第百四話 芋粥流兵站術
秀政はお悠を連れて桑名へ到着した。
海風の強い城である。
二の丸では、井口と松親が出迎えた。
松親がまず姉を見て目を丸くする。
「姉上、どうしてこちらに?」
お悠は胸を張って答えた。
「弥八様は大殿より伊勢惣奉行として兵站を任されました。
私の出番です」
「いや、それはそうですが……」
困惑する松親に、秀政が口を開いた。
「松親、お前はお悠の下について、
実務を指揮してくれ」
「あ、はい」
一瞬言葉に詰まる松親。
その様子を見て、お悠がからかうように言う。
「私の下では不服?」
松親は慌てて首を横に振る。
「滅相もない。
姉上には敵いませぬからな……」
そのやり取りを見て、秀政は小さく笑った。
「明日、内政方針を決める。
南條と荒木、神崎も呼べ。
お悠と松親、
南條、荒木、神崎で方策を考える」
そして井口を見る。
「井口は引き続き軍権を任せる」
「は!」
井口は力強く答え、足早に立ち去った。
その背を見送りながら、秀政は小声で松親を呼ぶ。
「松親」
「はい」
「長島の蹴りをつければ、
俺は織田家の家老格になれるやもしれん」
松親の顔が明るくなる。
「おめでとうございます!」
秀政はしかし、少し曇った顔をした。
「お前にも褒美をやりたいが……」
松親が眉を寄せる。
「蘭は諦めてくれ」
松親は一瞬言葉を失う。
「義兄上、なぜにございます?」
秀政は短く答えた。
「大殿の意向でな。
芋粥と千種屋を結びつけるため、
松太郎と縁組させる」
松親は思わずお悠を見る。
だが、お悠は落ち着いた顔のまま、表情を変えない。
(くそぅ……また大殿か!)
松親の胸中で、信長への不満がさらに膨らむ。
しかし表には出さない。
「……大殿の御意向であれば、
致し方ありません」
静かに頭を下げる。
秀政は続けた。
「すまんな。
その代わり、この長島の論功行賞で、
お前には俺の“政”をやる。
この芋粥家において、
格別の存在である証だ」
松親の目がわずかに見開かれる。
「義兄上の“政”をですか?」
「ああ。
長島にけりを付けた暁には、お前は
千種松次郎政親だ」
(なるほど……。
蘭は惜しいが……
この“政”は家中において大きな意味を持つ)
松親は深く頭を下げた。
「承知しました。
格別のご配慮、痛み入ります。
長島に向けた兵站、
粉骨砕身いたしましょう」
秀政は満足げに頷いた。
「うむ、頼むぞ」
*
翌朝。
桑名城・二の丸の一室に、六人が揃った。
秀政、お悠、松親、南條、荒木、神崎。
机の上には、
政成が南伊勢征伐で引かせた街道図と、
長島周辺の地図が広げられている。
秀政が静かに口を開いた。
「長島攻めの成否は、兵站で決まる。
今日はその方策を詰める。……お悠、頼む」
お悠が頷き、地図の上に手を置いた。
「では、申し上げます。
桑名へ向かう道中、
弥八様と共に街道を見て参りました。
幹の道は良いのですが――長島に近づくほど、道が悪い」
指先が、湿地帯の印をなぞる。
「このままでは、荷車が泥に沈み、進軍が止まります。
そこで、戦の前に“道を直す”ことを提案いたします」
六人の視線が集まる。
お悠は松親の前に地図を押しやった。
「まず、松親。
街道の両脇に排水溝を増やします。
雨が降れば、道はすぐ泥になります。
水を逃がせば、ぬかるみは半減します」
松親が頷く。
「確かに、あの辺りは低地が多い」
「ええ。村ごとに人夫を割り振り、
溝を掘らせてください。
それと――小川にかかる橋はすべて補強します。
荷車が落ちれば、それだけで兵站が止まります」
松親は真剣な顔で答えた。
「排水と橋梁、承りました」
お悠は次に荒木を見る。
「荒木。
長島へ向かう道は一本では危うい。
ぬかるみ、崩落、敵の妨害――
どれか一つで詰まります」
地図の脇道に印を付けていく。
「既存の農道や獣道を繋ぎ、
“迂回路”を複線にします。
荷車が詰まった時、すぐ別筋へ逃がせるように」
荒木は腕を組んで頷いた。
「人夫と案内役を集めれば、すぐに繋げましょう。
ただ、夜は迷いやすい」
「目印の杭を打ちます。
夜でも迷わぬように」
「承知」
お悠の視線が神崎に移る。
「神崎。
荷車の車輪幅を揃えます」
神崎が目を瞬く。
「揃える、でございますか?」
「はい。
今は商人ごとに車輪の幅も径もばらばら。
これでは轍が乱れ、道がすぐ壊れます」
お悠は一本の線を引いた。
「車輪幅を統一すれば、轍が揃い、
道が長持ちします。
伊勢の商人に対して触れを出し、
荷車の規格を統一させてください」
神崎は深く頷いた。
「規格統一、承りました」
お悠は最後に南條を見る。
「南條。
馬の休憩所を定点配置します」
南條が眉を上げる。
「休憩所、でございますか?」
「はい。
馬は疲れれば速度が落ちます。
一定間隔で水と飼葉を置けば、
輸送速度が安定します」
地図に等間隔で印が打たれる。
「この三か所に休憩所を設け、交代馬も置きます。
兵站の“息切れ”を防ぎます」
南條は感心したように頷いた。
「なるほど……承知いたしました」
お悠が一通り説明を終えると、秀政が前に出た。
「よくやった、お悠。
これで“ぬかるみで進軍が遅れる”という愚は完全に潰せる」
秀政は六人を見渡す。
「長島攻めは、兵站が勝敗を決める。
お前たちの働きが、織田家の命運を左右する。
頼んだぞ」
六人が一斉に頭を下げた。
「はっ!」
秀政が一呼吸おいて続けた。
「続けて、港湾だ」
お悠が地図をめくり、桑名湊の図を広げる。
海風の強い土地らしく、
潮の流れや浅瀬の印が細かく記されている。
「南條、ここからはあなたの出番です」
南條が姿勢を正す。
「は」
お悠は湊の入口を指で押さえた。
「まず、湊の拡張を段階的に行います。
長島攻めでは、陸路だけでなく海路も使います。
荷を運ぶ道が多いほど、兵站は強くなる」
南條が地図を覗き込む。
「この浅瀬を削るのですか?」
「ええ。
まずはここを浚渫し、船の出入りを増やします。
次に――倉庫を三つに分けます」
お悠は倉庫群に三本の線を引いた。
「兵糧、武具、火薬。
混ぜれば混乱します。
火薬は湿気を嫌いますから、
最も風通しの良い倉庫に」
南條が深く頷く。
「承知」
お悠はさらに、湊の岸壁に印を付けていく。
「船着場も分けます。
大型船用と小型船用。
混ぜると衝突し、荷の積み下ろしが遅れます」
「なるほど……」
「そして――
九鬼水軍と白子水軍が停泊できる軍港を増設します。
この二つの水軍が揃えば、長島は海から封じられます」
南條の目がわずかに光る。
「水軍の常駐場所を作るのですね」
「はい。
彼らが“いつでも動ける”状態を作るのです」
お悠は湊の入口に大きく×印を付けた。
「荒木、あなたにも手伝ってもらいます。
湊の出入りを“検問制”にします。
門徒の密輸を遮断するためです。
荷の出入りはすべて記録し、
怪しい船は即座に止める」
荒木は表情を引き締めた。
「湊の治安は、こちらで預かりましょう」
「お願いします」
そして最後に、お悠は湊の周囲を円で囲んだ。
「最後に――湊の周囲に“兵站宿場町”を作ります。
商人を誘致し、荷の集積地にするのです。
兵站は、物が集まる場所が強いほど安定します」
南條は深く頭を下げた。
「湊の整備、すべて承りました。
急ぎ取り掛かります」
沈黙が続く。
秀政は地図を見つめ、低く呟いた。
(攻略に三ヶ月かかるとしたら……
四千トンくらいか)
「……七万の兵糧を、今から保管するのは無理だな」
松親が静かに続ける。
「それだけの量であれば備蓄するだけでも、
大変ですね」
秀政は指先で地図を叩いた。
「まず、兵糧蔵を巨大にすれば、
火災や水害で一度に失う。
だから蔵は小さく分けるべきだ。だが――」
秀政は眉を寄せる。
「小蔵を増やせば、管理が増える。
鍵も帳簿も、人手も要る。
武家がやれば、手間ばかり増える」
南條が頷く。
「確かに……」
秀政は続けた。
「次に、尾張・美濃・近江から段階的に兵糧を、
買い付ける、運ぶ。
これも正しい。だが――」
秀政は街道を指でなぞる。
「どこからどれだけ来るか、どの道を通るか、
馬の疲れ、荷の量……調整が膨大だ。
戦に追われる今の芋粥では処理しきれん」
神崎が小さく息を呑む。
「……確かに。
家臣のほとんどは滝川様と共に、
長島対策に追われています」
秀政はさらに続ける。
「徴発も“定量”で行うべきだ。
村を荒らせば次の月に兵糧が出ない。
だが、村ごとの収穫量を把握し、余剰を計算し、
次の月の見込みまで読むとなれば――」
秀政は苦笑した。
「これもまた、今の芋粥がやるには荷が重い」
荒木が腕を組む。
「つまり、正しい策ほど、我らの手間が増える……」
秀政は頷いた。
「そうだ。
兵糧蔵の分散も、段階的輸送も、
定量徴発も、どれも正しい。
だが、我らがやれば“手間の山”になる」
そこで秀政の目が鋭く光った。
「――ならば、我ら芋粥がやらねばよい」
六人が一斉に顔を上げる。
秀政は静かに言った。
「兵站は“戦”ではない。“商い”だ。
ならば、商人に任せるのが最も早い」
お悠が息を呑む。
「弥八様……!」
秀政は続けた。
「こういう仕事は商人が得意だ。
だからと言って、
従来の商人に“協力させる”のではない。
金を払って“商売として責任もってやらせる”のだ」
(民間委託という奴だ)
秀政が一拍置いて皆を見渡し、続けた。
「千種屋を買い付けの総元締めとする。
小規模な伊勢商人たちを下請けに付け、
尾張・美濃・近江を繋ぐ兵站網を作らせる。
小蔵の管理も、段階的な仕入れも、
村ごとの余剰把握も――
すべて商人の得意分野だ」
松親が驚きの声を漏らす。
「兵站を……民に委ねるのですか?」
秀政は頷いた。
「商人がやれば、利が生まれる。
金が流れる以上、
それは商売だ。
信用を賭けた作業になる。
それならば、任せられる」
南條が深く頭を下げた。
「……理に適っております」
秀政は六人を見渡した。
「七万の兵糧は、一度に積むのではない。
分けて運び、分けて蓄え、分けて管理する。
その手間を、すべて商人に任せる。
これこそが芋粥流兵站術だ」
六人が一斉に頭を下げた。
「はっ!」
秀政は満足げに頷いた。
「動くぞ。
千種屋を呼べ。
我が芋粥は兵站を“商い”として回すことで、
この大仕事を成し遂げるのだ」
お悠が尊敬の眼差しで秀政を見つめ、
口を開いた。
「弥八様、その管理を私にお任せください。
千種屋を使って、
兵糧の出入りを“帳簿化”、
兵站蔵の在庫を“日次管理”、
これらを徹底させます。
そして兵糧の腐敗・紛失をなくし、
兵站の“予備線”を複数用意させます」
「うむ、千種屋とお悠の管理が合わされば、
鬼に金棒よ。
任せたぞ」
「はい!」
こうして、九月の長島大戦に向けて着々と準備が進む。




