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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第八章 伊勢太守編(国作り編)

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第百二十四話 滅びの前に

天正二年十一月下旬。


北畠館。


重苦しい空気が、座敷に沈んでいた。


誰も口を開かない。


いや――

開けば何かが壊れる。


そんな張り詰めた静けさ。


その均衡を――

叩き割る音が裂いた。


――バキン。


具教の拳が、脇息を砕いた。


木片が畳に散る。


誰も動かない。


「……なぜだ?」


低く、押し殺した声。


だが、その奥にあるのは怒りではない。


苛立ち。


そして――分からなさ。


「なぜ、こうも裏目に出る」


返す者はいない。


具教は立ち上がる。


「田丸も鳥羽も奪われた」


短く言い捨てる。


「海は押さえていた。


 水軍も出した。


 迎え撃つ手も、打っていた」


一歩。


「だが――」


歯を食いしばる。


「すべて外れた」


静まり返る。


「これまでの戦もだ!


 出れば、外される。


 動けば、先を取られる。


 守れば、別のところを突かれる」


言葉が重なる。


「なぜだ」


誰も答えない。


答えられない。


「こちらは間違っておらぬ」


その声に、わずかな揺らぎがある。


「読みも、備えも、誤ってはおらぬはずだ」


具教は顔をしかめる。


「だが……勝てぬ」


ぽつりと落ちる、

重い一言。


具教はゆっくりと視線を巡らせる。


「誰か、説明できるか」


沈黙。


ただの沈黙ではない。


逃げ場のない沈黙。


具教は苛立ちを抑えきれず、足を踏み出す。


「どこで狂った?」


一歩。


「どこで間違えた?」


さらに一歩。


「誰が、何を見落とした?」


誰も答えない。


いや――


誰も“分からない”。


それが、最も重い。


具教はふと動きを止めた。


「……いや」


低く呟く。


「違うな――

 狂っておるのではない」


顔を上げる。


「噛み合わぬのだ」


その言葉に、数人がわずかに顔を上げる。


「こちらが一手打てば、

 向こうはその外を行く。


 常に、一歩先にいる」


それが何なのか。

分からない。


「……なぜだ」


再び、同じ問いをかける。


だが今度は、より低く、より重く。


誰も答えない。


具教はゆっくりと腰を下ろす。


壊れた脇息には、もう触れない。


「財も削られている」


ぽつりと述べる。


「具房が立て直したはずの蔵が、

 また空になりつつある」


現実が積み重なる。


「兵を動かせば金が減る。


 待っているだけでは、

 敵は強大になる一方だ。


 今動かねば、いずれ詰む――

 動かざるを得ない」


誰も顔を上げない。


「民も……」


言いかけて、止まる。


だが、言わずとも分かる。


「……流れているな」


小さく呟く。


「勝つ方へ」


その一言で、空気が冷える。


「そして……国衆もだ」


視線が鋭くなる。


「揺れておる」


否定できない。


田丸、鳥羽が落ちた。


それがすべてだった。


具教は目を閉じる。


(分からぬ。

 何が違う。

 何が足りぬ)


ゆっくりと目を開く。


そこにあるのは、怒りではない。


ただ――焦燥のみ。


「……何だ」


絞り出すように。


「何が、違う?」


答えはない。


ただ沈黙だけが、返る。


その沈黙こそが――

北畠の崩れ始めを示していた。



南伊勢には政親が放った伊賀忍者が、

既に村々へ溶け込んでいる。


政親はそもそも田丸がいた頃から、

北畠を後継問題で荒らす気でいた。


どう転んでも良いように、

忍びは手配していた。


鷺山に恩を売るため、

その指揮権を渡した。


北畠は初めから芋粥の掌の上で、

踊っているに過ぎない



桑名城。


夜。


灯りは一つ。


静まり返った一室で、

政親は地図を見ていた。


障子が静かに開く。


神崎が入る。


「お呼びで?」


政親は視線を落としたまま言う。


「……伊賀はまだ使えぬな?」


「はい。

 南伊勢での指揮権は、鷺山殿に渡したままです。

 新たな使用は許されておりませぬ」


「そうか」


短く答える。


「ならば――

 甲賀を使う」


神崎の目がわずかに細まる。


「私の配下を?」


「そうだ。使えるな?」


「はい」


即答。


政親は地図の一点を指でなぞる。


志摩。


「志摩は、もう終わる」


神崎は黙って聞く。


「九鬼が動く。

 芋粥と組んでだ。


 そうなれば、海は塞がれる。


 志摩は芋粥が手に入れる」


言い切る。


「その流れで――

 間違いなく志摩の北畠は討たれる」


静かに、

だが、断定する。


「拾いたい者がいる」


政親は呟くように言う。

神崎は何も言わない。


続きを待つ。


「志摩が平定される前に――

 保護したい」


神崎が問う。


「誰を?」


政親は視線を地図から外さない。


「北畠教高」


政親が聞き慣れぬ名を告げた。

だが神崎は動じない。


「何者ですか?」


「本家に近い分家筋だ」


続ける。


「具教の従兄弟だ。


 三親等。


 偏諱を受けるに足る血だ」


神崎が頷く。


「……それは重い」


「うむ」


さらに続ける。


「今は志摩・英虞郡に館を持っている。

 家政を担う家柄だ」


短く続ける。


「北畠の血は絶やすには惜しい」


沈黙。


「その血を、一つ“だけ”残す」


「どう使うので?」


「教高には娘がいる」


神崎の視線がわずかに動く。


「名は御影――


 これを拾う」


神崎が低く問う。


「……拾って、どうされる?」


政親は迷いなく答える。


「娶る」


沈黙。


一瞬だけ、空気が止まる。


「北畠が滅びた後――」


言葉を重ねる。


「教高以外の近縁はすべて消す」


淡々と続ける。


「そして名跡は俺が残す」


その意味を、神崎は理解する。


「空いた北畠の名跡に俺が入る」


「大殿は許しますか?

 あれは茶筅丸の名跡では?」


「あの者は一度失敗した。

 そして今の伊勢は義兄上の物だ。


 この北畠の乱は茶筅丸の不手際が原因だ。

 今更恥じて北畠を名乗れまい。


 現状で一番良いのは私が名跡を継ぐことだ。


 芋粥の伊勢の支配が安定する」


静かに言い切る。


「千種は……」


神崎が問う。


「どうされる?」


「もちろん捨てぬ」


即答。


「一時、離れるだけだ」


地図を指でなぞる。


「俺に嫡男が生まれれば千種に戻す。


 次男が生まれれば、

 俺の代わりに北畠に入れる。


 俺は千種を優先する」


神崎の目がわずかに細まる。


「……二つとも取るか」


「当然だ」


一切の揺らぎなし。


「名は力だ。


 残る名は、すべて使う。


 俺が欲しいのは北畠ではない。

 

 官位だ」


静寂。


政親はさらに続ける。


「義兄上は従五位下・備前守、


 ゆえに従五位上・伊勢守にはなれぬ」


再び神崎は黙って聞く。


「従五位下・伊勢介にはなれる」


神崎がわずかに笑う。


「朝廷……ですな?」


「うむ」


政親は頷く。


「それもあるが、むしろ外交だ。


 着ている服でさえ、

 人としての価値を判断される。


 馬鹿らしい。

 少し着飾れば、それだけで大物扱いだ。

 逆に襤褸を纏えば話しかけても貰えん。


 それと同じだ。

 

 官位があるだけで、

 態度を変える馬鹿は実に多い。


 そして、そういう馬鹿ほど、

 武家では力を持っていたりする。


 人の価値とは高々そういうものだ。


 俺は官位を得て、

 俺しか出来ん仕事を作る。」


武や政ではなく、芋粥家の外との繋がりを握る。


「最近、義兄上は俺を外し始めた。


 俺ほど芋粥の未来を真剣に考えている者はおらぬというに。


 少々万丸のことでうるさく言い過ぎたやもしれん。


 だがこれで良いのだ。


 義兄上は後継を白紙に戻すと言うた。


 今はそれで良い。


 継ぐのは松丸君なのだからな。


 そのため、俺は外交を握る。

 芋粥の中での俺の立ち位置は外交だ。

 

 少しでも義兄上や松丸君の御為になるために」


沈黙。


神崎が問う。


「……急ぎますか?」


「急げ」


即答。


「志摩が落ちれば、間に合わぬ。


 他に適齢の娘はおらん。

 計画が狂う。


 失敗は許さん」


「は!」


すぐに神崎は配下の甲賀者を呼んで命じた。


「義兄上は、北畠を一年ほど放置するつもりであったようだが……


 鷺山が想定より早い」


淡々と続ける。


「このままでは、北畠は一年持たぬ」


静かに言い切る。


「滅びる」


その言葉に、感情はない。


ただの事実。


「具教も、具房の子も、

 そこで斬られるだろう。


 主だった北畠もな」


「はい」


「そこで生き延びそうな北畠の枝を、全て刈れ」


神崎が眉をしかめる。


「承知しました。

 配下の甲賀者にそれも伝えておきます」


神崎は音もなく退く。


障子が閉まる。


静寂。


政親は一人、地図を見つめる。


志摩。


北畠。


そして――その先。


「……遅れるな」


小さく呟く。


それは命を救うためではない。


価値を逃さぬための、ただそれだけの言葉だった

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― 新着の感想 ―
また政親くんの陰謀()ターン始まっちゃいましたか この辺は後の断末魔にだけ期待して流し読みさせて頂きます…
信長って嫡男以外の扱いは雑だから認められそうかな
銀英伝オーベルシュタインみたいですね。私欲がだいぶ多いですが。甲賀の動きを伊賀も察知しているだろうから、その後の芋粥家の内紛に繋がらないと良いのだけど。
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