私はヒロインらしい
「……」
しばらく黙った後。
「シャルル」
初めて名前だけで呼ばれた。
「はい」
「俺には前世の記憶がある」
「ぜんせ……ですか?」
「生まれる前の人生ってこと」
(……何を言っているのかしら?)
シャルルは少し考えた。
「つまり、ファイ様は一度死んだことがあると?」
「まあ、そういうことになるね」
「……」
ファイは咳払いをした。
「俺は、前世でこの世界とは別の場所で生きてたんだ」
「別の国?」
「いや……世界?かな」
「世界……」
「そう、世界」
話が急に大きくなった。
「そこには魔法もないし、馬車より速く走る鉄の乗り物があって、遠くにいる人間と一瞬で話せる道具があってーー」
「魔道具ですか?」
「魔法はないって言っただろ」
「でも魔法みたいですわ」
「……まあ」
ファイは少しだけ遠い目をした。
「こっちの人間からすれば、そう見えるかもしれないな」
ファイは少し遠い目をした。
懐かしんでいるのかもしれない。
「それで。その世界と、私を好きにならない話に何の関係があるのです?」
シャルルが促す。
「大いに関係があるんだ」
ファイは言った。
「俺がいた世界には、ライトノベルっていう読み物があったんだ」
「……らいとのべる」
「小説の一種だと思ってくれればいいよ」
聞いたことのない言葉だった。
「……その、ライトノベルとやらがどうしたのです?」
「妹が令嬢もののライトノベルが好きだったんだ」
「妹様?」
「前世のな」
ファイは苦々しい顔をした。
「俺は興味なかったんだけど……、でも妹が読めってしつこくて。感想を言えだの、この男とあの男ならどっちがいいだの。何度も読まされた作品があったんだ」
「仲がよろしかったのですね」
「まぁね」
ファイがシャルルを見る。
「で、その何度も妹に読まされたライトノベルのヒロインがーー、シャルル・メイアーズだった」
「…………」
シャルルは、自分を指差した。
「私……ですか?」
「ああ」
「同姓同名ではなくて?」
「容姿も、家族構成も同じなんだ」
「父親の名前はエドガー。母親はマリアンヌ。メイアーズ伯爵領の特産は葡萄と蜂蜜」
シャルルは口を閉じた。
ファイは続けた。
「君は七歳の夏ーー、屋敷の裏庭で死んだ青い羽の小鳥を拾って、お母君が大切にしている花壇の下に埋めたよね」
「……え」
(誰にも言っていないはずなのに……)
七歳の時ーー、窓の下で死んでいた小鳥を見つけて、侍女に言えば捨てられてしまうと思い、一人で庭の隅へ埋めたのだ。
「どうして……それを知っているのです?」
自分でも驚くほど、小さな声になった。
「小説に書いてあったんだよ」
シャルルはファイを見る。
さっきまで奇妙なことばかり言う少年だと思っていた。
けれど急にーー彼が少しだけ恐ろしく見えた。
「……その本にはーー私の人生が書いてあるのですか?」
「うん。全部じゃないけどね」
ファイの声は、先ほどより静かだった。
「確かーー、物語が始まる十五歳の春から、十八歳くらいまでが中心だったかな」
「……十五歳」
「そう。俺たちが、王立学院へ入学する年だ」
ーー五年後。
「そこで君は、ある男と出会うんだ」
「誰です?」
「ーールーカス・レオンティーズ」
その名を知らない者はいない。
「……王太子殿下ですか?」
「そう。そして、君はルーカスと恋に落ちる」
「……私が?殿下と……?」
ファイは頷き、一度、目を閉じた。
そして、意を決したように言った。
「……俺はーー、当て馬キャラなんだ」
「……あてうま、きゃら?」
知らない言葉だった。
今日だけで知らない言葉が増えていく。
「……それは、どういう意味の言葉でしょう?」
「うーんと……、君のことが好きで、めちゃくちゃ好きで、何をされても好きで、命まで懸けて守るのにーー最後は君を王太子に譲って身を引く役目の人間ってこと」
「まあ!」
「しかもーー『君が幸せならそれでいい』とか言って、最高に格好つけてね」
ファイが頭を抱える。
何か嫌な記憶でも蘇っているのだろうか。
「しかも妹がそこで泣くんだよ!『ファイ様かわいそう!』って!」
(……なるほど)
シャルルは少しずつ事情を理解した。
だがーー理解しただけで、信じられたかと言われれば、まだ難しい。
「俺は原作みたいにはなりたくない。いやーー絶対にならない」
「……げんさく?」
「あ、その小説のこと」
「……なるほど、難しい言葉ばかりですね」
「とにかく!君が十五歳になったらルーカスと出会うから、それまでは婚約者として問題なく過ごす。そしてルーカスが現れたら、穏便に俺たちの婚約を解消しよう」
「穏便に……」
「ああ」
「……その後、私は殿下と恋をするということですね?」
「そういうこと」
「ファイ様は……私と婚約破棄なさった後、どうなさるのです?」
「自由になるのさ!」
ファイはそう言って、両手を大きく広げた。
「これで全員幸せ!!」
なんという、勝手な計画だろう。
シャルルはしばらく黙っていた。
「……質問があります」
「何?」
「その小説では、私は王太子殿下と結ばれるのですよね?」
「ああ」
「では……」
シャルルは少し考えてから尋ねた。
「もし、私が別の方を好きになったらどうなるのでしょう?」
ファイの顔から表情が消えた。
「……別の?」
「はい」
誰でもよかった。
まだ恋というものすらよくわからない。
だから何となく、目の前の少年を例にした。
「たとえば……、ファイ様とか」
「――」
ファイが固まった。
「どうして俺なんだよ」
「ファイ様は、当て馬キャラーーなのでしょう?」
「そうだけど……?」
「でしたら、小説を読んだ方の中には、私とファイ様が結ばれてほしいと思った方もいたのではないですか?」
ファイは答えなかった。
シャルルは首を傾げる。
「いなかったのですか?」
「……いたよ。だからーー本編とは別に、特別編があったんだ」
「特別編?」
「もし主人公が王太子じゃなく、別の相手を選んでいたら――っていう例えばの話ね」
シャルルは目を輝かせた。
「では、私とファイ様のお話も?」
「……あったよ」
「どうなったのです?」
ファイは答えなかった。
「幸せになったのでしょうか?」
「……」
「ファイ様?」
「忘れた」
「え?」
「覚えてないんだ」
随分と早い返事だった。
シャルルは眉を寄せた。
「だいぶ昔に読んだ本だしね」
「……ですがーー」
「とにかく!君は王太子を選んだ方がいい」
それまでと違う声だった。
シャルルは瞬きをする。
「なぜです?」
「それが、一番……」
ファイは言いかけて、止まった。
それから言葉を選ぶように、少しだけ間を置く。
「――原作では、一番幸せな結末だったから」
「……そうなのですね」
「そう」
「ーーですが、私には心があります。好きな方くらい、自分で決めますわ」
ファイが黙った。
青紫の瞳がまっすぐシャルルを見る。
驚いているようだった。
当然のことを言っただけなのに、どうしてそんな顔をするのかわからない。
「いや、でも……、君にはルーカスとくっついてもらわないといけないんだよ」
「ファイ様の計画には、一つ大きな欠陥があります」
「……何?」
「私の意見が入っていないということです!」
長い沈黙のあと。
ファイはぽつりと呟いた。
「……確かに」
「でしょう?」
「でも……」
「まだ何か?」
「君、原作だともっとこう……」
「こう?」
「おっとりしてた気がするんだけど」
「失礼ですね」
「ーーいや、悪い意味じゃ」
シャルルは笑った。
こうして、十歳の春ーー、シャルル・メイアーズとファイ・フォルセティは婚約(仮)したのだった。




