48.王の御許へ還る輝き
糖分注意報。
ふと、目が覚めた。
誰かに呼ばれたような気がして、寝台の上でゆっくりと身体を起こす。
夜闇に沈んだ部屋に、カーテンの開け放たれた窓から煌々と輝く月明かりが射し込んでいた。
見慣れない豪奢な造りの部屋に首を傾げたディーナは、眠りにつく前の出来事を思い返す。
(そうか、ここは王宮………)
デルファ侯爵家で起こった事件のあと、ディーナたちは全員王宮へ招かれ詳しく事情を聴かれることになった。事態を重く見た国王は、国の重鎮を緊急招聘して会議を開くことにしたようだ。
そして直接事件に関わった者は、機密の漏洩を防ぐために、国の方針が決まるまで王宮に留め置かれることになったのだった。
滞在するための部屋を与えられたあと、疲れ果てていたディーナは崩れ落ちるように眠ってしまっていた。
時計を見ると、ちょうど真夜中あたりだ。眠っていた時間はあまり長くなかったようだが、不思議と眠気は消えてしまっている。
寝台の淵に腰かけ、カーテンを閉め忘れた窓から射す光に目を向けた。
これで、すべてが終わったのだろうか。
オスカーの身を切るような苦しみが、本当に報われたのだろうか。
銀色の満月に、ディーナは我知らず首を垂れ、祈りを捧げる。
祈ることは愚かしいとオスカーは言った。
届かない祈りに辛酸を舐めたであろう彼の、偽らざる本音ではあるのだろう。
しかしディーナは静かに祈る。
今日、恐ろしいことが起こり、誰かの望みが潰え、誰かの命が失われた。
彼女たちの願いは、ディーナとディーナが大切に思う人たちの願いとは対極にあるもので、受け入れることはできなかった。
ディーナは、自分の手の届く領域の人たちの幸せにしか手を尽くせない。
だから、彼女たちに許してほしいとは思わない。
だからこそ。
(もうこれ以上、悲しいことが起こりませんように)
力の及ばない場所にある何かに委ねるように、ただ、祈ることしかできなかった。
カタリと窓の外で小さな音が鳴った。驚き、咄嗟に身構える。
感覚を研ぎ澄ませ慎重に注意を向けると、窓の外に微かに人の気配が感じられた。
(まさか刺客………⁉)
手を伸ばし枕元に忍ばせてあった短剣と、盾代わりの枕をそっと掴むと、思い切って声を出す。
「誰? そこにいるのは」
一瞬ピリッと空気が張り詰めたが、一息の間を置いて掃き出し窓の外に人影が現れ、小さくコツリとノックがされた。
「僕です」
「………オスカー?」
ディーナがあわてて窓辺に駆け寄り、内鍵を開ける。大きな掃き出し窓を開くと、そこには困り顔をしたオスカーが佇んでいる。
遅くまで話が続いていたのか、オスカーはきちんとした礼装のままだった。
「すみません。怖がらせるつもりはなかったのです。ただ、あんなことのあとで………どうしても心配で。カーテンも開いたままでしたので、気になってこのバルコニーへ降りてしまいました」
「この部屋、結構高い位置にありますよね? どうやってここへたどり着いたのです?」
「僕は訳あって、ほんの少しだけ他の人より身軽なのです。秘密ですよ?」
オスカーは口の前に人差し指を立て、妖しく微笑む。
月光に照らされ小首を傾げるオスカーの色香は、まるで人ならざる者のようだ。
一度魅入られれば最後、魂を絡めとられ、決して逃れることはできない。
手を伸ばしディーナの髪に長い指を差し入れて、梳くようにそっと撫でる。
その心地よさにディーナは思わず目を細めた。
「眠りから覚めた貴女が祈りを捧げる姿を、ここから見ていました。銀色の月の光を受けて目を閉じている貴女はあまりにも………この世のものとは思えなくて。このまま、僕の手の届かないところに消えてしまいそうで」
オスカーは、寂しそうに笑った。
「すみません。ただの感傷です。………ずっとそんな悪夢を見続けてきたので」
夜風が静かに渡っている。
ディーナはオスカーの物憂げな顔を見上げた。
「わたしの運命は………変わったのでしょうか?」
「そうですね………。今までの回帰でずっと越えられずにいた時間を越えられたのだと、僕も信じたい。しかし、この運命に明確な終わりが定められているのかどうかは、僕にも………」
オスカーが手を翳し、いつものように銀色の聖剣が現れる。
しかしそのとき、聖剣から美しく目の眩むような輝きが放たれた。
「………⁉」
聖剣からあふれ出るたくさんの光が金色の小さな粒となって、ダイヤモンドダストのように幻想的にきらきらと舞う。
静謐な銀色の月が見守る中、神秘に輝く聖剣の輪郭が滲み、揺らぎ、次第に曖昧になってゆく。
やがて剣の形を失った精霊王の力が純粋な金色の光となってふわりと舞い上がり、夜の大気に溶け込むように混ざる。
そして、静かに。
跡形もなく消えていった。
オスカーとディーナはひとことも発さず、ただすべてを見ていた。
もうオスカーの手に、聖剣はない。
「お、わっ………た………………?」
呆然とオスカーが呟いた。
そしてあわてたように自分の服の胸元を開けさせ、驚きに目を見開く。
「傷痕が………ない」
その言葉にディーナが驚いてオスカーの胸元を見ると、無残に刻み付けられていた薔薇色の傷痕が、ひとつ残らず消えていた。
ディーナも、震える手で夜着のボタンをひとつ、ふたつとはずす。
月の光に浮かび上がるディーナの胸の真ん中は、初めから傷など存在しなかったように白く、清らかだった。
「………僕はまた、都合の良い夢を見ているのでしょうか」
オスカーの声が震え、掠れている。
「本当に、貴女は………ここにいるのですか? ………幻ではなく?」
「ここにいます。あなたのそばに」
「………触れても、いいですか? 貴女を、抱きしめても………?」
オスカーの懇願にディーナが頷くと、最初は躊躇いがちに、しかしすぐに強い力で胸の中に抱き込まれた。
「………温かい……………」
オスカーが消えそうな声で呟く。
温もりを確かめるように、ディーナの髪に頬を摺り寄せる。
ディーナもオスカーの背に手を回し、目を瞑って、オスカーの刻む力強い鼓動に耳を傾けた。
「生きていますから………。あなたも、わたしも」
オスカーの涼やかな香りがディーナを深く包んだ。
ここへ帰ってこられた喜びに胸の奥がじんと熱くなり、彼を抱きしめる腕にぎゅうっと力を込める。
すると、ふいにディーナの耳にオスカーの零した吐息がかかり、やわらかな感触が耳朶に触れた。驚いたディーナが肩を跳ねさせ顔を上げると、今度は額に、次いで頬に熱が触れる。
「………っ」
そして恥ずかしさに身じろいだディーナが心構えをする前に、唇がオスカーに塞がれた。
始めは触れ合うだけだった口づけが、次第に深いものへと変わってゆく。
強い力で抱きしめ、繰り返しディーナを求めるオスカーの情熱に焼かれ、苦しいほどだった。
ディーナは思うように足に力が入らなくなる。
「オ、スカー………」
かくりと膝が折れたディーナを危なげなく支えると、オスカーは熱い息を吐いた。
艶めく紅玉の瞳が、蕩けるような眼差しでディーナを見つめる。
月光の下、オスカーの纏う凄絶な色香にあてられ、ディーナの背に怯えのような震えが走った。
「……だめですよディーナ。夜更けに、そんなに……甘い声で、貴女に焦がれる男の名を呼んではいけない………」
掠れた声で囁いたオスカーはもう一度だけ額にそっと口づけを落すと、ゆっくりとディーナから身体を離した。
「内鍵をしっかりかけておいてください。理性を失った不埒者が入ってこられないように」
紅い瞳をを眇めて妖艶に微笑み、体重を感じさせない動きでバルコニーの手摺へ飛び乗る。
「おやすみなさい、月夜の女神。良い夢を」
手摺を蹴って、オスカーの身体がふわりと宙へ舞い上がる。
ディーナがあわてて手摺に駆け寄りあたりを見回したが、彼の姿はもうどこにもなかった。
手摺につかまりながら、その場に崩れ落ちるように座り込む。
オスカーの瞳の色を美しいと思ったことは数えきれないほどあるが、これほど危険な色を帯びるとは思ってもみなかった。
のぼせ上がった顔の熱と、踊るように鳴り響く鼓動が収まらない。
部屋に飛び込み、言われた通りにしっかりと内鍵をかけて寝台にもぐりこんだが、鼓動は激しく高鳴ったままで、夜が明けきるまでディーナに夢が訪れることはなかった。
お読みいただきありがとうございます。
残り三話となりました。
とはいえ、この次の話は事件概要説明とさらっと目のざまぁ処理回なので短め。
実質、あと二話+αくらいです。
どうか最後までお付き合いください!




