4 牢屋
無骨な石組みで作られた牢屋は、秋の気配を濃厚に感じさせる冷たさがあった。
明かりは鉄格子の向こうにある燭台だけで、窓もないから夜のように暗い。
寝台は、木の枠に布を張った質素すぎるもので、長椅子と呼んだ方が正しい気がする。
「ひっどい部屋ね」
それでも寝台があるだけいい。
父の治世では様々な刑罰があった。東の雨の降らない荒野へ、着の身着のまま重しつきの足枷をされて追いやられた罪人もいた。それに比べれば、風雨にさらされず寝床もある牢屋など快適すぎるというものである。
鈴乃は高いヒールの靴を脱いで寝台にあがり、その身分と評判からは想像がつかないほど文句も言わないままに、すやすやと眠りについた。
目覚めると、鉄格子のそばに食事が置かれていた。
おにぎりが一つとコップ一杯の水。
嫌がらせで砂をかけられている様子も泥水の中に落とされた様子もない。おにぎりは汚れた床に直置きでもなくお皿に載せてある。
支配地にも善政を敷くと評判のケルン大帝国は、ここでも厳しい統率がとられていることをうかがわせた。
まったくいい国に侵略されたものだ。もし自国内の反乱が成功してこの状態になったとしたら、食事の心配などしている以前のことになっていただろう。少なくとも真っ先に死ぬか貞操の危機かのニ択であったはずだ。
「おにぎりね」
ケルン大帝国の主食となる穀物は小麦であり、米ではない。となるとこれを作ったのは火黄国の人間かもしれない。鈴乃に届けられると知っていたのか、そうではないのか分からないが、姫時代さんざん、
『手で持ってかぶりつくですって? そんな野蛮な食べ物、わたくしの食事として出さないでくださらない?』
とわがまま放題言っていたので、意図せずか意図してか料理人からの意趣返しになっている。
しかし実のところ鈴乃は、おにぎりを食べてみたかった。
わがまま姫らしく、適当に手当たり次第、庶民っぽいものを否定していたうちのひとつがおにぎりだったのだ。
三角形に握られた白い米を、鈴乃はきらきらした目で両手で持ち、ごくりと唾を飲み込んでかぶりついた。
はじめて食べるおにぎりは、ただ握られているだけだというのに茶碗からお箸で食べる米とは少し味が違うように感じた。
しっかりと租借して飲み込み、ほわりと笑みを浮かべる。
「おいしい」
表面に塩までまぶされている。
誰も見ていないので、鼻持ちならない姫がなぜ? という顔をされることもなく心おきなく堪能した。
手に付いた米を口でとりながら、そういえば具とやらが中に入っていると聞いていたのに入っていなかったことに気づいた。
罪人の食事にそこまで手の込んだことはしないのは当然かと、残念ではあるが納得して、これまた特に文句は言わない。
食事がおわると、することがなかった。
牢に入っている人間の正しいあり方としては、おびえて許しをこうたり騒いだり現実逃避したりすることなのかもしれないが、いつかこうなる可能性は考えていた鈴乃に感情の乱れはなかった。いやむしろ大役をはたして燃え尽きたように、常以上に意欲がわかなかった。
寝台に座ってぼんやりする。
見回りの兵士がどれくらいの間隔で通るのかを体感覚で計るくらいしか娯楽がない。仕方がないので体を伸ばしたり、寝台で腹筋を鍛えたりする。そこそこ疲れた。
もう悪女を演じる必要もないので、牢屋に不満があるというわがまま姫らしい文句を言うこともしなかった。
それに、わがまま姫ではないのだと、うすらとでも考えてもらえる方がことは上手く運ぶ。
帝国に伝えたい情報は、言い方を変えればそれを使ってして欲しいことがある、ということなのだが、言わずとも頼まずとも、もし叶うときが来ればそれはきっと実行されるだろう。
淡い期待ではないと思う。ケルン大帝国が支配者となったからこその判断だ。もし反乱組織による乗っ取りであったなら、鈴乃は信頼できる仲間に情報と、してほしいことを頼んで送り出していただろう。
帝国の、できれば確実に善人の、権威ある人間に情報を手渡したい。
処刑日がいつなのか分からないが、あと三日くらい大人しく過ごそう。そして珍しく鈴乃が声をかけることで見回りの兵士に話を聞く気を持たせるのだ。
兵士が力を貸してくれるか分からないが、駄目だったときは処刑日になれば外に出るのだし、そのときに伝えればいい。
毒殺だったら伝えられないで死ぬという危険はあるが、そのときはまぁそういう不運だったのだと思うことにしよう。
それでかわいそうなのは鈴乃ではない別の人間たちであるが、運が敵にまわったのなら仕方がない。彼らには、うまくいかなかったときを考えて希望を持たせるようなことは言わずにきた。だから彼らが希望を失ったことに気づくこともないだろう。
処刑日。それがいつなのか分からないが、その時は確実に近づいている。
実感がないからなのか、生きる気がないからか、恐怖は湧いてこない。
ただなんとも、自分という物のない、つまらない人生だったなぁと思うのである。
父王のすることに影で逆らっていたのも、やりたいからではなくやらなくてはならないと思ったからだ。
それでも満足はしていた。自分の存在に意味があるのだと思うと、空虚だった心に確固とした物がそそぎ込まれるような気がしていた。
だからこのまま死ぬのも文句はない。国民たちの為政者に対する怨念を晴らす役目として必要だと思う。幸いにして鈴乃の心は気づいたときには凍り付いていたから、怯えたりしないでその日を迎えらる。
食事は一日二食らしい。
一日三食食べていた腹具合から察するに、確実に一食をとばしてから人生二つ目のおにぎりにありついた。
もしや処刑日までずっとおにぎりなのだろうか。と思ったとき、さすがにそれは飽きる、と鈴乃は牢に入ってからはじめて悲しい顔をした。
捕らえられて二日目のたぶん夜。
掛け布団のない寝台の上で、さぁ寝るぞと、もぞもぞしていたとき、不穏な足音に気が付いた。
見回りの兵士はいつも一人だ。
それに次の見回りがくるまで、まだずいぶん時間があるはずだった。
複数の足音が、それも音を忍ばせて歩いている。
晴先たちが鈴乃を助けにでも来たのだろうかと一瞬思ったが、違うなと思い直す。こんな形で助けられたとして鈴乃は首を縦には振らない。
やがてその人影は鈴乃の牢屋の前まで来た。
「……ここだ」
小さな声だった。その声には触れ慣れた醜い感情が含まれていた。
かちゃりと静かに鍵を開け、持っていたたいまつを壁に立てかけて、手負いの獣のような気配をした男が三人、牢屋に入ってきた。わずかな明かりの中で見える口元はいやらしい笑みを浮かべている。
なるほど、貞操の危機らしい。
「その服、ケルンのものだけれど、本当にケルンの人なのかしら?」
寝台から脚を下ろして靴を履き、男達を見上げる。
彼らは着物ではなく、折りまがった襟の立った異国の服を着ていた。顔立ちは暗くてよく見えない。
さっきつぶやかれた言葉は、火黄国でも使われる律京語だ。言葉が短すぎてなまりの聞き分けはできない。
軍規の厳しいケルン軍の人間がこんなことをするとは考えられないから、火黄国の人間がまぎれこんで鈴乃に乱暴をしにきたのではないかと思った。
だがもしも万が一にケルンの人間だとしたら、この男達の理性のなさにいっそ感心するというものだ。
「今はケルンの人間だ。元は親陽国人だがな」
小さな声で言って、鈴乃のまわりを三人で取り囲む。
どうやら感心するべきらしい。
「親陽の……そういうこと」
親陽国は長年火黄国から嫌がらせでしかない略奪行為を受けていた国の一つである。
侵略ではなく略奪だ。土地を管理するということもしないから、略奪後の土地には無法地帯が広がることになった。
鈴乃も略奪を見学に行ったことがある。
国をあげての略奪であったから、鈴乃には手出しができない、助けてあげられない人たちを、心の中では不憫に思いながら笑って見下ろしていた。彼らの恨みは根深かろう。
最近ケルンに併合されたばかりの国でもある。軍規の厳しさがまだ行き届いていなくても理解できる。
だがこの男達の頭が悪いことも理解できた。
いくら嫌われきった姫相手だとしても、軍規の厳しい軍がそれを咎めないはずがないのだ。
まして慈善事業よろしく他国救済をしているケルン大帝国という国の民が、軍規を犯して非道を行った人間に向ける目は厳しい物に違いない。
彼らにもう出世の道はない。
それを材料に交渉して見逃してあげるつもりもない。
鈴乃は今、とても暇しているのである。
そして彼女は明らかにかわいそうな人を助けてあげようという理性はあっても、誰にでも誠意を向ける善意というものは持ち合わせていなかった。
「女性の牢に三人でおしかけて、何をするつもりなのかしら?」
ここに至るまで彼らは終始、小声であった。
だから伸びてきた手が鈴乃の口をふさごうとしてのものだというのはすぐに分かって、床を蹴って逃げた。
チッという舌打ちが聞こえる。
「毎夜毎夜、男と遊んでいたんだろう。今夜は俺たちの相手をしてくれよ」
小さな声で言われて、鈴乃は鼻で笑う。
「好みじゃないわ。お断りよ」
馬鹿な男達は牢屋の鍵を開けたままにしていた。
壁伝いに男の横を通り抜けて外へ出ようとした鈴乃を掴み倒そうとでもいうのか、伸びてきた腕を逆に掴む。そのまま相手の力を利用して背後に投げ飛ばした。
男の体が床に転がると、動揺したらしい他の二人が剣を抜こうとしたので、その前に足の甲をヒールで踏みつけ、痛みに声を上げた男を、先に倒れていた男の方へ服を掴み倒して転ばせた。
「くそっ」
すでに剣を抜き払っている最後の一人と向かい合う。
じりじりと鉄格子近くまで後退し、振りかぶってきた剣を避けて、キィンと鉄格子と剣がぶつかったすきに男の鳩尾に力一杯の肘鉄を入れた。それから股間を蹴り上げると、相手は悶絶してうずくまる。
取り落とされた剣を拾って、起きあがってきた先に倒されていた二人の男たちに切っ先を向ける。
「鍵をよこしなさい。それとも斬り殺されたい? それとも使おうとしていたブツを斬り落とされたい?」
顔は見えないが、青ざめたのが気配で分かった。
投げてよこされた牢屋の鍵を拾って出ると、牢を閉ざして鍵をする。
そのまま男達を残し、いつも見回りの兵士がいなくなっていく方向へ行った。
通路に立って牢の中の男どもを見守る趣味などない。
ちょうどいい機会である。
兵士に話しかけるより、自分で押し進んでみてもいいのではないだろうか。
通り道にあった牢屋には、大臣と近衛兵たちは捕らえられていたが、父の姿は無かった。
姫様どうか助けてください。出してください。と言う彼らの前を素通りして、外へ続くらしい扉を開けると、炎の明かりの灯る部屋に出た。
机と椅子はあるが人はおらず、いぶかしみながら城の廊下に続く扉をあけようとしたとき、ガチャリとそれが開いて人が入ってきた。
「ん?」
「あら」
くせのある亜麻色の髪の青年は、そのまま唖然とした顔で鈴乃を凝視した。目線は鈴乃の顔と胸と手に持っている剣とを行き来する。
「ねぇ、ここどうして無人だったの?」
「え、あ……律京語か。どうしよう」
と言った兵士の言葉はケルン語だった。この人は火黄国で使われる律京語が使えないのだなと判断する。罪人たちの言う言葉を牢番が理解できなければ、罪人の口車に乗せられることもないだろうから、これはいい人材の配置だなと思う。
鈴乃はケルン語が扱えるので、ケルン語で同じことを言ってみる。
それ以前にどうして脱走しているのだ、と兵はたずねるべきであるのだろうに、彼は雰囲気にでも呑まれたのか素直に返した。
「その、夜食を、食べに行ってて」
「代わりに見張っててやる、とか誰かに言われたのかしら?」
「言われました……」
そこで若干、正気に戻ったのか彼はまわりを見回す。
「あれ、あいつ。どこにいった」
「たぶん檻の中よ」
「檻……?」
鈴乃はふふふと微笑んだまま、まだ混乱のただ中にあるらしい兵の首に剣先を突きつけた。
兵士は血の気の引いた顔で固まる。まだまだ場数を踏み足りない兵のようだ。
「わたくしに夜の相手をしろと迫ってきた不埒者がいたの。文句言いたいからお偉いさんのところまで連れて行きなさい」
「ひ、え」
鈴乃はため息をつく。
「いいわ。判断できないなら私が勝手に行くから。あなたは人質ね」
剣をつきつけたまま彼の背後にまわる。服を掴むと首筋に改めて剣を当て扉に体を向かわせる。
その格好で部屋を出た。
すぐさま別の兵士に見つかったけれども、人質を気にしてか手を出してくる者はいなかった。
早く先へ行きたいのに、人質の腰がひけていて歩みが遅く、服を握った手で背中を押す。
「しゃきしゃき歩きなさいよ。それでも兵士なの」
「す、すみません」
「まぁあなたがへたれで助かったからいいのだけれど」
「ううう」
彼が強い兵士であったら人質にするなどできなかったし、敵国に乗っ取られた城を探検するなどできなかっただろうから。
途中で出会った兵士たちも、手を出しあぐねているのか背後にずらずら付いてきた。階段をのぼり、元父王の執務室だった部屋に入ってみる。
鈴乃たちが入ると、付いてきていた人たちも部屋になだれ込んだ。
「なんだ。なんの騒ぎだ」
部屋に元々いたらしい人の声。つい最近聞いた覚えのあるものだった。
人質の横から顔を出して中を見ると、執務机で仕事をしていたらしいあの王子様がいた。
この部屋を誰も使っていなかったり、もう寝ていたら無駄足になるなと思っていたので、鈴乃の顔に思わず笑みが浮かんだ。
「鈴乃姫?」
と王子様は綺麗な顔に驚きを浮かべる。
付いてきていた兵士の一人が王子の側に駆け寄って何事か話した。




