第百二十話 土の腹
天正二年十月末。
三ヶ月が経とうとしていた。
治水と人口流入政策が功を奏し、
新田開墾が二百町ほどになろうとしていた。
南條が興奮しながら報告する。
「この調子なら鈴鹿一帯の農地区画を、
今年中にも開墾できそうです。
ざっと見積もっても五百町から八百町にも、
なろうかと」
秀政も満足そうにその報告を聞き、問いかけた。
「二百町か、新田の最初は何石になる?」
「そうですな、新田は安定しませんので、
千石ほどかと。
最終的には二千石にはなります」
「そんなものか」
南條は一歩乗り出して再び提案する。
「殿、ご案じめさるな。
この開墾の勢いは本物でござる。
鈴鹿郡は木曾殿により、
区画がしっかりと区切られており、
これ以上は田は増やせませんが、
次は河曲郡に広げましょう。
鈴鹿川の水利を使って新田開発がしやすく、
鈴鹿の腹を支える米どころにできます」
「分かった、実施してくれ」
秀政はそう伝えつつも、全力で記憶を探っていた。
(確か昔、農業についても本を読んだ気がする。
即時的に効果があるのは二毛作だ。
一町あたりでも二から四石は増える。
開墾より圧倒的に速い。
だが……。伊勢は一度土地が荒れている。
新田も土が痩せている。
ここで二毛作をしても、収穫はあまり望めず、
地力が落ちる)
「殿?いかがなされました?」
「南條、少し黙ってくれ。
今、考えを整理しておる」
「あ、はい」
(肥料が足りない。
この時代では知識がないだろうが、
肥料の原理は窒素(N)、リン(P)、カリウム(K)の三要素NPKだ。
これをどう伝えればいい?
肥料をしっかり与えれば新田でも二毛作できよう。
Nか。確かマメ科の緑肥だな。
勝手に地力が増える。
あとは下肥(人糞)の回収システムを上手く作れば。
幸い鈴鹿には一気に人が増えた。
その便所を利用して集めて発酵させれば……。
窒素量が二倍にも三倍にもなるだろう。
病原菌が減り、臭いも軽減される効果もある。
家畜を飼わせるのもありだな。
厩肥は窒素の塊だ。
Pか。
確か骨粉だったな。
鈴鹿は魚をよく食べる。
骨を捨てさせないようにしないとな。
家畜の骨も使えるだろう。
かまどの灰も集めさせよう。
Kは……。
木灰を撒くのは今でもやっているようだが、まだ足りぬか。
海藻や海泥が良いんだったな。
鈴鹿には海がある。
このNPKを普及させれば、新田でも荒田でも二毛作ができるだろう)
「南條、よく聞け」
「は!」
「土というのはな……腹がある」
「腹、でございますか?」
「そうだ。
腹が減った土に種をまいても、稲は弱る。
まずは土の腹を満たす仕組みを作る」
秀政は自分の腹をさすりながら続ける。
「まず一つ目だ。
田の周りに“豆の草”を植えさせよ。
レンゲでも白詰草でもよい。
あれは土の力を吸い集める草だ。
伸びたら刈らずに倒し、土に混ぜる。
それだけで田が太る」
南條は驚きつつも、必死に覚えようと頷き、紙に書き残す。
「二つ目。
城下の便所から出る汚れを、すべて集める仕組みを作れ。
そのまま撒くな。
穴を掘り、草や藁と混ぜて寝かせる。
月が変わる頃には、臭いも減り、田が喜ぶ肥になる」
「下肥を……集めて寝かせるのですか?」
「そうだ。
村ごとに勝手に撒かせるな。
まとめて扱えば、力が倍にも三倍にもなる」
驚きながら書き残して、必死に覚える。
「三つ目。
魚の骨、獣の骨、家畜の骨――
捨てさせるな。
砕いて田に混ぜよ。
根がよう張る」
南條が目を丸くする。
「骨を……田に?」
「骨は山と海の力を吸うておる。
土に返せば、稲が強うなる」
「四つ目。
かまどの灰を集めよ。
木を燃やした灰は、田の疲れを取る。
稲が倒れにくくなる」
「灰は畑に撒くと聞きますが……
田にも効くのですか」
「効く。
ただし、よう混ぜて使え」
南條が覚書し終わるのを待って秀政は続ける。
「最後に、海の草だ。
白子の浜から海藻を集め、
乾かして砕け。
田に混ぜれば、稲が病に強くなる」
南條は息を呑んだ。
「海の草まで……使えるのですか」
「使える。
土は人と同じよ。
いろいろ食わせれば、強くなる」
秀政は机の上の地図を指し示した。
「南條、これらを“肥の作り方”として村々に広めよ。
理屈は言わずともよい。
やれば分かる。
これを徹底すれば、新田でも荒田でも上田のようになる」
南條は拳を握り、深く頭を下げた。
「承知いたしました!
鈴鹿一円、必ずや太らせてみせます!
いずれは伊勢一国全てに普及させます」
秀政は満足げに頷いた。
(これで土は息を吹き返す。
新田も荒田も、二毛作が可能になる。
鈴鹿の国造りは、ここからが本番だ)
そして南條は覚書を読み直し、必死に記憶しようとしていた。
そこへさらに秀政が指示を出した。
「田というものは、一年に一度しか働かせぬのが常識だな」
「はい。
春に田植え、秋に刈り取り……それが当たり前でございます」
南條は当然のように答える。
この時代、畿内や西日本でも二毛作は存在した。
伊勢でも麦は作るが、田を使った二毛作はほとんど行われていない。
(南條は二毛作のことは知らんだろうな。
この辺りの百姓にもほとんど普及していない)
秀政は静かに首を振った。
「だがな、田は工夫次第で“二度”働かせることができる」
南條の目が大きく開く。
「……二度、でございますか?」
「そうだ。
春に稲を植えて刈り取ったあと、
冬に入る前に、もう一度作物を育てる。
麦でも菜でもよい。
田を休ませず、二度働かせるのだ。」
南條は息を呑んだ。
「そんなことが……本当に可能なのですか?」
「先ほど伝えた肥料を使えばできる」
「夢のようですな。
それが出来るならば、石高は大きく増しますぞ」
「普及させよ」
「は!」
興奮を隠しきれぬまま、南條は退席した。
「よし、これで収入を増やせるな」
そこへ稲生館を守る兵の一人が報告に訪れた。
「殿、鷺山様がお見えでございます」
鷺山がゆっくりと入室する。
見違えるほど凛々しくなっている。
「おぉ、鷺山、よく来た!
南は大丈夫か?」
「はい、この三ヶ月で北畠を三度蹴散らしてやりました。
先日も北畠を追い返したばかりで、そのご報告に参りました。
殿の許しも得ず、好機と見て田丸城を落としました」
秀政は驚いて口を大きく開けた。
「は?」
「敵は逃げ出すのに必死で田丸の守備を忘れておるようでしてな。
ははは、頂いておきました。
今は木造の兵を田丸に入れております。
前線を押し上げました。
事後になりますが、お許しいただけますか?」
「許す、許す」
「ありがとうございます。
今は日根野に任せています。
かなり痛めつけてやりましたのでしばらくは大丈夫です」
「そうか、負けなしの名は本物だな。
お前の成長を嬉しく思うぞ」
「ありがとうございます!」
「今日はそれだけか?
ゆっくり休んでいけ」
「いえ、話は終わりではありませぬ。
鈴鹿の街を大きくするためには、
収入が必要でしょう?」
「ん?そうだな、今は火の車だ」
「良い案があります」
「なんだ?」
「俺に兵二千を追加でお貸しください。
それと白子水軍を。
北畠の鳥羽を落として見せます!」




