018 比良 彰は無力な件
雫が深々と頭を下げて自室から去っていったあと、私はぽつんと一人になった部屋で、小さく息を吐き出した。
「まあ、しょうがないか……」
独り言を呟きながら、私は考える。
確かに、いきなり自分の知らないところで配信部屋にマイクを仕掛けられていたと言われたら、普通の感覚なら気味悪がるところだろう。
けれども、世間一般の常識が通用しないこの世界において、そして昨日のあの尋常ではないアクセスの嵐や、サーバーの負荷を鑑みて思い返せば、配信の裏でどれほど必死に防衛網を張ってくれていたのかは想像に難くない。
何かトラブルが起きたとき、リアルタイムで私の状況を把握できるバックアップがあるのは、プロのITエンジニアの観点からすればむしろ当然の備えだったはずだ。
盗聴なんて大げさなものとして捉える気にはなれなかったし、何よりあの二人が私を害そうとしているわけがないことくらい、これまでの流れで痛いほど分かっている。
「それに、話してはいないけど。あずささんの方もかなり焦ってたみたいだしね……。まあ、大きな問題にならなくてよかったよ」
私は気を取り直すと、デスクの椅子に深く腰掛け、再び目の前のモニターに向き直った。
昨日の初配信の大盛況の余韻がまだ冷めやらぬ中、肝心なのは「次の配信で何をするか」だ。
ただお茶を飲んで優雅に微笑んでいるだけでは、いつかネタが尽きてしまうかもしれない。執事としての嗜みとして、何か新しい企画や、視聴者が楽しめるような趣向を凝らすべきだろうか。チェスみたいなゲームの対局の再現か、あるいは質問箱みたいなものを作って、そこに入ってるものを雑談でつかったりするお話か。
やれることは色々とあるとは思う。
ゆくゆくは他のVチューバーとコラボ企画をしても良いとは思う。
そういえばVRゲームなんてのもあったな。
自分のアバターをそのままもっていって配信しながら何かをするなんてのも出来るんじゃないか?
それこそVRチャットだってあったとおもうが………。
いやVRチャットは何かしら不味い気がするな。
雫がやって良いと頷いてくれるかは定かではないし。
そんなふうに思考をめぐらせ、ペンを走らせようとしたその時だった。
――ピコン、ピコン、ピコン!
静寂を破るように、今日もデスクの上に置いた私のスマホが激しい電子音を鳴らしている。それは単発の通知音ではない。まるでダムの決壊のように、次から次へと途切れることなく、鈴虫の鳴き声よりもハイテンポで鳴り響く着信の嵐だ。
「うわっ……また登録者かな?」
私は思わずペンを置き、スマホを手に取った。画面を覗き込むと、通知のログが物凄い勢いで流れていく。
そこには見慣れないアイコンや名前がびっしりと並び、そのすべてが共通の通知を表示していた。
『――さんがあなたをフォローしました』
『――さんがあなたをフォローしました』
『――新着フォロワーが3000人を突破しました!』
「……は?」
私は自分の目を疑い、思わずスマホの画面を二度見した。
昨日の配信が終わった時点でも、登録者はそれなりの数に達して驚いていたはずだ。しかし、いま画面に表示されている数字は、私の予想を遥かに超えて跳ね上がっていた。
「うわー……ありがたいけど、こんなに一気に増えるものなの……かな?」
冷や汗を流しながらスクロールしていくと、私の開設したばかりのSNSアカウントのページが表示された。
私が投稿したのは、これまでにたったの二件だけ。
一件目は
『執事のフィンです。よろしくお願いいたします。』という簡素な挨拶文。
そして二件目は
『次の配信は来週になる予定です。』という、事務連絡のような告知文のみ。
それだけの、中身の薄い、執事らしいといえば執事らしいが、あまりにもそっけないテキストをポンと置いただけである。宣伝らしい宣伝もしていないし、凝った画像すら貼っていない。
それなのに、不思議な現象が起きていていた。
「……え?」
投稿につけられた『いいね』の数を見て、私は思わず固まった。
登録者の数はおよそ3000人のはずなのに、最初の挨拶文につけられた『いいね』の数は、なぜかゆうに1万を超えている。登録者数と『いいね』の数が完全に噛み合っていないのだ。
登録している人間の数よりも、圧倒的に多くの人間がボタンを連打し、賞賛の足跡を残していったということになる。
「登録してない人たちまでわざわざ見に来て、とりあえず『いいね』だけ押して去っていってるってこと……? なんだその現象、怖くない?」
(※実際には、ファンの人たちが「お近づきになりたい、少しでも自分の存在を刻みたい」と狂気的なまでの熱量を抱えつつも、恐れ多くて直接フォローやリプライをする勇気が出せず、ただ遠くの聖域を崇めるように『いいね』のボタンだけをそっと叩いて去っていくという、熱狂的かつ臆病なファン心理の表れなのだが、当の本人である私には知る由もなかったのだ)
まあ、深く考えたところで謎が解けるわけでもなし、「ネットの世界ってそういうものなのかもな」と私は無理やり納得することにした。
「……まあ、いっか。みんなが応援してくれてるなら、それに越したことはないしね」
私は気を取り直して、自分の投稿についたリプライ欄をなんとなく眺めてみた。
すると、そのコメントのすぐ下に、見知らぬアカウントからの必死な様子の返信がぶら下がっているのが目に入った。
『――フィン様、今朝のニュースで一部の政府機関が大変なことになってますが……あの、もしかして妄想先生は無事ですか!? 何か巻き込まれたりしてませんか……!? 心配で仕事が手につきません……!!』
そのコメントを読んだ瞬間、私の頭のなかで、今朝のリビングで見た大型テレビの光景がフラッシュバックした。
――『国内の一部政府機関および行政ネットワークにおいて、前代未聞の大規模な不正アクセスおよびシステム障害が発生しました。端末の画面全体に突如として謎の文学的テキストがポップアップし……』
――『セキュリティ管理体制に重大な過失があったとして、該当部門の責任者を本日付で懲戒免職処分とすることを発令……』
「あー……」
私は思わず天を仰ぎ、深く長い溜息を吐き出した。
昨日の今日だ。ニュースになるほどのパニックを引き起こした犯人が誰かなんて、少し考えれば小学生でも分かる。
間違いなく、昨夜の配信の裏で何か物騒な事があったのか、それか全く関係ないのかのどちらかだ。
ネットの方でも、それを察して「もしかして妄想先生と関係があるのでは……?」と勘繰り始めているらしい。
ここで変に否定しすぎたり、逆に過剰に反応したりすると、かえって面倒な詮索をされる原因になりかねない。何しろ、世間は今やこのニュースの動向が気になっているのだ。
ただ、私としてはちょっとした悪癖がでてしまった。
「めんどくさそうだなあ……」
私はぼそりと呟くと、スマホの画面をフリックし、その心配しているファンのコメントに対して直接返信を打ち込むことにした。
文字入力の画面を開き、当たり障りのない、完全にシラをきるための文言を親指で素早くフリックしていく。
『ご心配ありがとうございます。世間のニュースの件につきましては、私どもの方には何も関係ありませんので、どうぞご安心ください。今度生放送をするときに、軽くお話ししておきますね』
これでいいだろう。
「何の関係もない」と言い切ってしまえば、大抵の野次馬は「なんだ、ただの偶然か」と勝手に納得してくれるはずだ。本当に関係があるかないかで言えば、大ありすぎて冷や汗が出るけれど、それをネットの住民に正直に告白する義理はない。
私は「送信」のボタンを迷うことなくタップした。
「ふう、これで一安心、っと」
スマホを机の上に放り投げると、再び目の前の白紙のノートとペンに視線を戻す。
国家レベルのサイバーテロの黒幕疑惑なんていう物騒な話は、うちの優秀すぎる、そして狂気的なスタッフに丸投げしておくに限る。私にできるのは、次の配信に向けて、少しでも優雅で洗練された執事の振る舞いを研究することだけだ。
「さてと、来週の配信は何を淹れようか……」
平穏な日常を取り戻したと思い込んでいる私は、再び静かな部屋の中で、次の優雅なティータイムの計画に没頭し始めるのだった。
もちろんそれらの行動はただの逃避行という悪癖である。
しかしながら、雫関連での事故、や事件、に関してはなんとなくだが触ったら負けな気がしたのだ。
まるでそれは『押して下さい!』といわんばかりの自爆スイッチにしか見えないのだから。
私はこのときばかりは今世の『男性の諦めに近い無力感』が救いだった気がした。
私は無力だった。




