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ファイアボール・キリング  作者: 桜山うす(J.I.A)
第一話 土魔法使いの転生者
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市場と業者

 休暇のはずだった。


 電車が迷宮都市の高架へ入ると、窓の下にモンスター用の防波堤と、その内側を埋める露店の屋根がびっしりと並んでいた。


 タダノフは膝の上の鞄を抱え直した。中身は空の瓶が一つ。魔法薬の瓶だ。


 家のゴーレムが、このごろ動きが鈍かった。


 火にかけた鍋を取り落としかけ、危うく火事になるところだった。


 生命素の蜂蜜(ネクター)を切らしているのかもしれない、と思って出てきた。それだけのことだった。


 冒険者向けの市場は、薬と肉と魔石の匂いが層になっていた。タダノフは回復薬の棚の前で足を止め、蜂蜜の瓶を一つ手に取った。


 タダノフは、魔力視の魔眼を持っていた。

 瓶の内側に、魔力痕がうっすらと見える。


 蜂蜜の瓶は、万華鏡のように美しかった。透明な層の奥で、無数の小片が寸分の狂いもなく噛み合い、どこから覗いても崩れない秩序を保っている。


 あまりに美しかった。──『美しすぎた』。


 タダノフはそれを棚に戻し、別の一本を手に取り、これも魔力痕を確認してから買った。


 人気のない路地で栓を抜き、指につけて舐めた。

 傷の塞がる感触が、舌の裏から確かに立ちのぼった。


 効きは本物だった。


 彼は瓶を鞄にしまった。蜂蜜を買いに来た鞄に、正体不明の蜂蜜の瓶が一本増えた。


 卸元はすぐ知れた。署からボルダーを呼んだ。


 ボルダーは走ってきた。二駅分の距離を、息ひとつ切らしていなかった。


 道々、タダノフは蜂蜜の瓶をボルダーに渡した。


「読んでみろ」


 ボルダーは、ブラックライトを抜いた。

 武骨な彼の手に魔導警察のブラックライトは小さすぎて、柄を握らずに、指先でつまむようにして持っていた。

 壊れ物を扱う手つきで瓶にかざし、浮かび上がった模様を読んで、口笛を吹いた。


「うわ、本物のネクターっすよこれ。二万……いや、もっとするやつじゃないっすか。うちの課のポーションも、こういうの支給してほしいっす」


「もっと読め」タダノフは言った。「何が見える」


 ボルダーはライトの角度をくるくる変え、目を細めてじっくり観察した。


「何がって……上物の、回復系の痕っす。きれいな……」


「蜂が作っているところを想像できるか」


「……は?」


「本物のネクターは、何百という魔法蜂が毎日、代わるがわる生み出し続ける」タダノフは歩きながら言った。「生産する者ごとに癖が出る。夜は巣に戻って休み、朝になってまた継ぎ足していく。そうすると魔力痕は不揃いになって、古くなったものと新しいものの層が積もる。『年輪痕』という」


 ボルダーはブラックライトをもう一度かざし、今度は長く見て、それでも見つけられずに首をかしげた。


「……おれには、ただきれいに見えるっす」


「だからそれは、きれいすぎるんだ」タダノフはライトを下げさせた。「層がない。継ぎ目もない。一人の作り手が、休まず、ひと息でこの一瓶を作り上げている。──魔法蜂の仕事じゃない」


 ボルダーが顔を上げた。


「人間にも作れない」タダノフは言った。


「じゃあ、なんなんですか、これ」


「分からん、それを確かめに行く」


 業者の店は、市場の裏手の、人気の引いた一角にあった。卸専門の、表に品を並べない店だ。


 その戸口から、誰かが出てきて、すれ違った。


 土の匂いに、油が混じっていた。タダノフの鼻の奥が、昔の癖で勝手に動いた。場違いなほど整った魔力の気配が、すれ違いざまに肩をかすめて、抜けていった。


 タダノフは半歩だけ振り返った。裏通りに、もう背中はなかった。


 ──顔は覚えた。


 彼は戸を押した。


「あれは自然の蜂のだよ。冒険者が森で拾ってきたのを、うちが買い取ってるだけでね」業者は手を振った。


「どうせそう言うだろうと思って、冒険者ギルドに問い合わせてみた」タダノフは言った。「ネクターが素材として持ち込まれるのは、月に二十数件。瓶にして、せいぜい三十本だ。あんたは先月その十倍は卸している、ちょっと多すぎるんじゃないか?」


 業者の手が止まった。


「あ、あ、いや、冒険者が、持って来たものだから……俺はただ、自然のもんだと聞いて、仕入れただけで──」


 その先が、続かなかった。なぜかしどろもどろになっている。

 どうやら、警察に嗅ぎつかれるとは思わなかったらしい。

 その後の言葉は、ひとつも用意していなかった。


「その冒険者は」タダノフは静かに言った。「この蜂蜜を森で拾ってきたんじゃないな。──蜂に、月に三百本は作れない。そして人間にも、これは作れない……正直、俺もこんな蜂蜜を見たのは初めてだ。どっちかと言うと、その冒険者の方に興味がある」


 業者の喉が鳴った。


「『異世界転生者』ってのを聞いたことがあるか」タダノフは続けた。「数百年に一度あらわれる、規格外の魔法使いだ。どの流派にも属さず、こちらの積み上げた理屈なんてすっ飛ばして結果だけ出す。魔導警察の長い歴史上でも、数件の記録しか残っていない。彼らはこの世界に対して無知で、簡単に悪用されるという……お前みたいな小悪党にな」


 ボルダーが一歩前に出た。笑顔のまま、声だけ低く落とした。


「逃げないほうがいいっすよ。この人、元ファイアボール道の世界大会出場者なんで。時速二百キロの豪速球。逃げたら、命の保証はしないんで」


 一歩ぶん、業者の上に影が落ちた。業者は震え上がった。


 業者が吐いた名前は、早鐘アイヤ、といった。

 冒険者のあいだで噂のポーションマスター。

 街外れの小さな(無許可の)小屋で、一人で大量に作っているという。


「ポーションマスター……かっこいい」ボルダーが小声で繰り返した。なぜか、耳が赤かった。


 うわさの小屋に着くと、棚という棚に瓶が並んでいた。

 床にも箱が積んである。


 あの綺麗すぎる万華鏡の魔力痕が、棚のどの瓶を見ても浮かんでいた。


 奥で、エプロンの娘が鍋をかき混ぜていた。


「あ、お客さんですか?」彼女は顔を上げて笑った。


「警察だ」タダノフは言った。「まず確認したい。お前、『製薬免許』は持っているか」


「めんきょ……?」

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