065 表も大変であれば裏方も大変な件
……暗闇のなかでチカチカと点滅するモニターの明かりだけが、静まり返ったオフィスを蒼く照らしていた。
思い返せば、すべては「誰かの居場所を作りたい」という、どこまでも青くさくて、どこまでも無謀な夢から始まったのだと思う。
この世界はいつの間にか、女性がその大部分を担い、支える社会になっていた。
穏やかで、優しくて、波風の立たない毎日。けれど、心のどこかでずっと胸を締め付けるような違和感があった。
そこで私は思った。VRという、もう一つの現実を作り出せる技術があるのなら。
この手で新しい世界を紡げるのなら――性別や境遇なんてちっぽけな壁は全部壊して、誰もが自分の行きたい場所へ羽ばたけて、自由に笑い合える「本当の居場所」を作れるはずじゃないか、と。
現実の社会に馴染めず、家の中でひっそりと息を潜めている人たち。
あるいは、足が不自由で一度も風を感じて走ったことがない人たち。
日々の過酷な生活に押し潰されそうで、どこか遠くへ逃げ出したいと願っている人たち。
そんな人たちの傷ついた心に、そっと寄り添えるような温かい世界を作りたかったのだ。
だから私は、同じ夢を追うわずかな仲間たちと肩を寄せ合い、小さなインディーズのVRゲーム会社を立ち上げた。
最初は本当にささやかなものだった。果てしない漆黒の宇宙に浮かぶ美しい星々を、ただのんびりと船の窓から眺めるだけの、静かな癒やしの空間。それが思いのほかSNSで話題になり、「心が救われた」「生まれて初めて宇宙を見た」という温かいコメントとともに、少しずつ利益が出るようになった。
その成功が、私たちの目を眩ませてしまったのかもしれない。
「もっと広い世界を作れば、いつか男性も女性も、どんな孤独を抱えた人でも笑顔で共存できる、理想郷ができるはずだ」
私たちは夢中になってコードを書き連ねた。
気がつけば、その世界はどこまでも広大な、宇宙を舞台にした巨大なSFへと変貌を遂げていた。無数の艦隊が交錯し、人型兵器に乗り込んで星々を駆け巡る――誰もが一度は夢見る、圧倒的なロマンの詰まった箱庭だ。
けれど、現実はどこまでも冷酷だった。
世界が広がれば広がるほど、サーバーを維持するための費用は悪魔のような勢いで跳ね上がっていく。毎月届く請求書の数字を見るたび、胃が焼き切れるような痛みに襲われた。開発費を補うための借金は、気づけば私たちの首をジワジワと締め上げる太いロープとなっていたのだ。
「これだけの熱量を注ぎ込んだんだ。きっと誰かに届くはずだ」
そう自分に言い聞かせ、全財産も、睡眠時間も、人生のすべてをこの画面に注ぎ込んだ。
なのに――肝心の「遊んでくれる人」が、圧倒的に足りなかった。
理由は痛いほど分かっていた。
VRというシステムを根底から支える「ハードウェア」の分厚い壁だ。
どれほど革新的で感動的な世界を創り上げたところで、それを体感するための専用機材を揃えるには、目玉が飛び出るほどの費用がかかる。
「そんな大金を払うくらいなら、普通のゲームを買うか、自分の足で旅行に行ったほうがよっぽど安上がりで健康的だ」――それが、世間の冷ややかな現実だった。
分かっている。頭では分かっているのだ。
けれど、そうじゃない。
そうじゃないんだよ!と言いたかった。
外に出たくても出られない人がいる。
男だから、女だからと決めつけられた枠組みの中で、苦しくて息もできない人がいる。
男性だってそうだ、大半は穏やかで、家の中で静かに過ごすことを望んでいるかもしれない。でも、その中にだって絶対、一人や二人……ううん、三人だって「この手で操縦桿を握り締め、広大な宇宙へ冒険に飛び出したい!」と熱い想いをくすぶらせている人がいるはずなんだ。
だから私たちは、どれだけ借金が増えようとも、その情熱の灯火を消せなかった。
ゲームの中にありとあらゆる要素を詰め込み、アップデートを繰り返した。けれど、情熱だけでは費用は払えない。
残高がゼロに近づき、いよいよ会社の倒産と「サービス終了のお知らせ」の告知文を、震える指先で作成していた……まさに、あの運命の日のことだった。
静まり返ったオフィスに、突如として甲高いアラート音が鳴り響いた。
ピ――――――ン!
社内の全員が跳ね起きた。
それは、ゲームシステムが構築されて以来、一度も鳴ったことがない「男性専用VRアカウントのログイン」を知らせる緊急警報音だった。
「な、なに!?バグ!?メインサーバーの誤作動!?」
「落ち着け!ログを追え!」
「このシステムでバグは無いはずなんだ!」
「男性の気の迷いかもしれない!夢じゃなければね!」
社員たちがパニックになりながらモニターへ群がる。だが、画面に表示されたデータは紛れもない本物だった。
そこには一人の男性プレイヤーが、まさにゲームを開始した瞬間が映し出されていた。ご丁寧に自分用のアバターまで用意していることに私達は驚愕した。
しかも彼がアクセスしていたのは、我が社が持てる狂気をすべて注ぎ込んで作り上げた、あの「パイロット適性試験」のチュートリアルエリアだったのだ。
「うそ……嘘でしょ……?なんでいきなりあそこに……!?」
「社長!今すぐ彼のアカウントに特例フラグを立てて、試験をスキップさせましょう!奇跡的に来てくれた男性プレイヤーですよ!?免許試験の難易度が高すぎて嫌気がさしてログアウトされたら、うちの会社は本当に終わりです!」
一人の社員が蒼白な顔でキーボードに手を伸ばす。
だが、私はその手を強く遮った。
「ダメよ!触らないで!」
「な、なんでですか社長!?」
「考えてみて!彼は今、誰に強制されたわけでもなく、自分の意志でこの世界へ踏み出してくれたのよ!?男性が自由を求めてここにやってきたかもしれないのに、私たちの都合で甘やかして、彼の翼を折ってどうするの!彼の挑戦を、最後まで見届けるのが私達クリエイターの責任でしょ!」
固唾を飲み、生唾を飲み込む音すら聞こえそうな静寂の中で、私たちはメインモニターの映像を見つめた。
そして次の瞬間、社内にいた全員が自分の目を疑った。
「な……なにあれ……!?」
画面の中の男性は、信じられない挙動を見せていた。
初見のはずなのに。いや、初見だからこそなのか、彼は機体の限界を超えた複雑な操作を、まるで自分の手足を動かすかのように完璧にこなしていたのだ。
熟練のデバッグチームでさえ泥を舐めるような鬼畜難易度の障害物コースを、彼は流れるような美しい旋回で、掠めることもなく、傷一つ負わずに突破していく。
戦闘コースの方では汎用機体の格闘コンボを繋ぎ、硬直をキャンセルし、洗練された最小限の動きでターゲットを破壊していくその姿は、まるでダンスを踊っているかのようだった。
「嘘でしょ……あんなチュートリアルのクリア方法、聞いたことないよ……!」
「本当に人間なの……!?AIのテストデータじゃないの!?」
社員の一人が、ガタガタと震える手でスマートフォンを握り締め、涙を目に浮かべながら叫んだ。
「しゃ、社長……わかりました……!この人、噂の『フィン様』です……!」
「フィン様……?」
「インターネットの深淵で、今一番熱狂的に支持されている伝説の男性Vチューバーです!今は会社に所属してるらしいですけど、男性の立場上、あまり表立っては活動できませんが、ネットの片隅では『何を起こすか分からないみんなの希望』として崇められているお方で……!その人が、今、うちのゲームでパイロット試験をクリアしました……!」
画面の中では、無機質なシステム音声が「試験合格」を告げていた。
そこにいたのは、ゲームの壁を打ち破り、自らの力で栄光を掴み取った、紛れもない「伝説のパイロット」の姿だった。
――もう、誰にも止められなかった。社内の熱量は爆発寸前だった。
「準備して!あの人に私達の『ロマン』を託すわ!」
「しゃ、社長!?まさか、アレを出すんですか!?」
「そうよ!彼なら乗れる!彼なら、あの暴れ馬を乗りこなせるわ!」
私たちが引っ張り出したのは、社内でも数人しか存在を知らない、データ上にだけ眠っていた禁忌の機体――帝国軍仕様エリートパイロット専用。
人型兵器『強襲用型カラドボルグ』。
全身を包むのは、漆黒と深紅の斑模様に彩られたナノマシンアーマー。背部には狂気とも言える量の超小型ブースターが積まれている。
「女のロマン」をこれでもかと詰め込んだ最高に格好いいデザインだったが、あまりの加速性能に熟練のベテランパイロットでさえ目が追いつかず、武装も近接戦闘武器のみという、尖りすぎて使い道のない完全にニッチな『化け物機体』だった。
「行きなさい、カラドボルグ……!私たちの夢を乗せて!」
チュートリアルを終えたフィン様は、その漆黒の悪魔を与えられ、そのまま戦場の渦中へと転送された。
折しもその時、フィールドでは王国軍と帝国軍による大規模な陽動作戦が、最高潮の盛り上がりを見せていたタイミングだった。
「あわわわ!よりによって一番激戦区に転送しちゃいましたよ!?」
「いきなり殺されちゃったらどうするんですかー!」
社員たちが悲鳴をあげる中、モニターに映し出されたのは、私たちの惨めな心配を嘲笑うかのような「神業」だった。
王国軍の精鋭部隊が放った、空を埋め尽くすほどのミサイルとビームの全方位弾幕。その死の網目を、漆黒のカラドボルグはまるで風に揺れる木の葉のように、ふわりと軽やかにすり抜けて見せた。
背部スラスターを激しく逆噴射させ、物理法則を置き去りにした超急減速で敵のミサイルを自爆させると、煙の中からぬっと姿を現し、刀身を抜き放つ。
「速い……!動きが追えません、美しすぎる……!」
黒い機体が狂った様に硬直キャンセルを連発し、すれ違いざまに敵機をシールドごと一刀両断。
銃の様な火器なんて必要もなく、ひたすら斬撃だけで王国軍の陣形をズタズタに引き裂いていく。画面の向こうで敵の女性プレイヤーたちがパニックになり、次々とスクラップに変えられていく様は、圧倒的な「悪魔の降臨」だった。
そして、オープンチャンネルに響き渡る、あの低く、冷徹で、あまりにも優雅な声。
――「おや、動きが単調ですよ。これでは話になりませんね」
その瞬間、戦場にいた全プレイヤーの動きが、恐怖と歓喜でピタリと凍りついた。
そして敵を蹂躙し尽くし、リザルト画面で顔を画面いっぱいに晒したフィン様は、後半戦の「はい / いいえ」の選択肢が出た瞬間、躊躇なく秒速で「いいえ」を押してログアウトしていった。
あとに残されたのは、宇宙の塵となった王国軍と、それを見せ付けられていた帝国軍の呆然と立ち尽くすプレイヤーたちの絶叫だけだった。
「……撮れた……?」
私がかすれた声で尋ねると、動画編集担当の社員が、ボロボロと涙をこぼしながら親指を立てた。
「バッチリです社長……! 完璧な、神リプレイが撮れました……!」
私たちはすぐさまその映像を編集し、「【公式】謎のプレイヤー『fin』戦場における単騎無双リプレイ」として公式チャンネルにアップロードした。
そのあとの出来事は、まるで怒涛の嵐のようだった。
動画の再生数は秒単位で数万、数十万と跳ね上がり、SNSのトレンド欄は「フィン様」「神機動」「カサカサフィン様」の文字で埋め尽くされた。
大手メーカーが数億円の広告費をかけても成し得なかった快挙を、倒産寸前の小さなインディーズ会社が達成した瞬間だった。
その日の夜。
会社に鳴り響いていたのは、金融会社からの催促の電話ではなく、国内中から押し寄せる新規ダウンロードとアクセス集中を知らせる、歓喜のサーバーアラートだった。
私たちは赤字の通帳を床に投げ捨て、冷蔵庫の奥で冷えていた安物のシャンパンを社内の会議室で引き抜いた。
栓が勢いよく飛び出し、泡が弾ける。
涙で顔をグチャグチャに濡らしながら、社員全員で肩を組み、声が枯れるまで叫び、笑い、朝まで踊り明かした。
負債なんて、借金なんて、もうどうでもよかった。
私たちが命を削って作りたかったのは、この瞬間だったのだ。
性別も、立場も、現実の苦しみも全部飛び越えて。
誰かがこの世界に飛び込んできてくれて、誰かの心を激しく揺さぶり、みんなが熱狂して笑い合える場所を作ること。
私たちが描いた『ちっぽけで無謀な夢』は、今日、あの漆黒の機体とともに、確かに現実の第一歩を刻んだのだ。
窓の外から差し込む朝焼けを見つめながら、私は今もどこかで活躍しているであろう「彼」に向かって、心の中で深く、深く感謝の頭を下げた。
ありがとう、フィン様。
あなたが飛び立ってくれたこの宇宙は、まだまだ、どこまでも続いていきそうです。




