5-3
小型の飛空艇が見えた。
「ふん、やっと来たか」
飛空艇は高度を下げながらこちらへやって来る。そしてあたしたちの前の地面に着陸した。
現れたのは二人だった。
レイトとダレイオスさんだった。
レイト……生きていたんだ。
でもその顔色は良くない。
「レイト様、くれぐれも無理はなさらないように」
胸にあるはずの傷は服に隠れて見えない。
新しい剣を杖代わりにしながら、何とか飛空艇から降りた。
「愚弟よ、今さら何しに来た? 王族専用機がこっちに来るのに気付いて、わざわざ待ってやってたんだ。乗ってるやつはレイト以外にありえないからな」
「言いたいことがあった」
「言いたいこと? なんだそれは??」
フーガは心底不思議そうに聞き返した。
レイトはあたしへ向く。そして一歩一歩ゆっくりとした足取りで近づいてくる。
「まあいいさ。遺言くらい好きに言わせてやる」
「ゆ、遺言?」
あたしは聞く。
「ああ。愚弟は死ぬことになったからな……マーシャの父の代わりだ。誰かが必ず責任を取る必要があるということだ。マーシャの父親が犯人ではないということになったから、レイトにしようと思ったんだ。
理由はそうだなぁ……兄ばかり優遇する王への怒りとかいいんじゃないか? 俺は加護持ちで周りから期待されていたが、お前は何もなかった。剣を振って対抗していたようだが俺の加護に比べれば数段落ちる。そんな現実に絶望し、王へ怒りをぶつけた。そして勢い余って殺してしまった」
「そも、そも……俺がこのまま生き永らえられるかは微妙なところだけどっ。ダレイオスさん曰く、完治する可能性は10%もないって言ってたし」
レイトは死にそうになりながら言葉を紡ぐ。
確かにそうだ。
あのときのレイトは致命傷だったはずだ。それなのにまだ生きてるなんて、ちょうど運良くすぐにダレイオスさんに助けられたとしか考えられない。宮廷医師筆頭のダレイオスさんならばあの致命傷でも命をつなぎとめられるかもしれない。
「でもさっ、マーシャ。死ぬ直前になって気付くこともあるんだ」
レイトはあたしの目の前に来た。
ミアはわざわざ立ってあたしとレイトと二人きりにしてくれた。
「死ぬなんて……」
あたしの中で黒い何かが渦を巻く。
「大丈夫、マーシャが責任を感じる必要はない。俺が悪いんだ……俺が素直になれなかったから」
風は吹かない。
秋の夜、穏やかな温かさを感じた。
「立って、マーシャ」
レイトに言われ、あたしは立つ。
レイトの瞳はあたしをじっと見つめてくる。
あたしは気恥ずかしくなって、視線をさまよわせた。
「えっと、こんな風に面と向かうのって珍しいかも?」
「マーシャ、こっちを見てくれ」
拒否できない空気を感じて、あたしはレイトを見上げる。
いつにないほど真剣なまなざしがあたしを見抜く。
「伝えたいことがある」
そう言って、レイトは細くゆっくりと息を吐いた。
「俺はマーシャが好きだ」
……?
一瞬何を言われたのか分からなかった。
レイトがあたしを好き?
なんで?
冗談か何かかと思って、今までの流れを思い出そうとする。
えっと……
顔が熱くなる。
あれ? あたしの求める記憶がない。
代わりにあたしの顔はどんどんと熱くなっていく。
ありえない。
絶対に嘘だと思う。
でもレイトの真剣なまなざしがそれを否定してくる。
矛盾。
レイトはあたしのこと嫌いなはずなのに、好きなんて言ってくる。
しかも冗談じゃないっぽいし……
「えっと……」
あたしは言葉が紡げない。
「マーシャ、俺は伝えられただけで満足だ。返事はいい」
レイトのその言葉で、やはりさっきの“好き”が嘘ではないと心に響く。さらに熱が顔に集まるのを感じた。
「もういいか?」
フーガの言葉。
「ああ、兄さん」
「じゃあ、大好きな相手に殺されてもらおうか」
え……
「【マーシャ、レイトを殺せ】」
あ……
命令があたしの体を駆ける。
嫌だ。
心は拒否している。
嫌だ嫌だ嫌だ!
でもなんで?
レイトの眼差しがなぜかとても愛おしく感じる。
その瞳には知性があった。
その瞳には優しさがあった。
そして、その瞳にはあたしへの愛があった。
その三つを内包した眼差しが、あたしの心に衝動を与えてくる。
嫌だ!!
しかし――
――ギギギギギギ
命令があたしの体を縛り付ける。
そして縛られれば縛られるほど、衝動があたしを突き動かそうとしてくる。
嫌だ!!
嫌だ嫌だ嫌だ!!!
あたしの心は叫び散らす。
しかし命令はあたしを縛り付ける。
ぐぐぐぐぐぐ……
「ガアアアアアアアアアアアア!!!」
あたしは自分でも驚くくらいの怨嗟の声を上げていた。
しかし衝動がもう痛いを通り越して、あたしの感覚をすべて奪っていた。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そして第六感。
そのすべてを衝動が塗りつぶし、あたしの思考すら乗っ取る。
ダメ。
もう衝動に耐えられない。
右手に魔力がこもる。
そして手刀となり、レイトの首へと走る。
走っていく。
流れるように、なめらかに。
「あ――」
手刀には何の抵抗もなかった。
それほどまでにレイトは弱っていた。
金髪の頭が宙を舞い、残った体からは噴水のように血が噴き出していく。
あ――――――
あれ――――――
血を吹き出し続けるレイトの体と、宙を舞うレイトの頭。
それは紛れもない現実だった。
「――――――あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ” あ”!!!!!!!!!!!!」
発狂した。
あたしは発狂していた。
喉を殺すほどの叫びだった。
同時に体の中を渦巻いていた黒いモノが一気に沸き上がるのを感じた。
噴き出す!!
すべて黒く染まる。
肌も眼も髪も……
あたしはどうなっているんだ!?
黒いモノが噴き出し続ける。隷属の首輪がピキリと割れた。
後ろから見ると、あたしの背中には真っ黒な翼が右側だけ生えている。
ん?
後ろから?
気付くとあたしはあたしを後ろから見ていた。
世界が止まっている。
パラパラと舞っていた桜の雨は、宙に止まり、誰も何も動かない。
何が起こっている?
宙に停止したレイトの頭は、意外にも穏やかな表情をしていた。
それとは対照的に真っ赤な鮮血は、場違いに明るい。
『魂の世界へようこそ』
突然、美しい女性が現れた。
『わたくしは、桜の女神と呼ばれる存在です』
桜の女神と名乗った女性は、確かに、と思わせるほどの神々しさを放っていた。同時に桜色の長髪から桜を思わせる。なぜか後光を放ち、真っ白な肌に真っ白な服。桜色の髪だけが色を持っていた。
『あたしはどうなってしまったのですか?』
黒いモノが全身から吹き出してしまっている自分を遠くから見た。
本当にどうなってしまったのか。
もしかしたら死んでしまったのか。
『罪を犯した天使の末路です』
桜の女神が悲しそうに言った。
『え、じゃあ、やっぱりあたしは死んじゃうの? じゃない、死んじゃうんですか?』
『ふふ、自然な口調でよろしいのですよ』
女神は微笑んだ。
最高の微笑みだ。
自然と気分が軽くなる。
あたしは言われた通り、
『えっと、で、死んじゃうの?』
と敬語を使わないで尋ねた。
『その口調があなたらしいです。それでですね、質問に答えますと、このままだとあなたは死にます』
『えっ、なんで!?』
反射的にそう言ったけど、この言葉に意味がないことはすぐに気付いた。
『それが罪を犯した天使の末路なのです。ハーフ天使であっても、殺人を犯せば一撃で死んでしまいます……でも安心してください。わたくしが助けておあげましょう』
『ホントに?』
『ええ、その虹のサクラ。それと《剣の加護》。この二つを対価として下されば、死にゆく定めにある彼の命を助けて見せましょう。そうすればあなたの罪は消えますから』
『え! レイトが助かるの!? だったら何でもいい!! 何でもいいから助けてあげてください!!』
自分が言った言葉に、恥ずかしくなる。
別にレイトのことなんて何とも思ってないけどねっ!!
『ふふ、でも良かった。実はこうしてわたくしが顕現するためにもう虹のサクラは使ってしまっていたんですよね。まあ結果オーライですかね? それと一ついいことを教えてあげます。ハーフ天使と人間の子は、もう完全に人間です。天使の要素はなくなります……ですから彼と心置きなく子作りしてもいいんですよ?』
『なっ!? だから違うって!! あたしは別にレイトのことなんて!!』
『ふふ、さあ、お別れの時です。あなたは桜の天使の子です。つまりわたくしにとって孫のような存在です。おばあちゃんは魂の世界から見守っていますよ』
直後、世界が少し跳んだことに気付いた。
レイトが生きている世界に改変された。
そのことにあたしは気付いた。
「あれ? 今俺確実に死んだと思ったけど……」
レイトに抱き着く!
「えへ、レイト」
あたしはレイトの胸に顔をうずくめる。
「どどど、どうしたんだ、マーシャ!? それにその真っ白な翼は何だ!?」
レイトは動揺している。
その反応がすごく嬉しい。
右側だけ生えた翼。それでくるりとレイトの背中を囲む。
その翼は純白だった。
どうやらあたしの体中にあった黒いものはなくなったらしい。レイトがこうしてぴんぴんしている時点で罪は消えたんだ。
「体、悪くない?」
「ん、あれ? なんか絶好調だぞ!」
「えへへ、やっぱりね」
桜の女神様がレイトを助けてくれたんだ。
レイトが笑ってくれる。それが嬉しすぎて嬉しすぎて。
ちょっと変なことしちゃうかも?
あたしはレイトの頬にキスをした。
「あっ、でも勘違いしてないでよねっ!? あたしはレイトのことなんて何とも思ってないんだからねっ!?」
夜桜の下、頬を赤く染めたレイトの表情があたしの脳裏に焼き付いた。
春は遠い。長い長い冬を超えた先にしか現れない。
でもそれでもいいんだ。
桜は雪に埋もれる時期があるからこそ、美しく咲く。
あたしたちは神じゃない。
完璧じゃない。
雪に埋もれる桜だ。
だからこそあたしたちは雪を溶かす光に恋い焦がれ、満開に咲いた未来を思うのだ。
完