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王子様の秘密

苛々と歩き回るクロヴィスを眺めるマチルダは非常に不機嫌だ。

折角楽しい夕食の時間だったというのに台無しにされ、クロヴィス専用の食事部屋に押し込められたのだから、不機嫌であっても文句は言われないだろう。


「それで?火竜を手懐けたという話は本当かい?」

「手懐けたというよりは、ドラゴンが勝手に寄って来ただけです」


私は何もしていない。

そう睨みつけるマチルダの目は、クロヴィスへの敵意を隠そうともしない。

ロルフに酷い事をする人。だから嫌い、大嫌い。それをきちんと知っているクロヴィスは、マチルダがぶっきらぼうに返事をしようが咎める気は無いようだ。


「我が国において、ドラゴンはどういう存在だか分かっているね」

「保護され管理されている最重要種です」

「そうだ。この国を作り出した女神を守っていたのはドラゴンだった。だからドラゴンは基本的に殺してはならない。討伐命令が出されるのは、国が滅びかねない危機的状況のみ」


淡々と言葉にするクロヴィスは、まだ歩き続ける事をやめようとしなかった。

お供たちがそろそろ落ち着けと言いたげな目を向けているのだが、それは無理な相談らしい。


「我が家…つまり王家がドラゴンを使役する家系であると言われているのは知っているね」

「あくまで伝説ではありませんか。殿下はドラゴンを使役出来るのですか?」

「無理だ。君の言う通り伝説だからな」


話の要領を得ないクロヴィスの言葉に、マチルダは更に眉間の皺を深くする。トントンと忙しなく動かし続ける人差し指が気になるのか、隣に座っているロルフはそわそわと落ち着かない様子だ。


「ドラゴンについてはどれくらい知識があるのかな?」

「本に書いてある程度の知識は御座いますが、詳しくはありません」


ドラゴンは神聖な生き物であり、基本的に人間が関わる事を許されていない。

生息域に近付く事すら許されず、どうしても用事があって行かなければならない場合は国に許可を得る必要がある。その為、ドラゴンという生きものがいる事は知られていても、どういった生態なのかすら分からない事が多かった。


上級術師ですら相手にならない程の攻撃力と凶暴性。女神のお供として大事に扱われ、人里に被害が及ばない限りはどれだけ被害が出ようとも駆除対象にすらならない特別な生き物。


滅多に姿を見せる事は無く、ごく稀に人里の近くを飛んでいる姿を見る事が出来れば幸運が舞い込んでくるとさえ言われている。…という程度の知識しかなかった。


「我が国には五大竜と呼ばれる特別なドラゴンがいてね。それぞれ原初の魔法を守護すると言われているんだ。君が手懐けたドラゴンは火竜。もしかすると、その個体は…炎を司るドラゴンの子供かもしれない」


漸く動きを止めたクロヴィスは、何が言いたいのか分からないがしっかりとマチルダを見据えてそう言った。


原初の魔法とは、マチルダが得意とする炎を始めとした基礎魔法の事である。

炎、水、土、雷、光の五つの魔法が基礎魔法とされ、他のあらゆる魔法は原初の魔法の応用魔法とされている。


「ドラゴンの代替わりは数百年に一度。ドラゴンが卵を産む事がまず珍しい事な上、五大竜が卵を産むのは代替わりをする時だけだ」

「つまり…あの小さなドラゴンの母親は既に?」

「その可能性が高いが、おかしいんだ。普通は卵が孵り、子供が成体になるまでは育てる筈。何故卵が人間の手に渡っているのか想像もつかない」


一度腕に抱いたあのドラゴンが五大竜の後継者であるかはまだ確実ではない話だが、クロヴィスはそうであると決めつけているようだ。


「火竜は五大竜の他にも確認されている筈です。その個体のうちのどれかの子供では?」

「ああ、その可能性は高い。だが、どういう個体だとしても卵が産まれたならば研究機関が知らない筈がないんだ」


授業にドラゴンを使ったと知ったクロヴィスは、怒り狂いながら王都へ遣いを出したらしい。使い魔の風鷹を放てば半日と掛らず手紙のやり取りが出来るらしいのだが、それにしても確認して返事をさせるまでに時間が掛かっていない。


「研究機関が知らない卵から孵化した個体。これがどういう事か分かるかな?」


低く唸るように問うクロヴィスに、ロルフがごくりと喉を鳴らした。


「ヘルメル先生が、良からぬことを企んでいるとお考えなのですか」

「その通り。ドラゴンに関わる事が許されてない研究者だからね。どうやって卵を手に入れたのか問い詰めなくてはならないが、私にその権限はない。さてどう動こうか」


苛々とつま先で床を叩くクロヴィスが「私」と言っている時は、王子様である時の特徴だと以前ロルフが言っていた。

普段ただの「クロヴィス」でいる時は「俺」と言っているのだが、それが「私」になった時はとても恐ろしいとも。


つまり、今のクロヴィスはロルフにとって恐ろしい以外の何者でもない。一刻も早くこの場から逃げ出したいだろうに、ロルフはしっかりとマチルダの手を取って何があっても守ろうと必死な様子だった。


「あの男は危険だ」

「根拠は」

「無い。だが、私の直感がそう言っている」


根拠など無くともそれが根拠となるとでも言いたいのだろうか。

自信満々に胸を張って「あの男は危険だ」と言うクロヴィスは、普段のマチルダならば何を言っているのですかと一蹴するだろう。


だが、マチルダもヘルメルに対して良い印象は無い。


「君たちはまだ一年以上彼の授業を受けるだろう。私が卒業した後も、彼を監視してほしい」

「監視し報告しろと」

「そうだ」

「それをして、私共に何の得があると言うのですか?」

「無い。やれ」


冷たく輝くクロヴィスの瞳。

紫色の瞳が、しっかりとマチルダを睨みつけ、有無を言わさぬ圧を放った。

普段出来るだけ紳士的であろうとしている筈のクロヴィスが、紳士面を脱ぎ捨てて命令している。


何とも面白くない。大嫌いな男が外の世界では絶対に勝てない身分にいる。逆らうことは許されない。彼は間違いなく、王家の男なのだから。


「あ…」


ふと、気付いてしまった。

紫色の瞳は王家の証。様々な色の瞳を見てきたつもりだが、紫色の瞳を持つ人間をマチルダは二人しか知らない。


目の前にいる第三王子、クロヴィス・ハノ・ロイヒェン。

そして危険だと言われたばかりの男、ヘルメル・デトモルト。


王家の人間以外で紫色の瞳を持った者はいない。そう言われている筈なのに何故ヘルメルが王家の証を宿しているのだろう。


「…私と同じ色を持つ人間を、私は家族以外に知らない。王とその子供たちにだけ与えられる色が、何故あの男も持っているのか分からない」


分からないと言いながら、恐らく想像はついているのだろう。

彼は、ヘルメルは存在してはならない兄であると。


「ヘルメルの正体については此方で調べる。君たちは監視と報告を。良いね」

「断る事は許されない。お前たちは殿下のお言葉に従うんだ」


今まで一言も発さず立っていたお供の一人、騎士見習いであるシュレマーが言った。

マチルダが嫌だと言うと分かっていたのだろう。威嚇するように腰に差していた剣に手を添えた。


それに対抗する様に拳を握りしめたロルフが、僅かにマチルダの前に出る。

力で従わせる気ならば、力で対抗するしかないからだ。


「従え。君たちはそういう運命にあるのだから」

「私は王と国に従えと教え込まれてはおりますが、王位を継げない第三王子に従うつもりは御座いません」

「貴様!」


怒りに染まった表情で、お供三人組はそれぞれの武器を取る。余裕たっぷりの表情でマチルダを見つめるクロヴィスは、静かに片手を上げてそれを止めた。


「私が王位を狙っていないとでも?」

「狙えるのですか?まさか兄二人の御命を刈り取るおつもりですか」

「五大竜だ。光の竜は我が王家の守護竜。その竜を従わせる事が出来れば、王位継承順位関係無く王となれる」


にんまりと微笑んだクロヴィスは、可能性が限りなくゼロに近い事を言ってみせた。

光の竜は実在する。生息している場所も分かっている。だが、使役する方法は分かっていない。

その竜をどう従わせると言うのだろう。もし本当にそんな事が出来たなら、彼はきっと伝説の王になるのだろう。


「ま、使役する方法は分かっていないし、そもそも俺が本当に王になれる可能性は限りなく低いんだけれどね。頼むよ、命令とは言っても今はただの学生の身。お願い程度の命令だから」


ふいに「王子様」から「クロヴィス」へ表情を変えたクロヴィスは、パンと手を叩いてからマチルダに手を差し出した。


「お礼はするからさ。どうしても嫌なら断ってくれても構わないけれど、彼は本当に危険だと思うんだ。学園に俺のお願いを聞いてくれる人が居るのなら、出来るだけ見張っておいてほしい」

「承ります、殿下」

「ロルフ様!」


恭しく頭を下げたロルフに声を荒げたマチルダだったが、ロルフは頭を下げたまま動かない。

随分と恐ろしい人であると刷り込まれているのだろうが、やはりマチルダは二人の関係性が理解出来ないままだ。


「…ロルフ様がそう仰るのなら」

「良かった。すまないねロルフ、面倒をかける」

「いえ、殿下のご命令ですので」

「…良い子だね、ロルフ」


よしよしとロルフの頭を撫でるクロヴィスは、どこか苦しそうな顔をしているように見えた。だがそれは一瞬の事で、頭から手を離した途端、その表情は一瞬で消え失せた。


「ロルフは先に戻れ。フロイデンタール嬢はもう少し話をしよう」


それは受け入れられないと口を開こうとしたロルフは、体格の良いシュレマーに無理矢理部屋から押し出される。二人が出ていった扉が閉ざされると、途端に部屋の中は静かになった。

部屋の外で待つ事くらいは許されるかもしれないが、この場でロルフと引き剥がされてクロヴィスの前に立たされるのは何だか居心地が悪い。


「君は、俺がロルフに酷い事をしていると思っているね」

「その通りではありませんか」


化け物と罵り、痛めつける事が酷い事でないなら何だというのだろう。

大嫌いだと表情にしっかりと表しながら、マチルダはクロヴィスを睨みつけた。


「君が怒るのも当然だ。だが、俺はああするしかなかったんだ」

「どういう事でしょう」

「ロルフが異形である事は知っているね。化け物となり、暴れているうちに理性も失ってしまう」


それを知っているねと聞いたクロヴィスは、静かに昔を懐かしむような表情で語り続けた。


ロルフが変身魔法を覚えるより前から、遊び相手として城に遊びにくるロルフを、クロヴィスは弟のように可愛がっていた。

いつも殿下殿下と嬉しそうに笑い、何をするにも後を付いてくるロルフは、お供三人衆とも仲が良かった。一番の末っ子だったロルフは四人から可愛がられ、よく懐いていた。


だが、異形の野獣となったロルフは理性を失う化け物になってしまう。そうなれば、大人相手でさえ大怪我をさせる程の力を持っていた。成長する毎にその力は増し、いつか人を殺してしまうと危惧され、病気に見せかけて殺してしまおうと計画されていることを、幼い兄貴分たちは知ってしまったのだ。


「子供なりに考えた。異形のロルフは獣と同じ。ならば、自分よりも強い相手には戦意を喪失するだろうと」


ずっと優しくしてくれていた兄貴分たちから酷く扱われてどれだけ傷付いただろう。化け物と罵られ、何度も地面に転がされ、蔑まれるうちにロルフは笑顔を見せなくなった。

代わりに、化け物となり果てても絶対にクロヴィスに逆らわなくなった。


唸り声を漏らし、ぼたぼたと口から涎を落としながら今にも噛み付こうとはしても、その場に伏せて動かなくなる。そこまで出来れば、あとはお供達がロルフを拘束し、落ち着くまで見張るだけだった。


「俺が結界魔法を覚えたのは、ロルフを中に閉じ込める為。安全な場所で閉じ込めておけば、あの子が誰かを傷付けることは無いだろう?」


そう言ったのは、綺麗な顔を悲しそうに歪めるギーレだった。森で瘴気を浄化している時に見た見事な結界魔法が、元はロルフを閉じ込める為のものだったとは思いもしなかった。


「シュレマーが剣を取ったのは、ロルフが暴れた時に物理的に抑え込む役が必要だったから。レーヴェが回復魔法を覚えたのは、元々光魔法の才能があったからというのも一つの理由だけれど、暴れて傷付いたロルフを癒す為だ」


そう続けたギーレは、恐らく外で待っているであろうロルフを見つめるように、扉をじっと見つめた。


「大人たちはすぐにあの子を殺そうとする。でも可愛い弟分を黙って殺される事を、俺たちは許せなかった。嫌われても良い。生きていてくれればそれで良い」

「だから、あのように酷い事をされるのですか?」

「そうだ。恐怖で従わせる事が正しくない事は理解しているよ。もっと他にやりようがあっただろう。でも、あの時の俺たちはそうするしかないと思ったんだ」


じっとマチルダを見つめる三人の目。

大人しく聞いていた話のどこまでが本当の話か分からないが、何故酷い事をするのかという謎が少しは解けたような気がした。


だからといって、ロルフに対する扱いを許す気にはなれそうにない。


「守る為だとしても、私は貴方方を許しません。何を話されたとしても、嫌いだという事も変わりませんわ」

「それで良い。それでロルフを守れるのなら」


幼い子供が考えたにしても、あまりにも酷い扱い。それを学園に入っても続けた理由が分からないのだ。

学園には上級術師相当の教員がいる。もし万が一ロルフが暴れるような事があったとしても対処出来る筈なのだ。


それを、わざわざ顔を見に来て痛めつけた理由は。瘴気を帯びた傷を見てすぐに治してやらなかったのは、可愛い弟分なのならばすぐさま治してくれれば良かったのに。


どうして、何故、理解出来ない。


「お話はそれだけですか?」

「ああ、もう行って。シュレマーが戻らないから、きっとロルフが外で待っている」


最後にじろりとクロヴィスを睨みつけ、マチルダは挨拶すらせずに部屋の扉を開け放つ。

びくりと肩を震わせたロルフは、気まずそうに黙りこくっているシュレマーの隣に立っていたようだ。


「マチルダ…話は終わったか?」

「はい、終わりました。寮の入り口まで送ってくださいませんか?」

「勿論。…あー、それでは失礼します」

「ああ」


シュレマーにぺこりと頭を下げたロルフは、不機嫌そうに歩くマチルダに「何を話していたんだ」としつこく聞く。

だが、マチルダは先程の話をロルフに話して聞かせる気にはなれなかった。


クロヴィスから口止めされたわけではない。

だが、何となく今話してはいけないような気がした。

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