05:Episode 0-4
目の前の少女を象る影はユラユラと地平に揺らめく陽炎のような儚さを見せ、何処となく弱々しい印象を感じる。
―――――影は果たして触れて大丈夫なのか。
相手の意図を読み取る上で互いにとって最も精度と負荷のバランスが取れた手段と考えられるのは、対象者に触れることのない間接的な"透視"よりも対象者に触れる直接的な"接触"だが、あくまでもそれは正常での話。
今回は心象世界に乗り込むほどの異常――――……当然、正常と同様の最善な事態ではないことくらいは十分承知しているからこそ、決断に迷いが生じてしまっていた。
『ふむ。其方は気を回し過ぎるな。他者の深淵を隅々まで漁る痴れ者共ならいざ知らず、其方のは精々私の極一部の感情を汲み取る程度であろう?』
恐らく始めから侵入者の手口を充分に承知しているのだろう。
あの少女を象る影が黒い靄ではなく顔にちゃんと部位があるのであればまず間違いなく呆れた表情を浮かべそうな調子で溜息を吐いている。
「術式を御存知なのですか?」
『当然であろう?でなければ、新しき者が旧き者の御業を拝借することなど到底叶わんよ』
声の調子が得意げな辺り、少女を象る影の実体は顔すら見えない黒い靄でなければ表情にドヤ顔でも浮かべそうな気がする。
―――――よく判らない対象かな。
博識さを見せる反面、少女を象る影は随分と子供っぽい一面を見せているが、それを額面通りの子供として捉えることは出来るはずもない。
背丈は私よりも低いということは私よりも年下に思えてならないが、相手は長命種たる森妖精人族の血を継ぐ混血。安易に常識的な価値観を人族同様と思い込んだまま事を運べば、無用な問題を誘発してしまう可能性もゼロではない。
ただ子供扱いしないだけで目先の問題を回避出来るのであれば、予防策としては安上がりな経費だろう。
「なら、話が早いかと。侵入者の開示請求は受諾して頂けますね?」
『構わんよ。無自覚とは言え、其方の領域を侵したのは私の落ち度だ。改装作業真っ只中の心象故、其方が私を気儘に闊歩することをこそ叶わんが、其方にはこの影を接続機器とした経路を確立させることだけは受諾しよう。無論最下層権限として、だがな』
目の前の少女を象る影を経由しなければ何の閲覧も叶わない最少の権限ではあるが、此方としては何の問題もなかった。
私が知りたいのは、私の敵か否かのみ。決して何でも根掘り葉掘り訊くような厚顔無恥の詮索屋をするつもりはないのだから。
「はい。判断材料さえ頂けるのであれば、此方は何ら問題はありません。ご協力、感謝致します」
『うむ。ならば誓約の締結といこうか』
少女を象る影は手を翳すと、私と彼女の足元を囲むように毒々しいまでの赤色を放つ紋様が浮かぶ。
『陽炎が如き我が心象の暫定的な真名"ミルティア・エルメント"に於いて誓う。我等が世界の理に従い、我が領域への改竄や深層を侵さぬ限り、我等は其方を客人として受け入れることを』
"ミルティア"―――その名に全く引っ掛かりも感じない、全く聞き覚えの無い名だ。
僻地に引き籠りを始めて暫く経つ私に何も思い当たる節がないということは、嘗ての戦乱絡みに名を馳せた者ではないことは判る。近頃になって名を上げた新興勢力なのだろうか。
しかし、その名を情報源から入手した事はなければ、配達人との世間話程度の会話から聞いたこともない。
定期に送られる情勢の殆どは居住区域付近が主であり、其処に彼女の名はないということは――――つまり"名に覚えがないということ=遠く離れた地域で活動する抵抗勢力"が正体なのだろうか。
―――――まあ、今それはどうでも良い問題かもしれないが。
「受諾に深い感謝を。我は汝が応えた其の信頼を裏切らぬこと、嘘偽りのないことを我が唯一の真名"サヤカ"に於いて誓います」
互いに宣誓し合う言霊を交わした直後に足元の紋様が消えるということは、誓約がただの口上ではなく絶対遵守の規則として正常に発効された証だ。
もしもどちらかが誓約を違えれば、彼女の心は私はおろか心象世界の管理人に等しい少女を象る影にさえ容赦はしないだろう。
誓約締結時に浮かんだ赤色の紋様は呪的契約を結ぶ対象に最高位の敬意を払う礼儀を示すと同時に誓約を違えた罰への苛烈さも最高位となることを示している。規則の形は誓約の数ほど存在し定型は存在し得ないが、確実に想定し得る罰則規定としては対象の存在を消去する程度は覚悟しておいた方が良い。
無論私や彼女に反故する意図があれば、の話だが。
『うむ。滞りなく終えたか。よし、其方――――サヤカ、と言ったか。私の手を取れ』
ミルティアの右手を差し出されても、これにどう対応して良いかがよく判らない。
何せ、彼女の全身は誰と識別することが叶わない人型の輪郭をした黒い靄。そもそも触れて掴む、という動作がとれるかどうかすら怪しいモノだ。
―――――まあ、成るようには成るかな。
「では、失礼致します」
そっと手を象った黒い靄の部分を私の両手で包み込むように触れてみてもやはり黒い靄は手を握る感覚には程遠く、手の内に体温には程遠い僅かな熱量を感じ取れる程度だった。
やはり、と言うべきか。案の定、実体のない煙のような気体を手中に収めたような頼りなさしかないが――――……まあ、私の探査には何ら支障をきたすこともないため、若干の違和感は我慢をする。
調査項目は大きく2つ。
心の大元たるミルティア・エルメントが最も強烈に意識する感情の一部を拝借して閲覧すること。
私という特殊な存在の概念"名も知られぬ英雄"と"僻地の世捨て人"、"平凡な女子生徒"の3視点に対して彼女が何らかの害意を抱いているかどうか。
「対象項目に接続。探査開始」
両目を閉じて意識を調査対応に集中する。
やり方としては、探査に滞りがなければ警告か安全を示す結果を術者がそれを記憶する色彩として脳裏に浮かぶ仕組みだ。
ちなみに私の感覚では警告が赤で安全が緑。きっとそれは地球のTVや書籍で見たSF物の影響だろう。
―――――成程。何も問題無し、かな。
若干の安堵を覚えつつ、私は彼女の感情に同調した。