088 My Unexpected Comeback
部屋の隅、久しく触れていなかった箱から引っ張り出したVR機材。
うっすらと埃をかぶっていたそれを丁寧に拭き取り、PCに繋いで電源を入れる。
ウィーンという懐かしい駆動音とともに、モニターに映し出された緑色の「READY」の文字。それを見ただけで、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「よし……動く、ね。ふふふ……。よかったぁ……」
パソコンの画面の向こうでは、いつもの三人――Friday、Misfortune、Nobodyが、チャット欄で私を急かすように怒涛の勢いでメッセージを打ち込んでいた。
Friday【おいシンディ!本当にあのDHIBに復帰するのか!?】
Misfortune【復帰組は前のアカウントの名前をそのまま引き継げるみたいよ。話してくれたあの頃の名前でいくの?】
Nobody【ちょっと遊んでたんだろ!先輩風吹かせる大チャンスだぞシンディ!ドヤ顔してこい!】
過去のアカウント――『アタランテ』。
DHIBが今ほどカオスな世界に塗り替えられる前、私は帝国勢の端っこでひたすら黙々と農場を耕し、鉱石を掘り、お金を稼ぐ生活をちょっとだけ送っていた事がある。誰とも群れず、会話もせず、ただただゲーム内の世界に没頭していた寡黙なソロプレイヤー。それがVRゲームを始めたときの私。
たまに気分転換で参加していたPVPの小隊戦では、味方の帝国軍が全滅させられた後、マップの影に潜伏して最後の一人になった私が、背中の巨大な狙撃銃で相手チームを一人、また一人とノーミスで撃ち抜いて逆転勝利したこともあったっけ。あの時は誰も私の潜伏場所を見つけられなかった。
そういえば、この特殊機体を手に入れられたのも、あの時のおかげだったっけ。
『小隊戦で一度も敵に見つからず、たった一人で敵小隊を全滅させる』なんて狂った前提条件のせいで、未だに同型機を見かけたことがない私の相棒。
……でも、あの頃の私は、たった一人だった。
すぐにゲームもやめちゃったしね。
今の私は、この三人のおかげで、ちゃんと「シンディ」になれたんだ。
「ううん……私は『シンディ』でいくよ。アタランテは……過去の私だからね。ふひ、……ちょっと行って来るね」
キーボードを叩いて返事を打つと、画面の向こうから三人の温かい声が返ってくるようだった。
Friday【それもシンディらしくていいぞ!】
Misfortune【今のシンディで思いっきり楽しんできなさい!】
Nobody【よし、いけシンディ! 新しい伝説を作ってこい!】
アカウント名は『シンディ』に決定。だけど、過去のプレイデータと引き継いだ装備一式はそのまま私の手元に適用される。
黒を基調とした重厚で迫力のある装甲ボディ。背中に背負った折りたたみ式の超遠距離巨大狙撃銃。その威圧感あふれる久しぶりの愛機とともに、私は高鳴る胸を抑えてDHIBの世界へとログインした。
視界が光に包まれ、パッと弾けた瞬間、私は真っ白で広大なチュートリアルエリアに降り立っていた。自分の人型兵器と並んで、電子世界にいるような空気感が凄かった。
「わぁ……凄い……」
思わず感嘆の声が漏れる。以前プレイしていた頃よりも、空気の透明感、光の粒子、足下に広がる床の質感まで、すべてが桁違いの解像度で迫ってくる。
そして私の目の前には、パタパタと小さな羽を動かすように浮遊する、愛らしい姿の光の塊。SNSで話題だった『アシスタントちゃん』が待っていた。
「あ、あの……はじめまして?ひひ……。よろしくね、アシスタントちゃん……」
自分でも不気味かなと思うような笑い声を交えながら話しかけると、アシスタントちゃんは一瞬、目をパチクリとさせて不思議そうに首を傾げた。今回は以前のアバターのままだったけど、これからしっかりとロールプレイする予定だからね。
みんなで作ったキャラクターのシンディをしっかり演じないと。
「あ、はい!よろしくお願いします……過去にログイン履歴がありますね?お答えできれば幸いなのですが、シンディ様……どうして久しぶりにこのDHIBの世界にいらっしゃったのですか?」
「ん……?ええとね、友達に誘われたんだ。『フィン』さんっていうんだけど……ふふ、ふふふ……」
「えっ、フィン様ですか!?お友達なのですか!?」
アシスタントちゃんがびっくりしたように、パッと光を弾けさせた。
さすがフィンさんだ。それもそうか、ここでも有名人だものね。
「うん……配信でね、ちょっと知り合って。私、あんまり人と喋るの得意じゃないんだけど……ずっと引きこもりで、社会から落っこちちゃって……誰とも話せなくて、お外に出るのも怖かったんだ……」
ポツリ、ポツリと、私は自分の過去と身の上を話し始めた。
言葉がつっかえそうになりながらも、今の私は不思議と怖くなかった。アシスタントちゃんが、私のまとまりのない話を、あたたかな光を揺らしながら静かに、優しく聞いてくれたから。
「……そしたらね、フィンさんが私の地味な石積み配信に来てくれて……。だから、また一緒に遊べたらいいなって思って、来ちゃった……ふひ」
「そうだったのですね……!シンディ様がそんな素敵なきっかけを経て、こうしてここに来てくださって、私とっても嬉しいです!」
アシスタントちゃんが嬉しそうにくるりと一回転して、可愛らしい笑顔のエモートを浮かべる。その姿があまりにも愛おしくて、私の心もポカポカと温かくなっていった。
「あ……でもね、私を助けてくれた人は、フィンさんだけじゃなくて……あと三人いるんだ。Fridayと、Misfortuneと、Nobodyっていう……とっても優しくて、温かいお友達がね……ふふ」
私の言葉に、アシスタントちゃんは光の羽をパタパタと揺らした。
「素敵なお友達ですね!でしたら……その三人の方々も、一緒にこの世界にお誘いして遊ぶのはいかがでしょうか?」
「え……?でも、あの三人、VR機材持ってたかなぁ……。それに高そうだし、無理させちゃうのは悪いよ……」
「しばらくお待ち下さい。……データ照会中……あ!Vチューバーのシンディ様ですね?『Plan_B』様から特別招待状が届いていませんか?」
「えっ……?ああ、そういえば……なんかメール来てたかも……。でも、これは個人の趣味で来てるだけだから……」
「でしたら!Plan_B様から、シンディ様とお友達三人分の最新型VR機材を、無料で合計4セット発送してもらいましょう!私からすぐに手配いたしますね。きっと気に入っていただけると思います!よろしければ、シンディ様からそのお話を三人にしてみてください!」
「えっ……私のも?本当に?まあ、でも四人でこの広大な世界を遊べたら……すごく楽しいかも。ふふ、ふひひ……後で聞いてみるね……」
「はい!それでは!早速ですが復帰組なので、基本動作のチュートリアルから開始いたしますね!」
アシスタントちゃんが元気にぐるりと回ると、私は一瞬で訓練機の中に飛ばされた。素敵な演出だね。
昔やってたやつとほぼ同じ画面。これなら大丈夫かなと。
手探りで、色々いじってみる。
「ええと……まずは歩行だね。うん、わかった……こうかな」
私は体に染みついた感覚のまま、スムーズに機体の重心を移動させ、完璧な歩行動作を行ってみせた。右足、左足、関節の油圧の抜け感まで意識しながら、一切のぎこちなさもなく滑らかに歩を進める。
「な、なぜそんなに簡単に歩けるのですか!?」
「これでも復帰組だからかな?……前のはもっと難しかったかも。あと、的確に操作するのは慣れているから……。昔も今も、ずーっと同じ地味な作業ばかりしてたからね……。あと基本のローリングって……こうでしょ?」
ぬるりと機体を滑らせ、重心を低く落としながら隙のない回避運動を完璧にこなしてみせる。重厚な装甲が地面スレスレを滑り、一切のロスなく立ち上がる。
「す、すごいです……!ここまでは簡易的な『レガシーモード』ですが……そ、それなら『ハイパーモード』も試してみますか……?」
「ハイパーモード……?ああ、噂のあれかな?多分、できると思うよ……ふひひ」
「う、嘘ですよね……?ハイパーモードは現役のプレイヤーでも苦戦する設定なのですが……!それでは、システムを切り替えますね!」
アシスタントちゃんが半信半疑のまま宙に浮く操作パネルを叩くと、空間の雰囲気が一変した。
さっきまでいた訓練機の背景が消え去り、私の視界は一瞬で「黒き重武装機体」のコックピットへと切り替わる。
これは多分、自分の機体みたいだね。
背後で重厚なメインとサブジェネレーターが強烈な旋回運動を開始し、重低音の振動がシートの背もたれを通じて全身の骨にまで伝波してくる。
それと同時に、正面と左右を包み込む全方位モニターが順次立ち上がっていく。
『――System Initializing. Inertial Measurement Unit calibration complete.』
『Pilot Verified: Cindy. Neural-synaptic sync at 99.8%.』
『……稼働中。本日のコンディショニングを行います。ボイス・コマンドに応答してください』
「ひっ!?」
突然コックピット内に鳴り響いた透明感あふれる合成音声に、情けない悲鳴を上げて跳ね上がってしまった。
『帝国軍統合インターフェース・アシスタントです。操縦者のストレス軽減および緊急時の音声オペレーションをサポートします。「メインモニター表示切替」とお申し付けください』
「あ……びっくりしたぁ……これが噂のやつかぁ。メインモニター表示切替……」
胸を撫でおろし、気を取り直した私の目に、コックピット内に無数に浮かび上がる見たこともない複雑な計器群、ホログラフィック・ゲージ、スイッチ類が飛び込んできた。
普通の人なら「何がなんだかわからない!」とパニックになるところだろう。だけど、私の目は輝いていた。
「わあ……すごい……!計器がいっぱい……!ねぇねぇアシスタントちゃん、これってなぁにかな?」
私は手当たり次第に、目の前に浮かぶ計器やスイッチを指さしながら尋ね始めた。子供が大好きな玩具箱を開けたときのような、純粋なワクワクが胸の中から溢れ出して止まらない。
「えっ、あ、はい!左上の赤いゲージはメインジェネレーターの熱循環率で――」
「あ、熱循環率なんだ!ということは、これを手動で20%に絞ると過熱を防げるんだね?じゃあ、その隣の青いデジタル数値は……慣性制御装置?」
「えっ!?あ、はい!よくお分かりですね!?」
「なんとなく見ればわかるよ……!じゃあ、この足元にある小さなアナログのは……姿勢制御スラスターの噴射角のベクトル補正用かな?これを……カチカチって回すと、旋回するときの横Gが減るかなフフフ」
「……普通は説明されないと理解できない項目なのですが!」
「復帰組だからね……あと、このゲームの設定資料集は好きだったから……しっかり読破してるよ。……これ、楽しいね……!じゃあじゃあ、この右手側のレバーの横にあるトグルスイッチは?これを入れると、背中の超遠距離狙撃銃のロックが解除されて、バレルが自動展開するのかな?ほら、カチッ……あ、やっぱり!」
重厚な金属音とともに、コックピットの外で愛機の背中に背負った巨大な狙撃銃のバレルが滑らかにスライドし、照準器が展開された。
「す、すごすぎます……!初めて触る計器なのに、何がどう連動して作動しているのかを全部一瞬で理解されちゃうなんて……!どうしてそんなに分かるのですか!?」
空中でくるくるしながら驚愕するアシスタントちゃん。
私はコックピットのシートに深く背を預け、次々と手元で動く計器の光を見つめながら、楽しそうにクスクスと笑った。
「なんでだろうね……ふふ。気になっちゃうのが……癖なのかもね。昔から、地味な画面をずーっと観察して、何がどう動いてるのか仕組みを調べるのが大好きだったから……あと、当時は意味不明だったけど、分からないと進めないチュートリアルはいっぱいあったからね。ふひひ……」
私の指先は、まるで長年愛用してきた楽器を奏でるように、コックピット内のレバーとフットペダルを軽快に操作していく。
「メインジェネレーター出力、30%保持……。慣性制御装置、マニュアル固定。姿勢制御スラスターのベクトル同調……よし、完了……!」
慣れた手つきでフットペダルを踏み込むと、ズシンという心地よい手応えとともに、漆黒の機体が一瞬の揺らぎも見せず、寸分の狂いもない完璧な直立姿勢を維持した。
「ほ、本当にハイパーモードの初期セットアップと複雑なシステム理解を一瞬で完了させちゃいました。専門的な起動手順まで完璧なんて……シンディ様、すごいですね!?」
震えるアシスタントちゃんに、私はコックピットの中で、今日一番の嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ふふ……。ただの……引きこもりVチューバーだよ……。次は……何をすればいいのかな?飛行?それとも射撃?色んなこと……試してみたいね」
暗い部屋で閉じこもっていた私が、いま、新しい大空と冒険に向かって、胸を躍らせながら一歩を踏み出していた。
「本当ですか!それでは飛行訓練をお願いいたします!」
なんだか楽しそうなエモートを表示して私にお願いをするアシスタントちゃん。
あれ?そういえば、飛行訓練ってたしか……。
『ちなみに、飛行中のハイパーモード操作は、失速すると即座に1000メートルの高さから墜落して機体が大破・爆発いたしますので、とってもスリリングで楽しいです』
天使のような凶悪なエモートを出すアシスタントちゃん。
即座に次のチュートリアルが開始されるってことはー……。
私の顔からスーッと血の気が引き、自分でもオチが分かってしまった。
「……あ、そうだった。これが噂の……」
『それでは、飛行チュートリアルカウントダウン開始です! 3、2、1……テイクオフ!鳥になって来い!』
突如として背中の巨大スラスターが爆音を上げ、私の乗る漆黒の愛機が、弾丸のような勢いで上空へ向かって垂直に打ち上げられた。
「わぁ……わぁぁぁ……っ!?」
視界を覆う強烈なGと、目まぐるしく回転する空と大地。
ええと……慣性キャンセラーを切って、スラスターを絞って……ううん、制御できるかなぁ……。
「……まあいっか。これも通過儀礼、通過儀礼……ふひ」
私はうーんと一瞬だけ悩んだ末に、すっぱりと操縦桿から手を離した。
――数秒後。音速に近い速度で真っ逆さまに急降下した漆黒の重装甲は、修正する間もなく地面へと豪快に叩きつけられ、激しい爆炎とともに四散したのだった。




