探し物ep5
「妖怪が食べるものがないとな?では先ほどの娘は何とする?しっかりと我の食料となったぞ!」
猫又はこちらへの威圧感を込めてなのか、ゆっくりと近付いてくる。
「もしかして空穂ちゃんのこと?」
「ウツホ、というのかは知らぬがお前のシャインという者だ」
のしのしと音が鳴りそうな足音でこちらに近づいてきた猫又は僕の眼前で止まった。改めて見るととても大きい。これを猫というのだろうか。世の中には虎も猫と言う人もいるようだし分からないが少なくともこの巨大な生物は猫とは思えない。
「んー。確かに食べられたかもしれないけどさ、本当に食料になったの?」
「どういうことだ?」
確かに僕も空穂ちゃんの首から上がなくなってるのを確認した。首がなくなったまま、学校に行ってきたかのような制服の少女の遺体を見た。彼女にとって大事というか、人間にとって大事なものがない状態の彼女を僕はしっかりと見ている。
「お腹いっぱいになった?」
「何を言っている?お前が先ほど言っていただろう?肉付きがいいわけでもない者を食ったところで腹は膨れぬと」
「確かに言ったよ」
先ほどの問答のなかで、彼女のような華奢な者を食べても満腹にはならないと言った。それは間違いないが、彼女を食べても猫又が満腹になるはずがないのだ。
「……何が言いたい?」
「いや、だってあの死体、血が出てなかったよね」
彼女の死体は首だけがなくなっていた。制服は綺麗なままであったし、本当に首だけが元から無い存在みたいだった。
普通に考えて頭を食べられたら血が出る。その血が一切制服にかからないなどあり得ない。彼女にとって、人間にとって大事なものが欠けていた死体。その少女の死体には血がなかった。怪我という範囲ではないが傷を受けて血が出ない人間など存在しない。
「そりゃそうだよ。肉付きがいいわけないじゃないか。あの子はそもそも肉なんて付いてない」
人間ではありえないのだ。そのあり得ない事が起こるということは。
「彼女は最初から死んでいるんだからさ」
初めから、彼女は死んでいた。
・
死んでいたというよりも、正しくは生きては居なかったというべきだろうか。僕と会話をしていたし、僕から見ると彼女はただの学生にしか見えない。所作も普通の人間と同じ。ただ最初から彼女の足音はしていなかった。事務所を移動するときも、事務所から出て外に行くときも、彼女が歩いて立てる音は一切僕には聞こえてこなかった。別に足がないわけではない。幽霊だって元々は人間である。死んで霊体になって急に足がなくなるなどということはあり得ない。ただ幽霊は幽世のもの。この世界に存在する物質への干渉は何かしらのズレがある場所以外はできない。扉というものは必ず少しだけズレている。このわずかなズレで彼女は扉を開けられた。
「しかし確かに我は首を……」
「そう、さっきの死体には首がなかった。さっきの死体っていうかずっと死んでるんだけどね」
首をハネれば人は死ぬ。人ならば死ぬ。確かに口の中には入っただろう。それだけである。生きてる人の質量と違い幽霊には質量がない、はず。ほぼ空気を食べているようなものだ。
「思い込みの話があるんだけど、ま、自分で思い込むことでそれが現実に影響してくるってやつ。空穂ちゃんは、死んでいるのに幽霊として生活してる。それは本人がまだ死んでいることに気付いていないから、生きていると思い込んでいるから。そして首がなくなって死んだようになっているのも。……普通に人間って首がなくなったら死ぬって"思い込む"よね?」
この猫又、先程からこちらを威圧する文句に人を食ったと言ってくるが人を食う妖怪というのはそんなに偉いものだろうか?人を食って力を得る、高い魔力や霊力などを持っている人間に対してはそうかも知れないが普通の人間と分かってて食べるのは妖怪として"素直"すぎるだろう。
「つまりさ、猫又、お前は生きている人間は食ってない。力を得て自由になったはずのお前は、隠れて過ごしているだけでまだ何もなし得ていないよ」
僕の言った言葉を理解しようとするように、目の前の猫又は目を泳がせながら黙り込む。双方のどちらかが喋っていたため、二人とも喋らなくなると、それに反発するかのようにうるさいくらいに室外機の音がなっている。
「黙っているけどさ。黙らざるをえないのかな?それとも声も出せない?」
「それでも!我は!自由を得て今までと違う存在として!」
子供のように甲高い声で猫又は叫び続ける。
「元から何も変わっていないよ」
「君は元々ただの猫だったはずだ。それを飼い主に名前付けられ、そこに名前という役割を与えられた結果自我を持ち、逃げ出した。成長した?とんでもない!元々猫だったのが、ちょっと大きくなってしゃべれるようになっただけの猫のままさ」
所詮はその程度のものであった。まだ猫又になりたてということもあるだろうが僕から見ればただの猫と変わらない。
猫には腐臭を嗅ぎ分けることができるとも言われており、そこから猫と死者には何かしら関係があるという。猫が死体を跨ぐと生き返るというものもある。古来より猫と死者は関連付けられている。
しかし、目の前の猫又は妖怪として、猫として、何かをするわけでもなく、その巨大な体躯がウドの大木となっていた。そして。
「そのアイデンティティの一つすらもう失ってるよね」
「な、何を……」
先程から猫又は"子猫のように甲高い声で"こちらに対して言葉を投げかけてくる。ほんの数刻前までではあり得ない声に、本人だけは気付いてない。猫又に対し威圧感を感じていたその巨大な体躯は少しずつ少しずつ変化していた。
「ほら、声にも形にも威圧感がなくなってるよ?可哀想にこんなに"萎んでしまって"」
「我の体が、小さく……」
約2〜3mはあったであろう体躯。その時の恐ろしさというか威圧感は相対したものでなければ分からないだろう。しかし、今目の前にいるのはそこから変化して普通の猫のサイズより少し大きい程度の猫又。日常生活を送っていて、少し大きい猫と感じられるサイズまで猫又は小さくなっていた。
「何をした!お前!我に何をしたのだ?」
「ちょっと後ろをみて」
そこには路地にあるような瓦礫や石ころが散乱していたがその中に一つ綺麗な石が紛れ込んでいた。その石には何か図形が描かれている。『ᛇ』の形が掘られたそれは他の石に紛れているようで確かな存在感を示していた。
「それはね、再生や変化っていう意味を持つ文字なんだ。つまり君は今、昔の自分へと再生し、適応しようと変化している。本来はこういう意味で使うものでは無いんだけどね」
『ᛇ』は死と再生・復活の意味を持つルーン文字。猫又という妖怪の存在に対して死を、その猫としての存在の復活を。手繰り寄せる運命を僕は願った。ある意味、新しい自分になるとも言えるかもしれない。新しい自分になると言うことは過去を死に追いやることでもある。猫又に対して僕が行ったのはそのルーンと猫又を繋げただけである。あとは運命の導くままに、僕の理想へと進んでいく。
僕の師匠は言っていた。ルーン文字にはそれぞれ意味があり、解釈も様々ある。自分の願いを叶えるために必要な運命を辿り寄せる事が一番大切と。今回は猫又を捕まえる事が目的ではなく、『猫を飼い主に返す』事が目的だ。その目的という願いを叶えるために僕は行動に移している。
気づいた時には目の前にはただ人間の言葉を話す猫がいた。今まで自分が与えていた威圧感や畏怖の感情をそのまま反射させられたような顔でこちらを見ている。若干震えているようにも見えるがそれでは僕が猫をいじめているみたいではないか。ただ依頼を達成する為に。この猫の飼い主へと送り届けるために頑張っているだけなのに。目の前にいるのは妖怪のはずなのに全くの威圧感の無さからどうでもいいことを考えていると震えた声が僕の耳に届いた。
「なん……、何だ?そんなもの我は知らぬぞ!貴様何者だ!」
子猫のような声で叫ぶ猫又。足がしっかりと震えているし、二本に生えた尻尾は逆立っている。
「僕?僕はね、何でも屋サークルっていう会社の社長何だけどそういうことを聞きたいわけじゃないよね。分かりやすい言い方はないかな」
こちらの言葉を一言一句聞き逃さないように、こちらの挙動を注視している猫又。その場では明らかに強者と弱者の立場が逆転していた。
僕が何かと問われたら、職務質問などでは名刺を出して会社の社長と説明をするだろう。実際その通りなので社会的には正しい返答をしている。ただ、今この場での何者か、という質問は人間世界での役割の話をしているわけではない。猫又にとっての『何者』なのか。それを知りたがっている。
今回の依頼もそうだが、僕の会社には異常な依頼が舞い込んでくる。寧ろ"異常な依頼を受けている"といえる。現世に会社を構えている以上、社会性のある名前や役職を名乗っているが、異常な依頼を受ける時に僕はこう名乗ることにしている。
「僕はね、ただの魔術師さ」
魔術師、と。
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