立つ鳥跡を濁さずep1
おかあさん。
おかあさん。
どうしてぼくはここから出られないの。
おとうさん。
おとうさん。
どうしてわたしはここから出られないの。
どうして何も言ってくれないの。
このくらい鳥かごの中で生きていけるはずもないのに。
・
暑さのピークは過ぎたはずだがまだまだ暑い日が続くこの時期。事務所に来る来栖さんの制服姿によって夏休みが終わり登校期間に入ったことを知った。学校のある日は終わってから事務所に来るため必然的に夕方に来ることになる。それでも太陽はまだ高く、夜が訪れるのは何時になることやら。
そんなある日、部屋の隅にある段ボールを見ながら僕は1人唸っていた。唸っている僕に気付いて、事務所にいる来栖さんたちが声をかけてくれることを期待しているが女子高生2人は僕のことを無視。唯一、フーちゃんことフクロウのぬいぐるみだけが僕の方をチラチラを見てくる。
『おい、社長が気付いてほしそうに此方を見ながら唸っているが放っておいて良いのか?』
フーちゃんだけが僕の味方のようで2人に対してもっと言ってあげて欲しい。ゲティや酸塊さんと仲がいいのは同性なので百歩譲って許せるが、僕よりも調さんの方が仲がいいのは訳が分からない。出不精のおっさんなのに。
コミュニケーション不足と感じた僕は何とか話しかけやすい雰囲気を作ろうと今回のように色々やっているのだ。自分から話しかけないのは社長という立場で仲良くしてほしいから話しかけるのはなんというか恥ずかしいのだ。
「放っておいてもいいよー。構ってほしいだけだろうし」
「って空穂ちゃんが言うから……」
来栖さんは乗り気じゃないみたいだけど空穂ちゃんの言うことだからと言って従順に守っている。
2人はスマホの画面を横にした状態で何らかの動画を見ているみたいだ。正確には2人と1匹だが些細なことだ。
『そうは言うが、いい加減鬱陶しいのだが』
「えー。碌なことにならないと思うけどなー。今だって私たちが話し始めたら無言でこっち見てくるし」
横目で見ていたはずなのに何故かバレていた。女子高生を横目でじっと見ている成人男性なんて問題しか無いためその言い方はやめて欲しい。それにフーちゃんも僕のことを気にかけていた訳ではなく鬱陶しく思っていたみたいでこの場に僕の味方は居なかった。
「はあ……」
来栖さんは大きな溜息を吐き、スマホの画面を切った。そのスマホをバッグの中にしまって事務所の机側にいる僕の方へと体を向ける。
後ろから抱きついていた空穂ちゃんは、急な来栖さんの方向転換に驚くことはしたが軽く抱きついていただけのため丁度来栖さんの頬と空穂ちゃんの頬が触れるような体勢になり、なんなら頬ずりまでしている。時が立つにつれて2人の親愛度が高くなっているが上限などあるのだろうか。
「それで、社長さんは私たちに何か用事でもあるんですか?」
渋々というのが表情に表れているが来栖さんは僕に質問をしてくる。最初であった頃に比べて遠慮がなくなったが、慣れてきてくれたのだと思うと嬉しくなる。目の経過も順調そうだし最近は色々勉強もしてくれている。そのうち簡単な依頼なら2人に任せることも出来るだろう。
「用事ってほどでも無いんだけどさ」
「じゃあいいじゃーん。愛美ーさっきの続き見よー。気になってるの、さっきの人の行方ー」
「いや、ごめん。用事あるから話聞いてよ」
「だってさ空穂ちゃん。話聞いてあげようよ」
『不憫すぎやしないか?あの男』
自分でも薄々感じてはいたが、最近は僕への態度が皆少しずつ悪くなっている。悪くなっているというか社長に対しての対応じゃなくて下っ端みたいな扱いをされることもある。
現場に出るのは僕以外の事が多いし、僕は基本的に事務所で書類整理をすることが多い。汗水垂らして働く人の成果を快適な部屋で処理するだけの僕に対して対応が雑になるのも分からなくはない。
僕だって出来ることなら現場に出たい。魔術を使いたいし、依頼もこなしたい。
しかし、その依頼が来ないのだ。依頼は来るが僕が対応出来ないものばかりで他の社員が対応するべき依頼しか来ない。
その結果がこの扱いだ。不憫なことを分かってくれるのはフーちゃんだけだった。今度からもっと優しくしようと思う。
「いやさ、この段ボールそろそろどうにかしようと思ってたんだけど。どれから手を付けようか迷っててね」
「上の方から地道にやればいいと思うんですけど、それってなんなんですか?」
「あ、そうか。来栖さん達は知らないんだっけ。これは酸塊さんが僕に送ってきた呪具。ま、魔道具とかも入ってると思うけど」
「それを積み上げてたのー?」
「なんか機会がなくてね。それでどれから開けようかなって。どうせだし来栖さんに選んでもらってもいい?」
「私ですか?」
来栖さんは無意識の内に導きの力を使っている。本人の選んだ選択肢が最善になることが多い程度の力だが逆に言えば選択を来栖さんに委ねることによって良い方向へ向かう可能性が高くなるのだ。
ただ、来栖さんに選んでもらったからといって胡座をかいて自分から行動を起こさないと何も起こらない。結局は自分から動くことが大切なのだ。
「それじゃ、その一番下の端っこのやつとかどうですか?小さいですし」
来栖さんが選んだのは小さな段ボール。確か先日も酸塊さんと話していた最初のころに贈られたものだったはず。中身は酸塊さんも覚えていないと言っていた。
持ち上げてみると重さは感じられず、中に何が入っているのかは想像もつかない。
それを自分の机の上に置くと、ソファに座っていたはずの来栖さんたちが僕の机の周りに集まってきた。
「これ呪具らしいけど来栖さん見ても大丈夫そう?」
「大丈夫かな?」
空穂ちゃんの方を見て確認をする来栖さん。危険ならば空穂ちゃんがストップをかける約束をしているようだ。来栖さんが早く動きすぎると空穂ちゃんの静止が間に合わないことがあるため、少しでも不安なときは来栖さんは慎重にゆっくりと動くようにしているそうだ。
「今のところは何も感じなーい」
『儂も何も感じぬ。空穂への危険もなさそうだ』
空穂ちゃんを守る存在として生まれたフーちゃんも危険を感じないらしい。来栖さんを守る空穂ちゃん。空穂ちゃん守るフーちゃん。そしてそのフーちゃんを抱きかかえている来栖さんという関係性が生まれている。
余談だが来栖さんは学校に行くときもフーちゃんのことを連れて行っているらしい。制服姿で眼帯の少女がフクロウのぬいぐるみを抱えている姿は不自然に思えるが思ったよりも受け入れられているらしい。
流石に抱えたまま授業を受けるわけにはいかないため、バッグの中に入れているそうだが、頭だけは出してあげて一緒に授業を聞いているそうだ。
学校は情報が集まる場所。そこにいるフーちゃんは様々なことを学習して、今では普通に会話ができるまでになった。
「なら開けるよ」
段ボールに付いていたガムテープをカッターで慎重に切り、中身を取り出す。中にあったのは小さな木の箱。この材質は昔先生のところで修行をしていた時に見たことがあるものだ。
先生が魔術でよく使っていた――ナナカマドだったか。実が五芒星のように見えることから魔術避けに使われる木だと聞いた事がある。その事から魔除けの魔術や守護の魔術に使っていた。
その木が使われた箱の中に入っているものが一体何か気になってくるが魔除けの施されたものの場合、中にあるものを外に出さないための処置の場合がある。
「ごめん。いったん離れて後ろ向いてもらっていいかな?」
「どうしたんですか?」
「この箱を開けたら悪いものが出てくるかもしれない。この箱に使われてる木は神聖な物だから万に一つの可能性だけど一応ね」
「分かったー」
「開けたら言うから空穂ちゃんとフーちゃんが大丈夫そうならもう一度こっち来て一緒に見ようか」
『分かった』
来栖さん達は机から離れて事務所の入り口の方を向いて立ったまま待つ。長時間またせるわけにはいかないため、僕は箱を開けることにしたが万が一の可能性を考えて守護の意味を持つ『ᛉ(アルギス)』が刻まれた石を引き出しから取り出した。
その石を4つ正方形を作るように配置してその中心に木箱を置く。そしてゆっくりと木箱の蓋を開けた。
「ん?なにこれ」
「どうかしましたー?」
「あ、箱開けたけど何も感じない?」
「大丈夫そうでーす」
『儂も問題はない』
「じゃあこっち来ていいよ」
来栖さん達はさっきと同じ位置に戻ってきて僕と一緒に箱の中を覗いた。
箱の中にあったのは円錐状の形をした何か。本当に何かとしか形容が出来ない。何に使うものなのかも分からないし、なんの呪具なのかも分からない。
「なんですか?これ」
「いや僕にもさっぱり分からないんだけど」
「八重さんから貰ったのなら本人じゃないと分からないのでは?」
「それもそうか」
考えるのは真っ先に諦めて八重さんに頼ることにする。元々は八重さんの持ち物のはずだし、いくら忘れっぽい八重さんとは言え僕に送ったものならば覚えているだろう。
今日は何の予定も聞いていないし部屋でメンテナンスデモしているのではないだろうか。僕が事務所にいる間は出かける時に一声かけてくれるし、今日はその知らせも受けていない。
「空穂ちゃん。多分酸塊さん部屋にいるから呼んできてもらっていい?部屋の外からね。いきなり入っちゃ駄目だよ」
「入りませんよー。社長じゃないんですからー」
「いや、僕だって入らないよ」
「冗談ですよー」と言いながら事務所から出ていく空穂ちゃん。来栖さんは苦笑いしながら出ていった扉を見ている。
「それにしても本当になんなんでしょう」
僕が持ち上げて色々見ているとただの円錐ではなく、口の大きい部分がへこんでおり、そこから覗き込むと向こう側が見えたため貫通していることが分かる。
中が空洞になっている円錐で漏斗のような形をしている。
「穴が空いてるから何かしら意味はあると思うけどさっぱり。酸塊さん曰く、僕にピッタリのものだって言うけど」
『節穴ということではないのか?』
「新入りのくせに生意気すぎるでしょ」
「この前、現国の授業で出てきた言葉だから使いたくなったんだよね」
「お母さんと子供じゃん……」
覚えたての言葉を使いたがる子どもとそれを窘めるお母さんにしか見えなくなってきた。空穂ちゃんという大型犬も引き連れているし、どんどんと来栖さんの面倒見の良さが上がっている。
フーちゃんは僕のルーンの効果とゲティの魔術の効果によって動いている状態である。今はフーちゃんの体の中に僕がルーンを刻んだ石を入れ、ゲティの書いた魔法陣も入れられている。入れたものを取り除けば動かなくなる可能性が高いがそんなことをすれば顰蹙を買うことは目に見えているため冗談でもいえないのだ。
なんだかんだフーちゃんと話すことにも慣れてきたし、愛着も湧いているので今更ただのぬいぐるみに戻すことはしない。
「酸塊さんつれてきたよー」
「急いで来ましたが何か御用ですの?」
よほど急いでいたのか、少しだけ息切れをして頬を赤く染めた酸塊さんが事務所に入ってくる。急いだという割にはいつも通り着るのに少しだけ時間のかかりそうな服で来ている。
そんなに急いでくる必要も無かったのだが酸塊さんがいないと話は全く進まないため来てくれただけでも助かるのだ。
「今、酸塊さんからもらった段ボール開けたんだけど中身が全然わからなくてさ。酸塊さんなら分かるかなって」
「やっと手を付けてくださったのですね。私が社長さんに沢山送ったプレゼントですので開けてくれて嬉しいですわ」
「うわっ社長さいてー。女の人からのプレゼント放置とか」
「仮にも社員からの贈り物なのに開けずに放置は流石に……」
『儂でも分かる。確かダメ男と言ったか』
何故か皆からの評価が著しく下がっていることを感じたため必死に弁解をする。
「違う違う。あて名が事務所宛てになってたから酸塊さんの私物だと思ってここに置いてたんだよ。部屋の前に置くと邪魔になるだろうし部屋に置くわけにもいかないでしょ?」
「でも酸塊さん戻ってきてから結構経ちますけど」
「いや、あのタイミングがさ。忙しかったし……」
「社長ずっと事務所にいたじゃないですかー」
どんどんと逃げ道が塞がれてしまっていく。確かに溜まっている段ボールを見ながら開けるのが面倒臭いと思って後回しにしていたのは認めるが何処から手を付けて良いのか分からなかったことも事実なのだ。
「そんな事は今はいいじゃないですわ」
この話を始めた本人が僕に助け舟を出してくれた。この窮地から脱する希望の光に見えた気がする。これが犯人に対して好意を持つというストックホルム症候群なのか、などとどうでもいいことを思いながら酸塊さんに木箱を見せる。
入口で話していた酸塊さんはいつもより小さな歩幅で僕の机に近寄るとその中身を確認した。
「それでこれ何か分かる?」
「どうしてこの箱を最初に開けたのですか?」
質問に質問で返されるが、酸塊さんにとっては大事な質問なのだろう。僕の質問を遮るような事は滅多にしない人なのだ。
「来栖さんにこの段ボールの中から1つ選んでもらったのがこれ」
「そうですか。愛美さんがこれを選んだのですね」
チラりと酸塊さんは来栖さんの方を見る。よく分からないようで首を傾げる来栖さん。そして僕の方へと向き直ると箱の中に入った漏斗状の物を取り出して僕に見せてくる。
「これは呪具ではありませんわ。完璧な本物では無いですが魔術的な価値はありますの。近いものでいえばあの、えっと、学校の養護教諭をやってるあの人」
「明日空さん?」
「そうです。明日空さんの持っているアスクレピオスの杖のように本物の欠片が力を持っているようなものなのです」
「じゃあそれは何なのさ」
「これはギャラルホルン。社長さんにとっても馴染み深い物ですわ」




