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男性が少ない世界で執事っぽいVしてます  作者: そういう作品だったらいいなって
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032 それはもうメイドでもなんでもない件

 朝の光が、丁寧に磨き上げられたフローリングを撫でるように差し込んで、

私はいつも通りの完璧な支度を終えて、乱れもないメイド服の裾を整えます。


 私の人生のすべてであり、宇宙の中心。

我が主人。彰様が、今日も穏やかに一日を進められる準備はすでに万全です。


 階段を降りれば、すでに淹れたてのコーヒーの芳醇な香りが空間を満たしています。


『明日はコーヒーが良いな』


 前日にそんなお言葉も頂けるようになりました。

 我が一生に悔い無しで御座います。


 彰様が好まれる温度、好まれる豆の配合。

 寸分違わず再現することこそ、私に許された最高の喜びであり、メイドとしての義務です。


 ほどなくして、階段を降りてくる足音が響きます。

 世界で最も尊い足音を聞くだけで、私の心臓の奥底では黒い鼓動の様な歓喜がドロリと沸騰し、脳が焼き切れるほどの幸せな気分に身悶えそうになります。


 それを顔に出してはなりません。

 私はあくまで有能で、冷静沈着で、感情の起伏の少ない優秀なメイドなのです。


「おはようございます、彰様」


 声のトーン。微笑みの角度。礼の深さ。すべてが完璧な動作。

 彰様はいつも通り、少し気恥ずかしそうに「おはよう、雫」と返してくださる。


 その何気ない一言だけで、私の体内ではナニカが爆発し。

 新しい妄想というナニカが誕生しているのですが……。

 外見上の私はただ涼やかな笑みを浮かべた忠実なメイドのままです。



 この尊い日常。

 この瞬間を永遠に守るためなら、私は全てを敵に回してでも。

 笑顔で私すら肉の塊に変えてみせる自信があります。

 彰様に仕えることができて、私は本当に、本当に心から救われました。

 世界に感謝し、私の全存在を捧げ続けるこの日々に一片の悔いもありません。


 私は表向きはあくまで『物静かで頼れるお世話係』を完璧に演じ切っています。

 朝食のパンを上品に召し上がる彰様を見守りながら、私は完璧なメイドを維持しております。



 話が飛びますが、脳の処理能力というのは便利なものです。

 極限まで訓練を重ねれば、視覚や聴覚の大部分を目の前の主様への信仰と奉仕に割り振ったまま。わずか少しの思考だけで別の高度な並列処理を行うことが可能になります。


 例えば、今この瞬間もそうです。


 私の右手は上品に静止していますが、左手と制服のポケットの間に挟まれたスマートフォンは、現在目視すらせずに、超高速で文字を叩き出し続けています。


 画面を見る必要など、もう何ヶ月も前にとっくに卒業しました。打ち間違えなんてありえません。物理的なキーボードの位置の感覚。静かな指先の神経だけで、私はネットの海を自由自在にシミュレートしています。


 ポケットの中のスマホでは、今まさに『妄想先生』の呟きがあり。

 世間の愚者どもはそれを見て、盛大に誤解し。

 頭を抱えながら阿鼻叫喚の考察を繰り広げている真っ最中です。


 真実と虚構の狭間で、あなたたちの脳は耐えらまなく苦悩するでしょう。

 私の主様はその気になれば世界すら狂わせるほどの絶対的な御方なのです。


 ポケットのなかで指先を滑らせ、新たな過激な一文を書き込みながら、私は顔色一つ変えずに彰様のおかわり用のコーヒーカップに手を伸ばします。


「お代わりはいかがですか、彰様」

「ありがとう、雫。いつも助かるよ」

「もったいなきお言葉でございます」


 優しいお言葉に脳が破裂しそうになるのをどうにか堪えます。

 私にとって毎日が幸せであり、毎日が死の隣りあわせです。

 彰様のお言葉一つ一つが、重いそして美しいのです。


 幸せな死神はいつでも鎌を振るっているのです。

 私の首を狙うように……。


 優雅に頭を下げつつ、画面を見ることなく、完璧な文章をネットの闇に放流しながら、私は上品に微笑みます。


 メイドとしての完璧な立ち居振る舞い。ネットの闇に君臨する狂気の妄想活動を完全に両立させているこの充実感。

 誰も、この優雅なメイドの制服のポケットのなかで、世界を揺るがすお言葉がリアルタイムで編み上げられていることなど想像もつかないでしょう。


 やがて日中が過ぎ、様々な管理や、友人のあずさからの泣きが入るような複雑怪奇なビジネス上の連絡―。(もちろん私が華麗にスルー。あるいは丸め込んではいますが)


 それらが終われば、その後はいつもの彰様の運動がございます。

 ここでの彰様はそれはもう、すごいものです。

 ですが、私はここでの記憶をあまり持ちえておりません。

 深く考えると死が訪れるからです。


 その後の彰様は休憩をはさみつつ、今後の予定を考えるように、パソコンに向かいます。


 ここでの彰様も、それはすごいものです。

 ですが、私はここでの記憶をあまり持ちえておりません。

 深く考えると死が訪れるからです。


 死は怖いですから。悲しい事です。

 彰様のひたむきな姿勢はとても宜しいのですが。

 私が耐えられないようです。



 それからメイドの仕事が多々ありますが、それらは苦しくもあれば、楽しくもあります。ただ、悲しい事は。それらの行程が一瞬で終わることです。


 彰様のお世話をすればするほど……その、何て申し上げれば良いのか。

 ――気がつけば時間が飛ぶのです。もう慣れましたが……。




 全ての作業を終え、メイドとしての仕事が終わった後は、私の一日は本当の意味での「至福の芸術活動」へと移行します。


 夜な夜なデスクに向かった私は、誰の邪魔も入らない聖域の中でタブレット端末とペンを手に取る。キャンバスに描き出すのは、もちろん、私の記憶に焼き付けられた「あの御方」のお姿です。


――高潔で、純粋で、世界をその足元にひれ伏させることも知らずにただ穏やかに微笑む、究極の神のお姿。


 ネット上では「フィン様」という名でひっそりと、しかし熱狂的な信徒たちに向けて公開しているイラストの制作。


 彰様の端正な横顔をベースにしつつ、その背後には世界を崩壊させるほどの漆黒の翼や、狂気に満ちた信徒たちの群れを繊細かつ禍々しいタッチで描き込んでいく。筆を走らせるたび、私の胸の奥では彰様への愛おしさと、この世界のすべてをあなたの足元にひれ伏させたいという破壊衝動が心地よく溶け合っていきます。


 完璧なメイドとして彰様の日常を支え、夜はこの身を焦がすほどの狂気と愛をキャンバスにぶつけ。

 それはなんて美しく、なんて満たされた一日なのだろうと。


 私はペンを置き、自室の窓から夜空に輝く月を見上げ、静かに、しかし狂おしく微微笑ます。


 明日も、明後日も、永遠にこの幸せが続きますように。

 いいえ、続かせてみせます。私のすべてを懸けてでも。


 こうして、私の一日が過ぎ去っていきます。

 時間とは本当に短いものです。

 一日が72時間あればどれほど良かった事か……。




 我が主。彰様は本当に変わられました。

それは、もう。

自分が思い描いているご主人様の理想像とほぼ一致しているのです。


 それがなんだか、寂しいような嬉しいような事もあるのですが……。

そんな私でも、苦手な事は実はあるのです。


 想像してみて下さい。

自分が一番推している人物が近くにいて。

その方が常に私の近くにおります。


 距離感がすべておかしくなります。

正気も保てないでしょう。それでも保たないといけません。


 限界の限界になってしまうとでもいうのでしょうか。

だからこそ、常に私は爆弾を抱えているような気分ですら、発狂してはならないのです。


「雫ー。ちょっとお願いがあるんだけどさ」


 今日も美しいご主人様が私に近づいて来ます。

きっと何かをしてほしいのでしょう。


「はい、何でございましょうか」


 私も完璧な対応で返します。

こんなときが、いつまでもあれば良いのですが。


「ちょっと耳かきしてくれる?

なんかうまくとれないんだよね」


――その瞬間、世界が音を失いました。


 視界の端で天井が逆さに降り注ぎ。空気が一斉に悲鳴を上げて融解していく気分です。


 耳かき、と仰いましたね?


 あの神聖にして侵すべからざるなお耳様に、この下劣な私が手ずから触れると?


 そんなことが許されていいのでしょうか?

 宇宙の摂理に反する大罪ではないでしょうか?。


 超を超えるほどの重力が私の前頭葉を押しつぶすイメージがわきあがりました。


 時間が早回しでかけあがっていき……。

 あぁ、いけない。なんてことでしょうか。


 私の認識できるすべての要素が、たった一人の存在へと収束していきます。

 髪の一本一本が。わずかに動く首筋の微動が。私の心臓を直接引き千切るような甘美な痙攣をもたらします。


 想像が、妄想が、竹串の先ほどの小さな耳かきが、まるで世界の命運を握る聖剣のように重く震える姿が見える。見えてしまいます。


 手が、手が震えて動かない姿が見えるのです。


 メイドとしてあるまじき失態もです。


 最大警報を発令し続け、網膜の裏では銀色の魚たちが一斉に腹を割って死に絶えていきました。


「どうしたの? 雫?」


 彰様の覗き込まれたその瞳に射抜かれた瞬間。

 私のなにか、最後の理性の堤防が音を立てて決壊しました。


 私の意識はその場で爆発四散しました。


 駄目なメイドをお許し下さい彰様。


 ああ……死神も心配してくれるのですね。


 これで仲良死になれればいいのですが。


 世の中うまくいきませんね……。


 彰様。


 みみかきは私でも駄目です。


「ちょっと!雫大丈夫ー!雫ー!」


 意識が薄れていく中で、彰様の声が大きく響きました。

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