第85話 再会
「良いアイデアだろ」
馬車から降りたレンナルトが、風にたなびくイザベルのハンカチを摘まんだ。
「イザベル様のハンカチをこんな使い方をしてしまって申し訳ございません」
レンナルトに手を取られ降りたジゼルが頭を下げた。
ジゼルは“お守り代わり”にイザベルのハンカチを携帯していたという。
ルーファスたちにだけ分かる目印にちょうどよいと、それをレンナルトに奪われてしまったようだ。レンナルトたちが乗る馬車と似たものは多い。おかげですぐに見つけられたのだから、レンナルトの判断は正しかったのだろう。後続の馬車からはハンスが窓から顔を出した。
「イザベル、一体どうしたんだい? その恰好。中々似合うじゃないか」
「これはちょっと、屋敷に入るために……」
ハンスの乗る馬車の方へ向かうと、中にはドリスとアビーもいた。久しぶりに見るアビーは少し瘦せ細り、白髪が目立つようになっていた。しかし、イザベルの顔を見て、目を糸のようにして微笑むアビーは、間違いなく記憶の中のアビー、その人だった。イザベルは馬車に乗り込むと、アビーを抱きしめた。
「良かった」
抱きしめたアビーの身体は外から見るよりも、骨ばっていた。
療養所の生活がどんなものだったのか、想像に難くはなかった。
(あんな療養所、もっと早く出してあげていれば……)
「アビー。ごめんなさい」
「お嬢様。何をおっしゃるのです。こうして、私のことを忘れずにいてくれたことが、私にとっては何よりも嬉しいことですよ」
アビーは自分の胸に顔を埋めるイザベルの頭を優しく撫でた。
「お嬢様、お着替えを」
ドリスは荷物の中から着替えが簡単そうなワンピースを取り出した。
「ハンス様」とドリスが声をかけると、「レディの着替えを覗く趣味はないよ」とハンスはカーテンを閉めて馬車から降りた。馬車の中は3人になった。狭い馬車の中で、イザベルはお仕着せを脱ぎ、ドリスに助けてもらいながらワンピースに着替えた。足の動かないアビーは、眩しそうに二人を見つめていた。
「ルーファス様もご無事で安心しました」
「ええ、本当に。ドリスたちは順調だったの?」
「はい。皆さま、もうお見事なまでに作戦通りに。いえ、一点、作戦とは違うこともありましたが……」
「違うところ?」
「……実は、レンナルト様が……」
◇◇◇
「は? 療養所を燃やした?」
アビー奪還については想定外のことは起こらなかった。
予定通りに煙を起こすと、療養所内の人々が避難することとなった。
驚くことに、療養所の守衛たちは、施設利用者よりも先に我先にと避難したようで、利用者たちのことには無関心だったようだ。おかげで無用な戦闘に巻き込まれることもなかった。しかし、避難する利用者たちは、アビー以外にも軟禁状態にあったのではないかと思える人々が目についた。利用者たちの健康状態は、けして良いものには見えなかった。
「だからって……」
「あのまま、療養所に戻されたらロクな目に遭わないと思って」
レンナルトはまっすぐなところが長所だが、直情的なところは短所だ。
小火騒動で終わらせる予定だったにも関わらず、利用者が全員避難したことを確認すると療養所を再開できないように半焼状態にしたという。
(昇っていた煙が妙に多いような気がしていたが……)
「あなたも何故止めないんだ」
ルーファスは何食わぬ顔で立っているハンスを見た。
「まあ、アビーも助けた後でしたし。ルーファスくんのすることを止めるように、とは言われてはいませんでしたから」
ハンスはぬけぬけとそう宣った。
レンナルトとハンスに代わり、何故かジゼルが身を小さくしてルーファスに頭を下げた。
ルーファスは、これ以上この話を続けても、ジゼルの肩身を狭くするだけだと口をつぐんだ。
(それにしても……半焼か……。施設を燃やしたと言っても、また別の施設に軟禁されれば変わらないというのに。レンナルトも短絡的な……)
レンナルトの行動に嘆息しつつも、ルーファスがいても同じことをしたかもしれないなと内心は思っていた。おそらく、ハンスもそう思ったのだろう。
(だとしたら、私ができることは国に戻ってから、ヴァルハルド帝国の有力貴族を味方につけることか)
通用門を抜ければ母国へ戻れる国境付近で、セレフィード王国へ戻ったらできることを考えていた。アビーを奪還したら終わりだと思っていたこの旅は、もしかしたら始まりだったのかもしれない。馬に乗りながら、フォートレル侯爵家の古参使用人の話もイザベルに聞いた。この国にはまだ多くの“アビー”がいるのだろう。
(だとしたら、少しでも救える手を差し伸べたい)
イザベルだったらそう思うのだろうと、ルーファスは考えていた。そして、イザベルがそう望むのであれば、自分も力になりたいと考えていた。
(とは言え他国の問題だ。外政干渉になるようなことになってはいけない。戻ったらディオンと相談だな)
着替えが終わったイザベルが馬車から降りた。アビーとの再会が嬉しかったのだろう。目が少し赤い。嬉しそうにイザベルはルーファスの傍へと来た。出発の準備ができた一行は、それぞれ馬車へと乗り込んだ。アビーとドリスの乗る馬車には、イザベルとルーファスが乗ることになった。またもカップルと相乗りとなったハンスは「ルーファスくんたちみたいにイチャイチャしないでくれよ」と言い、ドリスやアビーの笑いを誘った。このまま、セレフィード王国へと戻れるのだ。
前世の記憶が甦ったときには、こんなことになるとは想像もできなかった。どのルートを選んでも、何度も繰り返される自分の処刑シーンはまるで決して変わることのない呪いのようだった。
(でも、こんなルートもあったんだわ)
そう思った瞬間、「イザベル」と不吉な声で呼ぶ声が自分の背後から聞こえた。
振り返らなくても、分かった。
「帰りの挨拶もできないのか。お前は」
フォートレル侯爵が、真っ黒な軍馬からひらりと降りた。
振り返って見た彼の姿は、娘との別れを惜しむものではない。
甲冑を身にまとった彼は、戦へと旅立つ戦闘狂の姿そのものだった。
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