030 あずささんのライフはもう0な件
お昼時を過ぎても、私は目の前にあるパソコンの画面からは目が離せなかった。
外の景色は相変わらず穏やかな午後の陽光に包まれているというのに、画面のなかのOuroborosサーバー管理ツールに表示されている数字は、いまだに私の精神を軽くバグらせ続けている。
『現在の総ダウンロード数:56,731件』
本日の決済で確定してるだけでこれなのだ。
その後も朝に見せられてから数時間経っているというのに、数字の勢いは一向に衰える気配がない。むしろ、日中になってからちょこちょこっと増えている。
雫が言うには、何度も購入してる人が一定数いるようだ。
その結果、一部決済が降りなかったり、多重決済の問題で一部の決済が止まってる部分もあるとか。投げ銭の代わりかな?
連打し過ぎて購入数を間違えてなければ良いけど。
私はマウスをカチカチと動かしながら、隣でその姿を見守ってくれているメイドの雫に声をかけたね。
「ねえ、雫。あのさ……。ただの確認なんだけど。
このダウンロード数。
ワンコインのASMRだけで、いくらくらいになるの?」
尋ねると、雫は優雅な手つきで考え込み、涼やかな笑みを浮かべた。
「はい。現在確定してる物で、単価が500円に現在のダウンロード数を掛け合わせますと……単純計算で約2836万5500円の売上となります。そこから決済手数料、プラットフォームの維持費を差し引いたとしても、個人の活動としては文字通り桁違いの純利益が確約されております、彰様」
すらすらっと暗算でやってのけたメイドにも驚いたが額もやはり大きかった。
「にせん、はっぴゃく……」
思わずマウスを取り落としそうになった。
個人で配信をしているVチューバーが、一晩……?
日本中のリスナーたちが一斉に「ふにゃふにゃ」になって社会生活を一時停止している代償が、これほどまでに生々しい数字となって私の口座に流れ込もうとしている。
得体の知れない冷や汗が背中を伝うのを隠しつつ、私は本題を切り出した。
「そ、それだけあればさ……。あずささんが提案してくれた、あの世界最高峰の『Ouroborosサーバー』の維持費とか、今回の移転にかかった莫大な費用も、これでどうにか賄えるんじゃないかな?」
あれだけの強固なセキュリティと、自宅の一角を丸ごとネット空間に仕立て上げるほどのオーバースペックなインフラだ。
維持費だって常軌を逸した金額がかかるに違いない。
しかし、私のその心配を聞いた雫は、フッとおかしそうに目を細めた。
「ふふふふ。彰様、ご心配には及びません。この規模の収益があれば、サーバーの維持費や今後の拡張費など、当面の間はまったく問題ございません」
「当分の間、か……。そっか。それだけあれば遊んで暮らせそうだけど、あのOuroborosサーバーの維持費って、やっぱり想像を絶するくらいすごんだね」
「はい。世界の裏側のあらゆるハッカーやサイバー攻撃の束を毎秒単位で消し炭にする要塞の維持費です。安くはありません――ですが今回の利益であれば、そこそこはお釣りが来ます。年払いは出来ませんが……」
そこで一呼吸置いて、雫が考えるように答える。
「……むしろ、問題なのは維持費ではなく。これから入るであろう、有り余る莫大な資産の『行き場』でございます」
「行き場?」
首をかしげる私に、雫は真剣な眼差しを向けた。
「これほどの巨額の資金が、個人の趣味の範疇を超えた収益として転がり込んできた場合、税の問題や、今後の活動の社会的信用という点で非常に動きづらくなります。
個人の口座にこれだけの額がダイレクトに入り続けるのは、セキュリティ的にも好ましいことではありません」
「た、確かに……。いきなり数千万円がポンと振り込まれたら、銀行から怪しまれるどころか、税務署の人が血相を変えて飛んできそうだね」
行政の苦労が何となく目に浮かんだ。
税をとりにいったら、男性がいて、そこをつっつくということは、逆に問題が起きたら誰かが責任を取らないといけないくらいめんどくさい案件かもしれないのだから。
税の問題でひっちゃかめっちゃかになったら大変だし、何より……。
そう、男性保護監察官のなぎささんが、なんだかかんだいって暴れそうで怖い。
何故だか分からないけれど。私の事になると、彼女は何でもかんでも介入してきそうな気がする。
「……ですので、今後の活動をより安全に、かつ継続的に拡大していくためにも――」
雫はスッと姿勢を正し、私を見据えた。
「ここはいっそ、正式な『会社』を興してみてはいかがでしょうか?」
「――会社?」
あまりに斜め上からの提案に、私は思わず絶句した。
会社って、あのビジネスとか法人とか、ニュースでよく聞くアレだよね?
個人で細々と配信やコンテンツ制作をしているだけの私が、会社を設立するなんて発想はなかった。なんか色々と話がとんでいっちゃった気がする。
いきなりの会社である。
「そっか。会社を興すのか。
雫。会社を興すって、そんなの個人で簡単にできるものなの……?」
「はい。私にお任せいただければ、お手のものでございます」
即答だった。迷いの欠片もないのが若干怖い。
迷いがないという事は、それを想定しているってことだし。
なんだか、手のひらの上で転がされている感もする。
これが俗に言う『手玉に取られている』っていうのかな?
なんか違う気もするけど。
普通の人間なら「設立にはいろいろな種類の作成が、法務局での登記が、資本金が――」と途方に暮れるはずなのだが、雫の辞書に「無理」という文字は存在しないらしい。
「でもさ、男が起業したり、表立ったビジネスの矢面に立ったりするのって、ほとんど聞いたことがないというか、かなり異質なことなんじゃなかったっけ……?」
私のそのもっともな疑問に、雫は小さくうなずいた。
「おっしゃる通りでございます。この社会構造において、男性が自ら前面に出て起業手続きを行ったり、代表に就任したりすることは社会的リスクが高すぎますし、何より世間の注目を集めすぎてしまいます。ですので――ここは『生贄』を立てましょう」
「……生贄?」
「……失礼致しました。代理人でございます」
生贄と代理人は全然違う気がするけど……。
まあいいか。聞かなかったことにしよう。
…………。
…………あっ。
なんか話が見えてきた気がする。
うん、なんとなーーーくだけど。
「彰様は、裏のオーナーとして絶対的な権限をお持ちいただき、表向きの法人代表には、すべての事務手続きや対外的な折衝をスマートにこなせる優秀な人物を据えるのです」
なんだか楽しそうに喋る雫に対して、私は嫌な予感がした。
それってブラック労働の生贄であってるのでは?と。
ただ、確かに、それなら表立ったトラブルや世間の面倒な詮索を避けることができそうだ。
「再度確認で申し訳ないけど。書類の申請とか手続きとか、すごく大変そうだけど大丈夫なの?」
私が気後れして言葉を濁すと、雫は自信に満ちた笑みを浮かべてこう言った。
「ご安心ください。確かにいくつかの申請書類が必要なのは事実ですが、すべて私と――『生贄』の手で完璧に手配いたします。彰様は、ただ『やってみよう』とご決断を下すだけでよろしいのです」
また生贄っていってる。
けど、そこをつっつくのはやめておこう。
多分めんどくさそうな話なきがする。
……それでも、そこまで言うなら、お任せしてしまってもいいのかもしれない。
せっかく手に入った莫大な活動資金だ。サーバーの維持はもちろん、これからのコンテンツ作りをもっと安全に、快適に進めるための基盤ができるなら、それに越したことはない。
「そっか……。それじゃあ、雫のお墨付きをもらえるなら、ちょっとやってみようかな。面倒な手続きとか、全部お願いしちゃってもいいかい?」
「委細承知いたしました。よくぞご決断いただきました、彰様」
雫は深々と頭を下げると、まるでこの瞬間を最初から予測していたかのように、懐から自身のスマートフォンを淀みない動作で取り出した。
そして、画面を数回タップすると、迷うことなく通話ボタンを押し、耳にあてがった。
え、もうかけるの?どこに?
私が驚いて声を上げる間もなく、雫は電話の向こうの相手に向かって、冷徹かつ淀みない声で告げる。
『――お休みのところすいません。私です。ダメです。緊急案件です起きてください。彰様の許可が出ました『プランB』です。……はい。……そうです。……では、計画通り『プランB』でお願いします。…………ええ、今じゃなくても良いです。御疲れ様でした』
プツッ、と一瞬で通話が切れた。
あまりの手際よさにぽかんとしながら、私はスマホをしまう雫を見た。
「ちょっと待って雫。今、誰に電話したの……?
そんなすぐにかける相手って……」
「勿論、『平賀あずさ』でございます」
雫は涼しい顔で即答した。
やっぱり……。私の予感はあたっていた。
考えたくはないけど。
「あずささん……」
「このような企業設立や、法的整備、対外的な手続きに関する実務的処理において、あの女ほどその能力を熟知している人間は他にいません。適材適所でございます」
いや、プロのゲームエンジニアに突然会社の代理人としての起業手続きを丸投げするのは、適材適所という名のブラック労働の極みではなかろうか。あずささんの寿命がさらに3年は縮まる音が聞こえた気がする。
「さっき、電話で『プランB』って言ってたけど……その『プランB』って、一体何なの?」
嫌な予感がして問い詰める私に、雫はフッと含みのある笑みを浮かべた。
「ふふふっ。プランBは、プランBでございますよ」
「えーっと。プランAは何だったの?」
「プランAは、『彰様自らが起業家として全世界の表舞台に立ち、経済界の頂点を総なめにする』という超過激すぎるルートでございましたが、世間の女性陣の発狂リスクが高すぎるため即座に却下されました。国が崩壊しかねませんので」
初手からそんな物騒な選択肢があったのか。恐ろしい話である。
てか、何で国が崩壊に至るのか詳しく知りたい……。
私は爆弾か何かなんだろうか?
「で、じゃあその『プランB』っていうのは……?」
私の問いかけに、雫は完璧な笑顔のまま、一切の濁りなくこう言う。
「ご安心ください、彰様。すべて万事、完璧にうまくいきます。なにせ、新会社の『代表取締役社長』のイスに座る人物として、平賀あずさほど適任な者はおりません。彼女を丸め込んで――いえ、丁重にお招きして、すべての実務と代表の重責を背負っていただきましょう」
「『プランB」だとあずささんが社長になるの……?」
「当然でございます。彼女がどれほど嫌がろうとも、あの卓越したスキルと、彰様に対する複雑怪奇な信仰心を利用すれば、逃げ出すことは不可能でございます」
なんだか、電話の向こうのあずささんに対する同情心が一気に湧き上がってきたけれど、雫のあまりの迷いのなさと絶対的な自信に気圧されて、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
カップから立ち上る優雅な湯気を眺めながら、私は自分の知らないところで、またとんでもない歯車が猛烈なスピードで回り始めているのをひしひしと感じるのだった。
「大丈夫かなあずささん。ストレスで胃に穴が開かなければ良いけど」
「あいたら塞げば良いだけの事です。むしろ彰様のために空くなら本望かと」
「それは雫だけだと思うよ。絶対にそう思うよ」
私の言葉に雫は目を疑うような顔で驚いた。
そんな雫にため息をつきながら。
あずささんの今後が心配な私であった。




