014 裏方も阿鼻叫喚な件
モニターの群れが放つ青白い光が、暗い部屋の中で『平賀あずさ』の顔を冷たく照らし出していた。
室内に響くのは、等間隔で刻まれるファンの冷却音と、幾重にも重なったディスプレイの向こう側から聞こえてくる、熱狂的なコメントのざわめきの、残響だ。
「……ふざけんな。なんだこれ」
あずさはキーボードを叩く手を止め、両手でガシガシと自分の頭をかきむしった。ボサボサになった髪がさらに乱れる。
目の前のメインディスプレイには、今まさに配信を終えたばかりの『執事のフィン』の配信終了画面が表示されていた。チャット欄は余韻に浸る視聴者たちの阿鼻叫喚でまだ流れているが、あずさの関心はそこにはない。
いや、欲を言えば、自分も「フィン様ー!!!!」と大声ではっちゃけたいのだが、プロフェッショナルな気質がそれを許さない。
その裏側で蠢いている、おぞましい量のデータ量や、サイトへのアクセス数のグラフに釘付けになっていた。
「いや、最初はさ……『まあ、最初はプレオープンだし、300人制限でいっか! サーバーの負荷も軽いしこれで余裕だろ』って思ったんだよ。思ったんだよ、うん」
誰に言うともなくぶつぶつと呟きながら、あずさは血走った目をこすった。
現実の数字は彼女の甘い見積もりを盛大に踏み潰していった。
考えが甘いのは仕方が無かった。だって男が配信なんて聞いたこともなかったのだから。この世界の男はそんな事をするなら、下を向いて生きていくか、上を向いて雲の観察でもしてるような人畜無害ばかりなのだ。
おかげで危うくサーバーが吹き飛びそうになったし、遅延なんて起きたら目の当てられない。そんな事が起きれば、あの雫の事だ一生ネチネチ言ってくるに違いない。
「プロじゃなかったのかしら?」
そんな事を言う。絶対に言う。それだけは許せなかった。
だからこその二回目ではシステム面のアップデートを行ったり、見た目以上にいろいろと細かい設定を施した。
前回の初配信で起きた大混乱を大反省し、今回はしっかりと事前のメンテナンスを行い、制限人数を倍の600人に引き上げた。本来はもっとあげたいのだが、現状ではこれが限度。限界はここまでってことで。ちょっと遠い目をしながらこれなら大丈夫だろうと踏んでいたのだ。いや、踏んでしまったのだ。
蓋を開けてみればどうだ。案の定爆弾だった。それが不発だったらどれだけ助かったことか。待機画面の時点で瞬間的なアクセスがその数倍に膨れ上がり、600人の枠なんて一瞬で蒸発した。
『一瞬ってテメー。何してくれてるの?』とあずさは唸った。
これを例えるなら『イナゴの大群かな?』等と一瞬笑いかけたが、現実に戻されてあわててリミッターを外してオートスケールをかけ、実質的にキャパを広げたものの、視聴制限だけはかけている為、入れない人で続出した。
「600人どころじゃねえよ……。桁が一個足りねえんだよ、桁が! どうやったら一般人のただの雑談お茶会配信に、東欧のボットネット並みの同時アクセスが殺到すんだよ、化け物かお前らは! こっちは準備がまだ出来てないからこれが限界なの!」
あずさはキィッと奥歯を噛み締め、別のモニターに目を走らせた。
そこには、今日の配信に合わせて極秘裏にアップグレードしたばかりの配信支援ソフトウェアの挙動ログが流れている。彰――つまりフィンの動きをミリ秒単位で同期させるための超高精度3Dトラッキングシステムだ。
あずさが組み上げたこのシステムは、自宅の自室にいる彰のわずかな指の動きや、ティーポットを傾ける手元の微細な震え、果ては紅茶を飲んだときの喉の動きまでを完璧にキャッチし、リアルタイムでアバターに反映させる。そのデータ量は、一般的なVTuberの配信のそれとは比較にならないほどの重負荷だ。
むしろ負荷の殆どがここといっていい。馬鹿じゃないだろうか?
「モーションデータの同期だけでもPCが泣きそうになってるってのに……なんだこれ、誰だよこんな負荷かけてるの!」
プログラマーの同士がもしも、ここにいたのなら一斉に声をあげて「おまえじゃい!」と声を荒げたに違いない。
あずさの指が再び鍵盤を叩く。カタカタカタ、と乾いた音が狭い部屋に響く。
モニターの一角で、ファイアウォールの警告灯が激しく赤色に点滅を始めていた。
「っ……また来たし!」
不正アクセス検知のログ。
フィンの配信が始まると同時に、おそらく国内の狂ったネット狂信者たちだが、中には海外の物好きやら、技術的に裏を暴こうとするハッカー崩れやら、この非公開のプライベートサーバーに対する執拗なアタックが仕掛けられているのだ。
『フィンのIPアドレスを特定して聖地に突撃するナリ』
『配信のソースコードをハッキングして裏側の秘密を暴くナリ』
『サーバーをクラッシュさせて自分たちだけの独占状態にするナリ』
――そんな身勝手で狂気的な意図を孕んだパケットの嵐が、毎秒何万回という規模で叩き込まれている。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな……! 私が何日かけてこの超めんどくさいセキュリティーを硬化させたと思ってやがる!」
あずさは荒く息を吐き出しながら、手元のコンソールで防御スクリプトを次々と叩き込み、侵入者を片端から叩き落としていく。
まるでハエたたきのごとく、落とされては次のハエがよじ登ってくる。
高度な暗号化、多重化されたプロキシ、そしてあずさ自身の狂気的なプログラミング技術によって何とか門前払いにしているものの、その負荷はサーバーのCPU温度を限界まで引き上げていた。物理的なパソコンの筐体から、じりじりと熱せられたファンの悲鳴が聞こえる。部屋の温度が明らかに上がっていた。
「頭おかしくなりそう……てか、もうおかしいわ! なんでこんなアンダーグラウンドのサイバー戦争みたいなこと一人でやってのけなきゃなんないわけ!?」
ガタッと椅子を引いて立ち上がり、あずさは頭を抱えて部屋の中を数歩歩き回った。
何かあったとき用にあずさが対応できる様に彰の配信部屋に、マイクを設置してもらったが、そこから配信を終えた彰の落ち着いた声や、それを聞いて「彰様……!」と感動に打ち震えている雫の声と微かな足音が聞こえてくる。
平和?な主従の日常がそこにある。
だがその裏で、たった一人のプログラマーが、全方位から押し寄せるネットの狂気とサイバー攻撃の津波を、PCと気力だけで防衛しているのだ。誰がこの構図を想像できるだろうか。
「くそっ……。雫のせいで、また私の寿命が縮んだぞ……」
それでも愚痴をこぼしながらも、あずさの手は止まらない。
モニターに映し出された、フィンの優雅なアバターの姿を見る。自分が血を吐きながら調整し、作り上げた最高のシステムの上で、彰は執事として何食わぬ顔で微笑んでいる。
そのクオリティの高さに、ネットの連中が勝手に平伏し、狂喜乱舞しているのだ。
プログラマーとして、技術者として、そこにある種の歪んだ達成感とプライドが刺激されてしまうのも事実だった。
「……見てろよ、お前ら。これ以上踏み込んできたら、お前らのIPアドレス逆探知して、全員のブラウザに『妄想先生の未公開裏ポエム集』を強制ポップアップさせてやるからな……!」
あずさは冷笑を浮かべ、再びキーボードに向き直る。
冷めかけたコーヒーをマグカップごと一気に飲み干すと、彼女は十本の指を再び鍵盤に走らせた。電脳世界の裏側で繰り広げられる孤独な防衛戦は、まだしばらく終わる気配を見せなかった。今日もあずさの戦いは終わらない。
「国からのアクセス!?こんなところまで押しかけて来るな!
上等じゃん!この頭の痛くなるポエムでも食っとけ!」




