47.断罪の色彩
おぞましい絶叫が響き渡る。
罪業を焼き尽くす青白い炎に包まれ、かつてヘンリエッタだったモノが形を失いぼろぼろと崩れるように滅んでいく。
その様子は魔獣や呪具が滅ぶ姿となんら変わりなく、すでにソレが人間とは別の存在に変わり果てていたことを証明していた。
最期に一瞬だけ、か細い女性の声が聞こえた気がしたが、それも幻のように消え去る。後には、ひび割れくすんだ翡翠の首飾りだけが、ぽつりと残された。
「………終わりましたよ、ディーナ。首飾りは、故意に残しました。呪具としての力はもうありませんが、痕跡くらいは残っていますからね。この事件を証立てるためには必要なので」
オスカーは手早く上着を脱ぐと、土埃に塗れて見るも無残な姿のディーナに着せ掛けた。
「あちこち傷だらけですね………。どこが痛みますか? 早く帰って治癒者を呼ばなければ………」
心配そうに眉を顰めてディーナの擦りむいた頬に手を伸ばし、傷に触れないように怪我の状態を確かめている。
その手が冷えているような気がして、ディーナはオスカーの大きな手に自分の手を重ね、そのまま頬にぎゅっと押し当てた。
複雑な色合いに揺れる瞳をじっと見つめる。
たくさんの感情が押し寄せて、上手く言葉にならない。
だからディーナは、とても当たり前のことしか言えなかった。
「わたしを見つけてくださって………ありがとうございます、オスカー」
「………っ!」
いつの間にか、庭園には静かに風が渡る音が戻っていた。
視界の隅で、頭を抱えて蹲っていた人物が身じろいだのが目に入り、ディーナは我に返った。ミハエルの存在を思い出し、あわてて駆け寄る。
ディーナの危機に飛来した見事な天馬からオスカーが飛び降りたあと、ミハエルだけを乗せた天馬は風に解けるようにたちまち形を失い、跡形もなく消えてしまった。
天馬が地上に降り立つ前に消えたことで、ミハエルはそれなりの高さから落下したのをディーナも目撃している。幸い大きな怪我はなさそうだったし、落ちた場所が戦闘に巻き込まれない位置だったので、安否確認が後回しになってしまっていた。
「ミハエル様、お怪我は大丈夫ですか?」
ディーナが声をかけると、ミハエルはビクリと大きく肩を揺らした。
しかし、顔を上げる様子がない。
「お加減が良くないのですか? もしかして、動けないのでしょうか?」
心配になって覗き込むと、顔を伏せたまま、くぐもった弱々しい声が発せられた。
「……すまない………」
「ミハエル様?」
「俺の義母が。エーデルシュタインの人間が、あんなおぞましいものに身を墜としていたなんて。君を………こ、殺そうとしたなんて」
ミハエルはますます頭を抱え込む。
「止められなかった。気づかなかった。なにも、知らなかった。……俺のせいだ……もし、君が死んだりしたら………っ」
「ミハエル様、顔を上げてください。わたしは生きていますよ」
ディーナが肩にそっと手を置いて覗き込むと、一瞬身体を揺らしたミハエルは抱えていた頭から手を外し、ゆるゆると顔を上げた。
打ちひしがれ、青ざめた表情で、縋るようにディーナを見上げる。
しかしディーナはミハエルの顔を見て、驚きに目を見開いた。
正確には、彼の瞳の色を見て。
「風の、精霊眼………⁉」
普段のミハエルの萌黄色の瞳とはまったく違う。
深緑色も、翡翠色も、黄緑色も、若草色も。
初夏の陽に透かしてクルクルと色を変える宝石の輝き。
そして時折滲むように溶け込む、銀の色。
オスカーの持つ色とは異なる、しかしまぎれもなく『祝福者』の瞳だった。
「こんなことって………!」
緑に輝く瞳をもっとよく見ようと顔を近づけたディーナは、後ろから腕を取られ、強引にミハエルから引き剝がされる。
「近すぎです」
振り返ると、少し不機嫌な顔のオスカーがいた。
驚いた顔のままのディーナに、ため息をつき仕方なさそうに説明をする。
「しばらく前に、突然発現したそうです。僕もつい先ほど聞かされたばかりですが。通常、祝福者は生まれてすぐに、それとわかるものです。後天的という例は、過去に聞いたことがありません。彼の生い立ちに関係しているのかもしれませんが………解明は難しいかもしれませんね」
オスカーはミハエルに目線を移した。
「初心者なのに、精霊力を使い過ぎたようですね。………魔力の枯渇と同じような現象です。しばらくは動けないでしょう」
ミハエルが立ち上がれずにいるのは、怪我や精神的な理由だけではなかったらしい。
「僕ひとりでは、間に合わなかったかもしれません。………感謝します。ミハエル・エーデルシュタイン」
ミハエルはオスカーの真摯な言葉に、一瞬呆けた顔をした。そして顔を歪めて苦笑いに近い表情を浮かべると、神秘的な翠玉の瞳でディーナを見上げる。
「………君が、生きていてくれて、よかった」
ミハエルの小さな呟きがディーナの耳に届く。
瞳の中の精霊の色が静かに揺らぎ、幻が消えるように萌黄色に戻っていった。
「みはえる、さま………?」
ミハエルを呼ぶか細い声に、三人の視線が吸い寄せられるようにそちらへ集まる。
少し離れた場所で、意識を取り戻したシェリルが檸檬色の瞳を零れんばかりに見開いていた。
「どお、して、ここに………?」
舌足らずの言葉で、怯えた子供のように全身を震わせながらミハエルだけを一心に見つめている。
ミハエルは冷ややかな目をシェリルに向けた。
「義母に、手を貸したのか。ディーナ嬢を亡き者にするために」
「えっ」
「なぜだ?」
ミハエルは淡々と問いかける。
静かな声ではあったが、そこに温かさは微塵も存在しなかった。
「義母は死んだぞ。おぞましい穢れをその身に宿らせ、歪んだ望みを叶えようとした報いを受けて。君の望みも、それが何であれ、潰えたよ」
「……っ、だって………だって! ヘンリエッテさまが! 邪魔なその女がいなくなれば………わたくしを、あなたの、ミハエルさまの花嫁にしてくださるって………!」
シェリルが激しく首を振り、甲高い声で喚いた。
その仕草は聞き分けのない幼子そのものだ。
「ミハエルさま、わたくし」
「俺の花嫁………? そんなことのために、彼女を殺そうとまでしたのか⁉ そんなことの、ために………」
呆然とし、一段と声を低くしたミハエルを見て、シェリルは怯えて口を閉じる。
ミハエルは掌で血の気の引いた顔を覆い、乾いた笑いを漏らした。
「他人を羨んで、僻んで、引きずり落とすことで自分の欲望を叶えようとする。まったく、愚かすぎて反吐が出そうだ。君も、義母も。そして俺も」
「そん………」
「引導を渡してやろう、シェリル・デルファ」
ミハエルが強い意思を乗せた萌黄色の瞳で、シェリルを真っ直ぐに見据えた。
「君の望みが叶うことはない。未来永劫に」
鋭く重い断罪の言葉が、シェリルを貫いた音が聞こえた気がした。
限界まで見開かれた檸檬色の目から、とめどなく涙が溢れ出す。
粉々に砕かれた彼女の望みが、零れ落ちていくようだった。
「……あぁ………う……うぅ…………」
シェリルは地に伏し、声を上げ、泣き続けた。
しかしどれほどの涙を流しても、シェリルの絶望を拭い去ることはできなかった。




