依頼
静かに響く二人分の足音。
コツコツと少し高い音をさせるのは、踵の高い靴を履いたマチルダのもの。それより少し低い音で、ゆったりと響くのはマチルダに歩幅を合わせて歩くロルフのもの。
少し前は忙しなく、喧しい二人分のドタドタという走り回る足音を立てていたというのに、今の二人分の足音は別れを惜しむようにゆっくりと、静かなものだ。
「マチルダ、あの鱗はどうしたんだ?」
「ルンバルドさんに譲っていただいたと、殿下のお部屋でお話しましたわ」
「そうじゃない。譲ってもらう為に、何をしたんだ?」
歩みを止める事無く、ロルフは静かにマチルダに問う。
自分の恋人が、誠心誠意頼み込んでルンバルドから鱗を譲ってもらうような淑女だとは思っていないのだ。最初から、何か人に言えないような事をして手に入れたのだと勘付いている。少なくとも、先生には言えないような事を。
「…先日、ルンバルドさんに依頼を受けてくれないかと頼まれておりましたの。お断りしておりましたが、鱗をお譲りいただけるのならお受けしますと」
「その、依頼って?」
「詳しいお話はまだ聞いておりません。ですが、学園を通さず、直接私にと」
そこまで言うと、マチルダは静かに口を閉ざす。学園に在籍する生徒が何か依頼を受ける場合、必ず学園を通して受ける事と決まっている。
ここまで話せば、学園に話をせず勝手に依頼を受けると分かってもらえるだろうから。
「一人で行くんじゃないだろうな」
「依頼を受けたのは私ですもの。どんな依頼であれ、誰かを巻き込む事は出来ませんわ」
規則違反の道連れにする事になるのだ。
ゾフィは勿論、ロルフであっても巻き込むことはしたくない。
「俺も」
「いけません」
俺も行くとロルフなら言う。そう予想していたマチルダは、それ以上の言葉が続くより先ににっこりと断りの言葉を発する。
ロルフは一瞬口ごもったが、愛しい恋人を一人で行かせるような事はしたくない。
学園を通さずマチルダに直接依頼をしたいという事は、生徒に頼めるような仕事ではないという事だ。
つまり、一般的な生徒が受けるような初級依頼ではなく、仕事に慣れた上級術師が受けるような難易度の高い仕事であるという事。
「上級依頼に一人で行くやつが何処にいるんだ?王宮術師でさえ一人じゃ行かない」
「ですが、学園の規則に反する事になりますわ。ロルフ様を巻き込むわけには…」
「俺が行きたいんだ。君を一人にしたら、何をするか分からない」
まるで問題児を心配する教師のような物言いに、マチルダは面白くないと言いたげな視線をロルフに向けた。
むすっとした表情を向ける恋人に金色の瞳を向けるロルフの表情は柔らかく、にっこりと微笑みながらマチルダの頭を撫でた。
「傍に居たいんだ」
そんな事を言えば、マチルダがどんな反応をするのか分かっていて言ったのだ。
面白くなさそうにしていた顔が、ぽかんと呆けた表情に変わり、すぐさま茹で上がったように真っ赤に染まる。
それが愛しく、可愛らしく思えてならなかった。
「依頼の話はこれから聞くんだろう?俺も一緒に行くよ」
「で、でも…」
「俺と二人は嫌?」
「嫌な筈ありません!」
「じゃあ決まりだ。話を聞くのはいつ?」
私の恋人はこんな人だったかしら。
そんな事を考えながら、マチルダは明日の放課後の予定だと答えて静かに俯いた。
真っ赤に染まったマチルダの顔は、染まり上がった顔よりも更に赤い髪に隠された。
◆◆◆
ふんふんと機嫌よさげに髭を撫でるルンバルドは、マチルダが約束通り話を聞きに来た事に大喜びだった。
想定外の客人には驚いたようだったが、手伝いだと言われると納得したようで、一人より二人の方が良いだろうと笑った。
「それで、依頼ってどんな話だ?」
早く話を聞かせろと急かすロルフに、ルンバルドはそうだったと一呼吸おいてから胸元をごそごそと漁った。
あの胸元にどれだけの物が仕舞われているのだろうと不思議に思いながら見つめるマチルダの目の前で、ずいと出されたのはとても小さな袋だった。
「これは?」
「俺の宝物だ」
にんまりと笑いながら袋を開けると、ルンバルドは中に入っていた小さな宝物を掌に出した。
ころりと出て来たそれは、金色に輝く小さな小さな鏡だった。
「綺麗…」
髭面のドワーフが持つにはあまりに美しいそれは、背面に細やかな装飾が施されている。
ルンバルドが言うに、見たい物を見られる不思議な鏡らしい。
「大昔、ドワーフとゴブリンが仲良く暮らしてた時の物なんだがな。割れちまってるから髭を整えるのにも使えやしない」
整えていてその髭なのかとマチルダとロルフは揃ってまじまじとルンバルドを見てしまったのだが、見られている本人は二人の視線を気にもしない。
小さな美しい鏡をうっとりと見ながら、ころころと掌で転がすだけ。
「依頼ってのは、この鏡を直す為の材料を獲って来てほしいんだ」
「材料とは?」
上級依頼であると言うのなら厄介な物なのだろうと、マチルダは怪訝そうに眉間に皺を寄せながら問う。
ロルフも同じように腕を組みながら小さなドワーフを見下ろすと、ルンバルドはけろりとした顔で言い放った。
「月夜鴉の卵を持って来てくれ。殻だけでも良い」
「月夜鴉だって?!」
声を荒げたロルフは、絶対に駄目だと首を横に振った。
月夜鴉は獰猛な肉食の鳥。真夜中に活動する凶暴な鴉は、巣に近付く者は人間であろうと動物であろうと誰でも攻撃するのだ。
人里離れた森の中に暮らしているせいで探し出すだけでも難しい。一羽相手にするだけでも面倒な鳥は、いつだって群れで行動する。
王宮術師でさえ、一人で受ける筈のない仕事。もし話を無理にでも聞かなければ、マチルダがそんな危険な仕事に一人で向かう所だったと思うと、ロルフは怒りに震えた。
「そんな仕事を!マチルダに一人でやらせるつもりだったのか?!」
ただでさえ凶暴な月夜鴉は、巣に卵がある間はより凶暴性を増す。群れ全員で襲ってくるのだ。
「年に一度の産卵期なんだ。早くしないと殻すら無くなっちまう」
「ルンバルドさん、卵の殻をどう使うのですか?確か…月夜鴉の卵は銀で出来ているのですよね?」
「よく知ってるな。こまかーく砕いて、特別な砂と、まあ…ちょっと特別な生き物の骨を混ぜて焼くんだ」
誤魔化したという事は、きっと希少生物の骨を使うのだろう。詳しく聞きたいような気はするが、言わなかったという事は聞かない方が良いのだろう。
「殻は…幾つあれば宜しいですか?」
「最低でも卵三つ分。あればあるだけ良い」
本気かと目を見開くロルフをあっさりと無視しながら、マチルダは「お任せください」とルンバルドに向けて微笑んだ。
快諾するにはあまりに難しい依頼。
それを分かっているのかいないのか、仕事を受けたマチルダはニコニコと穏やかに微笑んだ。
「はあ…どうせ俺が何を言っても無駄なんだろうな…」
「諦めて付いて来てくださいませ」
一緒に行くと言ったのはロルフだ。それならば、どんな依頼だったとしても付いて来てもらおう。にっこりと微笑み、一緒に居kましょうと手を握ってしまえば、ロルフはもう文句を言う事も無かった。
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