010 隠せてない件
昨日の配信を終えてから、私は自室の机に向かい、目の前の液晶画面に映し出されたブラウザを眺めながら、思わず小さく溜息をつく。
「……すごい反響だな、本当に」
検索エンジンに『フィン』と打ち込むと、そこそこのヒット数が表示される。昨夜の初配信の感想や、SNS上でも有象無象の感想の数々。
どれを見ても『尊い』『心臓が持たない』『存在が神話』といった、私の知っている現実とは少し離れた様な賛辞ばかりが並んでいた。
私はただ、安全な部屋からマイクに向かって喋っていただけなのだが、世間の温度感は私の想像のさらに先の遥か彼方に突き抜けているらしい。
「これだけの反響があるのなら、今後の活動の基盤としては上出来といったところでしょうか」
背後から、ひたひたという静かな足音とともに、お盆に乗せた温かい紅茶が差し出された。振り返ると、いつもの涼やかな表情を崩さない雫がそこに立っている。彼女もまた、昨夜の成功に内心では小躍りしたいのを必死に抑えているのか、どこか足取りが軽やかだった。
この家は屋敷ほど広くはないが、それでも日々の掃除や雑務を一人で切り盛りする彼女にとって、私のサポートは決して楽な仕事ではないはずだ。それなのに、彼女は完璧なメイドとして私を支えてくれている。
私はカップを受け取り、香り高い紅茶を一口飲んでから、モニターの端に表示されたアイコンに目を留めた。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
「何でございますか、彰様。お気に召さない点でもございましたか?」
「いや、そういうわけじゃなくて……この画面の端に出てる『SNSアカウントを作成する』っていう項目。これって、やっぱり登録しておいた方がいいものなの?」
私の言葉に、雫の瞳が鋭い光を帯びた。彼女の背筋が、ピシリと直立する。
「もちろんでございます、彰様!」
力強い即答だった。
「これだけの下僕……いえ、ファンの方々が主様の御言葉を待ちわびていらっしゃるのです。活動の告知、日常のふとした一コマ、あるいは慈悲深いお言葉を定期的に投下するだけで、電脳世界の信仰心はさらに高まり、揺るぎないものとなるでしょう。登録しない理由など、どこにも存在いたしません!」
「う、うん……。まあ、そう言うなら作ってみるか」
熱量がすごいな、と内心で苦笑しながら、私はマウスを動かしてアカウントの新規登録画面を開く。
名前やプロフィール欄をどうするか悩んでいると、雫が身を乗り出すようにして画面を覗き込んできた。その距離がやけに近い。
「おや、トレンド欄に興味深いワードが浮上しておりますね……」
「トレンド?」
「ええ、『フィン様初配信』や『ボイチェン執事』に並んで……ふむ、『妄想先生』というタグも急上昇しているようです」
雫の口から何食わぬ顔で発せられたそのワードに、私は首を傾げた。
「モソウセンセイ? なんだそれ。どこかの先生のあだ名か何か?」
「さあ……一体どのような不届き者がそのように名乗っているのか、私めには皆目見当もつきません」
なぜか少しだけ声が上ずっている気がしたが、気のせいだろうか。
私は気になって、その「妄想先生」というトレンドワードをクリックしてみた。画面が切り替わり、とあるまとめサイトのようなインデックスページが表示される。
【朗報】伝説の絵師『!shizuku!』こと妄想先生、昨夜のフィン様降臨を受けて新作イラストを爆誕させる
【まとめ】「妄想じゃなかった」――脳を焼き切った妄想先生の軌跡
【神絵連発】妄想先生による、我が主様(執事のフィン)イラストアーカイブ
画面いっぱいに並んでいた絵は見覚えのある――いや、見覚えしかない姿だった。
漆黒のローブを纏い、どこか物憂げでありながら圧倒的な気高さを放つ執事の姿。それは間違いなく、私がアバターで動かしている『フィン』その人だった。
しかも、構図や表情のバリエーションが尋常ではない。朝のティータイム、書斎で本を読む姿、ふと窓の外を見上げる横顔、さらには私自身が普段気づいていないような細部の仕草に至るまで、驚異的な画力で描き出されていた。
「すっご……」
思わず感嘆の声を漏らしながら、私はその下に添えられているテキストに目を走らせた。
『我が主様は月下香の如き気高き孤高の執事。その御御足の下にひれ伏すことすら許されぬ我ら愚者どもにとって、昨夜の電脳降臨はまさに救済の光であった。あぁ、主様の低音ボイスに耳を溶かされた者どもよ、地獄の底まで感謝の涙を流し続けよ。なお、主様の美しさを一ミリでも損なう不心得者には、我が全霊をかけた呪詛の鉄槌が下るものと思え』
ナニコレ。
……うん?でも何かが変なような……。
読めば読むほど、脳が拒絶反応を起こしそうなほどのテキスト。
それがまた絵の神々しさとのギャップでエグい。
とにもかくも、ひたすら流し読みしながら、どこかで見た事あるような会話や、絵をチェックする。
黙々と確認をしながら、たまに雫を見たりする。
少しして、私はスクロールする手を止め、ゆっくりと首を回した。
私は画面を指差した。
「なあ、雫」
「はい」
「この『妄想先生』ってやつ、知ってる?」
「いえ、知りません。 全く、露ほども存じ上げません!。私のようなしがない身の回りの世話係が、そのような電脳世界の著名な絵師の名前など、知る由もございません!」
著名って自分で言っちゃうんだ。
でも、用意してくれたアバターとこの絵がほぼ同じなのだと別人説は無理があるきがする。あと、しっかり告知とかもしてくれてたみたいだし、もう隠すの無理でしょこれ。
すごい勢いで両手をブンブンと横に振り、あまりの挙動不審さに、かえって怪しさしか感じられない。
「いや、でもさ……この絵、アングルのこだわりとか、僕の部屋のインテリアの配置とか、やけにリアルなんだよね」
「き、気のせいでございます! 世の中には似たようなセンスの変質者がゴマンといるものです! きっと、どこかのストーカー気質な狂人が勝手に妄想を膨らませて描いているだけの、悪質な創作活動に違いありません!」
「そうなんだ?」
「そうでございます!」
雫は真っ赤な顔をして口をパクパクさせる。
なんか鯉みたいだな。
普段余り見ない光景にちょっと面白さを感じてしまう。
目線を元に戻して、絵を確認する。
見れば見るほど、この恐ろしいまでの解像度と狂気的な愛着は、目の前にいる我が家のメイド以外の何者でもない。というか、昨日の今日でこれだけのクオリティのイラストと怪文書を書き上げる人間なんて、世界を探しても多分雫しかいないんじゃないだろうか。
私はジトッとした目を向けたまま、しばらく彼女を観察した。
雫は冷や汗を流し、「もうお暇をいただきます……」「クビにされるなら、せめて裏庭の片隅に埋めてくださいませ……」と、すでに人生の終焉を迎えたかのような絶望的な顔をしている。ちょっとお目目グルグルで面白い。
ふう、と私は小さく息を吐いた。
まあ、いいか。
確かに文章の圧はすごいし、色々とツッコミどころはあるけれど、彼女が私をモチーフにしてここまで必死に活動を支えてくれているのは事実だ。それに、この絵のおかげで昨夜の配信にあれだけの人が集まったのも間違いない。
見なかったことにしよう!
「……別に、クビにしたりはしないよ」
私がそう呟くと、雫はびくりと肩を震わせ、おそるおそる顔を上げた。
「ほ、本当でございますか……?」
「ああ。ただ、もう少しこう……文章のトーンをマイルドにするとか、世間への当たりを柔らかくした方が、自分の身のためにもいいんじゃないかとは思うけどね」
「うっ……! それは、その……彰様の高潔さを守るための防衛本能といいますか……!」
言い訳をしようとする雫の頭に、私は軽く手を伸ばしてポンと置いた。彼女は驚いたように目を丸くし、そのまま固まる。
「まあ、いいか。君が一生懸命やってくれてるおかげで、僕もこうして外の世界と繋がれているわけだしね。……ただ、あまり変な噂を立てられて僕が困るようなことだけは勘弁してね?」
「は、はいっ! 御意にございます、彰様……!!」
雫は感動に震えるような声で深々と頭を下げた。
その様子に苦笑しながら、私は再びモニターに向き直る。
さて、SNSのアカウント開設と、次回の配信に向けた準備を始めるとしよう。
電脳の海での私の生活は、どうやら思っていた以上に賑やかで、退屈とは無縁の場所に仕上がりつつあるらしい。




