始まり
これが初めての投稿になります。拙筆ですが暖かい目で見て貰えると嬉しいです。投稿のペースは遅いと思いますが、それに関しての突っ込みは無しにして頂けると助かります。
ブンッブンッブンッ
何かを振っている様な音が規則的に響いている。その場には他に音を出すモノは無く、その音を聞いているのもまた、音を出しているモノだけではないかと、もしその場に第三者が居れば思っただろう。
「……ハッ……フッ……」
振りに合わせるように微かに聞こえる声はかけ声のようであり、ただの呼吸音の様でもある。その発信源は小さく、十歳位の子供と同じ位の大きさで黒くずんぐりとした体型をしている。手に持っているのは黒い金属製の棒で、身長と同じ位の長さのそれを軽々と、まるで剣の素振りをする様に振っていた。
呼吸に合わせて吐かれる息は真っ白く、その場がとても寒い場所であると主張している。陽が傾き、山の稜線に近付いてきている時間帯で気温も下がってきており、その山も、人影の周りも目に見える場所は例外も無く雪と氷に覆われているので、ますます寒々とした景色であった。
ここは、大陸の北、人が居住している最北端の村、ノースアタロスから山へと向かった先の森の入口付近である。険しい山へと続く登山道の入口には粗末な小屋が建てられており、山へ向かう人々の準備の場になると共に、村人達の狩りの拠点にもなっている。
人影はその小屋の傍らで一心不乱に素振りをしていた。
「ふぅ、そろそろ帰ろうかな」
人影から聞こえて来た声は、少年特有の高い声で、さっきまでの力強さとはかけ離れている印象を受けるだろう。この場に居て実際に見ていなければ声が人影から発せられたとはとても思えなかった。
人影、改め、少年は腕を回して大きく伸びをした後に小屋へと入る。小屋の中は暖炉からの熱で暖められており、過ごし易い温度に保たれていた。
「黒炎、汗拭いて着替えたら帰るよ」
少年は荷物の中からタオルを出しながら暖炉の方向へと声をかける。正確には、暖炉の方向ではなく、その前にある黒い毛玉(?)に向かってであった。
黒い毛玉、改め、黒炎は少年の声に反応して、恐らく寝ていたであろう丸まった状態から首が持ち上がって少年の方を向く。
「ふにゃ、終わったのか~……ふわぁぁぁ」
驚いた事に、黒炎という獣は人語を解して少年に返事を返し、大きな欠伸をしてから四足で起き上がる。細身の身体はしなやかな筋肉と艶やかな漆黒の毛皮に覆われており、優美な姿は見る者を感嘆させる。猫科の獣、黒豹の様な体つきにピンと立った三角の耳と狐の様なフサフサの尻尾、そして最も特徴的なのはルビーの様に紅く輝く瞳である。その身体を弓なりにして伸びをする様は実に気持ちが良さそうに見えた。
「ごめん、待たせたね」
「ホントだよ、毎日毎日よく飽きないな~」
「ボクの日課だし、それに父さんと約束したから」
「そっか……とりあえずお腹空いたから早く帰ろ」
「そうだね、ボクもお腹空いちゃったよ」
一人と一匹、お腹を押さえて笑いあう。まるで友達同士の会話、というよりも家族の様な暖かい空気が包んでいた。
ガチャ……ビューーーーー
扉を開くと外は先程とは全く違った様子になっている。空は厚い雲に覆われ、辺りは真っ暗になっており、雪と風がとても強く吹雪いていた。
一人と一匹は顔を見合わせるとお互いに溜息をつく。
「あ~あ、吹雪いちゃってるよ」
「ごめん、今日はもう少しの間、変わらないと思ってたんだけど……」
頬をかきながらすまなそうにする少年の足に前足を乗せて、黒炎は首を振るように尻尾を横に振る。
「いいから、さっさと帰ろうよ。ボケッとしてたら凍えちゃうよ」
「……うん、急ごうか」
嬉しそうに微笑みながら黒炎の頭を撫でた少年は、黒炎を先に出すと小屋の扉を閉めてしっかりと施錠をする。
「火はちゃんと消したかい?」
「大丈夫、ちゃんと確認しておいた」
そんな事を話しながらも素早い足取りで村へと向かう。この辺りの積雪は深くなる為、積もる前にさっさと家に帰る必要があるからだ。
黒炎の獣特有の素早い走りに遅れる事も無く、ずんぐりとした格好に荷物を持った少年は、その姿に似合わないスピードで並んで走っている。それは正に飛ぶような走りであった。
普通の大人が走るよりも数段早く村の明かりが見えてきた所で、唐突に黒炎が止まる。少年は数歩進んだ所で同じ様に止まった。
「黒炎、どうしたんだい?」
そう問う少年の言葉に返事をせずに、黒炎は村から街道へと下っていく方向へ鼻の先をピクピク動かしている。その様子に少年は何も訊かずに次の動きを待つ。
「血?……血の臭いがする」
「血の臭い?……大変だっ、誰か怪我でもしているのかもしれない」
「行くのかい?」
「あたりまえだよ、案内してっ」
「わかった」
そう言って先程鼻の向いていた方向へ風の様に走り出す。その黒炎に遅れずに走る少年の姿は先程までの走りとは全く別物の走りであった。
ザザザザッ
勢い良く走ってきた為、急停止するには少し余裕が必要であり、数歩分を靴底が地面を削る。
陽が落ちて暗くなり、吹雪もあって視界が悪い中で怪我人を探すのは困難を要する。頼りになるのは黒炎の鼻の良さだけである。臭いで探す黒炎の背中を不安そうに見詰めながらついていく少年の頭や肩の上には早くも雪が積もり始めていた。
「居たよ」
同時に走り出した黒炎を追いかけながら最悪の結果には会いたく無いと願う。
前方に白い盛り上がりが見えてくる。雪の積もった大人一人分位の大きさの雪には所々赤黒い染みの様なモノが見える。その量は大怪我を予想させ、最悪の結果も考えなくてはいけないと覚悟させられた。
一人と一匹は手や前足を使い急いで雪をどかし始める。雪の中からは所々衣類が破れボロ布の様になった50代位の男性が出てきた。
少年は傷の様子を確かめながら、脈や呼吸を確かめた後に、ホッと溜息をつく。
「出血は酷く見えるけど血は止まり始めてる。
気絶して動かないけど、脈も呼吸もしっかりしてるから命には別状ないと思う。
だけど早く運んで暖めないと危ないのも確かだね」
「それは良かった、荷物は持ってやるから、その人を担いでいきなよ」
「うん、急ごう」
少年は荷物を黒炎の背中にくくりつけ、自分は怪我人を背中に担いで立ち上がる。そのまま一緒に村へと走り始める。人間一人を担いでいる様には見えないくらい足取りは速かった。
村の入口、木の柵に囲まれた一角に大きな木製の門がある。その近くには守衛が詰めている小屋があり、窓からはランプの灯りが漏れている。外には寒そうにしながらコートに包まれた守衛の姿が見え、少年達の姿に気が付いたところで静止の声がかけられる。
「ちょっと待った、一度門の前で止まれ」
言われた通りに立ち止まった少年達に向けて手に持っているランプの光を当てる。厳しく引き締められた守衛の顔はすぐに緩んで笑みを浮かべた。
「おぉ、お前達か、今開けるから早く入れ」
ギィ
同時に軋む音を立てながら門が開く。隙間に少年達は素早く入ると、門はしっかりと閉めなおされた。
「ありがと、急ぐから、バイバイ」
「おい、どうしたんだその背中のヤツは?」
「怪我人を見付けたんだ、ウチに連れて行って手当てするから。
何か聞きたい事があったら明日ウチに来て」
まだ何か言いたい事がありそうな守衛の言葉を振り切るように再び足を速める。少年の家は村の東側、ちょうど門とは反対側の場所にある。村の西から東を貫く中央通りを走り抜けると、他の家と少し距離がある場所に一軒家があった。
「黒炎、扉よろしく」
「あいよっ」
黒炎は一足先に扉の前に辿り着くと、器用に前足で扉の取っ手をひっかけて開く。室内の暖かい空気が逃げない様に、少年達は室内に入った。
カタン
深呼吸をして荒くなった呼吸を落ち着けているところで、部屋の奥から物音がする。少しして少年の母親らしき人物が現れた。
「おかえりなさい二人とも」
「「ただいま」」
少年達は同時に返事をしてから顔を見合わせて苦笑する。笑顔で二人の様子を見ていた母親は、少年の背中に誰かが背負われている事に気付く。
「あら、その背中の人はどうしたの?」
「あ、そうだ、この人、街道から村に続く道で倒れていて、酷い怪我もしてるから連れて来たんだ」
「まあ大変、早く横になれる所に寝かせて手当てしないと」
「うん、僕のベッドに運ぼう。見かけはこんなだけど命には別状はなさそうだから心配しないで」
そう言って少年は自分の部屋へと向かう。その後ろから黒炎がおとなしくついてきていた。
ガチャ
部屋の扉を開けて窓際のベッドへと近付く。
「ねえ、黒炎、このまま布団に寝かせてもいいのかな?」
「多分、高い確率でお前の母ちゃんに怒られると思うけど」
「だよね……」
そんな事を話していると扉が開いて母親が部屋に入ってくる。その手には救急箱が持たれていた。
「何やってるのっ、早く暖炉に火を入れて部屋を暖めなさい。
その人は、一旦、床に毛布をひいて寝かせておけばいいから」
母親の言う通りに床に毛布を敷いて怪我人を寝かせ、暖炉に薪を積んで火を点ける。火に風を送って強めていると、黒炎が側に寄ってきて身体を触れさせてくる。
「鎧脱がないと冷たいな~、ついでに着替えた方がいいと思うよ」
カチャカチャカチャ
すっかり忘れていた事を指摘された少年は、留め金の音を立てながらくすんだ黒色の鎧を外して傍らに積み上げる。雪が積もっていた鎧の下には早くも水溜まりが出来ていた。それを見ながら後で拭いておかないといけないなと思う少年であった。
「綿入れ羽織ったらこっちを手伝って」
その言葉に母親の方を見ると怪我人の服を脱がそうと悪戦苦闘している姿があった。ボロボロになった服をそのままにしていたら手当ても出来ないし、身体も冷えるからである。
少年は母親と代わると服を次々と脱がす。母親は桶と湯と手拭いを用意して傷口を拭いて綺麗にする。ある程度綺麗になったところで強いアルコールの地酒を吹きかけて消毒も行う。吹きかけた瞬間に怪我人はうめき声を上げていたが、気が付いた様子は無く、ぐったりとしたままであった。余分な酒を拭き取った後に母親の作った薬草の軟膏を塗り、清潔な包帯を巻いていく。最後に既に亡くなっている父親の寝巻きを着せてベッドに寝かせ、出血による体温の低下を防ぐ為に布団をかけた。
呼吸の安定している様子と苦しそうになっていない顔を見て母親は頷く。
「これなら大丈夫そうだね、目が覚めたら何か暖かい物でも食べさせればいい」
それを訊いた少年は安堵の息をつく。自分の診断でも大丈夫だとは思っていたが、第三者の見立ても聞くと確かな物に感じられるからだ。
「良かった、母さんありがとう。後は僕が見てるから母さんは寝て良いよ」
「そう?だったら先に晩御飯を食べちゃいなさい。
スープを温めれば食べられるから、黒炎も一緒に行ってきな」
「分かった、行ってくるよ……黒炎、行こう」
少年は扉を開いて黒炎を促すと台所に向かう。スープの鍋を火にかけるとパンに干し肉のスライスとチーズを挟んで皿に載せてテーブルへと運んだ。
「怪我が思ったよりも酷く無くて良かった」
「ふふん、ボクに感謝していいんだよ」
「そうだね、黒炎が見付けなかったらどうなっていたか……お手柄だよ」
「スープ多めでよろしく」
「いいよ、ご褒美だからね」
得意顔になっている黒炎に、苦笑しながらスープ鍋の様子を見に行く。野菜と肉と牛乳の入った温かなシチューは美味しそうな匂いを漂わせている。二つの器にシチューを注いだ少年は水差しとグラスを一緒に持って戻る。料理を分けて、多い方のシチュー皿を黒炎の前に置き、水をカップと皿に注いで席に座った。
「「いただきます」」
声を揃えて言ってから食事を始める。お腹が空いていたらしく、すごい勢いで器の中身が無くなっていった。
「黒炎、シチューどうだった?」
「う~ん、もっと熱くても良かったよ」
「そっか、熱いのが好きだったもんね」
「やっぱりシチューは熱々が一番だよ」
そんな会話をしながら食事を済ませる。水を一気に飲んで一息つくと、お腹を押さえて満足そうな顔になった。少年は食器を集めて流しで洗うと、怪我人用に水差しを持ち、黒炎を促して自分の部屋へと戻っていった。
ガチャ
濡らした手拭いで怪我人の額から汗を拭っていた母親は、扉の開く音に反応して顔を向ける。
「もういいの?ゆっくりしてくれば良かったのに」
「いつも通りだよ、さあ、母さんもそろそろ寝ないと」
「そお?それじゃあ部屋に戻るけど、何かあったら呼ぶのよ」
「うん、わかった、それじゃあおやすみ」
「おやすみなさい、黒炎もおやすみ」
立ち上がって扉の方へと向かう母親に、黒炎も暖炉の前で横になりながら大きな尻尾を振って挨拶をする。その様子を見ながら微笑んで部屋から出て行った。
黒炎は暖炉の前で再び黒い毛玉になり、少年は鎧を拭いて手入れをする。鎧はくすんだ黒色をしていて厚みもあり、ほとんど全身を覆う造りになっている。少年は身長も平均的で、引き締まってはいるが細身の身体なので、全身鎧を着てあれ程の動きが出来る事が信じられる人間は少ないだろう。最後に素振りをしていた鎧と同じ素材の棒を拭いたところで、大きな欠伸が出る。眠そうに目に滲んだ涙を拭った少年は、立ち上がって伸びをする。ポキポキと関節が鳴る音が身体の中に響くのを心地良さげに感じながら、眠気を飛ばすように深呼吸を何度かすると、怪我人の様子を見る為にベッドへ近付いた。
呼吸も落ち着いており、顔色もここに来た時点よりも良くなっているようだった。額の手拭いを水ですすいで絞りまた戻す、この調子でいけばすぐに回復するだろうと少年はホッと一息ついた。
手入れの終わった鎧を定位置に片付け、父親の遺した覚書を読んでいるうちに、窓を覆うカーテンの隙間から朝日が漏れてくる。
「もう朝か……ふぁぁぁ」
次第に明るくなっていく窓を見ながら、欠伸をしていると、ベッドの上から声が聞こえてくる。
「……うっ……ここは……」
弾かれた様にベッドに向き直した少年の目の前で、怪我人が目を開いて周囲を見回しているようであった。答えを返そうと、少年は脅かさないように小さい声にする。
「ここはノースアタロス村の僕の家です」
その言葉に、初めて少年がそこに居る事に気が付いた様子で、怪我人の男は相手の顔を確認するように視線を向けてくる。
「君の家……どうして私はここに居るんだい?」
「覚えていないんですか?あなたは村の外で血塗れになって倒れていたんですよ」
「血塗れ……うぐっ……この身体の痛みはそれが原因だったのか」
痛みに顔をしかめた男は荒い息で起き上がろうとする。
「まだ無理はしないで下さい」
少年は上体を起こすのを手伝いながらたしなめ、男の背に枕を当てて壁に寄りかからせる。それから水差しからカップに水を注いで男に渡した。
「ゆっくり飲んで下さい」
「ありがとう」
礼を返して少しずつ水を喉に流し込む様子に、少年は食事も摂った方が良いと思い立ち上がる。
「スープを温めてきます。弱った身体には栄養のあるものを入れたほうが良いですから」
扉の方へと向かいながら黒炎の方へと視線を向ける。少年と男の会話で起きていた黒炎は、首だけ持ち上げて少年の方を見ていた。少年は、任せた、という意味の視線を向けており、黒炎もまた、任された、という意味の視線を返している。二人の絆の強さが成せる意思疎通であった。
スープを鍋にかけて温める。まだ固形の物をたくさん食べさせるのは早いと考えた少年は、スープから大きめの肉や野菜を除いて皿に盛った。
ガチャ
部屋に戻りベッドへと向かう少年の方を見ながら、男の視線は持っている皿に固定されている。匂いにつられて腹の虫が鳴っているのが少年にも届いているので、少々バツの悪そうな表情になっていた。少年はその様子を見て、身体は回復に向かって居ると確信できた。
「スープです、まだ身体は弱っているのでゆっくり食べて下さい」
皿とスプーンを受け取った男が勢い良く食べ始めそうな気配を感じて、釘を刺す。男は照れくさそうにしながらゆっくりとスープを飲み始めた。
「美味い、まるで生き返るようだ」
全くその通りだと思いながら少年は苦笑する。
「ありがとうございます、母さんが聞いたら喜びますよ」
「君が私をここに連れてきてくれたんだろ?お母さん共々お礼を言わないとな」
そう言ってスープを味わいながら飲んでいる男の邪魔にならない様に黙ってベッドの横の椅子に座って待つ。しばらくして食べ終わりを見越してカップに水を注ぎ、造血作用のある薬草の粉末と一緒に男に渡した。
「これを飲んで下さい。出血が多かったので造血作用のある薬草です」
「ありがとう、人心地がついたよ」
薬草と水を飲み干した男は、大きく息を吐き出す。ひとまず落ち着いたようだと思った少年は、本題に入るタイミングだと考え、姿勢を正して男へと身体を向けた。
「あの、訊いても良いですか?」
「ん?なにかな、答えられる事なら何でも答えるよ」
微笑む男に安心した少年は質問を続ける。
「どうしてあんな場所で倒れていたんですか?」
「ああ、あれは私の考えが甘かった。
こっちへ来る途中の森で魔狼の群れに襲われてね……撃退はしたんだが途中で力尽きたんだ」
「えっ、魔狼に襲われたんですか……良く助かりましたね」
「まあそれなりに鍛えてるからね、しかし歳かな、このくらいで身体が動かなくなるとは」
「すごいですね、何をしている人なんですか?良ければ教えて下さい」
「構わんよ、私は王都の学院で学院長をしている者だ」
「えっ、学校の先生は皆こんなに強いんですか!?」
「あ~、いや、ウチは特別でね、戦闘職を養成するための学院なんだよ」
「へ~、王都にはそういう学校もあるんですね」
驚きながらも納得した少年は、そんな所の学院長が何をしにこっちへ来たのかが気になりだす。少しの間逡巡しながらも恐る恐るといった感じで聞く事にした。
「でもどうして学院長さんは、この村の方へと来たんですか?」
その質問に考える様子になった学院長は、少しして頷くと少年へと目を向ける。
「別に秘密にするような事では無いからな。それに命の恩人には答えたい」
そう言って笑みを浮かべて少年にウインクをする。年齢に合わないお茶目な様子に、少年も笑顔になった。
「私の目的は、この村に居る人物に仕事を依頼する事なんだよ」
「えっ、目的地はここだったんですか、それなら偶然でも見付けられて良かったです」
「ははは、本当だよ。神は私を見捨てなかったという事だ」
冗談めかして言う学院長はとても魅力的な笑顔を見せてくれ、年齢の離れた者とのこういった会話の経験が無かった少年は不思議と違和感が無かった。
「この村の人だったら僕が案内しましょうか?」
「おぉ、それは助かる。動ける様になったら頼むよ」
「はい、それで何ていう人なんですか?」
「うむ、確か、ウォールとかいう鍛冶屋だったかな、村唯一の鍛冶屋らしいからすぐ分かるだろう」
「えっ……」
それを聞いた瞬間、少年の顔に悲しみ混じりの何とも言えない表情が現れる。それを見た学院長は、不思議そうに思った次の瞬間、後悔したかの様な苦い表情になった。
「父さんは去年亡くなりました」
「すまない、君の父君だとは思わなかった……辛い事を思い出させたかな」
「気にしないで下さい、知らなかった事ですから」
その場が重苦しい沈黙に包まれ、お互いに気まずさから何を言えば良いのか分からなくなる。
しばらく屋根から雪が落ちる音や、暖炉の薪が爆ぜる音だけが聞こえてくる空間であったが、軽い足音と共に少年の足に暖かい何かが触れてくる。少年がその方向に目をやると黒炎の紅の瞳がじっと見詰め返していた。心配そうな様子の黒炎に頷くと、少年は一度目を閉じて深呼吸すると気持ちを入れ替えて学院長へ視線を向ける。
「大丈夫です、父さんは今でも僕達家族の心の中に居ますから」
硬いが笑顔になった少年は力強く拳を握って学院長へと頷いた。
「それに、いつまでも弱いままだと父さんに笑われちゃいます」
その力強い様子を見た学院長も笑顔になって少年の頭を撫でる。その瞳は優しそうな光に満ちていた。
「君は強いな、私の目的は達成出来なかったが、新たな光を得た気分だ」
「???」
不思議そうな顔の少年に笑顔を見せながら嬉しそうに頷く学院長は、大怪我してまで訪れた村で目的が達せられないにも関わらず、実に満足そうな様子に見えた。
「さて、そろそろ横になりたくなってきたよ」
お互いの事を少し話題にしながら世間話を楽しんでいた少年と、それを聞いていた一匹は、その学院長の言葉で結構長く話していた事に気が付く。
「そうですね、僕も眠くなってきました」
「君のベッドを占領して申し訳ないが、さすがに今日のところは使わせてもらうよ」
「はい、僕は黒炎が居れば暖かいから大丈夫ですよ。学院長は傷が良くなるまでベッドを使って下さい」
「ありがとう、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ、ではおやすみ」
「おやすみなさい」
学院長が横になるのを助け、布団を身体にかけてから暖炉の薪の様子を確かめる。しばらくはこれで大丈夫だと確認した少年は、黒炎と一緒に毛布に包まりながら暖炉の側で横になる。次の瞬間には室内の全員が眠りに落ち、その場には気持ち良さそうに眠る呼吸の音が聞こえていた。
数日が経ち、学院長の傷も動ける様になると同時に急激に傷が癒えていった。さすがは戦闘職を育てる学院の学院長だと、少年は驚きながらも納得していた。
村の守衛からの簡単な尋問も無事に終わり、晴れて自由の身になった学院長はその夜、少年の家で家族全員と共に食事を摂りながら改めて礼を言う。
「ありがとう、本当に世話になったね」
「いえいえ、遠くから主人に会いに来てくれた方をもてなすのは当然ですよ」
「いや、命を救われて、手当てもしてもらい、本当に助かりました」
「目的が達せられなくなった人をそのまま帰したら、主人に怒られちゃいますから」
「ははは、母君には感謝してます、それ以上に息子さんにはね」
「この子がお役に立てて嬉しいです」
「自慢して良い、立派な息子さんですよ」
笑顔で会話を交わす学院長と母親の姿に、いつしか学院長と話をするのが楽しくなっていた少年は寂しそうにスープをすすっていた。学院長の次の言葉が予想出来ていたからである。
「話は変わりますが、傷もほぼ癒えたのでそろそろ王都に帰ろうと思います」
「まぁ、ウチはまだまだ滞在されてもよろしいんですよ。
この子も学院長さんの話に喜んでいますし、傷が完治してからの方が良いのでは?」
「十分傷も癒えました。それに私は学院長なので余り長い事学院を留守に出来ないのです」
「そうですか、残念ですが気を付けて帰ってくださいね。
この辺は田舎で山も近いので雪が結構積もっていますから足元には注意して下さい」
「ありがとう、さあせっかくの料理が冷めてしまうから、食事にしましょう」
終始楽しそうな雰囲気で食事を終えると、少年の母親は食器を洗う為に台所へ行き、少年は食器をまとめて流しへと運んだ。
少年が戻ってくると、学院長が笑顔で待っていた。
「君には本当に世話になった、ありがとう」
頭を撫でながら礼を言う学院長であったが、少年の顔は曇ったままだった。
「そんな顔をしていたら父君に笑われてしまうんじゃないかな」
「うん、でも学院長さんのお話が楽しくて、別れが寂しいんだ」
「嬉しいよ、そう思ってくれて」
そう言い、学院長は少年の肩に手を置いてから目線を合わせるようにしゃがんだ。
「確かに別れは寂しいものだ、だけど再会の喜びに変えられる。
また会えた時にお互いの成長や、離れていた時の話をしようじゃないか」
「また会える?」
「ああ、お互いがそう信じていればいつかは叶う。
だから、別れの時には笑顔で、『またね』と言おう」
少しの間無言で学院長の顔を見ていた少年は頷いて笑顔を見せる。
「うん、またいつか会えると信じるよ」
「偉いぞ、君の成長を楽しみにしてる」
同じ様に笑顔になった学院長は、少年の頭を撫でながら頷き返した。
台所からは、洗い物の終わった少年の母親が笑顔で少年を見詰め、黒炎は笑顔になった少年に嬉しそうな様子で尻尾を振っていた。
翌日の早朝、村の門の前には学院長と少年と黒炎の姿があった。少年の母親とは家で別れを交わしていたのでこの場には居ない。いつもより早めに門を開いてくれた守衛は少し離れた所で様子を見ている。
「今日晴れてくれて良かったね」
「そうだな、吹雪は老骨には堪えるからな~」
笑いながら言う学院長に、約束通り、少年もまた笑顔であった。
「学院長さんは強いけど気を付けてね、油断してるとまたやられちゃうよ」
「ははは、今度はさっさと逃げる事にするよ、帰り道だからね」
「うん、それがいいよ」
「うむうむ」
笑顔で話す二人の側で欠伸をしていた黒炎に、学院長は唐突に視線を向ける。
「今度会った時は、黒炎君も私と話をしてくれると嬉しいな」
「気付いていたんだ、黒炎が話せる事を」
「伊達に学院長をしていないさ」
説得力のまるで無い返答をする学院長を、黒炎は驚いた顔で眺める。その様子に楽しそうにウインクを返す学院長は、悪戯が成功した少年のように嬉しそうであった。
「そうだ、これを君に渡しておこう」
そう言って少年に渡したのは、白く高級そうな造りの封筒であった。表には『紹介状』と記されており、裏には学院長のサインがある。それを確認した少年は問う様に学院長の目を見た。
「数年後、もし君が王都に来る意思があり、君の将来に戦闘職への道があれば私の学院に来なさい。
奨学金、つまり卒業してから返金する制度で君をウチの学院に推薦してあげよう」
突然の話に、少年の口調も改まったものに変わる。
「え、いいんですか……ありがとうございます、その時はお世話になりたいです」
「但し、母君が反対したらこの話は無かった事になるからね。
来る場合はきちんと説得してからにするんだよ、母君を一人で村に残すのだから」
「はい、分かっています。
僕も母さんを一人にするのは心配ですから、母さんと良く相談してから決める事になると思います」
「うむ、いい子だ。それではまた会える時を楽しみにしてるよ」
学院長は少年と黒炎を笑顔で見てから手を振ると村から街道へと続く道を進み始める。
「僕もまた会えるのを楽しみにしてますね、お気を付けて~」
元気に手を振る少年の傍らでは、別れの挨拶をする様に大きな尻尾を振る黒炎の姿があった。
何度か振り向き、少年と黒炎の姿に笑みを深めながら手を振る学院長の姿は次第に見えなくなっていく。その姿が雪景色に完全に見えなくなるまで手や尻尾を振っていた少年達は、一度も悲しそうな顔になる事も無く、家へと戻っていく。その瞳は目標に向かっていく者の力強さで強い光を放っていた。
楽しんで頂けたでしょうか。続きも早く読んで貰えるように頑張ります。




