5 ヒント
鈴乃はにこりと笑って言う。
「いてくださってよかったわ。お仕事ははかどっていらっしゃるかしら」
「……君は一体、何をしておられるのかな?」
青い瞳が厳しい色をたたえて鈴乃を見返した。
「それはわたくしの台詞だわ。わたくしの牢にいかがわしいことをしようと入ってきた不埒者が三人もいたのよ。文句の一つも言いたくて、ちょっとこの子に人質になってもらって冒険してきたの」
青年は眉根を寄せて横にいた兵士にあごをしゃくる。その兵士は足早に部屋を出ていった。
「それは申し訳なかった。今後はそのようなことのないようにする。安心して牢へ戻るといい」
兵士が一人、横から迫ってきた。鈴乃が剣を持つ手を狙っている。
のびてきた腕を避けると、人質から剣が離れ、鈴乃は背後から羽交い締めにされる。
鈴乃はまぁまぁ腕が立つが、火黄国でいう分隊長と同等かそれ以下程度の実力なので、負けるときはあっけなく負けるのだ。
鈴乃は捕まったままで、周囲を取り囲む兵たちに艶やかに微笑んだ。
「ここまで見逃してくれてありがとう」
こんなに簡単に捕らえられるということは、鈴乃が目的を達するまで手出ししないでいてくれたのだろう。
今は兜を脱いでいる兵たちのうち、律京語で言った言葉を理解したらしい人が、一様に照れたような顔をした。
「い、いえ。とんでもない」
誰かが言った言葉に、他の兵たちはうんうんとうなづいている。
「……」
ここまで見逃してくれたのは、鈴乃がなにをしようとしているのかはっきりさせた方がいいと思われていたからかと鈴乃は思っていたのだが、この反応では、もしやもっと可愛い理由なのだろうか。
「兵たちを誘惑しないでくれないかな」
王子が答えのようなことを言って、ため息をついた。
鈴乃は微笑みを顔に張り付けながら、今までにない状況に困惑していた。
確かに夜な夜な男達をはべらせていたが、それは作戦会議だったりをする仲間であって、本当に色香で思い通りに動かしたことはない。
見惚れられることはあっても、そんな行動理由は諸刃の剣だろうし、信頼に欠けると思っていたから利用してこなかった。赤面させたり口付けするふりをしてからかうことはあったが、そんなもので本当に操れるとは思わなかった。
だが、はからずも女の武器が効果を発揮したらしい状態を体験して、今とても驚いている。
羽交い締めの腕から解放され、代わりに手枷をされて部屋から出されそうになり、鈴乃は「ちょっと待って」と言おうとした。
牢屋の男どものことなど表面上の口実にすぎない。
この王子様に伝えたいことがあるのだ。突然やってきた鈴乃を叩き出すこともせず、それどころか言い分を聞いて牢屋に人を送ったと思われる彼は、たぶん善人だろう。
権力を持った善人。情報を渡す相手として彼ほどの適任者はいない。
だが鈴乃が声を出す前に、その背に声がかかった。
「待ちなさい」
耳に心地よい優しい声、軽くくせのある茶髪の王子様が、不可解そうな顔で椅子から立ち上って近くに来る。
「やはりどうも姫の言動は噂と違うように思える。せっかくだから今話をしたい。よいかな?」
悪役を演じるのをやめたわけであるから、違って当然だ。そしてそれをいぶかしんでもらうことを狙ってもいたのだ。
まさかこんな上の立場の人間がそれを把握しているとは思わなかったが。
「かまわないわ」
彼はひとつうなづくと、周りの兵たちに視線を向けた。
「お前たちは下がりなさい。二人で話す」
と言う言葉はケルン語だった。
これまた願ったり叶ったりだ。王子が人払いをする理由は分からないが。
兵たちのうち、背に青いマントのついている金髪の男が、いかつい顔に面白がる気配を含めて王子を見た。
「殿下、不埒なことをしてはいけませんぞ?」
と言うのもケルン語だった。
「お前たちと一緒にするな」
「しかし誘惑されたら逆らえますか?」
王子は青い瞳に鈴乃を映すと、目をそらす。
「……。…………努力する」
誘惑されるところを想像して目をそらしたのか。とは冷静に考えられる。だが、もしや服装が乱れていたりしたのだろうか、と鈴乃は自分の体を見下ろした。牢屋で暴れたし、寝るところであったし、人目を気にしていなかったから着物の乱れを気にしていなかったのだ。
胸元の着物の合わせ目は特に着崩れていない。
足は見える作りの着物だが、そもそも鈴乃がこういう着物を作ろうと思い立った原因である異国の服がケルン大帝国の服であるから、この程度の露出は見慣れているはずだ。
はしたないと言われることもないだろうし、信頼を得るのに困る格好ではないだろう。
一安心して状況を見守る。
「はは。私も残りましょうか」
金髪の強面お兄さんに言われて、殿下は憮然とする。
「大丈夫だから。二人にしてくれ」
「まぁ、いいでしょう。殿下にも浮いた話の一つくらいあってもいいご年齢ですし」
茶髪のくせ毛の殿下はまた深いため息をつく。
「妙な期待をするな。……手枷は外していけ」
ぞろぞろとやってきた兵たちがぞろぞろと帰って行く。
鈴乃に視線をなげてくる者も多かったが、そこに含まれている意味は雑多すぎて理解できなかった。
茶髪の王子と二人きりになる。
手枷のとれた腕を見ていたら、目の前に手を差し出された。手のひらを上にして見せつけるようにしているが、その手には何も乗っていない。
物乞い? と一瞬考えてから、そういえばケルンでは移動の際に男女が手をつなぐ風習があったことを思い出した。
「おいで」
言われてそっと手を重ねる。青い目を見上げると、彼はゆるやかに笑んでいた。
手を引かれて、壁際に置かれていた長椅子に連れて行かれる。
「座って」
言われるがまま腰を落ち着けると、彼も隣に座った。手が解放されて、つないでいた手を見る。
妙な感覚だった。
時平の傷に薬を塗ったときのように異性の体に触れる機会はあったが、そのどれとも似ない、なんというか、吸い寄せられて心地の良い感じのする手だった。
首をひねっていると、低い声に名前を呼ばれた。
「鈴乃姫、で間違いないのかな?」
間違いないというのはどういう意味だろうか。つい先日自分で捕らえたのにもう顔を忘れたのだろうか。それとも事務的な確認作業だろうか。
鈴乃は眉根を寄せて見返した。
「そうだけれど。どうしてわざわざ聞くのかしら」
「僕はね、君は影武者なのではないかと思っている」
「影武者……」
いつ殺されても別にいいかと思っていたから影武者など作っていなかったが、考えてみればそういう存在がいてもおかしくはない立場なのだとやっと気が付いた。
父にも影武者がいなかったことを思うと、親子そろって死ぬことに抵抗はなかったのだと改めて思う。
「鈴乃姫は姿形はとても美しいけれど心はとても醜い娘だと聞いている。わがままで人を見下すように笑うとね。さっきの君のように感謝を述べるはずがないんだ」
大人しくしていた影響がこんな形で出ようとは。
ここはどう答えるのがいいのだろうか。悪役は演技であって本当は違うと知らせるべきか。それとも悪役を演じて本物の鈴乃だと確信させるべきなのか。
だが素直に信じるだろうか。
人は自分の意思で知り、自分の目で見たことは素直に信じやすい
彼が鈴乃の真実を、自ら見つけだすように誘導すると良いかもしれない。
「男を好み、捕らえた罪人の中に好みの者がいれば部屋に連れ込んで、それ以降その男を見た者はいないとか。自室には開かずの扉があって、そこに捕らえた男達を集めて恐ろしいことをしているのではないかとも言われていた。だが実際に君の部屋を調べたが、頑丈に閉ざされた部屋はあったけれどそこにあったのは庶民の着物と長期保存のきく食料に、ろうそくなどの雑貨品だった」
それは逃がすときに必要な物品置き場だ。
信頼していた老婆以外の侍女や、密偵なんかが見つけないよう、厳重な鍵で封印していたのである。ちなみに天井も壁も厳重な作りになっている。
環境的には中で残虐なことをしていても外にはばれない部屋だった。
鈴乃はこちらを観察するように見てくる青い瞳を見た。
この人は与えられた情報からどういう答えに行き着くのだろう。影武者というのはなかなか面白い答えだが、それでは部屋の謎といなくなった人の謎は解けない。
鈴乃の赤い唇が弧を描いた。
彼は十分に鈴乃に興味を持っている。
これならきっと鈴乃が与えた情報を調べるくらいするだろう。
「そして捕らえた姫、君は牢に入れられても文句一つ言わず、出せとも言わずに大人しくしていた。今日になって脱走したけれど、君は逃げずに私のところに抗議にきたね。泣き叫ぶ民を見下ろして笑っていた人間と同一人物とは思えない。いなくなった男達についてはまだ調べるとして、君自身は影武者なのではないかと思うのだよ。それなら逃げない理由も分かるし、王の間で抵抗もせずに捕まったのも納得がいく」
確信しているような目で言われて、鈴乃はくすりと笑った。
「わたくしは本物よ。わたくしが偽物だったら、世界中のどこを探しても鈴乃姫は見つからないわ」
「ではどうして君は抵抗しなかった? 捕らえられたとたんに改心するわけがないだろう。なぜ何一つ文句を言わない」
「文句を言ったらなにか変わるのかしら? 抵抗したら逃げきれたかしら? そんなことは無いわよね。なら無駄なことをする必要はないわ」
「どうしてそんなに姫をかばうんだい。評判のいい姫ではなかったけれど、君はよくしてもらっていたのかな?」
「わたくしを影武者だと決めつけた物言いね? 頭をやわらかくしてもっとよく考えなさい。あなたは間違った答えを出しているわ。わたくしは鈴乃。これは間違いのない事実よ」
青年の形の良い眉がひそめられた。青い瞳が悲しげに揺れる。
「影武者ではないと言い張るつもりなのか」
「言い張るも何も、それが事実だもの」
「自分を影武者だと認めれば、君は処刑を免れると言っても?」
返答に窮した。
処刑を免れる? 影武者のふりをすればそういう道があるのか。
そんなことを言われてもなお本物だと言えば、それは自ら死を望んでいるということになる。
鈴乃は別に死にたいと思っているわけではない。
でもここで「では影武者です」と言うような人間の言葉の信用度はだだ下がる。
提供する非現実的でさえある情報を信じてもらいたい身としては、身を偽る価値は低い。愚直に真実だけを語って死ぬので良いだろう。
ついでに言えば、嘘をつくのはもうこりごりだ。
最後くらい自分らしくしていたい。
「……でも影武者だと言ったら、それは嘘になるわ」
もし影武者として名乗りをあげたら、その瞬間から鈴乃は別の人間を演じて生きていく事になるのではないだろうか。
鈴乃と呼ばれることはもうなくなるだろう。
名前を気に入っているという訳ではないが、また別人を演じる日々は魅力的には思えなかった。
鈴乃は首を横に振った。長い黒髪がさらさらと動く。牢屋に入ってから髪をまとめていたかんざしは外してしまったから、今は何も飾りがない。
「わたくしは処刑されることを恐れてはいないの。死にたいわけではないけれど、別にいいのよ」
隣に座る青年は、じっと鈴乃を見つめてから、はぁと深いため息をつく。
「君は鈴乃姫なんだね?」
「そう言っているでしょう」
鈴乃は長椅子の正面にある書棚を見ながら言う。
「影武者のふりをするつもりもない、と」
「そうね」
「なぜだ」
「なぜ?」
再び隣を見ると、まっすぐにこちらを見る青い瞳と視線が交わった。強いなんらかの思いがある目。
「噂通りの鈴乃姫なら、影武者のふりをするくらいしたはずだ。なぜ君はそうではない。どうして噂と実物で性格が違うんだ」
「どうして、ね」
「答えてくれないのかい」
鈴乃はにっこりと笑って、すこし王子に顔を寄せた。
「わたくしの部屋の棚に、色んな人が書いた詩があるわ。手がかりにはならないかもしれないけれど、その質問の答えを知るためにあれは重要なものよ」
「詩か……そういうものがあった記憶がある。見てみよう。他には?」
ずいぶん熱心に聞いてくるものだ。
鈴乃の配下の者達が、鈴乃を生かそうと説得してきたときの姿を彷彿とさせる。
思わず鈴乃は小さな白い顔を傾けた。
「どうしてそんなに必死なの?」
くせ毛の茶髪の王子様は、困った、と言外に伝えるように視線を泳がせた。