赤い欠片
監視しろと言われたものの、普段ヘルメルと関わる時間は授業中の時間程度。元々熱心な生徒だったのならば、休憩時間や放課後に質問があるとでも言って近付けるのだろうが、マチルダはそんな事は一度もした事がないし、恐らく突然そんな事をすればヘルメルに何か怪しまれてしまうだろう。
何か良からぬ事を考えているのなら、不審な動きには敏感な筈。であれば、下手に普段とは違う動きをするべきではない。
「どう動けば…」
ブツブツと一人で呟き中庭を歩くマチルダは、苛々と親指の爪を噛んでいた。幼い頃の悪い癖。行儀が悪いと両親に言われ直した筈だったのだが、今でもあまりに苛立っている時は無意識に爪を噛むことがあった。
ゾフィに一人になるなと散々言われていたのだが、そんな事をすっかり忘れてしまう程、今のマチルダは苛立っている。
クロヴィスから聞かされた、ロルフとの関係。
命令されたヘルメルの監視と報告。
ヘルメルが何を考えているのか。
何故、存在しない筈の卵から孵化したドラゴンが学園にいるのか。
考える事は沢山あるというのに、そのどれもが腹立たしくて堪らない。
最善と考えてロルフを虐げていたという話の意味も分からない。そんな事をしなくとも、もっと別の方法があった筈だというのに。
学園の教師ともあろう男が、何故監視対象になるような事をしでかしているのか。監視したいのなら、きちんと王宮術師なり警備兵なり、そういうプロに任せた方が良いなんて誰でも分かる事。何故ただの学生でしかない自分にやれと言うのか。
「腹立たしいわね…」
小さく舌打ちをして空を睨みつけたマチルダは、歩き続けていた足を止めた。
少し離れた場所からがやがやと賑やかな声や音がする。破壊された箇所を修繕している場所まで来てしまったのだろうと気が付き、マチルダはそのまま工事現場に足を進めた。
工事が始まって三日。そろそろ骨組みは凡そ完成する頃だろう。
あれだけ派手に破壊された建物。石造りでそもそも強度はあるというのに、更にゴブリンが魔法をかけていたのだ。
一体どんな魔法を使ったら、あれだけ破壊できるのだろう。
マチルダが全力で爆破魔法を使えば可能だろうが、この学園にそこまでの攻撃魔法を使える生徒はそう多くない筈。教員がそんな馬鹿げた事をするとも思えない。
では誰が、何の目的で、どうやって?
ぐるぐると疑問は頭の中を巡るのに、どれ一つとして答えは導き出せない。
ドワーフが現場を見て何か勘付いていないだろうか。ルンバルドが居てくれたら、何か話を聞くくらいは出来るだろうか。
「お?どうした嬢ちゃん」
「こんにちは、ルンバルドさん。ご機嫌如何?」
「おう、元気だ。良いのかい嬢ちゃん、一人になるなってちまいのに言われてたろ」
「あ…」
ルンバルドに言われて漸く思い出したマチルダは、小さく声を漏らして手を口元に当てた。後でゾフィにばれたらどれだけ怒られるだろう。こっそり戻っておけば大丈夫だろうが、きっと既にマチルダがいない事に気付いているかもしれない。
「現場見学かい?もう殆ど終わっちまったぞ」
「流石、お仕事が早いのですね」
「まあな。魔法で破壊されたわけじゃねぇから、瓦礫片付けて直すだけだ」
「今、何と仰いました?」
魔法で破壊されたわけではない。
今確かにルンバルドはそう言った。物理的に破壊したのなら、ただの人間がどうやってあれだけ破壊するのだろう。
「火薬で吹き飛ばした…とか」
「いんや?壁のどこも焦げちゃいなかったしなあ…そりゃないだろ」
何をそんなに気にするんだとばかりに、ルンバルドは首を傾げながら髭を撫でる。
魔法以外で大規模な破壊。人間の仕業にしてはあまりに規模の大きな崩壊。
「殴るとか蹴るとか…まあそういう単純な破壊方法に見えたな。魔法の痕跡が欠片も無かったからきっとそうだ」
「人間に出来るような事ですか?」
「不可能じゃあねぇな。けどまあ、規模を見るにそれはあんまり考えられんよ」
何故そう言い切れる。
そう反論しようとしたマチルダが口を開いた途端、ルンバルドは工事現場の方を指差してにっかりと笑った。
「人間は非力だからな」
それだけ。たったそれだけの理由でルンバルドは人間の仕業ではないと言い切った。
乾いた笑いを漏らし、マチルダはルンバルドの後を追って歩き出す。確かに殆どの作業は終わっているようで、骨組みどころか壁の下地を塗る所までは終わっているようだ。
「俺たちは魔法は使えん。人間よりは力はあるが、身体強化魔法を使った人間には劣る。けど、こういう技術は俺たちにはある」
「ええ…素晴らしい技術です」
「ついでに俺は、めざいといんだ」
こそっと声を潜めたルンバルドは、ごそごそと胸元を漁って何かを取り出すと、自慢気にマチルダに見せてくれた。
それは、赤く輝く小さな欠片。それが何なのか、マチルダには分からない。
「持ってみろ」
掌に落とされたその欠片は、夕日を浴びてキラキラと輝く。美しいと溜息を洩らした瞬間、その欠片がほんのりと温かい事に気が付いた。
ルンバルドが胸元に大事にしまっていたのだから、彼の体温が移ったのだろうと思った。しかし、夕方の冷たい風に晒されてもいつまでも温かいのはおかしい。
「温いだろ」
「ええ…これは?」
「火竜の鱗さ。寒い時に持ってると温まるんだ」
雪山に行くなら持っていた方が良いと胸を張っているのだが、何故こんなものを持っているのだろう。
驚き目を見開いているマチルダに返せと手を差し出しながら、ルンバルドはふふんと鼻を鳴らした。
「ドラゴンは…保護生物です」
「知ってる。でも落ちてた鱗まで保護対象じゃねぇだろうよ」
「ええ、そうですね。ですが、先程目ざといと言いましたわね。もしやこれは、学園内に落ちていたのではありませんか?」
じっと見つめるマチルダの瞳から逃げられないのか、ルンバルドは小さく唸りながら口ごもる。その反応を見るに、本当に学園内で拾ったのだろう。
「瓦礫の、中に」
「瓦礫の中に、これ一枚だけ落ちていたのですか?」
「いや、あと三枚」
「ではその三枚は目を瞑ります。ですがこれは私がお預かりしますわ」
「駄目だ!俺のだぞ!」
ルンバルドが怒るのは当たり前だ。
誰の物でもない物を拾って、それが貴重な物ならば大事にしまっておきたいだろう。しかもそれがドラゴンの鱗ならば、誰だって譲りたくはない。
「お願いします、この一枚だけで構いませんから」
「嫌だ返してくれ!」
「お願いします!お礼はいたしますから!」
だがマチルダも譲れない。これは絶対にクロヴィスに見せなければならない。見せたらすぐに返すと約束は出来ないが、実物があるのならば見せないわけにはいかないだろう。
「以前私に依頼をしたいと仰っておりましたわね?それを受けますから!」
「…本当に?」
「学園に秘密でこっそりと受けますから…報酬はこの鱗一枚。いかがですか?」
ドキドキと胸が騒ぐ。本当にこんな約束をして良いのだろうか。いや絶対に良くはない。
バレたらどんな処分が下るか分からないし、問題児どころか最悪退学処分だ。
ロルフもゾフィも怒り狂うに違いない。だがこの鱗は何としても譲り受けなければならないような気がした。
「ううん…仕方ねぇなあ…」
「ありがとうございます!依頼のお話は明日にでも!お食事しながらゆっくりお話いたしましょう!」
これ以上ルンバルドが何か言う前に、マチルダはしっかりと鱗を握りしめて走り出す。
追い付かれないようにしっかりと身体強化魔法を使ったマチルダは、もう誰にも追い付けない。
風を切り、景色はどんどん後ろに流れていく。
すぐにクロヴィスの元へ行かなければ。あってはならない物が学園内にあった。何故そうなったのか分からないが、人間業とは思えない何かで破壊された建物の、その瓦礫の中から見つかった。
良くない。これは絶対に良くない。
いくら嫌いな人間からの頼みでも、ロルフが受けたのならば、見てしまったのならば協力しなければ。
「ルディ、ロルフ様を呼んできて。クロヴィス殿下のお部屋に連れてきてちょうだいね」
地面を蹴りながらそう言えば、忠犬と化したルディは小さく一声鳴いてすぐに影の中に消えた。
◆◆◆
キラキラと輝く真っ赤な欠片。しっかりと握りしめていたそれをクロヴィスに突き出したマチルダは、眉間に深々と皺を刻み込んでいる。
「ノックくらいしたらどうだい」
不愉快そうにそう咎めたギーレは、ノックも無しに飛び込んできたマチルダに視線を向けた。
つい昨日クロヴィスに連れて来られた部屋にそのまま突っ込んだのだが、いてくれて本当に良かった。
「申し訳ありません至急の用事ですので。殿下此方を」
「それは…?」
「火竜の鱗です」
そう告げたマチルダに、クロヴィスは勢い良く立ち上がる。
お供三人も目を見開いているのだが、クロヴィスの掌に落とされた真っ赤な欠片に、誰もが言葉を失っていた。
「学園の一角が休暇中に破壊され、現在補修工事中であることはご存知ですわね」
「ああ、勿論。まさかそこに?」
「はい、作業を行っているドワーフのお一人が見つけて拾ったそうです」
淡々と説明するマチルダの後ろで、閉ざされた扉を破壊しかねない勢いでノックの音が響いた。誰だと問うまでもなく、扉の向こうにいるのはロルフだろう。
「ロルフ!扉を壊す気か!」
声を張り上げたクロヴィスの視線は、手の中の鱗から離れない。
じわりと温かい鱗。それをしっかりと手の中に収め、クロヴィスは小さく呟いた。
「あの破壊された校舎の一角…生徒の悪ふざけが原因だと聞いていたが」
「ではその悪ふざけをした生徒はどこの誰ですか?」
「…知らない」
誰が破壊したのかも分からない。分かっているのは、ただ校舎の一角が破壊されたということだけ。
「マチルダ!殿下のお部屋で何を…」
「報告に来ただけですわ。ロルフ様も知っておいた方が良いかと思いまして」
にっこりと微笑んだマチルダは、クロヴィスの手から鱗を取り上げると、息を荒げているロルフの手にひょいと乗せた。
「火竜の鱗だそうです。例の工事現場から見つかったものを、ルンバルドさんが保管してくださっていたようです」
「火竜の鱗?!なんでそんなものが…」
学園の中にあってはいけないもの。ある筈のないもの。
それが今手の中にあるという事実が受け入れられないのか、ロルフは鱗とマチルダの顔を交互に見比べて言葉を失っている。
「あの破壊された場所に魔法の痕跡が無かったそうです。そして落ちていた火竜の鱗。ドラゴンが尻尾を一振りすれば、破壊できる規模ではありませんか?」
窓の外を指差したマチルダの動きに合わせ、お供三人はゆっくりと視線を向けた。
確かにマチルダの言う通り、大型のドラゴンが尻尾を一振りすればすぐさま破壊出来てしまうだろう。むしろ、あの一角だけ破壊された程度で済んだことが奇跡だ。
「鱗を見る限り、大型個体だとは思えませんけれど」
「そうだな…少なくとも五大竜でないことは確かだ」
まじまじと鱗を見つめ続けていたロルフは、はっとした表情で慌ててクロヴィスに鱗を差し出した。これは自分が持っているべきではないと理解しているのだろう。
「これは私が預かっても構わないかな?ドワーフの…なんと言っていたかな」
「ルンバルドさんです」
「そう、ルンバルド。拾ったのなら自分の物だと思っていそうだが」
「快く譲っていただけましたので、それは殿下にお渡しいたします」
どうぞ好きに扱ってくれと柔らかく微笑むと、クロヴィスはにんまりと笑ってギーレに手渡した。
「すぐに研究機関に送ろう。鱗があれば、どの個体のものか調べるくらい出来るだろうからな」
「例の幼体も、どの個体の子供か判明しますね」
ドワーフであるルンバルドが快く自分の物を譲り渡す筈がないとこの場の誰もが知っている。
知っていて、深く聞こうとしないのは、どうせマチルダの事だから問題児ぶりを発揮してきたのだと分かっているからだろう。
「鱗を手に入れる為に何をしたのかは聞かないが…何か助けが必要なら教えておくれ」
「ええ、そうさせていただきます。お話は終わりましたので…こちらで失礼いたします」
ロルフを呼ぶ必要は無かっただろうか。そう思いはするが、ドラゴンに憧れを抱いているらしい可愛い恋人はギーレの手の中にある火竜の鱗に名残惜しそうな目を向けていた。
ひらひらと手を振ったクロヴィスに小さく頭を下げると、ロルフはそっと扉を開いた。先に出ろとマチルダの背中を押したその仕草に、兄貴分四人は複雑そうな表情を浮かべていた事を、ロルフは知らない。その視線は、真っ赤な髪を美しく伸ばした愛しい恋人に向けられていたのだから。
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