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その5

 一年という月日はわたしにとって長いものでした。でも、叔母さんやお祖父さんによれば、あっという間だったそうです。そのあっという間にわたしの身長は更に伸び、顔つきも去年に比べて大人びたものになっていると驚かれました。

 わたしとしてはあまり自覚はありません。鏡に映る顔は毎日同じものに見えます。顔色や寝癖なんかで雰囲気は変わりますが、それだけです。でも、この長い一年、ずっと楽しみにしてきたことはありました。月の森に再び来た時には、あの少女と再会するのです。約束はしました。しかし、だからといって会えるかどうかは分かりません。そもそも、彼女は覚えているでしょうか。それに、心配事もありました。あれから一年という月日で、わたしはさらに見聞を広め、あの少女に名前を付けた時よりも賢くなりました。それで分かったことは、思っていた以上に精霊たちの世界は過酷であることと、あの少女と毎日遊べていたことは奇跡であったということでした。

 エフェメラでなくなるように、そうお祖父さんが教えてくれた通り、彼女は待っていてくれているのでしょうか。

 一年後の夏、お祖父さんの家に滞在したその初日に、わたしはあの場所へと向かいました。一年前と変わらないまま存在しているのでしょうか。わたしはどきどきしながら、森を歩き、歌を歌いました。去年と同じあの唄です。返答を期待しましたが、一向に返ってくる気配はありません。それでも、諦めずにわたしはあの場所へと向かったのです。

 水汲みの道からそれた先、草木の生い茂る森にて変わらぬままの光景はあまりないでしょう。一年前の夏、精霊の少女がいつも座っていた切り株にも、新しい芽やキノコがたくさん生えていました。生い茂る草花も去年のものに似ていながら何か違う。しかし、そんなことよりもずっとわたしの目を引いたのは、大きな変化でした。


「これは……」


 記憶をたどる限り、この場所は切り株以外に目立ったもののないやや開けた空間でした。取り囲む木々はどれも似通っていて、取り立てて述べるほどの特徴はありません。しかし、今、わたしの視界には見慣れぬ気が一本生えています。その木は、見るからに異質なものでした。まるで、人のような姿をしているのです。しかし、決して不気味ではなく、美しい精霊がそのまま樹木になってしまったかのように神秘的な姿をしていました。

 本当に美しい。こんな木は初めて観ました。

 ふと、わたしは我に返りました。変わった木の前に、立ち尽くしている人物がひとり。後ろ姿だけでわたしには分かりました。彼女は人間ではない。人間以外の特有の雰囲気がありました。その背中に向かって、わたしは名前を呼びました。去年、ここで別れた少女に贈ったあの名前です。すると、彼女は振り返りました。ゆっくりと、振り返り、わたしをじっと見つめました。その顔を見て、わたしは少し驚きました。


 ――彼女じゃない。


 そう、そこにいたのは別人でした。わたしと友達になったあの人ではなく、あの人に少し似ている別の少女だったのです。同じ種族の別人でしょう。戸惑っていると、彼女の方が口を開きました。


「その名前、どうして知っているの?」


 問いかけられて、わたしは慌てて訊ね返してしまいました。


「彼女と知り合いなの?」


 すると、少女は首を傾げてから答えてくれました。


「知り合いというか、お姉さんなの。未熟なわたし達を見守ってくれている。頼れる大人なの」


 妹ということでしょうか。わたしは恐る恐る彼女に近づき、ゆっくりと名乗りました。


「この名前、わたしが友達の為に考えたの。去年の夏の思い出を象徴する名前で……」


 すると、少女は突然、わたしの名前を呟きました。驚いた様子のわたしを見て、少女は微かな笑みを浮かべて言いました。


「そう。あなたがあの人のお友達なのね」


 そして、彼女は丁寧にお辞儀をしました。


「わたしはあの人に頼まれたの。ここにあなたが来たら、ぜひ伝えて欲しいって」

「伝える?」

「ええ、とても残念だけれど、あの人はもうあなたとお話が出来ないの。でも、あなたが来ることをとても楽しみにしていたの。会えてうれしいはずよ。だから、どうか聞いてほしいの」


 ――話せない?


 戸惑いを隠せないまま頷くと、少女は語りだしました。


「『あなたとの出会い、あなたとの思い出、そして、あなたのくれた名前。それが、あたしを特別なものにしてれた。唯一無二の人間の友人は、あたしの誇りでもある。だから、これから先も、あたしにくれた愛を世界に振りまいて欲しい。そして、時々はあたしに会いに来て、前のように色々話してほしい。あたしは答えられないかもしれないけれど、あなたの顔を見て、あなたの声を聴くことを楽しみにしている。また、あの時のように色々なお話を聞かせて欲しい』」


 彼女の言葉を聞いているうちに、わたしはだんだんと理解しました。

 理解すると、少女の笑みが悲し気なものに見えてきました。わたしは震えながら少女に近づきました。いいえ、少女ではありません。少女の後ろに生えている神秘的な木へと近づきました。少女は場所を譲ってくれました。

 見れば見るほど不思議な木でした。まるで人の姿のよう。最後に目にしたあの少女の姿を思い出しました。彼女が少し成長したらこんな姿なのかしら。その想像をそのまま木にしてしまったかのようでした。人のような木。木と人間はだいぶ違うはずなのに、どうしてこんなに似ているのでしょうか。その答えがすぐに分かってしまい、わたしは呆然としてしまいました。

 木に触れて見つめていると、少女は言いました。


「わたし達は誰もがこの姿になれるわけではないの」


 静かな声は心地良いものでした。


「多くの精霊は、木にすらなれずに死んでしまう。あの人は特別だった。でも、最初から特別だったんじゃない。あなたのくれた愛が、自分を特別にしたのだって、あの人よく言ってた。あなたが愛をくれた分、あの人も愛を振りまいた。わたしだけじゃないわ。あの人の愛に触れて、温かく育った子はたくさんいたの」


 幹に触れると、不思議と温かく感じました。声は感じられません。それでも、生きている感覚は伝わってきました。言葉はすぐに思いつかず、わたしはそのまま感触ばかりを味わっていました。そんなわたしに少女はさらに教えてくれました。


「あの人は言っていた。精霊と人間の世界は違う。同じ世界に生きていても、同じ時空を体験できない。そんな中で、一人の人間と触れ合えたこと、愛を受け取ることが出来たことは、本当に貴重で、嬉しいことだったって」


 また会って話すことを楽しみにしていました。再会を楽しみにしていました。だから、悲しくないなどとは言えません。声を聴けないこと、表情を見れないこと、共に歩めないことが、こんなにも悲しいなんて。それでも、わたしは考え直しました。精霊の世界は過酷なのです。そんな世界に居ながら、彼女はまだ生きている。生き続け、多くの仲間に慕われている。それはきっと喜ばしいことなのでしょう。


「彼女は、いつから此処に立っているの?」

「冬を越す前よ。わたし達の世代が大人になるよりちょっと前。まだ子どもだったわたし達に、生きるために必要な事、生きるためのコツとなることを教えてくれたあとのことよ。あなたに伝えてと頼まれたのもその時。あれからずっとこの人はこうして立っているの」

「ずっと?」

「ええ、ずっと。だから、お世話になったわたし達は交代で会いに来て、その日にあったことを話すの。彼女はよく聞いてくれるのよ。あなたも話してあげて」


 少女に言われ、わたしは改めて神秘的な木を見つめました。

 これが友人だと言われて、納得できるでしょうか。したくなくとも、納得せざるを得なかったのです。だって、この木はあまりにも美しいのです。その美しさの種類が、一年前にこの場所で抱いた彼女の憧れの姿のものによく似ていたのです。

 わたしは木を見つめ続けました。話しかけて、と少女は言いました。話しかけて欲しい、と伝言もありました。ならば、話しかければ思いは通じるのでしょうか。

 木の声を聴けるのは精霊だけだと聞いています。しかし、わたしはただの人間です。この木が何を思っているのか、わたしにはきっと一生分からないでしょう。それでも、彼女は生きている。こうして、わたしの訪れを待っていてくれたのです。そう思えば、寂しさは少し紛れました。

 大人になったばかりの少女に見守られながら、わたしはゆっくりと友人を見上げ、寄り添いました。温もりなどないはずなのに、やはり温かい気がします。かつて、好きなだけ触れ合う事の出来たものを、再び感じることが出来たような気になりました。


 暖かい。

 これは、気持ち的なものもあるのでしょうか。

 よく分かりません。


 ただ、温かさを感じていると、涙は自然と流れました。寂しいから泣いているのではありません。わたしの心に宿るのは、温かな灯のような感情でした。

 目を閉じると、家で待っているお祖父さんの姿を思い出しました。いつも、日記を読み、お祖母さんとの日々を思い出している淋しそうなその姿。寂しそうだけれど、日記を読むのは止めません。その姿を思い出し、妙に納得しました。今のわたしの気持ちは、あのお祖父さんの抱くものに似ているのかもしれません。

 お祖父さんはかつて言っていました。お祖母さんと過ごした日々を忘れない限り、お祖母さんの生きていた事実は消えない。今のわたしにはよく分かります。あの思い出は、わたしが覚えている限り、消えないのです。名前を唱え、思い出すたびに、思い出は輝き続けるのです。そして、そんな輝きは、今日から先も新しく生み出すことが出来ます。わたしが木となった友人に会いに来るたびに、新しい日々は訪れるのです。友人はもう喋ることが出来ないけれど、確かにここに居ます。彼女と過ごす新しい日々、そして、彼女が繋ぐ新しい縁も、お祖父さんが今も大切にする日記帳のようなものとなるのでしょう。

 木に触れたまま、わたしはあの名前を唱えました。すると、呪文にでもなったかのように、神秘的な木の枝が風もないのに揺れて音をたてました。かつてこの場所で聞いた声が聞こえたようでした。懐かしい感覚が嬉しくて、わたしはうっとりとしながら静かに言いました。


「ただいま」


 風もないのにまたしても、木の枝は揺れました。その美しい光景を、わたしは今日会ったばかりの精霊の少女と二人で眺めました。

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