲足軽に矢を浴びせよ!
最初に当てた者に、
あの種子島を褒美として与える!」
織田方の弓兵の目の色が変わる。
一斉射。
鉄砲足軽は、針鼠のようになって倒れた。
「よし……!
これで狙われんぞ」
秀吉が、叫ぶ。
「反撃開始じゃあ!!」
*
夜は、長かった。
だが――砦は落ちなかった。
地の利と、必死の応戦。
夜襲は、失敗に終わった。
そしてその夜――
砦は、静かに“主”を変えていた。
*
夜が、明けた。
東の空が白み、
砦の中に、ようやく静けさが戻る。
秀政は、土塁の下を歩いた。
倒れた兵。
血に濡れた槍。
折れた弓。
数えなくても、分かる。
――半分だ。
連れてきた五十のうち、
生き残ったのは、半数ほど。
夜襲警戒のため、最前線に立った彼らは
安藤の死の空白中に多大な被害を受けた。
もし立て直しが遅れていたら、
その犠牲者はもっと増えただろう。
伍長たちの姿を探す。
年配の古兵は、生きていた。
だが――
百姓上がりの若者。
目つきの鋭かった無口な男。
二人の姿は、もうなかった。
秀政は、拳を握りしめた。
「……すまんな」
低い声だった。
「生きて帰すと言ったが、
叶わんかった」
年配の伍長が、首を振る。
「いや。
あんたのおかげで、
これだけで済んだんじゃ」
そう言って、空を見上げた。
「若い者が、
わしより先に死んでいくのは、
これまで何度も見てきた」
一拍、置く。
「今回は……少ない方じゃ」
「……そうか」
秀政は、それ以上言えなかった。
(死ぬ者が出るのは、仕方ない)
それが戦だ。
だが――
(それを、減らすことができるのが将だ)
視線を、少し離れた場所へ向ける。
安藤弥三郎の亡骸が、
粗末な布をかけられて横たえられていた。
昨夜まで、
この砦の“主”だった男。
(俺は……ああはならん)
そう、静かに思う。
だが同時に、はっきりと理解した。
(組頭では、限界がある)
命令を出せる数。
声が届く範囲。
背負える責任。
それら全てに、壁がある。
(早く――)
胸の内で、言葉を結ぶ。
(秀吉を。
そして俺を、
早く大将にしなければならん)
誰かを守るためではない。
――死ぬ数を減らすために。
秀政は、朝日に照らされる砦を見上げた。
ここで、学んだ。
砦を守るということ。
伍を預かるということ。
そして――
将を失うということの、重さを。
静かに、息を吐く。
戦は、まだ始まったばかりだった。




