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3 落城

 それから十二日。火栄ひえい城は落城寸前だった。

 逃げも隠れもしない父王と共に、鈴乃も王の間で敵が来るのを待っている。


 わーわーと騒ぐ声が壁の向こうから聞こえてきていた。

 父は何も言わない。ただ気味の悪いほどの笑みを顔に張り付けている。

 付き従わされている大臣たちはがたがたと震えて、守りである近衛兵たちからも戦う意思は見受けられなかった。


 誰も彼もうまみを吸うためにいた高位職だったから、中身が伴っていないのはご愛敬というものである。

 扉が開いて、外の喧噪が入ってくるのと同時に、異国の風変わりな甲冑を着た人々が、がしゃんがしゃんとなだれこんできた。


 三代前の王が、この火黄ひおう国に異国文化が深く浸透してきたことにあわせて王の間を畳から石床に変えて玉座もあつらえた。畳ではないので異国の甲冑も場違いというほど部屋の中で浮いてはいない。


 完全武装の敵の中にあって、一人だけ兜をつけていない青年がいた。

 一番手の込んだ作りの青いマントをたなびかせて歩くその人は、くせのある茶髪に、空よりも濃い青の瞳で、ずいぶんと整った顔立ちをしている。鈴乃の情事相手と目されていた男達のなかで最も美形と言われる正之真せいのしんにも引けを取らない美形だった。肌の色は火黄国の男よりも少し赤みがかっていて白っぽい。ケルン人だと分かった。


「殿下」


 と彼を守るように立つ兵士がケルン語で彼に言うのが聞こえた。

 殿下ということは王族だ。ではあれがこの軍の最高責任者だろう。戦場に来るケルン大帝国の王族といえば一人聞き及んでいる人物がいる。


 第二王子ヴィンツェン。

 ケルン語を操ることができる鈴乃だが、発音が難しい名前だったのでよく覚えている。ヴィンツェン、練習したが正しく発音できている自信はない。


 父王が座る壇上の玉座の隣に立ちながら、特に逆らう気もないので一人だけ顔を出しているその人を見ていると目が合った。

 彼は少し驚いたような顔をしてからじっと鈴乃を見てくる。何を考えているのだろうかと探るつもりでじっと見つめ返していると、彼は部下に呼びかけられて視線をそらした。


 大臣と近衛兵たちは手早く捕らえられて無力化され(元より無力もいいところだったが)守る者のいなくなった壇上の王を、青い目をした青年は睨む。


「この国はもう我が軍門にくだった。降伏しろ。定寧王ていねいおう


 父は玉座に座ったまま、くくくっと笑う。


「若造めが。わしがそう素直に従うわけがあるまい」


 父王は立ち上がると横に飾られていた刀を取って、鞘から刀身を抜き放った。

 そのまま青年めがけて駆けていくと、彼を守っていた兵士二人が前に出て、青いマントをひるがえしながら両刃の剣で応戦する。


 キンと金属音が鳴り響くのを、鈴乃は感慨深く見守っていた。

 ――最後の時が来た。

 父は誰も信じない。誰も頼らない。だから剣客としての腕は確かなものだった。

 今も、おそらく手練れだろう二人を相手に競り合っている。


 けれど敵は顔が分からないほど甲冑を着込み、父は鎖帷子一つ身につけていない。徐々に形勢がはっきりしてきた。

 黄色の王衣は切り裂かれ、足を取られ、どっと背から倒れた首に両刃の剣先が当てられる。手は甲冑の足に踏まれ、手放された刀が蹴られて遠くへカラカラと転がっていった。


「お父様……」


 身の内に、ひやりとしたものが湧いてきた。


 鈴乃には殺せなかった父。

 どんなに悪人であっても殺せなかった。民の嘆きを聞いても殺せなかった。やろうと思うと涙が出て体が震えた。ただ一突き、その心臓を刺し貫けばいいのになぜ決心できないのかと自分を責めた。毒でもいい。その飲み物に仕込めば良かった。できなかった。どうしてもできなかった。親なのだ。今やこの世でたった一人の家族なのだ。殺せなかった。そして代わりに罪のない人々が痛めつけられ死んでいくのを見ていた。


 その父が今無力に地に伏している。

 そうなっても彼はまだ笑っていた。


「ふふ。ははは。つまらんな」


 言動が一致していない。

 仰向けに倒れている父に突きつけられていた剣はあごにそって横向きになり、もう一人の兵士が父を挟んで反対側から自らの剣を交差させる。

 父の前に、第二王子とおぼしき麗しの青年が立った。


「協議の後、貴様にふさわしい刑に処す。連れて行け」


 王の間に散っていた兵のうちの一人が駆け寄って、父に手枷をつけて立ち上がらせた。マントもつけていない兵士五人で取り囲み、扉へと向かって歩いていく。


 他の兵士たちは壇上へあがってきて鈴乃の腕をとり、手枷をはめた。ずしりと重く冷たい鉄の感触。腕が自然と落ちた瞬間、自分の立場が変わったことを実感した。


「鈴」


 王の間を出る直前に父が叫ぶ。それは父だけが呼ぶ鈴乃の愛称。


「わしはお前に殺されたかったぞ」


 はははははと笑って連れて行かれる父を、鈴乃は血の気の引いた顔で見送った。

 裏で行っていたことに気づいていたということだろうか、それとも権威欲にかられて殺すのを待っていたということだろうか。

 どちらにせよ、鈴乃には冷酷さが足りないことに父は気づいていたのだろう。


 殺されるのを待っていたのか。だがもしそれが叶っていたなら、鈴乃はその瞬間きっと今の鈴乃とは別の人間になっていた。たぶん、父と同じ道を歩みかねない心の扉を開いていた。


 鈴乃の中には彼の言動を理解できる部分がある。

 心が冷え切っていて、なにをしても良心が痛まない。

 いっそ激しく罵倒されると、それほど強い感情を向けられていることに興味を覚える。人間は親愛の情よりもよっぽど怒りの感情の方が強いのだ。

 開けてはならない扉を開けていたら、親愛のまなざしを向けられたときにむずむずする感覚が嫌悪感に変わったのではないだろうか。


 ふと視線を感じて目を向けると、王子とおぼしき人の青い瞳とぶつかった。

 無意識に頭が下がった。

 顔を上げる前に壇上から下ろされて、彼の前に正座させられる。


「定寧王が娘、鈴乃だな?」


「ええ」


「君も、時が来たらふさわしい刑に処す。……連れて行きなさい」


 両腕を抱えられて立ち上がる。

 鈴乃は何も言わなかった。

 ただ、この人に救われたような気がして、その奇妙な安らぎに意識を向けていた。

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