073 DHIBとコラボのお仕事案件
あずささんから「正式なお仕事の依頼だから宜しく」と連絡を受けたときは、私は思わず自分の耳を疑ってしまった。
しかも、その依頼元が私自身もそこそこ面白かったVRゲーム『Dreams hopes iron blood』通称DHIBだというのだから、驚きは二重だった。
まさか自分が、声のお仕事——いわゆる声優のような活動をやらせてもらえるなんて、本当に夢のような話だ。
「ふぅ……ちょっと緊張してきたな」
私は自室の配信部屋にあるデスクに座り、目の前にセットした高性能マイクとの距離感を調整しながら、あずささんから送られてきた仕様書と収録用の書類に目を落とした。
そのすぐ隣では、私の配信活動や身の回りの世話を完璧にこなしてくれるメイドの雫が、静かに控えて機材の最終チェックを手伝ってくれている。
しかし、何度書類の文字を読み返してみても、私の中で疑問が膨らむばかりだった。
「ねえ、雫。あずささんからいただいたこの収録内容……これだけで本当に全部なのかな?」
私が率直な疑問を投げかけると、雫は書類を覗き込み、いつものように穏やかで気品ある笑みを浮かべて頷いた。
「はい、彰様。あずさ『様』に確認いたしましたところ、これで十分すぎるとのことでございます」
「うーん……十分すぎるというか、少なすぎる気がするんだけど……」
そこに書かれていた原稿は、信じられないほどシンプルだった。
やるべきことはただ一つ。ゲームのタイトル画面で流れる『Dreams hopes iron blood』というタイトルコールを吹き込むこと。それだけだ。
ただ、バリエーションとして4つのパターンが指定されている。
1.感情を挟まず、淡々と発声するパターン。
『Dreams hopes iron blood』
2.ボイス加工を前提とした、無感情で無機質なロボット風のパターン。
『System Online. Dreams hopes iron blood』
3.私がゲーム内で演じているキャラクター『フィン様』のような、丁寧で落ち着いた執事風のパターン。
『お帰りなさいませ、ご主人様。Dreams hopes iron blood』
4.耳元で密やかに囁くようなパターン。
『……Dreams hopes iron blood……』
「どれも最終的にはボイスチェンジャーやエフェクト加工を強く入れるから、そこまで綺麗な生音じゃなくて大丈夫って書かれてるけど……本当にこれだけでお仕事として成立するのかな?」
「ふふ、ご心配には及びません。あずさ『様』も『彰様の声の素材さえあれば、あとはこちらで完璧にエディットして極上のタイトルコールに仕上げてみせるわ』と意気込んでおられましたから」
なるほど、あずささんのプロデュースと編集技術に全幅の信頼を置くスタイルか。
それなら私が必要以上に心配することもないね。
「それでですね、彰様」
雫が指先で書類の一箇所をそっと指し示し、言葉を続けた。
「一番下に記載があります通り、上記4パターンの他に、彰様の自由な発想でオリジナルのセリフを1パターン追加して良いとのことです」
「自由な発想で追加……?本当に好きに言っちゃっていいの?」
「はい。彰様が感じたままにお話しくだされば何の問題もございません。収録した音声データはあずさ様が責任を持って調整いたしますので、どうぞお気になさらず」
好きにしていいと言われると、逆に何を出せばいいか迷ってしまう。
私は椅子に深く腰掛け、デスクに肘をつきながら「うーん」と熟考した。
タイトル画面で流れる一言。プレイヤーがログインして、これから戦場や広大な宇宙へ旅立とうとするその瞬間に聴こえてくる言葉……。
「これから厳しい戦いや、未知の冒険に飛び込んでいくプレイヤーたちに向けた言葉か……」
ふと、私の頭の中に一つのフレーズが爽やかに舞い降りてきた。
「……ねえ、雫。『ボン・ヴォヤージュ』なんてどうかな?」
私が呟くと、雫はパッと表情を明るく咲かせ、嬉しそうに胸の前で手を合わせた。
「まあ!とても素晴らしいと思います、彰様!『道中ご無事で』を意味する言葉ですね。過酷な戦場へ赴くプレイヤーたちへの祝福としても、広大な宇宙を旅するこのゲームの世界観としても、完璧に調和しているかと存じます」
「本当? よかった。じゃあ、その5パターン目でいこうか!」
方針が決まれば話は早い。
「では、彰様が集中できるよう、私は一度退出させていただきます。何かございましたらお呼びください」と雫が礼儀正しく一礼して部屋を退出していった。
静まり返った配信部屋で、私はマイクに向かい直した。
「よし……やるぞ!」
一人になると、途端に恥ずかしさと気合いが入り混じった不思議な感覚になる。
収録用のマイクの距離を調整し、声を出す。
「うん、まずは淡々と……『Dreams hopes iron blood』」
「次はロボット風……『System Online. Dreams hopes iron blood』……うーん、もう少し抑揚を消したほうがいいかな?」
「『System Online. Dreams hopes iron blood』……こんなかな?」
「次はフィン様風か……『お帰りなさいませ、ご主人様。Dreams hopes iron blood』……ふふ、ちょっと格好つけすぎかな」
「そして囁き声……『……Dreams hopes iron blood……』……うわ、自分で聞いてて恥ずかしいなこれ!」
ああでもない、こうでもないと喉を鳴らし、ボイスチェンジャーのエフェクトノイズを意識しながら、何度もテイクを重ねていく。
そして最後、自分の思いを込めた追加の1パターン。
「——ボン・ヴォヤージュ。良い旅を、『Dreams hopes iron blood』」
少しだけフィン様の優しさを残しつつ、冒険者たちの背中を押すようなトーンで吹き込む。うん、私としてはかなり満足のいく出来になったと思う。
録音したデータを一つずつチェックし、指定のフォルダにまとめる。それらをあずささんのメールに添付し、送信ボタンを押した。
「ふぅーっ! 終わったー!」
送信完了の画面を見届け、私は大きく背伸びをした。
初めての会社からの声のお仕事、これにて無事に完了。
こんなにあっけなくて良かったのだろうかという思いもあるけれど、やり遂げた達成感は心地よかった。
椅子にもたれかかりながら、ふとスマホのSNS画面が目に入った。
「そういえば、DHIBって今回のアップデートで、ゲーム内容が劇的に変わったんだよね。SNSでもすごく話題になってたし」
自分の声が乗るかもしれないゲーム。
そして、開発陣が狂気的なこだわりで作り直したという新環境。
興味が湧かないほうがおかしい。
「ちょっとだけ……入ってみようかな」
私は配信部屋で専用のVR機器を用意する。
作業用のPC端末からアクセスを開始し、最新型の専用VRゴーグルを持ち上げて頭部にしっかりと装着する。
「ログイン——『Dreams hopes iron blood』」
視界が暗転し、眩い光の粒子が私の全身を包み込んでいく。
ちょっと長めのローディングが経過した次の瞬間、私の視界に飛び込んできた光景に、私は息を呑み、絶句した。
「……な、なにこれ……?どうなってるの、これ……!?」
あまりの変貌ぶりに言葉を失った。
そこは、私の知っているDHIBとは完全に『別物』と化していたのだ。
見上げれば、巨大な格納庫の天井から差し込む幾筋もの光の筋。空気中に漂う微細な塵やホコリまでが光を反射してキラキラと輝いている。足元の鉄板を見れば、長年の運用で刻まれた擦り傷や油汚れ、溶接の歪みや継ぎ目までが本物の質感を持って存在していた。
自分の手を見つめて指を動かしてみる。皮膚の皺、手袋の縫い目、関節の屈曲に伴う光の陰影が、実物以上にリアルに、ぬるぬると滑らかに動くのだ。
(グラフィックエンジンを変えたなんてレベルじゃない……!これ、本当にゲームの世界にそのまま入っちゃったんじゃないの……!?)
あまりの解像度とリアルな密度に圧倒され、私はしばらく開いた口が塞がらなかった。一応安全の為プライベート空間にはしてるけどそれでも驚きを隠せない。
そして驚いてばかりもいられない。せっかくログインしたのだ、まずは新しくなったという操作感を試してみないと。
私はメニュー画面を開き、とりあえず基本操作を確認するために『チュートリアルモード』を選択した。
画面に選択肢が現れる。
【操作モード選択】
・クラシック・レガシー・モード(従来のアシスト操作)
・ハイパー・モード(完全リアル物理演算操縦・推奨)
「クラシックモード?ハイパーモード?……なんだろう、この二つ。クラシックって書いてあるし、まずは従来のアシスト操作からやってみようかな」
『クラシック・レガシー・モード』を選択し、訓練用の標準的な人型兵器に乗り込んでみる。
操作を開始した瞬間、私は「おおっ!」と歓声を上げてしまった。
「すごーい!めちゃくちゃ動きやすくなってる!」
従来の直感的な操作感をベースにしつつも、機体の挙動から変な引っかかりや不自然な硬直が綺麗サッパリ消え去っていた。
レバーを傾ければ素直に旋回し、踏み込めばレスポンス良く加速する。変に癖のある操作をしなくても、頭で思い描いた通りの動きが完璧にトレースできるのだ。基本動作に対する反応性能も抜群で、硬直が少ないから変な隙を晒す動きをしなくてもいい。
「感動的だなあ……これだけでも十分すぎるくらい神アップデートじゃない?」
クラシックモードの圧倒的な快適さにすっかり満足した私だったが、ふと好奇心が持ち上がった。
「じゃあ……もう一つの『ハイパーモード』って、一体どんな感じなんだろう?」
ほんの軽い気持ち。
私はメニューを開き、操作モードを『ハイパー・モード』へと切り替えて、チュートリアルを再スタートさせた。
視界が一度暗転し、次の瞬間——私は強烈な圧迫感とともに金属の塊の中に閉じ込められていた。
「えっ……?は?なにこれ?何をどうすればいいの……!?」
そこは、圧倒的な情報量で埋め尽くされた人型兵器のコックピット内部。
クラシックモードのような簡略化されたアイコンや綺麗なUIは一切存在しない。
目の前にあるのは、無数のアナログ計器、スイッチ、複雑に交差する油圧ゲージ、そして多機能液晶モニターの群れだ。
何をすればいいのか全く分からずパニックになりかけるが、長年ゲーマーとして培ってきた私の直感が動いた。
「まずは……電源?電源を入れないと始まらないよね!?」
私は手探りで、シートの肘掛けにあるコンソールパネルへ手を伸ばした。
良く見たら矢印がこれを押せと指示している。
複雑に配置されたスイッチの中から『MAIN POWER』と書かれた重厚な物理スイッチを見つけて、意を決して指をかける。
メイン電源の物理スイッチを押し込む。
——カチリ。
「っ……!?」
背筋がゾクゾクするような、本物の金属スイッチを押し込んだ圧迫感と、重厚なクリック音。
指先から伝わる演出のフィードバックの密度が、従来の十倍以上に跳ね上がっている様に感じる。
背後で重厚なメインおよびサブジェネレーターが旋回運動を開始し、ズズズ……と地響きのような重低音の振動がシートの背もたれから全身へ伝波してきた。
それと同時に、正面の全方位モニターが「バチバチッ」と音を立てて順次立ち上がっていく!
『——System Initializing. Inertial Measurement Unit calibration complete.』
『Pilot Verified: fin. Neural-synaptic sync at 99.8%.』
『……稼働中。本日のコンディショニングを行います。ボイス・コマンドに応答してください』
本格的な英語のシステム音声が甲高く響き渡り、視界一面に警告マークや謎の数値、油圧プレッシャー、ジャイロ同期率、アクチュエータ熱伝導バイパスなどが怒涛の勢いで流れていく。
「ボイス・コマンド!?え、えっと、何を言えばいいの!?『起動!』とか!? 『応答!』とか!?」
パニックになる私の目の前で、モニターの中央に可愛らしい光の球体がポツンと浮かび上がった。
『——初めまして、fin様。インターフェース・アシスタントです。操縦者のストレス軽減および緊急時の音声オペレーションをサポートします。「メインモニター表示切替」とお申し付けください』
その音声を聞いた瞬間、私は思わずパッと目を輝かせた。
「うわー!すごーい!!音声アシスタントまでついたんだ!本物のロボットアニメみたい!」
「えーっと『メインモニター表示切替』!」
私が声に出して命じると、アシスタントの光の球体がチーンと可愛らしい音を立てた。
『——音声コマンドを認識しました。メインモニターを標準戦術画面へと切り替えます。……続いて、本機の起動シーケンスへ移行します。fin様、まずは右側のコンソールパネル、青い安全カバーのかかった『油圧バイパスバルブ』を解除してください』
「青いカバー……これかな!?」
カチャリとカバーを押し上げ、ぐっと回す。
『——油圧プレス正常。続いて、左足元のフットペダルを軽く踏み込み、慣性計測装置のゼロ点校正を行ってください。強く踏み込みすぎると関節がロックしますので、優しく……そう、撫でるように踏み込んでください』
「優しく……こうかな?」
指示通りにフットペダルへ足を乗せ、ミリ単位の感覚でじわりと踏み込んでいく。
『——素晴らしい精度です!ゼロ点校正完了。全アクチュエータ、オンライン。……fin様、これで本機はいつでも歩行可能です。ハイパー・モードでは、fin様の重心移動とペダル操作がそのまま機体の脚部油圧へとダイレクトに反映されます。慌てず、ゆっくりと一歩を踏み出してみてください』
「よし……行くぞ……!」
私は息を呑み、慎重にスロットルレバーをミリ単位で前に倒しながら、右足のペダルにじわりと体重を乗せた。
機体の肩部に配置された姿勢制御スラスターが瞬間的に噴射され、推進力が機体を前に押し出す。
同時に、右脚の巨大な金属関節が甲高い駆動音を上げて収縮し、何十トンもの重量を持つ脚部がズシリと前に踏み出された。
ドゴォン……!!
地響きのような重厚な効果音で足音が、コックピットのシートを通じて全身を揺らす。
「た、立った……!歩いた……っ!!」
一歩踏み出しただけなのに、全身から汗が噴き出すほどの緊張感と、それを上回る圧倒的なカタルシス!
機体がわずかに傾きかけると、アシスタントがすかさず的確なフォローを入れてくれる。
『——左の出力がわずかに足りません。左ペダルをあとほんの少し踏み込んでください。……はい!完璧な姿勢制御です!すごいです、fin様!』
「ハハっ、すごい……すごいよこれ!難しい、めちゃくちゃ難しいけど……本当に自分が人型兵器を操縦してるんだっていう実感がすごい!!」
一歩、また一歩と、巨大な鉄の足が大地を踏みしめていく。
視界が上下に少し揺れ、駆動音が胸に響き、風圧を感じるように効果音が耳に響く。
クラシックモードの爽快感も捨てがたいけれど、このハイパーモードが持つ「圧倒的な本物感」と「マシンと一体化していく感覚」は、生前のゲーマーとしての私の魂を激しく揺さぶっていた。
「インターフェース・アシスタントちゃん、ありがとう! 君のおかげで歩けたよ!」
私が満面の笑顔でコックピットの中で感謝を伝えると、モニターの光の球体が「ピコッ」と一瞬赤く発光し、どこか照れたような、それでいて必死に感情を押し殺したような声で応えてくれた。
『——どど、どういたしまして、fin様。お役に立てて光栄です。……これからも、私が全力でサポートさせて頂きます』
こうして私は、新しく生まれ変わったDHIBの狂気的なまでのリアルな世界と、手厚すぎるアシスタントのサポートに支えられながら、人型兵器を乗りこなすための訓練へと、夢中になって没頭していくのだった。




