見る目が変わるep1
第一章第二節です。
2026/3/10改稿しました
『見る目が変わる』
1
私の名前は鏑木空穂。突然だけど今の状況を整理する必要があると思って、考えを纏めている。独白のようなものだ。
私は現在進行系でいじめられている。いじめられている、という言葉が正しいか分からないが状況だけ考えればその言葉が一番正しいだろう。いじめが良いことか悪いことか、誰が加害者で誰が被害者とか、そういうものは今の私にとって大した問題ではない。状況だけ見れば被害者と言えるだろう。ただ加害者と呼ばれる人が多すぎるのだ。私が被害を訴えようにも聞き入れてもらえない。誰も私の話を聞いてはくれない。
その中で唯一話を聞いてくれる人がいる。アルバイト先『なんでも屋サークル』の社長なのだが変わった人だ。いつも社長と呼んでるから名前は知らない。聞いたこともあったが忘れてしまった。私の背の高さより頭一つ分高い身長は威圧感を感じさせない。外見は細身で、スーツを着ているからかもしれないがスラッとしているように見える。髪も染めておらず、ピアスも開けていない。割とどこにでもいそうな人。それと同じくらい不思議な雰囲気を持った大人の人。
社長は何でも屋をやっているが基本的には机の上で何かの書類を見ているか、内職のお守り作りをしているだけ。何度か書類のことを聞いてみたが「依頼の紙。守秘義務があるから見ちゃだめ」と内容は教えてもらえなかった。その人にいじめられていることを話そうと思っても何故か話したくないと思ってしまう。そのいじめをされている可哀想な子と思われたくないと私の頭が勝手に考えて肉体を動かしているのかもしれない。
今日も日が昇り、学生特有の睡眠不足に悩まされながら起床する。睡眠時間は確保したはずなのに寝た気がしない朝だが、それでも時間は平等に進む。秒針と短針が入れ替わることがないように、時は未来へ進むことをやめない。
大人と子どもで体感時間が違う。子どもの頃は時間の経過が遅く感じ、大人になると一年が早く感じるというものだ。早く大人になりたいと言っていた子供も、子供のままでありたい大人も時間の流れには逆らえない。
ジャネーの法則というものがあり、一歳の子の感じる一年から、二歳の子の一年は二倍の速度で流れていき、三歳では三倍というように比例して速くなって行く。子どもの時にはすべての経験が新しく、多くの出来事を体験しているから長く感じ、大人になると過去に経験したことがあることが大半を占めてしまう。結果新しい出来事に触れる経験が少なくなり時間の流れが早く感じるらしい。
それでいうと私は一歳の時の十八倍の時間で一年を感じているわけだが、今は一日が早く終わるのを望んでいる。
「行ってきます」
朝食も食べずに家を出る。朝食も用意されていないし、食欲も沸かない。一週間ほどご飯を食べていないが私はなぜか生きている。
誰もいない家に挨拶をしてた。当たり前だが私を送り出す声は聞こえない。
家に親がいないのは、ライトノベルのような海外赴任で一人暮らしとかいう理由ではない。少し前まではちゃんと家にいた。ただ今では家にいない時間のほうが多いだろう。お父さんもお母さんも、二人そろって家に戻らない。たまに戻っているみたいだが慌ただしく出ていく。最初の頃は声をかけたが私の言葉を無視して出ていってしまった。一人ぼっちの家はとても寂しく苦しかったが、今の私にとって一人安らげる場所は自分の部屋しかない。ボトルシップのように外へ出ることを許されない存在だったらどれだけ楽だっただろう。
学校が近づくと段々と登校する学生が増えていくのが目で見て分かる。私の通う高校の生徒だけでなく、近くの中学校や小学校の生徒もいて、朝から友人との世間話に花を咲かせていた。群衆に紛れて私も学校へ向かうが私に話しかけてくる生徒はいない。クラスメイトを見つけても私から声をかけることは一切しなくなった。一週間前は友人と共に歩いていた道が、今ではとても長く感じてしまう。
いじめを受けてから、頭の中で色々と考えてしまう時間が増えた。友人たちと過ごしている日常では生きることに一生懸命で何かを考えるということもなかった。それがいじめという対象になってしまっただけでこんなに変わってしまうのだ。私はただため息をつくことしかできなかった。
校門をくぐり、校内へと向かう。開け放たれた校門からは同じ制服を着た生徒がぞろぞろと入ってくる。そのまま校内に入っていくものもいれば部活に向かう人もいた。賑やかさが嫌に眩しく、逃げる場所を探すように私は後者の蔭へと移動する。
何処にいても私は一人で、誰からも見向きをされない。自分の何が悪くて、どこを直せばいいのか。聞いても誰かが応えてくれることはなく、どうしようもない現実だけが私を襲うのだ。
生徒たちの声が少なくなるまで私は一人で風になびく草葉を観察していた。
ある程度生徒たちが落ち着きを見せたタイミングで私は靴箱へ向かう。靴箱は蓋のようなものが付いているロッカータイプのもの。私が時間をずらして靴箱へ向かった理由は数日前にある。いじめられていると自覚する前、休み明けの月曜日。普段と同じように靴箱を開けたところ女子生徒が私の名前を叫びながら泣いてしまったのだ。慰めようとしても聞く耳を持ってはくれず、誰かに声をかけても女子生徒を慰めるだけ。立ち行かなくなった私はその場から逃げ出した。
その記憶から私は人がいないことを見計らって靴箱を開けるようにしている。私はいったい何に怯えているのだろう。
「どうせ今日も同じなんだろうなー……」
本来ならば靴箱の扉を開ければ校内で使うスリッパが入っている。
覚悟を決めて私は靴箱を開ける。
「今日も無い……か」
女子生徒に泣かれた日から靴箱の中には何もなくなっていた。いじめが始まる前の金曜日まではスリッパは存在してた。初めは校内を探したりもしたが、次第に私の物が無くなっているということすらも日常の一部になっていた。
スリッパが無いのでローファーを靴箱に入れると、仕方なく靴下のまま校内を歩く。
初めは職員室に行ってスリッパを借りようとしたのだ。しかし、どんなに大きな声をかけても先生は誰も反応してくれない。ちらりとこちらを見る先生がいたがすぐに机に目を落とし私の呼びかけには応えてくれなかった。
校内では当たり前のように学生たちの話し声が聞こえる。昨日見たテレビの話、好きなゲームの話、恋バナ、様々な内容の会話。私はテレビなど当分見ていない。たまたまお母さんが家に帰ってきたタイミングでテレビをつけたら、お母さんが悲鳴を上げて家から出ていってしまった。それが心に残ってしまいテレビを見る気になれない。
教室につくと、扉は開け放たれた教室の扉からクラスメイトが出入りをしている。その姿は数日前の自分を見ているようだった。
半ば諦めのような、わずかな期待があるような、不思議な感情を抱えながら、私は教室に入っていつものようにクラスメイトに声をかけた。
「みんなー、 おはよ」
教室は喧騒に包まれている。友人に会えたことで、昨日の下校から今日登校するまでに起こったことを話し楽しんでいる声。その声に掻き消されるように私の言葉は教室に溶けていく。私の声で会話を止める人もおらず、ましてや反応をしてくれる人もいない。
私は教室の入口に立ったまま自分の席を確認する。その間にも私の立っている扉からは教室に生徒が入ってきていた。邪魔にならないように壁側に避けるが、逃げているみたいで本当に嫌になる。
「ははっ……。律儀なもので」
私の机の上には花瓶。その花瓶には青いカーネーションが活けてある。私は毎日登校をしているが花瓶を置かれた日からあの花は活けてある。誰かがやっているとは思うが律儀なものだ。青いカーネーション、花言葉は永遠の幸福。みんなから無視をされ、机に花瓶を置かれるようないじめをされているのに永遠の幸福を願われている。意味が分からない。
チャイムがなり、担任の先生が教室に入ってきてみんなが席に着いた。私はいまだに入り口に立ったまま。先生も席につかない私のことを咎めることはしない。
「鏑木――」
私の名前を呼ぶ先生の声。昨今はいじめ問題が学校にとって重要な問題になっている。いくら生徒が私を無視していても先生まで加担するわけはないと最初は思っていた。久しぶりに呼ばれた名前も、今の私にとっては意味のない物。名前を呼んだ瞬間の先生が失態を犯した表情をしていたから。
「――あぁ。何でもない」
担任の顔は私ではなく出席簿に向いていた。
今日も私は耐えられなくなり、逃げ出すように学校を飛び出た。早く家に帰りたい。何でもいいから閉じこもりたい。サークルに行って社長に会いたいと考える日々。
学校を出てトボトボと帰路に立つ。なにがいけなかったのか、考えても答えは出ない。この時間に出歩いていても街の人は気にもとめない。警察も私には声をかけない。職質でも犯罪者でもいいから私に声をかけてほしい。社長だけが私の話を聞いてくれるという状況は嬉しくもあるが、同時に不安も募るのだ。
これは無視じゃない。みんな、私が見えてないんだ。
私はいじめられている。
誰が加害者とか誰が被害者とかもう関係がない。
誰か個人ではなく。
私はこの世界からいじめられている。
2
「今日もだめかー、帰ろうかな」
いつも通りの日常。私にとっては皆がいる世界で、皆にとっては私だけがいない世界。過ぎていく青春を目にすると、泣きそうになる。
「神様、私は何か悪いことをしましたか? 許してください」
一人になったとき天を見上げて何度願っただろうか。皆から私への見る目が変わってしまった。神は乗り越えられる試練しか与えないと誰かが言っていた。そんなものは嘘でしかなく、乗り越えられずに挫折する人を楽しむ神様もいるのだ。死ぬ勇気も無ければ生きる気力もない。
唯一私を見てくれる社長の元で働いている時は辛いことを忘れられるのだ。迷惑をかけても我武者羅に働いている。
「どうせなら事務所に行こうかな」
このままでは学校での滞在時間は十分程度。どうせ誰にも気付かれないのならと、校門近くのベンチに座り空を見上げていた。雲一つない青空。照りつける太陽が眩しいが、暑いのか寒いのかも分からない。多分ストレスでおかしくなっている。
眩しくて太陽の反対側を見ると、夜に置いていかれた月が山の奥に入ろうとしていた。校舎にある時計を見ると登校時間が過ぎていた。
「そろそろ私も帰ろう」
ここにいても何もすることは無い。
みんなが楽しく過ごしている校舎に後ろ髪を引かれながら校門へ向かう。そこには遅刻してきた生徒だろうか、前方から駆けてくる一人の少女がいた。
太陽に照らされて茶色がかった黒髪が動きにつられて揺れている。せっかく整えてきたであろう肩口まで伸びた髪は走ってきたことで乱れていた。目には小柄な容姿に不釣り合いな眼帯を付けており、目立っている。
女子生徒が校門へ辿り着くと非力な腕を精一杯使い固く閉ざされた校門を開けていた。乗り越えればいいものを真面目に頑張っている。
そういえば一ヶ月くらい家庭の都合で休んでいる子がクラスにいた事をふと思い出した。彼女が休む前は所属するグループが違うこともあって会話をすることはなかった。名前程度は知っているが、それ以上の情報は持っていない。
学校にいなかった彼女も世界から嫌われている私のことを見てはくれないだろうと諦観の気持ちで私は校門へ向かう。
校門を通る時に彼女の付けていた眼帯が引っかかって取れてしまった。それが取れた彼女は焦ったように辺りを見回すと片手で左目を隠し、必死に引っかかった眼帯を校門から取り外した。女子高生としてけがをしている部分は見られたくないという乙女心だろう。私としては乙女心を捨ててでも誰かに見てもらいたいが。
急いで眼帯を着けながら校舎に向かう女子生徒と校門から出ようとしている私はすれ違う。
彼女から話しかけられることはないが、世界からいじめられている私にとっては些細なこと。今更一人増えたところで流す涙が増えるだけだ。
「そういえばあの子の名前なんだったかなぁ」
そんなことをふと思い、後ろを振り返り彼女のことを見ると、彼女もこちらを振り返っていた。偶然かもしれないが、何かを感じて振り返っただけ。
何も意味を感じなかった私はサークルへと向かうために校門へと進む。彼女の名前は思い出せなかったが特に気にすることではない。私が世界から思い出してもらったときに、改めて思い出せばいいことだ。
「あの」
一筋の風に乗って女子生徒の声が私の耳に届く。この場にいるのは彼女と私だけのはず。誰かを呼びかける声を発する対象が他にはいなかった。
私は歩き出した足を止め、錆びたブリキのようにゆっくりと首を回して彼女のほうを向いた。
「鏑木さん、ですよね?調子悪いの?大丈夫?」
来栖愛実は私の目をしっかりと見つめて語り掛けていた。人間に対して心配をするような優しく包み込む声。一週間の間、私に掛けられることのなかった陽だまりのような優しさを感じる声。
話したことも、関わったこともない彼女への見る目が変わった瞬間だった。
喜びと驚愕から私は――逃げ出した。




