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番外其ノ三:不器用たちの協奏曲

なんげぇっス。



 血のはねた顔に、表情はない。

 虚ろな瞳からは、温和そうだった彼の感情など、何一つ読み取れなかった。


 私は、彼の名前を呼んだ。

 彼は、こちらを見て微笑んだ。

 一瞬だけその表情に、影をはらみながら。


 降りしきる雨は、やまない。

 地面に、森の木々に、私達の体にぶつかる水滴。

 耳を打つ音は、一帯に散らばる一面の死体にも叩きつけられる。


 たとえどんな曇天であろうと、大地に染み渡る血の色と臭い。


 地獄のような場所に立つ――そんな彼の表情から、私はいつしか目が離せなくなっていた。





 戦後の冒険者ギルドには、ならず者が多い。

 戦時の抑圧から解放された男達の中でも、普通の生活に満足できない輩の多くがこの職業に流れ着く。結果として、その大半が荒れている。なまじ賞金稼ぎとモンスターハンターの混じった職業であるため、腕っ節に自信がない輩は少ないといえる。

 憲兵に捕まるような騒ぎもしょっちゅうだった。

 嘆かわしい限りだ。

 それはたとえ、王都からさほど離れていないこの町でも同様。

 ギルド支部のレストランにて、昼間っから酒を酌み交わしている冒険者たちを見て、私は思わず嘆息した。

 大笑いを続ける男達……、ほとんどが無名であるものの、一部名を知っている相手もいる。勿論、悪い意味で。奥の上座でエールを煽り、がはがは笑っている巨漢は“曲腕のアーノルド”。素行不良気味な冒険者であるものの、打ち立てる成績はここら近辺の冒険者の中では指折りの一人。おかげで噂にも武勇伝にも事欠かない。

 このアーノルドが居座ってから、この町に冒険者が居つくことは少なくなった。周囲の取り巻きが、恐喝まがいのことをして牽制するのだ。王都から流れた若い新人冒険者の大半がここを通る関係上、その仕打ちは痛い。

 何より痛いのは、それを取り締まるべき憲兵がアーノルドの名前にひれ伏してしまっているところだ。

 私は以前、アーノルドと一騎打ちをし、不可侵条約めいたものをつけている。そのため取り巻きが絡んでくることもないが、情報提供されたりすることもないのだった。

 そんなここの支部、寂れたレストランバーに、少年が一人。

 黒っぽい色の髪と瞳。肌は浅黒くはないが、色白ではない、くすんだもの。雄雄しいとはお世辞にも言えない顔立ちに、たくましさを感じられない体格。農夫とかが着ていそうな作業着に、手荷物のバッグとナイフホルスター、日よけのマントをまとっていた。

 なんとも、ちぐはぐな印象を受ける少年だった。

 温和そうな顔立ちは、いかにも温室育ちという印象を受ける。

 立ち振る舞いの慣れてなさからみるに、まだまだ新米だろう。少なくとも、依頼人という風体ではなかった。

 彼は部屋の隅を一目見ると、すぐさまカウンターへ向かって早足に歩き出した。まあ、私でもそうする。そのまま歩いて、端っこに居る私の隣に、一つ席を空けて座った。

「えっと、無料で食べられるものを何か……」

「む、無料? えっと、ミルク一杯くらいでよければ」

 レストランバーのマスターも、少年の言葉に一瞬困惑した。「それでもいいからお願いします」と言って、彼はカウンターに上半身を預ける。……そんなに、お金がないんだろうか。今時、新米の冒険者といえば大抵は数日間飲み食いできるだけの、安全牌として金を持っているものなのだけど。

 しかし貧乏そうな新米相手であっても、絡むことを止めないのがアーノルドの取り巻き立ちの悪い癖だ。

「……ん、何ですか?」

「おい、冒険者は子供のお遊びじゃないんだ。わかってんのか?」

「少なくとも、今月一杯飯にありつけるかあやしいくらいには熟知してるつもりですが何か?」

「お、おう……」

 ……あ、あれ?

 いつもと違うそのやりとりの流れに、私は少年を二度見した。

 いつもならここで、アーノルドのマッドゴブリン退治のための金を出せという流れになるはずなのだが、少年はあろうことか、そこに話題が流れること事態を無自覚に防いだ。

 のみならず。

「いや~、一昨日ギルドに登録したばっかりで、身一つで放り出されたに近いもんだかっ! お金もなければ装備もないってところなんですよね~。このマントだって、実家にあった使い物にならなくなった絨毯を染めて、縫って作ったものだし」

「い、今時そんな訳あるかッ! お前みたいなお坊ちゃんみたいな感じの奴が!」

「まあ私物までは取り上げられなかったので、実家に居た頃の本とかは王都のギルド寮にあるんですけどね~」

「ほ、ほらみろ! なら財布みせろやッ!」

「いいっスよ~」

 のんきな声を出して取り出した財布。それをひったくったチャラチャラした冒険者の男は、中身を見るなり膝をついた。

「他に持ってる私物と言えば、ポーション二つに水筒くらいですかね……。ほら、ポーションって一個で銅貨三十枚でしょ? もともと七十枚くらいしか持ってなくって。で、まあ一昨日ちょっと怪我して、予備も含めて二つ買ったらこの有様だよッ! どうだ笑え!」

 はっはっは、と宣言通り笑う少年。周囲はアーノルドとその取り巻き一同、私、マスター含め全員が困惑するようなものとなっていた。むしろ強気で迫る傲慢さとかより、経済的弱者である少年に対する同情が場を席巻していたと言って良い。

 そして、そんな場の空気をアーノルドの大笑いが破壊した。

「よし、いいだろう。坊主、こっちに来い。今日は美味い飯を食わせてやる」

「あ、アーノルドさんッ!?」

 周囲の驚愕に対して、彼が少年に言った言葉は、意外なものだった。

「駆け出しのころの金欠ってのは、まあ辛いよなぁ。なれない内は仕事も失敗するだろうし、今回くらいは何か食べろ」

「えっと……、恐縮です」

「おう、食べて戦え」

 どうやら少年が迎えている苦難、自分も身に覚えがある事柄だったらしい。

 マスターに大声で注文し、少年を自分達の席に招き入れる。そして、私にも声が掛けられた。

「ついでだ。そこの剣士も一緒に飲もうぜ。新米の前途を願ってな」

「……まあ、ただ飯ならば是非もない」

「おいおい、お前もおごられるつもりかよ。……まあ一人も二人も変わらないが」

 普段あれだけ搾取しているくせに、アーノルドはけちだった。

 しかし今日のアーノルドは、随分と気前が良い。

 やがてその場が、先ほど以上の宴会状態になるのに、そう時間はかからなかった。





 少年の行動は、決してアーノルドに取り入ろうというものではなかった。

 しかし何を気に入ったのか、アーノルドは少年の身の上話を聞いたりして、慰めたりしてやっていた。いつの間にか取り巻きも含めて、少年の激励につとめている有様。外の色が夕暮れを通過して真っ暗闇になっても、まだ終わらない。

 一体どうしてこうなった。

「がっはっはっは! なら坊主、お前、兵士になれなかったから冒険者やるってか! 全く大変だなぁ」

「『お前を養う余裕が家にはないッ!』って両親から宣告された時は、何故か笑えましたよ……。うち、農家だってのに。働き手は多いに越したことはないだろうに」

「そりゃ新入り、お前、前々から厄介払いしたかったんじゃないのか? 親とかが」

「そんなことはないと思いたいけど……。まあ確かに、一家を仕切るような貫禄はないよ? そりゃ、ひょろいし、あんまり身体大きくないし、筋肉だって付いていないし。でもそれ、どうしろってんだよ……」

「肉だ、肉食べろ、肉! そして稼いで、いつか見返してやれ!」

『うん、うん』

 数十人の声が同時に頷く。……先日彼らごろつきモドキを恐がってこの町を逃げるように去った新人たちが、哀れに思えるような光景だった。

 マスターは一人厨房で東奔西走し、普段なら遠巻きに耳を立てているだけの私すら、その輪の中に取り込まれているというのだから、まさに状況は混沌としている。

 酔った男の一人が、私に話しを振った。

「おう、じゃあ新入り、刃物つかってるっていうのなら、この剣士さんに話しを聞け! この人は一月くらい前、アーノルドさんと互角にやりあった猛者だぜぃ!」

「そうだそうだ」「何かいい話でも聞けるんじゃねぇのか?」「あんまり話さないけどな」「無愛想だと結婚できねーぞ?」

 最後の奴、大きなお世話だ。

「えっと……」

 少年もそんなに社交的な性格ではないのか、少し困惑していた。「エース、だったか? 君は」

「あ、はい。あなたは――」

 私は、軽く自己紹介。

「ま、同じテーブルに付いた仲だ。多少のことなら質問に答えてやる」

「ありがとうございます」

 不器用そうではあったが、案外、礼儀正しい少年であるらしかった。

 いや、少年といっても酒が飲める年齢のようだから、法律的には大人なのかもしれないが。

「えっと……。じゃあ――」

 少年はホルスターからナイフを取り出して、ざっくりとしたいろはを私に聞いてきた。

 話しながら、私は彼について聞いた話しを整理する。

 名前はエース。

 出身は、格好から類推したとおり農村部。

 でも案外学があるところを見るに、領民の生活に余裕があるくらい税収が良い土地だったのかもしれない。

 農村出身にしては体躯がひょろく見えるものの、腕を触ったら案外力強かった。

「これくらいの筋力があるなら、そこそこ打たれ強いか?」

「でも、痛いのはあんまり……」

「ならば先制攻撃あるのみだな」

 私もナイフは専門ではないのだが、ざっくりとした部分だけなら闘い方を教えられる。

 距離は超近接仕様。素手より一撃の威力はでかいが、速度と隙がやや劣る。

 こうなると、もう速度と状況に合わせた臨機応変な対応が要になってくるところだ。

「だから、あまり初心者にはおすすめしない武器だな。ちなみに、何故ナイフを?」

「…………一番、安い値段だったから」

「なら、しばらくはそれと付き合っていかなくてはならないな。う~ん、基本的に ナイフは使い分ける武器の一つという感覚が強いかな。お前達はどうだ?」

「サバイバルだな」「動物掻っ捌いたりとか」

 私の言葉に、案外ノリノりで反応する男達だった。

「まあ、そういうことだ。だからこそ、ナイフを主として戦うタイプは少ないといえる。投擲もなれないと使えないし、そうなると使い捨てと同義だからな」

「在庫これ一つしかないんですが、それは……」

「まあ、頑張れ。練習あるのみだ」

 ナイフの達人は、イコール近接戦闘の達人だと言える。状況に合わせてバリアブルに対応する能力が求められるという点で、経験こそが至上の武器の一つかもしれない。

 まあそんなことを言い出せば、大体どの武器にも言えることなのだけれど。

 私の持つ剣だって、この年でアーノルドのような熟練と渡り合えるほどに、長い間付き合い続けてきた代物なのだから。

「後、何かあるか?」

「あー、じゃあ一つだけ。もしどうしても、戦っている相手を倒したくないのに倒さなくちゃならなかったりしたときとか、どういう風に考えたらいいと思います?」

「何だ? その想定は」

「いえ。ほら、報酬の山分けとかでもめたりしたとき、命狙われたりすることも、決してないとは言えないじゃないですか」

 嗚呼、そういうことか。

 私は、彼にこう淡々と述べた。

「その時は、容赦するな。そして何も考えるな。……考えるだけ辛くなる」

 今にして思えば、この時のエースの苦笑いは、どこかいびつなものだったように思う。





 ギルド本部から伝令が来たのは、その翌日だった。

 マッドゴブリン――アーノルドが追っている特殊なモンスターだ。

 通常の鬼族(ゴブリン)と違い、凶暴で理性がなく、三本角のうち真ん中の角が欠けたように欠損しているのが特徴だ。この群れが、この町に押し寄せてきている。

 騎士隊の準備も時間がかかるため、とりあえず足止めをして欲しいという依頼だった。

 これにいきり立つ男達。特に、取り巻きのリーダー格たるチャラチャラした格好の男の気合は、ちょっと、傍から見ていて異常だった。

「……、これって、俺、邪魔っスかね?」

「どうだろうね。まあ、本人に聞くのが一番だとは思うが」

 私とエースとが顔を見合わせていると、アーノルドが大声で点呼をとっていた。

「ここって受付嬢さんとか居ないんですか?」

「逆に聞こう、こうむさくるしい野郎ばかりの場所に、一般的な女子一人が何故やってくるのだろうかと」

「ですよね~……」

 受付は、レストランバーのマスターが兼任していた。

 ちなみに今は支部長も副支部長とかも出払っているらしく、事実上この場を取り仕切っているのはアーノルドに他ならなかった。

 と、そんなエースにリーダー格のチャラチャラした格好の男が話しかけてくる。

「お、おうエース、お前も参加するか? 今回」

「あ、ケイブさん。う~ん…………。ちょっと悩んでますね」

「そうかい」

「……みんな、異様に士気が高いですね」

「まあなー……。人に歴史ありってやつだな」

 ケイブは、周囲を見渡しながらエースと私に語る。

「ここでアーノルドさんと一緒に居る奴等は、大半がマッドゴブリンに仲間や家族を殺されている奴等ばかりだからな」

「それは――」

「……俺は、妹だな。今でこそ冒険者やってるが、昔は兄妹で薬屋やっててな」

 そうは見えない、と言いそうになるのを私はこらえた。

「二年前の、オルコッパンでマッドゴブリン襲撃事件ってあったろ?」

「その時にですか?」

「俺だけじゃなく、ここら辺の奴等はほとんどな」

「……アーノルドさんも」

「いや、あの人はもっと前にらしい。詳しくは……、本人次第だな。まあとにかく、次の周期がここら辺だろうって予想して、あとは数ヶ月張ってたってわけさ。実力不足の奴が居ると危ないから、追い払ったりしてな」

「ふぅん……」

 密かに、少しだけ関心した。

 確かにそういう理由なら、脅迫まがいのことをやって憲兵に捕まらないのも理解できた。それにこういった大規模クエストの場合、メンバーから金を徴収して保険に当てるものだ。そう考えると、アーノルドたちのやっていたことは、あまり褒められた手際ではなかったものの、理にかなっているとは言えた。

 隣を見る。エースは、眉間をつまんで思案しているようだ。

 冒険者としての自分の実力と、新米であること、足手まといになるかもしれないこと。様々な条件を勘案している。普通に判断すれば、参加すべきではない。しかし、話しを効いた上でだと、どうしても情が勝ってしまう部分がある、といったところだろう。

 ――まだまだ青いな。

 自分も若い部類に入るほうだが、まだ彼は覚悟が決まっていない。冒険者として生きるための、腹がくくれていないように思った。聞いた話だと、まだ採集系の仕事しかこなしていないらしい。

 とすれば、もし間近で多くの先達の戦いを見れば、何かが定まるかもしれない。

「行きたいなら――」自分でもらしくないとは思ったが、私は彼にこう言った。「――私が君のサポートに入ろう。それで、足手まといにはならないだろう」

 エースは一瞬、表情から完全に色が消えた。見たこともないくらい、真っ黒な目になった。

 しかし、すぐににっと笑った。

「ありがとうございます」

 珍しく、脈拍が上がる。

 後輩の世話をする先輩役など、初めてだったから少し興奮してるのかもしれない。……全く、らしくない。

 席を立つと、私達二人はアーノルドの下へ歩いていった。





 付いていく、といっても私達は後方にまわることとなった。エースが弱いということも理由のひとつだが、先陣を切るのはどうしてもアーノルドをはじめとした面々が譲らなかったのだ。

「死ぬなよ」

「な~に、今度は財布も痛まないくらい稼いでやるさ!」

 笑いながら進む彼らは、その言葉に大きく反して目が真剣そのものだった。

 後方の仕事は、先陣の討ちもらしの討伐。大半は中間でやられているのだが、それでも五、六匹くらい殺し損ねる。

 そういった輩を相手に、私やエースたちは立ち回った。

「腕の位置が甘い! もっと脇をしめて、体重を乗せろ!」

 遠巻きながら叫ぶと、エースはすぐに対応する。こういう順応力の高さは、みていてなんとなく嬉しいものがあった。

 この場に残るは、私を含めて六人。全体の五分の一ほどの人数だ。

 山には登らず、町と山の境で周囲を警戒している。マッドゴブリンは基本的に群れで動く習性があるため、一人見つければ後の発見はたやすい。

 そして現れた奴等に、私達は剣を向ける。

「弓! 魔法付与が出来るなら範囲狭めろ、他の奴に当たる!」

「やってるわッ! でもこう人数が少なくちゃ難しいわよ!」

「待ってろ、もう少ししたらそっちに回る!」

「いや、動くな、遠距離魔法と弓で挟み撃ちにしてるんだ、それじゃ足止めにならん!」

 私の指示はそこまで難しいものでもないが、それでも状況が状況であることに違いはない。

 おまけに、白目をむいてよだれをたらす、人間サイズのゴブリンたちの動きは、野良のモンスターの動きの何倍も予想が付かないものだ。

 そんな中で、予想外にもエースがかなり動けていた。

「せいやーっ」

 主に徒手空拳……というより、喧嘩殺法のような具合に。

 腹や顔面を狙って殴る蹴る。足りない部分は胴体に刃をつきたてる。

 それでも全体的に威力が足りない。しかしヒットアンドアウェイを繰り返すことにより、奴等の霍乱、足止めには成功していた。

 弱いなりに動けているのは、嬉しい誤算だった。

 弓と魔法の陣形がまだ完成していない以上、この状態はそんなに悪くない。

 ただ、絶対的な経験――モンスターとの戦闘経験が、彼には欠けていた。

 背後から殴りかかられそうになった時、私が間に入り剣で応戦する。

「あ、ど、どうも」

「そういうことを言う余裕が有るなら、とっとと一旦後ろに下がれ」

 言われてすぐ応じる彼の手際はともかく、私はつばぜり合いのような状態になっているマッドゴブリンを睨む。こいつらの肌は、通常の魔族やモンスター以上の硬度を誇っている。なにせ普通の刃が全く通らないのだ。一体何がどうなっていることか。

 騎士団が来るまでの足止めが任務なのも、主にこれが理由だ。通常の冒険者たちの装備や技量では、到底勝ち目がないのだった。アーノルドや私のように、特殊なものでなければ返り討ち、被害が増える一方だ。

 だが、それでも私はこいつらを斬り伏せることが出来る。

「はあああああああああッ!」

 私が持つ武器の一つ、妖精剣は本来魔力を絶つ武器だ。

 そしてこのゴブリンたちの身体は、程度の差こそあれ魔力で強化されている。

 あとは、こちらの技量のみせどころだ。相手のかける腕力の流れに一瞬だけ身を任せる。こちらの後退に、相手は前方へバランスを崩す。その瞬間、私は剣を振り切った。

 魔力の流れの溝を狙い、妖精剣の斬撃が通る――!

 低音のうめき声を上げながら、まずは一匹胴体を掻っ捌いた。

 上がる歓声など無視し、次の指示を出す。

「二人は魔法陣を張れ! 弓は少しずつ下がれ! ナイフは陽動しつつ距離をとれ!」

 ちなみにエースはともかく他の男達が私の指示に従っているのは、私の実力がアーノルドに次ぐものだとケイブから言われているからだ。まあ実際、その考えはそこまで間違ってはいないので、私は訂正していない。

「陣を作ったら、周囲にも同じものを! いつ奴らが下りてきても対応するんだ!」

 しかし黒い曇り空だ。降られれば面倒だ。早く片付けなくては。

 前線の方は、特に山の中腹なのだ。雨で足がとられかねない。


 どれくらいたったかはわからない。

 が、日は傾いていない時間帯ではあったろう。

 あるタイミングを境に、マッドゴブリンの取り逃がしがこちらに来なくなった。

「アーノルドさん達が、やったのか……?」

「……さあな。どちらにせよ、もうしばらくはここに居よう」

 その私の判断が、実は決定的なミスであった。

 言い訳をさせてもらえれば、私がそれに気付いても既に遅かった。

 だがそれが結果的に、彼を追い詰める要因の一つになる。





 山の方から、天空に伸びる炎の矢が上がった。

 それが、作戦の決定的な失敗を私達に知らせた。

「失敗の合図……。救援に行きたいです」

「駄目だ」

 アーノルドの仲間の言葉に、私は首を横に振る。

「私達の仕事は、防衛で、死守だ。騎士が到着するまでの間の足止めとも言い換えられる。つまり――」

「そんなこと言ってられないでしょ、姐さん! アーノルドさんたちが……!」

「どうしても、向こうに救援を送ると言うのなら……、君たちでなく、私一人で行く」

 とたん、周囲の声が止む。

「マッドゴブリンの習性、忘れていないよな? 君たちでは絶対に対応できまい」

「……でも、」

「勘違いはするなよ。私はむしろ、君たちを行かせてやりたいのだということを。ただ……、分かっているだろ? もしここで足止めできなければ、何が起こるか」

 まず間違いなく、オルコッパンの悲劇の再来となるだろう。

 あそこの村は避難もほぼ完了しているが、一度流れの勢いが付いてしまったら、とめどなく溢れて、周囲の村や町にも被害が出て行く。

 マッドゴブリンは、そういうモンスターだ。

「……血で血をあらい、怨嗟を呼ぶ。怨嗟は彼らに力を与え、より凶暴なものへとその存在を変質させる」

 オルコッパンでの被害が止められなかった原因は、そこにある。

 それなりに発展していた地方都市であったことが災いした。平穏な土地、戦いなれていないこともあった。逃げるに逃げ切れず、多くの人々が食い殺された。

 嘆きと悲しみは、そしてまた、マッドゴブリンをより強力なモンスターへと変化させた――。

 騎士たちだけで対応しきれず、 かの有名な“魔弾の狙撃手”も借り出された。最強の魔術師と名高い王妃すら、その場で多くの傷を負った。

 それ以来、マッドゴブリンに対する王国の対応は、めまぐるしく変わっていった。

 圧倒的な人海戦術を用いた情報収集と、圧倒的な人員配置による駆逐。

 それでも未だに絶滅しきっていないのだから、まったくもって世界は儘ならない。

 彼らは、私の言葉の意味が理解できる。実際に被害者だからこそ、私以上にそれを重く受け止めるはずだ。

 だが、そういってしまった以上、私も行かなくてはならないか。

「あのー……」

 と、忘れていた。エースが、私に話しかける。

「俺は、どうしたらいいですか?」

「ああ、そうだな。んー……」

 先ほどの身軽さと、案外動ける身体能力。おそらくこの場にいる中で、私に次いで足が速いだろう。となると……。

「……伝令役を頼みたい」

「伝令?」

「ああ。もし私がしくじった時のための」

 エースは、下唇を噛んだ。

「冒険者だ。最悪も想定できてこそだ」

「……わかりました」

 頷きながら、彼は足元の魔灯を一つ手に取った。

 エースを引き連れて、私は森の中へ入っていく。

 火の手の上がった方角を確認しつつ、出来る限り後続のため足場の良いルートを探る。

 私の見立てが正しかったのか、常に一定距離を走るエース。

「農夫上がりにしては、体力が有りすぎじゃないか?」

 時折確認している範囲だが、戦いなれはしていないが動き慣れているように見える。

 たとえば、足元に突然現れた大きな石があれば、それにぶつからないよう半歩先へ右足を伸ばし。

 頭上から降りてくる蛇をひらりとかわしながら、勢いを殺さず背面になったり前面になったり。

 一見すると滅茶苦茶に見えるが、こと私の足に追いつくという目的だけは達しているのだ。

 おまけに、これを補助魔法なしで行っている。

「……君は、本当に農民上がりなのか?」

 思わず聞いてしまった。すると、エースは困ったように笑う。

「先日はああ言いましたけど、俺、追い出される直前までは跡取り扱いだったんですよ」

「……ふむ」

「で、跡取りっていっても、色々あって村のまとめ役の家にいくことになっていて……。多少は鍛えられました。桑持ち出したケンカの仲裁くらいなら、お手の物っス」

「……そうか」

 色々と追求したい部分はあったが、エースの表情に一瞬、影がさしたように見えたので、私は特に何も言わなかった。





 地獄だった。

 そうとしか言いようがなかった。

「……何だこれは」

 私がかけつけた、その場に居たのは――。

「――何だこれはッ!」

 周囲一帯には、確かに、マッドゴブリンの死体が散乱している。

 アーノルドたちか蹴散らしただろう、マッドゴブリンたちだ。

 その数は、既に百を超えていることだろう。辺り一面、血の臭いが漂う。

 だというのに。

「……があああああああああああああッ!」

 唸り声を上げるのは、額から三つの角を生やした()()()()()

 いや、アーノルドだけではない。周囲一帯、他の仲間達全員が、額から角を生やし、頭をかかえ、苦悶していた。

「これは、一体――」

「危ない!」

 エースが、私にとびかかる。

 横倒しに倒れる私達。その頭上を、黒い炎が通過した。


「……うん。今宵の実験は失敗のようね」


 その場には、一人の魔族が居た。

 その魔族は、女の姿をしていた。

 玉虫色の獣の毛皮の衣服。赤みがかった顔に、額から鼻先へ向かい伸びる短い角。空族(ロングノース)でも珍しい風貌だ。

 そして女は、多くの書物を自身の周囲に滞空さえていた。

 こちらを見ると、女はにっと笑った。

「こんにちは~、劣等種族のお二人さん。私はミリリガン。“探求”のミリリガンよ~」

「……探求? “探求”だとっ」

 女の名乗ったそれは、一つの称号。

 魔族における、絶対の称号が一つ。

 竜王の配下の中でも、わずかに四人しか与えられていない単語の異名。

 それが意味するものは――。

「これでも四天王の一人やってま~す。どうぞ、お見知りお・き・を♪」

 知名度低いからね~、などとふざけたように笑うこの女は、竜王の配下の中で最強格の一人ということだ。

 それが、何故こんな辺鄙な場所なんかに――。

「四天王……!」

 畏縮し、硬直するエース。そんな彼を無視して、私は立ち上がる。コートの下から精霊剣を抜き、切っ先を向けた。

「その“探求”が、こんなところで何をしている」

「いやん、そうカリカリしなくても教えてあげるわよ~。探求することにケチケチしないのが、私の流儀だからね~」

「言えッ!」

「だからカリカリしないの。しつこいわねぇ。何か私に恨みでもあるのかしらん? ……心当たり多すぎてわかんな~い」

 ふざけた態度のまま、女は言葉を紡ぐ。


「あなたは、人間と魔族の境界ってどこだか分かる?」


 この女は、何を言っている?

「今回の実験は、それを実証するための実験なのよ~。人間に魔角を埋め込んだらどうなるかなーって。そういう実験」

 言いながら、彼女は額を指差す。

「私達魔族って、この角があるからこそ貴方達より優れた魔術師であり、生命体じゃな? だけれど、これが私達にくっついている原理って、全然分かっていないのよね~。血も通っていないから、折れる事だってありうる。一つでも人間に埋め込めば、たちまち三本になっちゃったりね~」

 この女は、一体何を言っている?

「暇を見つけてはこういう実験をしてるんだけど、なかなか難しいのよね? 全部の角が人間に埋め込めるわけじゃないし、発見しても多少調整してあげないといけないし。埋め込んだら埋め込んだで、角の魔力が体に流れ込んで、それっぽくなるのは悪くないんだけど~、理性とか記憶とか判断能力とか()()()()()()()()――」

「お前が、……」

 私は別に、アーノルドたちと付き合いが長いわけじゃない。

 正直、良い感情をもっているわけでもない。エースが来なければ、むしろ今回のことに協力しないで町を出ていたかもしれない。

 だが、そうであっても。

「……お前が、禍根の中心かッ!」

 叫び、敵意を向けずにはいられなかった。





 ヒトには決して、引いてはいけない時というものがある。

 ヒトには決して、許してはいけない時というものがある。

 うめくアーノルドたち、彼らの姿は――次第に皮膚が爛れ、筋肉が盛り上がっていくその様は、紛れもなくマッドゴブリンのそれだ。

 では、マッドゴブリンとは何だ?

「あー、もしかして三式鬼のことで怒ってる? ならごめんなさいね~。これも真理の探究のためなのよ~」

 女は軽く頭を下げる。慇懃な言葉は、軽い調子であるのと同時に感情がかけらも込もっていない。

「――だから、貴方達も協力してね♪」

 次の瞬間、女の周囲で倒れていた男達が、立ち上がる。

 ガラス細工の割れるような音。

 その場には、数十ものマッドゴブリンが立ち並んでいた。

 崩れた人の顔。であっても、それぞれの顔にはもともとの面影がわずかに残っている。

「ケイブさん……?」

 エースの目線は、ある一人に固定されていた。

 立ち上がった中でも、唯一、まだマッドゴブリンにまだなりきっていないらしいケイブ。角に罅が入っているものの、砕けてはいない。

 歯軋りをしながら、震えながら、わずかに人の名残を見せる男は。

「……頼む、誰か、殺してくれ」

 泣いていた。

 泣きながら、歯を食いしばっていた。

 それを見ている泣き出しそうなエースは、童顔もあいまって途方にくれる子供の顔だ。

「はやいところ、変身しちゃいなさいッ!」

 だが、そんなケイブの角を、ミリリガンは軽くチョップで叩き割った。

「……あっ」

「あ――」

 ケイブの、まだ人間らしさの残っていた顔は。


「ああああああああああああああAAAAAAAAAARYRYRYRYAYRYAAAAA!」


 完全に崩れ去り、化け物のものになった。

「はぁ……、はぁ……」

「エース、立てるか?」

「はぁ……、あぁ……、あぁ……」

「エースッ!」

 開いている左手で、腰の抜けているらしい彼の右頬を殴る。

「立ち上がれ! どうしようもならない時に、それでも立ち上がるのが冒険者だ。私みたいな賞金稼ぎとは訳が違う! だから、行け! ここは私が食い止める!」

 もし悲しみが、足をすくませるというのなら。

 それを怒りに変えろ。

 怒りは力だ。義憤は燃え盛る地獄だ。

 目の前の、魔族の女は彼らに何をした?

 君は、私よりアーノルドたちと仲が良かったはずだ。

 だったら、君がするべきはそこで幼子のように震えていることではないはずだ。

 どうにもならないのだというのなら、どうにかするが生きている人間の仕事だ。

 いつだって、死者を弔うのは今を生きるものなのだから――!

 過呼吸になりかかっていたエースだったが、多少落ち着きを取り戻したらしい。

 立ち上がろうと、姿勢を変えたエース。だが――。

「いい演説をしてくれて、中々興味深かったところなんだけど~。たぶん逃げられないわよん?」


 女がそう言った瞬間、私達二人は身動きがとれなくなった。


「な、これは――」

「三式鬼は、言語によるコミュニケーションとか、理性的な判断能力を失う代わり、別なコミュニケーション手段を獲得するの。それが、この『認識共振』っていうものなのよね~」

 女は、倒れ伏す私達に続ける。

「これは、まあ厳密なところはまだ研究中なんだけど、たぶんヒトなら誰しも持っているだろう共感能力だとか、状況から雰囲気を察する能力だとか、そういうのがベースなんじゃないかと思うのよ~。で、彼らは元人間。魔族に近いけど人間だからこそ、モンスターとしか呼べない状態になっちゃうわけなのよね~。魔族とは、知性ある種族だから。で、そんな彼らなんだけど、面白いことがあるのよね~」

 倒れ伏す私を見下ろしながら、女は楽しそうに笑う。

「その『認識共振』を、人間相手に使えるの。で、これを使われると人間、感情の部分が肉体を押さえつけちゃって、簡単に動けなくなっちゃうのよね~」

 嗚呼、まさか――。

「まあ人間を食べるっていうのが、どういう本能からくる行動なのかは全然わからないけれどぉ。これを使って得物を捕まえてるのは、間違いないわよね~」

 そうか、だからマッドゴブリンの被害は、いつだって大きいのか。

 通りで、通りで都市ひとつが数刻足らずで壊滅してしまうわけだ。

 通りで、大規模な布陣を組んで殲滅をしなくてはいけないわけだ。

「まあ、そんなわけだから。みんな~、そこの二人殺さないようにこっちに運んでね~」

 服の裏側をまさぐっている女。おそらく、私とエースの頭につける角を探していたのだろう。

 だが、この時の私はそんなことを気にしていられる状態じゃなかった。


 私の頭の中には――膨大な、私ではない大勢の記憶が流れ込んできていた。


 親友とかけっこした夕暮れ、最愛の人と一つになった夜、妹の嫁入り前夜、家族で過ごす団欒、学校の初恋の相手、両親の死去、娘の誕生日、手ごわかったモンスター、嫁の第一子出産、大火による消失、地割れで奪われた多くの人々、マッドゴブリンの手に掛かって目の前で食われる妹、狂った兵士によって殺される最愛の――。

 良きも、悪しきも、様々な感情が私の中に流れ込む。

 知らぬ間に、私は涙を流していた。それらの記憶が一体誰の記憶なのか、言われずともわかっている。嗚呼そうだ、全ての記憶の中で、かならずといっていいほどアーノルドの顔が出てきていた。

 そしてそのアーノルドは、若かりし少年期、一夜にして幼馴染を――。

「……ぐっ」

 駄目だ、意識をそちらに向けては駄目だ。

 流れ込んできた記憶を見るたびに、私の体から力が失われていく。頭の中であふれ出る情報が、肉体の使用を許さない。

 だが、このままでは駄目だ。

 結局これでは、意味がない。

 故郷をなくし、家族から連れ去られ、友人も町も全て偽りだったあの場所から、逃げ出して自由を獲得した意味がない――!

 だが私の意志に反して、身体は言うことを聞かない。

 やめろ、このままじゃ、このままじゃ――ッ!


 そんな折、わずかに私の視界にエースの姿が映る。

 酷い顔だ。私も似たようなものだろうが、それにしても酷い。

 幼子のような泣き顔ではない。あれじゃ本当に、ただの幼子だ。顔を真っ赤にして、わんわん泣き喚いている。

 だが、そんなエースの左手に、突如()()()()が現れた。

 盾が現れた瞬間、光が、彼の周囲を焼く。

 焼かれたマッドゴブリンたちは、勢い良く彼から距離をとった。

 私をかかえたマッドゴブリンも、足を止める。

「……何で、」

 一人、地面に仰向けに倒れたエースは。

「何で、今更出て来るんだよ」

 震えながら、目元を反対の手で覆った。

「何でもっと早く出てこないんだよ。何で今なんだよ。何で――」

 紡がれる言葉は、力ない。

 それが何に、誰に対してのものだったのか。

 今思い返しても、私には分からない。

 だが、彼は間を置かず立ち上がる。

「……俺のせいだ」

 立ち上がり、盾に納められていた剣の柄を手に取る。


「――『恵みよ、あれ』――」


 紡がれた言葉は、エスメラ聖書の最初の一節。

 そして、彼は剣を抜き放つ。

 銀色の剣は、複雑なデザインでないが故の重みを、見ているものに思い知らせる。

 そしてエースは。

「……」

 その顔に、何ら感情も浮かべていなかった。





「な、何? 何で動けるのよぉ」

「……」

 エースの無感情な目が、女をとらえる。

「まあでも、認識共振を逃れたというのなら、またかければいっか~。じゃ、お願いねぇ」

 女が言った瞬間、私の頭の中の情報量が二倍に膨れ上がる。

 思考すら圧迫して、パンクしてしまいそうな錯覚を覚えた。

 だが、エースは。

「……」

 一瞬目を細めると、次の瞬間にはマッドゴブリンに斬りかかっていた。

 私をかかえていたマッドゴブリンの、首が軽々と空を舞う。

 少し、ほんの少しだけ頭が軽くなったように思った。

「えっ」

 女は、そんなエースを見て唖然とする。

「……」

 無感情のまま、彼は地面に倒れる私を支える。

 何も言わず、そしてそのまま下ろした。

 そして、再びゴブリンに襲い掛かる。

 何体かの首が弾け飛んだのを見てから、女は奴等に指示を出した。

「も、もっと狙って認識共振しちゃいなさい! あと、最悪手足を潰してもいいから、動けなくしなさ~い!」

 ふと、私の頭の中にあった記憶が一瞬で消滅する。

 クリアになった思考は、その意味を直感的に覚った。

「エースッ!」

 だが。

 私の頭にあった記憶も全て注ぎ込まれただろう彼は。

 嗚呼、だというのに彼は。

「……」

 目を見開いたまま。

 口を軽く結んだまま。

 まるでそう、機械か何かのように。

 剣と盾をふるい、マッドゴブリンたちを軽々と屠っていく。

 女の狼狽は、留まるところを知らない。

「なんで、どうして……、劣等種族だったら、絶対に動けなくなるはずなのに」

 この時の私も、それは疑問に思っていた。

 今の私は、その答えを持ち合わせている。

 マッドゴブリンの認識共振は、肉体に働きかける能力ではない。それは人間の感情を揺さぶり、その影響を肉体にまで与えるものなのだ。他ならぬミリリガンが言っていたことだ。

 だが、エースはこの時、その裏をついていた。

 自分の感情を、自我に感じるもの一切合切を()()()()()()、彼はその場で剣を振るっていた。

 自身を一つの殺戮機械とし、そのほかの全てを封殺していたのだ。

 だから涼しい顔こそしていたが、私のように、頭にもダメージを負っていたのだ。

 普段ならば、それこそ気が振れてしまうほどのものを。

「……」

 ただ、どんな酷い精神状態でも戦えるのがエースだ。

 そんな彼の姿を思い返して、私は思う。

 一体、何が彼をそこまでかりたてたのか。

 一体、何が彼をそこまで追い詰めたのか。

 一体、何が彼をそこまで壊しきったのか。

 その回答を持ち合わせている私は、ただただ、胸を締め付けられる。

「……エース」

 この時の私は多くを知らない。

 知らないが、それでも思うところはあった。

 数日一緒にいただけでも、彼がどれほど温室育ちだったかは理解できた。貴族のようなぬるま湯ではないが、おおよそ私のように、昨日の友を斬り殺さなければならないような人生は歩んじゃいない。程ほどに笑顔と愛に溢れた、さぞ温かな人々に囲まれ育ったのだろう。

 そんな彼が、一見して狂うでもなく、冷静に、的確に、敵を処理している異常。

 絶対的な経験値が足りないがゆえに、それはあまりにつたない戦い方でもある。

 だが同時に、その条件の上で最適解を導き出して戦っているのだ。

 これを、異常と言わずして何と言う――!

「……」

 盾で相手の胴体を殴り飛ばしぐらつかせ、右手の剣で胴体を凪ぐ。

 アーノルドだった何かは、その場で薄い青色の肉片へと姿を変えた。

「――ん~、なるほど。貴方のその武器は()()ね?」

 ミリリガンは、興味深そうにエースの剣を見つめている。

「だとしたら何百年ぶりなのかしら。カーの使い手なんて。……あ、だから耐性があるってことなのかな? 認識共振にも。う~ん、でもアレって耐性うんぬんでどうにかなるようなものでも……。まあいいや。そろそろ時間だしぃ」

 そう言うと、彼女の背中には翼が現れた。


「もし貴方にその気があるのなら――“竜王城”で、また会いましょう♪」


 次の瞬間には、ミリリガンは大空へ飛び上がっていた。

 一秒もたたず、その姿は彼方へと見えなくなる。

 その場に残されたのは、私とエースの二人。

 あとは、おびただしい数の死体。

 よく見れば――嗚呼、どうして気付いてしまったのだ。その中には、アーノルドたちによって町から追い払われた冒険者たち、おそらくその冒険者だったろうマッドゴブリンの死体も混じっていた。

「俺のせいだ」

 エースは、呟いた。

「俺が、弱かったから。俺が、()()()を使いこなしていなかったから」

 その言葉を聞いて、私は、彼に抱きかけていた忌避感が減退していくのを感じた。

 言葉の意味こそ、嫌悪の意味こそ多くは理解できなかったものの。

 悔いる彼の背中は、紛れもなくあのエースだった。

 戦慄するには、心があまりに幼すぎて。

 畏怖するには、あまりにも優しすぎて。

 しと、しと、しと。

 降り始めた雨は、だんだんとその勢いを増していく。

 光と共に、彼の両手からは剣と盾がその姿を消した。

 彼の表情は、凍ったまま。

 血のはねた顔に、表情はない。

 虚ろな瞳からは、温和そうだった彼の感情など、何一つ読み取れなかった。

「エース……」

 私は、彼の名前を呼んだ。

 彼は、こちらを見て微笑んだ。

 一瞬だけその表情に、影をはらみながら。

「どうかしましたか?」

 降りしきる雨は、やまない。

 地面に、森の木々に、私達の体にぶつかる水滴。

 耳を打つ音は、一帯に散らばる一面の死体にも叩きつけられる。

「大丈夫か?」

 たとえどんな曇天であろうと、大地に染み渡る血の色と臭い。

「……いやー、騎士団遅いですよね~」

 地獄のような場所に立つ――そんな彼の表情から、私はいつしか目が離せなくなっていた。





 翌日。

 ギルドの宿屋、エースの泊まっている部屋に行った。

 コートとアーマーを外すのが久々すぎて、体が別人のような感覚に襲われたが今日くらい気にしないでおこう。たまには、息抜きも必要だ。

「……どうしました?」

「……いや、何だろうな。少し話さないか? 小瓶のトキターくらいなら買ってきた」

 彼は血まみれの農夫姿ではなく、どこにでも売ってそうなシャツとパンツの格好だった。

 格好までこれだと、ますます温室育ちに見える。少し困ったような、照れたような笑みを浮かべると、彼は私を招きいれた。

 部屋は、本が多かった。この町に来てから買ったものらしい。運ぶと邪魔になるから後日、王都のギルド寮の自室に運送してもらうとのことだった。

「って、俺の部屋の話をしに来たわけじゃないでしょ」

 椅子に腰を下ろしながら、私達は会話を続ける。

「まあ、な。……騎士団長から、少し聞いた。聖剣“カー”に選ばれた、勇者エース」

 勇者という称号は、この国では久しく聞かないものだ。

 それこそ、何百年か前を最後にずっと現れていなかったと聞く。

 大体、何を持って勇者なのかということすら定かではない。聖剣に選ばれた人間が現れたとしても、それ一つで大きく戦況をかえられるわけではない。おまけに今は魔族と人間は表向き停戦中。まったくもって、存在する意味がないのだ。

 だからこそ、その存在は伏せられている。

 さほど大きな力を持っているわけでもない勇者は、王国からの干渉すら受けていない。

 だからこそ、こうして冒険者稼業なんかに身をやつさざるをえないのだ。

 私が「勇者」と言った瞬間、エースは左頬を引きつらせた。

「……言うなっていってあったのに、恥ずかしいから。まったく、あのダグナのあんちくしょうめが。今度どうしてくれようか……」

「あんまり攻めてやるなよ。真面目な男だってことは、二、三言会話しただけでもわかる」

「だからなんですよねー。たまには息抜きしろっての。じゃなきゃ小説でも何でも読めって話。だからこっちの気も考えないで、ぱーすかぱーすか事あるごとに俺の小っ恥ずかしい肩書き明かしやがる」

 あんなにずっと緊張していて、よく疲れないよな~と、エースは唇を尖らせた。

 その様子が少し滑稽で、私は思わず笑った。

「何ですか、まったく……」

「いや、うん。何でもない」

「はぁ……」

 ため息をつくと、彼は私から一歩引いた。……何故だ、意味が分からない。このタイミングでそれをする理由が見当たらない。

 まあ、気にしても仕方がないか。

「で、話しは何ですか?」

「……あまり、思い出したくないことかもしれないけどな。聞かせてくれ」


――俺のせいだ――


 あの時、彼が口走った言葉だ。

「もしかしたら覚えていないかもしれない。気が付いたら言っていただけかもしれない。でも、もし本心からそう思っているのなら、少し見当違いだぞ?」

 きょとんとしているエースに、私は続ける。

「確かに君は、あの状況を一変させられるだけの力を持っていたかもしれない。それをもっと早く引き出せていれば、確かにああいう状況にはならなかったかもしれない。でもな――そんな、今の自分に絶対に出来ない結果を後悔して、自分の首を絞めるのは止めた方がいい。でないと、いつかそれは破綻するから」

 それは、そう。私と、私の友達のように。

 破綻したからこそ、私はこうして人間として生活をすることが出来るのだけれど。

 それでも、破綻しなかったら良かったと思う自分もどこかに居るのは事実なのだ。

 私は額あてを外し、傷跡を露出させる。エースは、戸惑ったようにそれを見ていた。

「この傷跡みたいに、出来てしまったら……、壊れてしまったら、取り返しが付かないことも多くある。私の目には、君はその破滅に、既に片足を踏み入れているように思えた」

「……何で出会って一週間も経ってないような人から、そんな話しをされなくちゃいけないんですかねぇ」

「そう邪険にするな。なにせ、私は()()なんだからな」

 言いながら、私は再び額を隠す。

「これは、私の破綻の証だ。もう二度と、取り返しが付かないことへの、な。だから、こうはなって欲しくない。後悔してもし足りない、なんて傷跡を、無駄に背負って欲しくない。押しつぶされるくらいなら、いっそ逃げてしまえ。――そのことを、胸に留めておいてもらえないか?」

「経験者は語るってところですかねぇ……」

 エースは、しばらく押し黙った。

 眉間をつまみ、何かを葛藤しているような感じだった。

 やがて、口を開く。

「今更、ですかね」

「……何が?」

「それこそ、あんまり話したくないこともあるので言いませんけど……。もう既に、俺ではどうしようもないことは、沢山背負っているつもりです」

 この言葉の意味を、当時の私はまだ知らない。

「背負いたくて背負ったわけじゃないですし、負いたくて負った傷とかじゃないですけど……ただ、それでも、俺は――」

 エースは、力なく微笑む。

「――自分自身から逃げちゃいけないことまで、逃げ出したくないんですよ」

「……結果として、破滅がその先に待ち構えていても」

「その時はその時で、破滅しないように考えますかね」

 笑うエースに、私は、何ともいえない気分になる。

 やっぱり、彼はまだまだ青い。

 自分もそんなに多くの人生経験を積んできたつもりはないが、そんな私でさえ甘く感じるのだ。いや、甘いとはちょっと違うか。まるで躾けの行き届いた子供のように、あまりにも根が真摯すぎるのだ。

 そういう真摯さが磨耗していく様を、私は知っている。

 だから、だろうか。

 気が付いたら、私はこう口走っていた。

「なら、少し鍛えてやろうか?」

「……え?」

「ここ半年、特に何もなく仕事だけしていてな。正直、あんまり楽しくなかったんだ」

「本でも読めばいいんじゃないですか?」

「たわけが。そういう話じゃない。……生きがいというか、目的がなかったということだよ」

 私は、つとめて明るい笑顔を意識する。

「だから、私とパーティーを組まないか?」

 そうすれば剣術に、冒険者としての心得をはじめ、一通りおしえよう。

 エースは、目を見開いた。そして数秒考えると、こんなことを言ってきた。

「俺があなたを信用する――そのことに、何を誓えますか?」

「謎賭けか、なにかかい?」

「真剣に。あなたが、信用のために差し出せるものは何ですか?」

 その目は、真剣に、真摯に私に問うていた。

 だが、何を問いかけているものなのかは、残念ながら私には分からない。

 だから、私は言葉通りにとった時、私に差し出せる最大限のものを考えた。

 私は、額あてを外して彼に手渡した。

「……これですか?」

「いや、違う。傷だ。私にとって、これはあまり人に見せたいものじゃないからな。……顔に傷があると恐がられるというのもあるが、それ以上に、これには色々な想いがあった」

 だから。だからこそ。

「君が私に求めているものが何かは、正直言ってわからない。でも、もし私に差し出せというなら――私は、私の過去を差し出そう。私の過去の想いをさらけ出そう」

 私の言葉を、エースは黙って聞いていた。

 そして下を俯くと、ぼそっとこう呟いた。

「……ありがとうございます」

 ふふっ。

 私は微笑んで、トキターの瓶を開けた。

「なら、これから長く続くパーティーであらんことを。勇者エース」

「その呼び方は絶対やめてくださいね、止めなかったら今の話はナシの方向で」

「わ、わかった……」

 それほどまでに嫌なのか? その呼ばれ方。

 まあ確かにダサイといえばダサイのだけれども。

「じゃあ、こちらこそよろしくおねがいしま――」

「待て、待て。パーティーになるなら、私達は対等だ。二人しかいないんだし、年も近いのだから」

「でも、こっちは教わる側ですし」

「逆に私は、君から一般常識とか教わる可能性が高いから、そこはイーブンだよ」

「……え、え、え? どういうことですか?」

「まあ、そのうち分かるさ。だから、敬語はナシでいこう」

 いまいち理解していない顔のエースだったが、それでも、私の言ってることは聞き入れてくれたようだった。


「だったら、えっと……。よろしく、カノン」

「ああ、こちらこそだ」


 そして私たちは、開けた瓶同士を軽くこつんとぶつけ合った。

 何故だか、私の脈拍が一つ上がった気がした。



Q.なんで番外編その2より3を先に投稿したの?

A.本編的に、投稿するとまだ駄目な話しがあったから


カノンとエースの経歴については、今後の番外編で語られるかもしれませんし、語られないかもしれません。


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